⑪ Flood suicide
<This text>
<Flood suicide>
見知った顔が覗き込んでいると思った。ソファに寝っ転がっていたはずなのに、今日は紫の顔が瞼を開けるとあった。海のあるハコにくる以前は、こうして紫に覗き込まれていたことが多々あった。今となっては、それは空を覗き込んでいるのと同じだったのだと理解している。
紫がここにいるはずはない、と思って二度寝しようと寝返りをうつ。
「二度寝は機械義肢によくないんじゃないか」
夢の中の紫は知ったような口をきく。かさつく機械に血まみれの体に気持ち悪さを抱く。そのまま疲れて眠ってしまったみたいで、機械の四肢の関節がぎしぎしと鉄くさい匂いをまき散らしながら軋んだ。
「きみの悪い癖だ。仕事の後は疲れてそのままで眠ってしまう」
まだ悪い夢は続く。紫は知った風に僕の体を揺さぶっていく。僕が洗おうか?と、終いに告げてくる。
「よくできた夢だ」
紫の手の感触がある。これは最近よくあった。夢の中の記憶は鮮明で、僕に触れてくるのだ。過去の誰かが。
「夢じゃない。起きろ、青」
僕の瞼がかっと開く。体を起こすと、紫が僕を信じられないと言ったふうに見下ろしていた。というのも、僕が昨夜空の家に帰った途端、倒れるようにソファで眠ってしまったからだ。機械の油も差さず、血液も落とさず、頬にかさついた血液がぽろぽろと落ちていく。
水で拭うこともできないくらいの疲労を感じていた。体も重い。何か悪い夢を見ていたようで、汗が噴き出ていた。「水を浴びてきたらどうだい」
紫はじっとりと目を細めて、外の道を教える。それはバケツで水を汲んだ蛇口の場所で、以前の記憶と重なる。
「話はそれからにしよう」
空がダイニングテーブルに座り、紫を待っていた。目の前には骨壺と、僕と紫を含めた朝食が置いてある。今日はスクランブルエッグとベーコンを載せた食パンに赤いソースをかけた、ピザのようなものだった。とろとろのエッグが食パンからこぼれんばかりに、僕たちを誘っている。こんなときでもお腹はすくようで、早く食べたくなる。
紫は、そんな僕に呆れて、
「俺は、そんな気分になれないよ」と悲しそうにしていた。 落とした視線はちらちらと骨壺にいき、本当は泣きたいような熱が瞳に落ち着いていた。居心地良く留まった熱は悲恋をはらみ、僕に話したいことがあると告げる。手にはタオルが。差し出され、僕は了承し、外へ繰り出した。
明け方に紫と再会し、三人ですぐに家に帰ると、僕は死んだように眠ってしまった。体の重さもそうだが、幻肢痛からくる記憶の再生が追いつかなかったのだ。
夢に再び妹が出てきた。彼女の容姿を夢で見たような気がしていたが、夢から覚めて紫を見てしまってから霧散してしまった。
僕は、記憶を求めているのだろう。これまではいらないと思っていたが。
──あなたを生きて。
空にあげられるものがなくなってしまった今となっては、記憶しか指針がなくなってしまった。
紫も見逃しているし、僕はこれからどうすればいいか分からない。
赤いタイルを裸足で歩き、機械の足がこん、こん、とタイルと機械を鳴らす。全身に飛び散った血液の箇所を歩きながら把握する。喉を突いて噴き出した鮮血は頬、喉、垂れて下に衣服と上着、ズボンと汚していく。袖をまくっていたからか、腕の機械義肢にも付着していた。
蛇口に辿り着く。周囲には誰もいない。白が後ろから駆け寄ってきたりもしない。きゅるきゅると回し、透明な水道水が開け放たれる。まずは頭を下に。髪を洗い流し、顔と、上着を脱ぐ。肌色ではない箇所もところどころある。
僕の体は、ほとんどが機械でできている。
だからこそシステムとの親和性も高い。システムもそれを理解し、僕にはカミサマ殺しをさせていたのだろう。紫は心臓だけであるので、僕とは真逆に一部しかない。ほとんどシステムと関連がないように見える。
