〈About the Sky〉
⑨ Rejection of Sky
<This text>
<rejection of sky>
システムからの命令は絶対だ。僕は逆らうことなどしたことはない。カミサマを殺すカミサマであるからといって、自分自身の意思を介入させてはいけないのだ。それが僕のかつての同僚であろうと、かつての上司であろうと、記憶がなくなる前に大切にしていた人であろうと。僕はこれまで殺してきた。
僕は何も間違ってなどいない。
白からナイフをぬきとり、傍らにある白の死体を見下げた。首元から血液が盛り上がり、すぐに萎れていく。首が前にうなだれ、まっ赤な液体は鍵盤に注がれて汚れていく。白の体は自重のため前のめりになり、うつ伏せに落ちていった。白の重みで鈍いピアノの音が平たく伸ばされた。黒い広場に重苦しいピアノの音が響く。その音も次第に消えていく。僕は一切の音がなくなった黒い広場にナイフを捨てた。ナイフはタイルを跳ねて、凍てついた音を一瞬尖らせた。
「帰らなきゃ」
僕は白の死を見送らずに家へと体を向けた。体が重く足が上手く作動しない。整備してもらはないといけない。空にこんな姿見せてはいけない。そうだ、飛鳥のところに整備に行こう。ふらふらと、ふわふわと、頭が正常に作動しない。右手は先ほどから動いていない。血が飛び散っているから、かもしれない。早く調整してもらわないと。この幻肢痛も今の僕なら収まるはずだ。
白を殺した今ならば。
黒いタイルを舐めるように、歩くとハコの天井に映し出された星も一緒になって動いているような気がしてきた。ハコに映し出された星は、地上のようには動かない。ランダムで示された空を映し出しているだけだ。今動いているということは奇妙なことでもあるものだ。もしかしたらシステムすら狂っているのかもしれない。
人間をハコへ派遣するカミサマシステムすら間違っているのかもしれない。
そんなことあるわけがない。
暗くなったハコを歩き続ける。どの家も人が住んでいないのかひとけがない。明かりもついていない。僕を避けるように、どんどん家にも生気がなくなっていく。両足の第一関節が上手く曲がらず、軋んでしまい、つんのめり、前転してしまう。ごろごろ転がっているとシャッターにぶつかる。
知らないうちに飛鳥の店まで辿り着いていた。
「飛鳥、飛鳥」
シャッターを叩いて、
「機械義肢が上手く動かないんだ。夜遅くに申し訳ないけど、これでは空に会わせる顔がない。診てくれないか」
「帰って」
低く拒絶した声が返ってきた。
僕が訳がわからずに機械の両足を掘進させる。やはり上手く曲がらず、中途半端なところで止まってしまう。両腕は幻肢痛が響き、脳までその痛みが達してしまっている。針を脳に刺したような痛みが伴い、瞼を閉じることすら難しい。
「お願いだ」
僕の痛みで弱々しくなった声を飛鳥へと送った。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
飛鳥はおそるおそる、シャッターを開けた。半分はまだ閉まったままだが、半分はいつも通り空いたまま。その下から飛鳥はパンプスの先っぽをのぞかせた。赤いドレスの裾をはためかせていた。顔が見えない。
「僕が答えられることなら何でも」
「白は?」
「さあ、僕は知らない」
飛鳥は息を飲んで空気を揺るがせた。そして屈みこみ、シャッターの下から顔を覗かせる。化粧が崩れていた。頬になぞられた涙の跡がやけに目がいく。目尻は腫れていた。そして僕を見上げて、細い目を最大限に開けた。白目部分が大きくなり黒い瞳が点となった。
「飛鳥、早くいれてくれないか。動かないんだ」
体がぎしぎしと動かないさまを、飛鳥に手を差し出すことによって見せた。飛鳥は握り返してはくれない。
「その血は?」
「そんなことより、診てくれないか」苛立ちを隠せなくなってきた。「これじゃあ、空の家に帰れない」
「白は殺したんだね」
「空にはこんな動けないところを見せたくないんだ」
