⑮ Kamisama System

<This text>

 <Kamisama System>


 蹲る飛鳥に手を添えたのは紫だった。彼の手は機械の色がない手で、飛鳥の手も上手く吸い付く。手を取りあい、立ち上がる作業着には血液が飛び散っていた。赤が映えているし、店内の商品にも至る所に飛鳥の肌から垂れた赤が細かく弾けている。

 また後日一緒に片付けることにしようと、三人で積み重なった靴の山から脱出して、店外に出る。ハコの天井が美しい茜色に濡れていた。幾千年前にあったとされる空を投影した空だ。そこに潮風が漂い、このハコ特有の日常的空気が存在していた。

 紫が今度は広場のピアノへと足を向けた。

「代わりのカミサマが来るまではどうするんだ?」

 飛鳥が、僕たち二人についてくる。後ろからひっついて、カミサマのことに興味津々だった。先ほどまで嫌いと言っていたが根はやはり、カミサマシステムについて純粋な好奇心を抱いている。

 歩みの幅は大きく、堂々とした様は流石飛鳥だった。目尻の腫れは白い肌を拭っている。

「代わりは、紫に」僕は紫に顔を向けた。「僕はこれから、このハコを離れて、カミサマからはぐれる」

 ふーん、と飛鳥は言ってのけたが気になるのか、僕から一定の距離を離しているものの、その距離からは離れない。そうして、僕たち二人につきっきりで黒いタイルの広場までやってきてしまった。

 この先にあるピアノを想うと、飛鳥の同行は気が引ける。「飛鳥、僕たちは次に白の……」

「死んだところに行くつもりだろ」

「よく分かったな」

「ちょうど良かった。あたしはあいつの遺言状一つもっていないから、こうして巡っていたんだ。良ければあいつの最後も教えて」

 飛鳥は傷だらけになった拳を隠して、僕たちにひっついてくる。カミサマに興味を持った人間はこれまでに何人もいた。僕も桜に対しては特別な感情を抱いているし、飛鳥もそうなのだろうか。

「飛鳥は、なんで僕たちみたいなカミサマに興味があるんだ」

「カミサマじゃなく、カミサマシステムに興味があるんだよ」

 紫を先頭に黒いタイルの広場を練り歩く。市場のテントは張られ、橙の灯籠がそれぞれのテントの中に置かれている。今日も肉や野菜といった代物がずらりと置かれている。今日の献立を考えて、無口になってしまう。飛鳥も他の人間に聞いて欲しくないのかすぐに口を閉じってしまい、無言のまま三人で広場へ急ぐ。

 テントを過ぎ去り、ピアノが中央に置かれたままの円形広場にやってきた。今日はここに光もなければ、中心にいる人物もいない。

 顎を引いてピアノへと視線を注ぐ。そこに白がいるような感覚になる。椅子を引き、鍵盤に手を置く。手元には灰色の指。カタカタと動かして、鍵盤を押す。しっとりと置かれた指から湿り気のある音と透き通った音色が重なって

 あの時の演奏を、今になってようやく聞き取れる。

──完璧だ。

 彼が言った言葉に嘘偽りはなかった。

「ここで最後にピアノを演奏をした。コンサート終わりだった。僕は白を殺すところを空に見られたくなくて、先に帰らせた」

 紫よりも飛鳥よりも前に出て、残像の白の元へ。右の腕に隠してあるナイフを抜き取り、白の首元を一気に貫いた。ナイフからこぼれ落ちる大量の血液なんて、気にもとめなかった。あの時の僕は不安定で、どこかふわふわとした世界にいた。

 殺したからといって何もない。これまでと一緒だ。と、言いようによってはそうだが、ここには空がいた。僕が一番醜い様を見せたくない人がいたからこそ、血まみれの機械義肢は見せたくなかった。

 一方で、僕はカミサマだから気丈にふるまいもした。

「あの時のあんたは、どこかおかしかった」

 飛鳥がピアノに触れる。血液も何もかも綺麗に拭い去られ、白の面影の一つすら見受けられない。

「ここに引継ぎ書があったんだ」

 紫にグラウンドピアノの屋根を押し上げる。中は鍵盤の配列と同じように線が通っていた。機械のように精密なそれらを一本一本目でなぞっていく。まるでカミサマのように複雑で入り乱れている楽器だ。