心臓という枢密機能を持って行かれていたから、カミサマ殺しに抜擢されたのは明白だ。
カミサマ殺しをするカミサマは、僕や紫のようにシステムとの密に接する機会があるカミサマなのかもしれない。だからこそ、記憶は蘇りにくい。
記憶の扉が開け放たれているのに、未だに僕が妹のことを事細かに思い出せないのは、それも関連しているか。
腕の機械に付着した血液を洗い流すと、薄い赤色となって道へ血液が流れ出す。赤いタイルを伝い、流れていくので、まるでこの道はハコの血管のように見える。流動する血管は、僕から息づいているよう。
今現在、僕がこのハコのカミサマであり、僕がいなければハコは機能しない。
一通り洗い流すと、タオルを頭にかけて空の家に向かった。飛鳥の店を途中見上げて、罪悪感から目を背けた。白はやはり僕を尋ねてこない。幽霊でもいいから僕に話しかけてほしかった。このハコの家々はどれも白と洗ったものだ。今はあのおしゃべりが恋しかった。水で濡れたこともあり、寒さで震える。
家に帰ると、水でずぶぬれのままの服であったので、紫の服を着ることになった。
「昔、俺が着てた服だ。もう使わないから、遠慮なく着てくれ」
僕は言葉に甘えて、黒いニットを着る。僕よりも大柄であるので、少しだけぶかぶかと着心地が慣れない。スクランブルエッグのピザトーストは僕の分だけある状態で、待ってましたとばかりに差し出された。椅子に座り、おそるおそる手を伸ばした。空はぼんやりといつものように骨壺を見て、紫は僕を凝視する。そこまで見られると、食べづらさはあった。
「妻が死んでいたなんて思ってもみなかった」
スクランブルエッグを一口食べた後だった。ゆっくりと咀嚼し、紫は懺悔する。
「システムから逃れるのに必死で、妻の病弱さなんて一切気にとめなかったんだ」
空は思い立ったように、窓の向こうの海を求めるため視線を送る。彼女の一挙手一同に桜の香りがはためく。僕は食事をすることで、記憶を押しとどめた。
スクランブルエッグが半分になったところで、紫が腕を組み、ため息をついた。懺悔の大きさの分だけ彼は、口を大きくする。
「俺は、もっと早く帰ってくるべきだったよ」
「そうしたら、僕は紫を殺していた。なにごともタイミングがある。僕たちが一緒に仕事をしていた時はいつもそうだったじゃないか」
「それでも、懺悔せずにはいられない。あのとき、そうだったのならば」
「僕はまだカミサマだから、記憶や感情のことを言うのは不毛だ」
僕は空へと目線を漂わせた。彼女はまだ恋い焦がれたように海を求めていた。海の近くであるので、さざ波の音、潮騒の香りに、澄み切った水を見ることができた。
「まだ」と紫の声色が弾む。「青が珍しいな」
「僕だって、既に気づいている。記憶が戻りかけているんだよ」
気づかないふりをして、煩わしいがために記憶もろとも白を殺そうとしたができなかった。手に記憶や白を殺した感触を思い出そうとしても、無機質な記憶の上澄みをすくったような感覚しかない。
殺した感覚や触れた感覚がないことは、知っていたのにここに来てから意識することが多くなった。空と出会ってからだ。記憶がぶれて仕方がない。足や手があったときのように、感触が伝わってくる。
肌の温もり、妹だとされる人の手の柔らかさ、僕の鼓動の音、どれもカミサマにはいらないものなのに。
「お・と・う・さ・ん」
と、そこで空が珍しく紫を呼び、手をちょいちょいとこっちにおいでと振った。彼女は紫の視線を誘導し、窓の外にある砂浜へと意識を向けた。
腕で何かを訴えた。
「あそこへ行きたいのかい?」
僕へ向ける以上の柔らかい言葉を宿して、紫は愛おしそうに空のことを視線で包み込んだ。
空は頷き骨壺を抱いた。
僕と出会った日の再現だとふと、感じてしまった。
