⑭ Reconciliation
<This text>
<reconciliation>
白くぐしゃぐしゃになった紙の中に僕の情報も載っていた。機械の部分は身体の中でところ狭しというほどに埋め尽くされている。僕の機械の四肢は、妹に捧げた回数と同じだけ機械になっていて、その分だけ妹は長く生きることができた。書き連ねた文字の海を裂かれて、床に散らばっている。
指令書を切り裂いた後に残るのは、爽快感よりかは胸元のしこりだった。もっと早くこうしていれば白を殺さなくとも済んだはずだ。だが、できなかった。
腰に挟んでいた引き継ぎ書を持って、中身を目でさらう。さっと見ただけでも分かる。彼がどれほどハコについて愛おしさを感じていたか。元のハコに戻る気はなかったこと。僕へと託した、飛鳥のこと。
全部遅すぎたのだ。
「妹のもとへ帰ろうと思う」
空と紫に振り返りつつ、
「約束したから」
僕の記憶は指令書を切り裂きながら話した。これでもう一切隠す内容はない。
「青がそう決めたのなら」
紫は頷く。そもそも紫が一緒に住もうと言ってくれたのに、自分勝手な話だ。
「そこで頼みがある」
僕は引き継ぎ書を紫にわたす。紙の束の重みは紫にも伝わっているはずだ。
「これは白の、僕が殺したカミサマの引継ぎ書だ。殺す前にこのハコのことについてまとめて置いていった。ハコにとってカミサマは必要不可欠な存在だ。いなければ治安がおろそかになる。
だから、紫。竜胆ではなく、もうしばらくは紫としてカミサマとしてこのハコにいてくれないか」
僕の代わりに、ハコにふさわしい人間を。
紫は受け取った紙の束をぱらぱらと読んで、口をもごもごと何か言いたげにした。
一読しただけでも分かる。このハコへの思い入れをくみ取ったのかもしれない。
「わかった、引き受けよう」と、紫は
僕は空に自分を指さし、その後に扉をすっと差した。「で・て・い・く」とはっきりとした意思を示す。ぶんぶんと頭を振った。空は、僕の手を取った。握り返しはするし、彼女に笑みをあげるけれど、心は決まっている。
「もう、決めたんだ」
僕も空といれるのなら一生ここにいたい。だけど、それ以上にけりをつけなければならない約束があるのだ。
機械の重みが僕の全身にのしかかる。ここには引き返せない想い入れがある。桜の煙の苦さが腹にたまっているし、忘れさせてくれない約束は機械に掛かっている。
祈りはもう満足している。
「空、ありがとう。まだすぐには出て行かないけど、少しの間だけど楽しかった」
空の頭がぶんぶん、と振る。まるで妹みたいで、その仕草一つとっても妹を思い出す。多分、彼女が妹みたいなところがあるから、僕の記憶は思い出しやすくなっていたのかもしれない。
大きな瞳に潤みを帯びて、水滴が目尻にのしかかる。きらきらと彩りを水滴に含ませて頬を伝わせた。一滴一滴大きな涙が僕の機械義肢に降り注ぐ。汚れきった機械が綺麗につやめいた。
僕は彼女の頬をぬらす雨を冷たい機械の指でぬぐった。ぬくもりはないが、機械に温もりをはらませる。
これがどれだけ僕の救いになっているか。
「十分もらった。十分なんだ。
だから、今度は僕を生きるために、妹に会ってくるつもりだ。そして、彼女と僕のいたハコの余生を一緒に過ごす。そうしたらさ、またここに戻ってくるから」
僕に抵抗して何度も頭を振って蹲った。嗚咽をもらし始める。紫が空の背を抱いて、指で何かを示して慰めていた。「ハコの最後を見たことは何度もあったな」
紫が悲壮に満ちた声で遮る。
「紫と共に何回か」と僕も振り返る。
ハコの最後は孤独なカミサマとずたぼろのハコの様相が目にこびりつく。一人でハコを管理するカミサマはハコと共にシステムによって消えるか、他のハコへ移るかを決める。桜は前者だ。ハコと一緒に消えることを望んでいる。