 引継ぎ書は残らず回収していることを再度確認する。紫も確認し、引継ぎ書は僕が持ってきていたこれで全てだと二人で確信した。譲り受けた引継ぎ書は、全部で十枚ほど。タイトルは、『白から青へ』のみ。

 飛鳥のことや自身の過去のことはおろか、人間のことは何一つ詳細に書いていない。

 黒いタイルの上に一枚一枚並べて、博物館の資料のように僕たちはそれぞれ書いてあることを読んでいった。白の字は細かいものでもなければ、癖のある文体でもない。

「ハコのことしか書いてないな」

 飛鳥は寂しそうにつぶやいた。

 海のあるハコの地図や詳細。どこがぼろが来ているか、治安のための要注意リスト。例えば、痴話喧嘩のようなことが住人間で起こったとしても、カミサマが仲裁に入る。幸いにも過去に流血を来す事件はこのハコには起きていないことが記載されていた。また、衰退の一途を辿ることは、白の知見からも変わらない。あとはこのハコの歴史を大雑把にまとめられている。

『海のあるハコ、通称〈White_91〉は、他となんら変わらない歴史を辿っている。このハコは、海が見たい、空が見たい人々が寄り集まってできたハコだ。だから、天井の空は他のハコよりも地上のものに近く、海はシステムの管理下にはあるが、ハコの大部分を占めている。

 近年は、住人も少なくなり、ハコの国交も絶たれているため嗜好品は少なくなりつつある。

 いわば衰退していくハコだ。

 カミサマの数も減りつつある昨今。ハコの数も減っている。願わくば、その余生を過ごすこのハコを見守って欲しい』

 白の願いが最後の一枚にまとめられており、飛鳥はあいつらしい、と文字をなぞる。

「最後まであいつらしい文面で、あいつらしい願いだ」

 飛鳥が引継ぎ書の最後のページを抱きしめる。

「白の面影は見つけられたか」

 紫が飛鳥に問いかけた。

「ああ、ここに」

 飛鳥は引継ぎ書を地面に置いて、黒いタイルへステップを踏む。ピアノの前に来て、そしてくるっと一回転し、両腕を広げる。

「このハコ全部が、あいつのものだ。

 次のカミサマに引き継いだとしても、変わらない。

 あいつの好きだったハコだ」

 きっと、白は記憶を取り戻そうと、このハコに残っただろう。ピアノさえ弾けていれば、白は幸せだった。このハコの余生も飛鳥と共に過ごしていくはずだった。

 海のあるハコ。

 とても良いハコだ。

 なあ、白。

「あたしがこのハコにいる限り、白のハコは潰えない。最後まで共に生きるよ」

 


 広場が闇に溶けかけていた。市場のテントは折りたたまれ、光がピアノへと辿り着かなくなる。夜空が天井に散りばめられ始め、星が映し出される。あの小さな点が星と言われていたなどと幾千年先の僕たちは考えがつかない。星、という概念も地上や海という陸続きにあった大地も、遙か遠くにあって、まるでおとぎ話を聞かされているようだった。とりわけ『空』はそうだ。

 だがどういうわけか、僕たちカミサマは空を見上げることが多かった。

「昔は空は繋がっていたらしい。だから、この空はどこも同じだとし、遠く離れた人でもどこかで、この空の下で笑っているだろう、と思いを馳せた」

 紫が黒いタイルの端から端まで歩き出す。直径何メートルかの円形の広場の端は、既に闇に溶けて見えない。紫は見えない中から表れて、僕たちに問いかける。

「空、が見たいか」

 もちろん、カミサマはみな一様に応える。

「本物の空が見たい」

「カミサマは、なぜか恋い焦がれるよな」

 どうしてだか憧れてやまない。手を伸ばして、空へと思いを馳せる。幾千年前に捨てた地上に焦がれてしまう。

「カミサマシステムに、もしかしたらそういった思想が組み込まれているのかもな」

 飛鳥も空を見上げた。手を上げて、星をつなげる。昔はこうして星をつないで絵を作っていたんだ、と。小熊座、北極星、オリオン座、と分からない知識を披露する。星は遠くの惑星で、今いる星の何億倍もの大きさのものもあるそうで。その遠くの何億光年先から光が降り注いでいた。天井に示されたような点ではなく、実際はもっと遠くにある星で、それが天井に収まりきらないくらいいっぱいに広がっていた。両手に収まらない空の大きさのものをキャンパスに絵を描き、物語を作った。