「聞いてる? カミサマ、あんたやっぱり、白を殺すためにきたんだろ」
「空は、僕がいなきゃいけないんだ」
飛鳥はシャッターから乗り出して、僕の目の前に立った。ぐらついて背後のシャッターに背中を押しつける。油くさい匂いが鉄臭さの中に紛れ込んでくる。飛鳥の匂いは独特だ。
「空のために、僕は何かしたいんだ」
「知ってたよ、あんたがもしかしたらって、でも、それでも、白を」
飛鳥の焦げ茶色の髪がはためく。彼女の薄茶色の瞳は表面がうるむ。
「仕方ないとは思っていたんだよ」飛鳥がどうでもいい告白をする。僕は機械の四肢を調整したいだけなのに。「でも、少しくらいは猶予をもらっていいじゃないか。あんたが殺すなら殺すで、予告をしていいじゃないか。それともシステムに言われてたのか。あんたの幻肢痛だって、どうみても」
僕は空のために、万全の状態で帰らないといけないのに。「そうだ、お土産持って帰ってもいいかもしれない。空の補聴器なんてどうだろ。飛鳥、ここに置いてる?」
「カミサマ、どうして」
どうして、が脳内に反響していく
記憶が揺らいだ。
──どうして、お兄ちゃん。
違う。僕は当然のことをしたまでで、カミサマとしての義務だったにすぎない。飛鳥の言葉など僕には届かない。
だんだんどうでも良くなってきて、機械の右腕を飛鳥へ振りかざす。
「うるさい」
飛鳥の肩を払った。彼女はその場ではたき倒される。体が吹き飛び、機械で殴った場所は間接の隙間で切り傷を負った。
「僕はカミサマシステムの一端だ。僕の意思でどうにもならないんだよ。
そんなことよりも僕の動かない四肢を動かしてくれよ。あんた機械義肢師なんだろ。白のことなんってどうでもいい。ハコの安寧のために必要なことをしたまでだ」
「薄情者」
飛鳥は吐き捨てた。
「空にも言われたよ。でもそれは、カミサマだからだ」
「カミサマだから、じゃない。あんたは、青が薄情者なんだ。白はそんなこと言わなかった。紫は、あの心臓のカミサマは、そんなこと言わなかった」
──お兄ちゃんは、あたしを、ちゃんと見てない。
脳髄まで響くどこの誰か分からない人の言葉は、痛烈に熱を帯びていく。じんじんと言わしめるこの痛みに、歯がみする。カミサマだから、と何度も言い訳をして。
「なあ、どこにあるんだよ。補聴器。空にあげたいんだ」
僕は、有無を言わせずシャッターの下をくぐる。店内は何も置かれず理路整然としていたが、飛鳥が作業をしていた机の上だけはネジや機械義肢の部品で飛び散っていた。そこに白の指だと思われる機械義肢が転がっていた。それを見た瞬間糸を張ったような耳鳴りが鳴り響く。次第に洪水のように香りが噴き出す。
僕の内から白の香りが強烈に漂う。機械の油と靴の皮の匂い。そしてピアノの音が脳内をひた走る。白のかすかな気配が僕の全身にまとわりついている。
とん、とそこで背中に何かが当たった。足下を見ると、蛇のように長細い機器が落ちていた。
「出てけ」
声のした方に顔を上げると、飛鳥が涙ながらに叫んでいた。
「その補聴器を持って出てけ」
僕が払った腕を痛そうに抱えて睨みつける。あまりの激情に何もいうことができなくなった。ただシステムの言うとおりに指令書通りに動いただけであるのに。
補聴器と思われる機器を拾って、僕はおぼつかない足を上げる。
あ、と思い、
「飛鳥、また調整にくる」
ふんわりと笑って告げた。
「二度と来るな」
飛鳥の捨て台詞は体を揺るがす。幻肢痛は、知らないうちに当たり前になって、痛みが痛みと認知されないようになっていた。本当に痛みを感じているのかどうかすらあやふやで。なぜ飛鳥がそこまで責め立てるのか、分からなくなっていた。
幻肢痛の重さを抱えて、赤いタイルの道を練り歩く。機械は僕の操作を離れて、どうにも離ればなれに動いているようにしか思えなかった。右腕を動かすと、同時に左腕も動き出す。左足が軋めば体が傾き、転びそうになる。歪な歩き方をして。でも手に握った補聴器だけは壊さないように柔らかく握りしめ続けた。