僕は一緒に消えるつもりはない。最後の住人として、一緒にいるつもりだ。何年、何十年かかるか分からない。
空に戻ってくると言っておいて、本当は難しいことなど鼻から承知で。
「桜はさ、あのハコでひとりぼっちのカミサマなんだ。この海のあるハコで、白には飛鳥がいたように、終わりまで共にいる住人がいた方が良い。そうじゃないとあまりにも寂しいじゃないか。これは僕のエゴだろうと、したいことをする」
紫も空に話した方が良い、と僕は苦々しく笑みを見せた。伝わっているかは分からないが、きっとその話し合いは、僕がいないところの方が良い。
骨壺に意識が向く。白い四角のハコは窓際の食卓に置かれたままだ。
僕がいない方が、親子で母親のことを思う存分思い出せる。涙を海に落とし込んで、ようやく骨壺から母親を解放させてあげられるのだ。
「それぞれ話さなければならないことを面と向かって話すだけの話だ。空に、その勇気をもらった。僕は今まで向き合ってこなかったんだよ。ハコにいる妹も、僕の心にも。言葉にするのが億劫で」
そろそろ解放させてあげよう、僕の心も。
空の言葉通りだ。
空が言ってくれたから、僕は僕を生きることを許してあげられる。
「だから、ありがとう。本当に感謝しているんだ」
紫も空も。何度言ったか分からない礼を重ねた。
ハコに帰る前に、紫と共に白の靴屋に訪れた。ハコの治安を承るのなら、以前のカミサマの様相を知りたいと紫が言ったからだ。靴屋は白がいなくなったときからそのままで、大量の靴が店内に敷き詰められていた。店外にも置きっぱなしになってしまっている。靴箱の上に革靴と、パンプス、長靴といったものが足先をあっちへこっちへと向けておいてあった。整理するのは苦手らしい店主は、しかし、ピアノだけは埃ひとつかぶっていない。
最後のコンサートのポスターが靴箱の間に挟まっていた
「ピアノのコンサートは定期的に開催していたらしいな」
僕は紫にポスターをわたす。ピアノのイラストが真ん中に置かれ、簡単な日取りと時間が記載されている。
「空が聞けないから、行ったことはなかったな」
紫が名残惜しそうにポスターを握りしめた。物思いにふけるように、
「白というカミサマを遠目からみたことがある。黒いのっぽの男か女か分からないカミサマで。そうか、あのピアノの音は白だったんだな」
僕はピアノの扉を開いて鍵盤をなぜる。鍵盤を押してみると、一音一音確かな音響が靴の隙間から湧き起こる。
かたっ、とそこで靴屋の扉が開いた。
僕たちは反射的に体を向ける。
扉の隙間から焦げ茶色の長い髪がするりと伸びていた。作業着のズボンから、皺のよれたTシャツと目線を上げていく。ふっくらとして筋肉がある腕は意を決して扉を全開にする。
「ここで何をしてんだ」
飛鳥が、僕たちを視線で刺した。そうして、少しして、すっと僕の奥にいる紫に気づき、不服そうな表情が氷解した。
「久しぶり、飛鳥」
紫が手を上げると、飛鳥は一歩引き下がる。知り合い同士だからか、僕という異物が気になるのだ。
「飛鳥、僕たちは白の代わりとなるカミサマを立てるために来てるんだ。紫が引き受けてくれるって」
「白以外にこのハコのカミサマはいない」
僕のことなんか視界に入れずに、飛鳥は店内にずんずんと入ってくる。足先は紫だ。僕と一緒にいることが信じられないのか、首を小さく振る。
「なんであんたがここに戻ってきているんだ」
「空に会いたくて。追っては巻いた」
と言っている追っては僕なので、冗談まじりではあるが。
「あんたの娘と会ったよ」