「地上に戻るためなのかもしれない」

 飛鳥は、とつとつと推理する。

「システムは生み出す、カミサマは治安の維持のために血をかぶる。

 システムは優しいけれど、一方でカミサマに頼っている。 でも、どうして、ここまで完璧なシステムが、カミサマなんて曖昧なものに頼っているんだろうか。人間が介入しない方が完璧に管理するのに」

「だから、飛鳥はカミサマシステムに興味を持った」

 僕が、空に描かれた物語を思い出す。妹もそういう遊びをしていた。桜のハコは空が見えずらかったが。あれがお兄ちゃんの星、あれが桜の星、と勝手に名前をつけていた。どうせこのハコにはもう人はいないんだし、このハコの星に名前をつけてもいいだろう、と。

 幾千年前の空と同じものを映写しているんだから、千年前に名前をつけているかもしれない、と言うのはやめておいた。それぞれについた名前に愛着を持つ。妹の横顔が、今でも傍にある気がした。

「最初は、白のことを知りたいってだけだった。幻肢痛は記憶や感情に左右して起こるものだって知ったときから、なぜそんな曖昧なものをカミサマにつけて、記憶をなくして、不安定ながらにハコを管理させるのか、知れば知るほど分からなくなった。

 合理的ではない気がする。いつ記憶が戻るか、感情が揺らぐか分からない。その上で、管理させる危険性もはらんでいる。カミサマ殺しなんてカミサマもいるくらい、カミサマは記憶が戻ることを前提に作られている。

 そんなことしなくても、システムが全て統括すればいい。死体の処理も、機械の埋め込みも、食材も全て生み出せる万能のシステムなんだから」

──ハコの均衡を守れ。

──システムに血をかぶらせるな。

 いくつもの条件が不完全な制度を示していた。

「カミサマ殺しもカミサマで、記憶を揺らぐものだろ」

 飛鳥は僕たち二人に記憶が戻っていることを知っている。「だから、あたしは一つだけ推測を立てた。

 あんただよ、青。

 あんたみたいに機械まみれのカミサマがいるからこそ、これは立てられた」

 ほとんどシステムで構築された僕の体。ほとんどシステムそのものと言っていいかもしれない。だからこそカミサマ殺しという役割に置かれたのだと今になってみれば理解できた。

「本来、システムとの契約は、青のような機械だけの体にするためのものだったんじゃないか。

 そうすることで、地上に住める体に人間を作り替える、長期的な計画だった」

「なら、なぜ人間全員に契約を交わすようにしなかったんだろうか。僕のように。紫のように」

「記憶や感情が飛ぶから」

 飛鳥は、ぐぐっと血だらけの拳を握り、痛みを噛みしめた。引継ぎ書が飛鳥の胸に抱かれている。

「機械だらけの人間にしたら、記憶や感情が飛び人間にならなかったじゃないか。青が白を殺した後のように、システムに従順な感情を排した人間になる。そして、それは果たして人間なのか」

──それは僕を生きているのか。

 カミサマになった時点で僕も誰かのためであった。どんどん人間でなくなる僕に妹は、恐ろしく感じていたのかもしれない。

「事実、カミサマ全員それまでの記憶や感情が消し飛び、ハコに従順な管理者になっている。システムから派遣された管理者としてしか動いていない。これでは機械人間にしたところで、地上に戻ったところで、システムがない地上では生きられない。

 だから、わざとカミサマが記憶や感情を揺るがし思い出させるようなシステムにした。それが、

 ──カミサマシステム」

 それまで黙っていた紫が息をのんだ。黒いタイルの上をふらりふらりと歩きだす。重苦しくのんだ息を吐いて、額に手をやる。

「なんということだ。カミサマシステムは、本当は、感情や記憶を呼び戻すためのシステムだったのか。地上で人間が生きるようにするための」

「ただの推測だが」飛鳥が、ふふっと紛らわせる。「カミサマシステムを運行することで、超長期的に人間が地上へ戻るよう仕組みを作った。もしかしたら、地上が住めなくなった原因は今の人間の生態では生きられないから、とか。地上への階段を知らないあたしたちはなぜ、人間が地上に住めなくなったか、など知らないからな。少なくとも機械にすることで、人間が地上で再び生きられるようにしたのかもしれない」