「歩きながらでもいいよ」と僕は紫と空に家族水入らずだろ、と気遣った。
人工的なビーズが敷き詰められた砂浜には、誰の影すらない。天井は青く透き通った、いつの時代か分からない空が映し出され、雲が薄く伸ばされていた。星は見えず、遙か先まで広がっているようにすら思える。目線を落とせば、生物がうごめいていない、プールのような海。ここにあの日、影がぽつんと孤独に佇んでいた。あの日の景色を振り返る。
あの日僕の隣には白がいて、空を抱きかかえていた。
僕は今、足の裾をたくしあげて、機械の義足を遠慮なく見せて、砂浜を歩いて行く。機械に細かい砂浜が絡む。目の前を骨壺を抱えながら歩く紫と空の足にもうっすらと砂がコーティングされて行っていた。じゃり、じゃりと、奇っ怪な音が足を踏みしめるたびに高鳴った。
空の長い黒髪を揺らし、潮騒が吹き荒れる。目に塩辛さがにじみ、鼻先に痛烈な潮の匂いが突き刺していた。なぜか涙がこみあげくる。不安定な足場を、機械の足はきっちりと立ってくれるし、歩んでくれる。前を歩く空と紫は言葉を交わさずに、口をぱくぱく開けたり、紫の手で何かを示し楽しげに会話を続けていた。そのさまに空の寂しさは既になく。僕がいなくとも、彼女は立って行けそうだった。
いいや、
──いらない。
僕がいなくとも、彼女はきちんと二本足で立ち、歩いて行ける。
ふらふらと視界があやふやなまま、二人の後を追った。
僕や紫にはどれだけの猶予があるだろうか。
僕は最終的に紫を殺さねばならないのだろう。
ならば、いつまで。
空の笑顔は僕がいたときよりも自然に浮かぶ。
紫が僕へと振り返り、大丈夫かと、声を降りかけた。落とされた音を拾うことなく、空へと視線を注ぐ。彼女の黒いベール、黒いドレス、黒い百合のコサージュといったものに、まだ彼女は喪に服していることを示していた。
「紫、空は僕と最初会ったとき、入水自殺しようとしてたんだよ」
波の音と僕の声が連なる。紫は、僕へと歩みを進めて、僕の肩を力強く掴み、揺さぶった。
「どういうことだ」
「言葉そのままの意味だ」
紫の痛々しいほどの、悲しみが宿った瞳は今にも泣き出しそうになっていた。
空へと歩み寄り、彼女を力強く抱きしめた。そうして、力が弱まり崩れおち、彼女に縋るように頭をもたげた。許しを請うように、「お父さんを許してくれ」と言い続けた。「忘れていたなんて。本当にごめんよ」
娘の足に情けなく抱きつく父。それに空は、理解を示し、ううん、とかぶりを振った。笑顔のまま頬をゆがませて、泣かないように努めていた。大きな瞳を思わず瞬きさせてしまい、大粒の涙がこぼれ落ちてしまう。
「ごめん。もっと早く思い出すべきだった」
紫の父としての顔が表れる。
僕の出る幕はなくなった。ここには親子がいて、カミサマはいらない。空の寂しさも埋まるだろう。
空が、大きな口を開けて顔をくしゃくしゃにし、
「お父、さん」
泣き崩れてしまった。
骨壺を間に挟み、空と父は抱きしめあった。僕の空間はなく、僕の手には何もない。こんな機械義肢では何も抱きしめられない。心が空っぽのまま、何かを思い出そうとしている。そしてその空っぽの場所を空で埋めようとしていた。
彼女は僕に求めているものなんてないのに。思えば、胸がよけい苦しくなる。
なぜ、僕は紫を殺せなかったのだろうか。今だって、紫は隙だらけだ。空ごと殺せば良いのに。苦しいほど動けない。
砂浜に足を取られて、逃げることはおろか彼らを見続けることしかできない。
僕はふらぁっと海の方へ体を向けた。妹がそこには立っていた。僕よりも一回り小さく、海の奥側にいる。ピンク色の花吹雪が舞い散っていた。ひとひらづつ手のひらの上にのせる。花びらを掴む。妹の輪郭が象られていく。形作られた妹をたぐりよせた。花の強い香りが海にまじっている。香りをもっと嗅ぎたい。もっと彼女の姿を見たい。