飛鳥がたじろいで足下の靴を蹴飛ばしてしまう。同時に靴の箱のタワーも崩れていった。通路は塞がれて後ろに弾けない。
「耳が聞こえないなんて言ってなかったじゃないか」
言ってないからなあ、ふぬけた調子の紫に飛鳥は何を思ったのか、
「ふざけるな。あんたの娘を見て、あんたが殺されることがより怖くなったんだ。白が死ぬことも。システムなんて、カミサマなんて」
震える肩が再び周囲の靴に当たる。ぼろぼろと涙のように崩れていく。騒然となる店内に、僕たちは彼女の激情を受け取るしかない。
「大嫌いだ」
僕は一歩引いてしまう。彼女の激情は、僕が招いた結果だ。あの時殺さなければ。そんな後悔も、彼女にとっては卑しいものでしかない。
後ろに引いていると、こんっと機械義肢の指が鍵盤を叩いた。ピアノの音が鳴り響く。澄んだ音が店内にゆきかい、ぼろぼろに落ちた靴に降り注ぐ。在りし日のピアノの音を吸い取り、靴達は息を吹き返したように、外の陽光を浴びた。窓から降り注ぐことが珍しい奥まった店であるのに対し、芽吹き返す。
桜が咲くように、店のものも、きっと店主の音を欲している。
「僕も、そう思う」僕はおもむろに、鍵盤を一音づつ叩いた。義手の軋む音を交互に響かせながら白に桜を重ねる。「僕も、このハコには白が似つかわしかったと思う。システムのせいでもない。白の記憶のせいでもない。僕が殺したせいだ。もう二度と戻らない。最後の完璧な演奏も、きっと僕しか知らない」
殺す間際、彼は姉のような完璧な演奏だと満足そうにしていた。本当はもっと生きたかったはずなのに、それでも殺すのかと問いかけていたくせに、満足だと述べた。
よく分からない。
「僕にしかないんだよ」
飛鳥に対し、こんなやり方卑怯だ。ずっとずっと傍ら彼の演奏を直に見てきたのだから。
「もう二度と僕は記憶を消さないし、僕を誰にも殺させない。飛鳥になら僕は殺されてもいいけど、そうすると彼の最後の演奏もなくなってしまう」
「なにを?」
飛鳥は憎しみを瞳にくべてしまう。
「恨んでくれてかまわないし、僕は謝りはしない。やってしまったことは、何があっても取り戻せない。僕は自分を殺させるつもりはない」
例えば人間が捨てた地上とか。偽りの空をハコに映したところで本物の空は帰ってこない。おそらく元のままでは取り戻せないことの方が多い。
妹との時間を返してほしい、と言っても、妹に僕が今更ながら謝ったところで何にもならない。システムに僕の腕を返してほしいなんてことも思っていない。
できることは、一つだ。
「飛鳥の憎しみを背負うよ」
空っぽの器に注ぐように彼女の憎しみも、妹の悲しみも、記憶としてストックする。どんなものでもそれは大切なものだから。忘れるわけはない。忘れたくはない。嫌なことでも悲しいことも、醜いことでも、後悔していたも。
空と同じく。
全部が僕なのだから。
「だから、いくらでも僕をなじれ。全部受け止めるから」
飛鳥は、ぐっと拳を握って、「人殺し」「薄情者」「カミサマなんて嫌い」「大嫌い」と続けた。「大嫌い」「大嫌い」とぽつりぽつりと言い、僕ににじみより、体をひっつかみ、体を強く殴る。そこは僕の機械の肌の部分だ。飛鳥は殴るたびに、硬さからか、自身の拳が赤く腫れて、肌が切れる。血だらけの拳が僕の服にこびりつく。全て背負って、血はしたたり落ちて。
「ずるいよ」
飛鳥はその場に膝から崩れおちていく。
それでも、僕は僕を生きる。
飛鳥に手を添えず、義手を強く握った。
彼女はもう何も言えず、呻いていた。
<reconciliation>
<end>
<next text>
<kamisama system>
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