 紫が肩で息をし、

「もし、そうなら、いくらかつじつまがあうことがある」

 システムの特徴をあげた。

 システムが血をかぶらず、カミサマに治安を維持させるのは、システムの疑念や恐怖を晴らすため。恐怖を持ってしまえば、人間を機械にすることへの懸念から人々はシステムと契約しなくなる。いつか全人類を機械人間にするために人々の懸念は拭いさらないといけない。地上への道は塞がれる。

 空を見たいと、カミサマが一様に言うのは、カミサマシステム自体が地上に戻るためのものだから、地上に恋い焦がれるようにシステムの根底に流れた思想があるため。

「飛鳥の推測はほぼ当たりなんじゃないか」

 カミサマシステムは、地上へ戻るための、仕組みだったのではないか。

 紫は意気揚々と言ってのけた。

「いや、でも、」僕はそれなら、とある疑問が拭いされない。「カミサマシステムが、そういった仕組みなら、なぜ幾千年経った今でも人々は機械人間にならず、外へ向かわない」

 少なくとも僕たちは外へ通じる階段を知らない。地下のハコに留まり続けているし、人間は逆に減ってきている。カミサマの数も。もう数百年もすれば、人間は絶滅する。

 各ハコの断絶も気になるところだ。

「外への憧れはやまないのに、結局人間は契約をしないのは」

──空のような人がいるからだ。

 僕は瞬時に悟ってしまった。

 外へ出ることではなく、現状を生きる意思を持った人がいることを。

「そうか、超長期的にシステムが機械人間化することを見越していても、システム自体に意思や権限はない。全権限をカミサマに分け与えているから。その時点で、カミサマシステムは失敗しているんだ。システムが血をかぶらずにいることで人々の好意を抱かせるのと同時に、機械化の意思を人々に委ねてしまっている。これでは機械化なんて進まない」

 カミサマシステムは失敗している。

 だから、ハコと共に人間は衰退していき、地上への階段を上らない。もしかしたらシステムが階段を持っているかもしれないが、人間が機械化しなければ一生開かれないだろう。

 あとは余生を過ごすだけ。

 カミサマシステムというシステムだけが残り続け、僕たちは組み込まれている。

「それにしても、地上の風景ってそんなに、渇望するものだったのか」

 僕は一息ついて、飛鳥と天井を見上げる。郷愁をつくような潮風が僕たち三人の間を行き交った。ハコの角がうっすらと覗える。

「例えば、」紫は寝物語のように語った。

 それはハコがない場所の話。僕たちが行った夜のハコ、海のハコ、桜のハコといったものが全て一世界にまとめられている。それがどこまでもどこまでも繋がっている。ハコという一つところに区切られていないから、その先にまた人間生きていて、ひとつなぎになっている。そこは壁がなく、陸と海で繋がっている。空と同じだ。見上げれば天井ではなくどこまでも遙か彼方まで区切りなく続いている。 ハコにいるとどうしての息がつまることがある。囲いがあって、どこかに行くのにも汽車に乗らなければならない。ハコからハコへの交通機関は限られている。

 そしてそれらハコの個々の個性は、そのハコ独自のものとして発達してはいるが、システムが管理して規則正しいものである他ならない。しかし地上はどうだろうか。気象はシステムが管理しないから、毎年毎年次にくる気候が分からない。それは恐ろしいことではあるが、管理社会といった規則正しい息苦しさはない。次に起こりうる事柄を期待して過ごすことができる。一つところに置いて、春夏秋冬を感じられる地上もあるだろう。僕が渡ったハコの特徴を全て持った地上もあるだろう。

 全部まるごと地上で繋がり壁がない、それは新鮮極まりない姿であった。

「地上は魅力的な場所だったんだよ。

 俺らが本物の空をみたくなるほどに」

 もう二度と、空は見れないだろうが。

 僕たちは空を見上げてしまう。

 紫が語った地上への郷愁になぜか涙がこみ上げてくる。

 きっと全て潮風のせいだ。


<kamisama system>

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