二人が「青」と呼びかけてようやく僕が水面に両足をつけていることに意識した。機械の両足は水の中で比重が重く、どんどん埋もれていく。僕の意思とは正反対に、歩みは深みにはまっていく。海の波を太ももに受けて、波間をかき分けていく。水の中は空っぽで生き物すらいないから、簡単に奥へと進めることができた。
海の匂いがした。潮が僕を覆い被せていく。
「まって」
空の声が後ろから追いかけてくる。でも、僕の目の前には妹の姿があってそちらに顔を向けてしまう。空のように体躯が小さく、細身で、黒く長い髪をしていた。手を伸ばせば僕の本来の腕があった。肌色をしている。記憶がぶれて視界が現実と混同している。先に進めば進むほど妹は海の奥へと進むから、僕はゆっくりと追いかけるしかない。
僕の存在意義は誰かのためにあった。
妹のため。
空のため。
システムのため。
誰かのためなら、何を犠牲にしたっていい。
「僕は何もいらない」
空っぽの容器は埋まらないまま。機械のすかすかな体躯に水をたっぷりと入れていく。潮の匂いで桜の匂いを紛らわせた。目の前の妹の姿は僕を手招きする。
──お兄ちゃん、こっち。
君さえいればいい。
記憶が芽吹いていく。
「いや」
後ろから誰かが抱きついてくる。桜の匂いが僕にまとわりつく。
「い、かないで」
空が僕を引き寄せていた。細身の腕が僕の体に絡まって、後ろに引きずるが、力がなく押し戻せない。彼女の香りでどうしようもなく思い出してしまう。より鮮明に目の前の妹の姿を。
僕はきっと彼女のために生きていたんだと思う。
白と同じだ。
肌がずるむけて下地に機械が覗く。はだけた両足は肌が溶けていき、見ずに浸される。干された肌は海の中を漂い、次第に消えていく。灰色に光る金属はハコの照明できらきらと輪郭を光らせる。
「あ・お」
僕は目の前の妹を頭の頂点から足先まで見下ろした。桜の花びらが舞っていた。水面にはピンク色の花びらがぽつぽつ、と涙のように降っていく。
「そっか、君は──」
桜の波にまぎれている。
妹の足が、
見えない。
「足がなかったんだ」
今度は僕の体を後ろから力強く引き上げる。記憶の水底から、浅瀬に。たった一つの記憶を手にして。
妹の足はなかったんだ。
砂浜に打ち上げられた僕の傍らでは、紫が浅い呼吸をしていた。肩で息をしていた。僕はまだ記憶の旅にでている感覚がして、ふわふわとしていた。人工の砂浜の上で寝そべり、ハコの隅っこを見ていた。きっちりと角があり、ここは区切られた空間であることを感じ取る。
隣では桜の香りを強くさせた空がいて、頬が濡れていた。服も僕を追いかけていたからか、ずぶずぶに湿っており、しょげたように水が滴っている。
「僕は、何してたんだ」
空が、僕の服の裾を引っ張った。
「死・の・う・と・し・て・た?」
そんなつもりはなかった。
「ただ妹を追いかけていただけだったんだが」
そう言っても、空には聞こえない。
「妹は、きっと君と同じハンディを持っていたんだろうな。ハンディを持つってどういう気持ちだったんだろうか」
空に、今度は、大きな口を開けて、
「君はつらいだろ?」
水晶玉のような目に不快感を握らせ、空は唇をしかめた。頬を膨らませて、僕の頬を両手で抑えた。冷たくも力のっこもった両手だった。
「わたしの、つらぃ、を、きめぇ、つけ、ないで」
「そうだよな。全部空のものだもんな」
それと同じで全部妹のものだったのかもしれない。
僕は手の甲を額に載せた。機械の重さで気が滅入る。砂浜に後頭部が埋まっていった。
<Flood suicide>
<end>
<next text>
<about the sky>
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