目線をあげると、あの甘い桜色の匂いがした。
空の匂いだ。
辿っていくと、黒いベールで黒い百合の女の子が立っていた。甘い匂いを漂わせて僕を誘っている。こっちだと。これは幻なのか、本当にあるものなのか、既に分かっていない。
彼女は家にいるはずだ。
視界がぶれる。今の天真爛漫な彼女と、出会ったときの彼女が重なり、僕の中の記憶が熱を帯びて発散する。
積み木のように積み上がった白い四角の家の合間に立っていて、手を差し出す。
「お・か・え・り」
彼女はここにいる。
確かに僕の視界に捉えられていた。
「空、迎えに来てくれたのか」
僕のために彼女が待っていてくれるのが嬉しくて、すぐに彼女の手を握った。そこには本当に空の手があった。黒いレースの手袋もしていて、まるで出会った頃のように、神秘的な姿をしていた。
運命だと、最初見たとき思った。
今は彼女に何かしてあげたくて仕方ない。
「ありがとう」
そうだ、空。
僕はもう片方の手で握っている補聴器を見せる。
「これがあれば少しは聞こえるはずだ。本当はカミサマになって耳をシステムから得るのが一番なんだけど」
聞こえてないから、空は頭を傾げた。そのベールの下は見えない。ベールだけをゆっくり持ち上げてやると、彼女の大きな瞳は細くなった。彼女の耳に補聴器を差し出す。
ぎしぎしと、手のひらの間接が軋んでいた。痛みが過っていたのを悟らせないように笑みを貼り付けた。
「い・ら・な・い」
僕の手がはたかれる。
「いらない」
今度ははっきりとした口調で彼女の言葉は紡がれた。僕はそんなわけないと彼女の肩を両手で揺さぶる。
「どうして!」
「いらない」
空はさらに言い続ける。
「カミサマ、からの、もの、いらない」
彼女は頭を大きく振った。
「空が寂しいのなら一緒にいてあげるよ」
そうして彼女は僕の手を振りほどく。力強く払い落とされた手は、痛みと共に僕を地面へ追いやられる。君に何かしてあげなきゃと、使命感が駆り立てられる。足を踏ん張って立とうとするが、上手くいかない。足がいうことを聞かずに、感情だけが先行する。
「君のためなら、僕はなんだってする。君の耳になる。君が足を失ったのなら、僕が足になる」
「いらない」
「君がつらければそのつらさも肩代わりする」
「いらない」
「君が苦しいのなら、記憶すらも全て消してあげる」
「いらない」
「僕はカミサマなんだから」
すると、空はあらかじめ用意していたのか、メモ用紙を取り出して、
『この耳のハンディは、わたしのもの。
あなたのものじゃない。
わたしのもの。
あなたにわたさない。
勝手に人を評して、勝手にわたしのものを奪わないで。
わたしの苦しさも、つらさも、記憶も、全部わたしのもの。全部全部、わたしのものなんだ。それをあなたはいらないものだと言う。そんなわけない』
「いらない」と何度も空は言った。
苦しさも、悲しさも、全部わたしのもの。
「だれにもうばわせない」
空はなおも静かに僕に告げる。
「だれも、わたしのものをうばわせない。わたしのだい、じな、もの! これ、ぜんぶ、が、わたし。わたしを奪わせない」
彼女が耳をシステムで治さなかったのは、それが彼女のものであるから。感情も記憶も忘れないのは、それは彼女がそれを引きずると決めたから。彼女は彼女自身のものを全て背負い込んで生きている。
システムの介入すらないところに。
そうして、僕の手は震え出す。補聴器は赤いタイルの上に落ちぶれていた。
──いらない、お兄ちゃん。いらないんだよ。
脳内でひらめきが生まれる。僕の記憶がこじ開けられかけていた。
「カミサマ、あ・り・が・と・う。もう、わたし、だい、じょう、ぶ」
大丈夫じゃない。
「これから先、君は耳の聞こえないまま、生きていくことになる。それはとても不便なことだろ。こうして僕が話していることすら、分からないんだ。それなら、僕が君の耳の代わりになる。僕が君を助ける。僕に君に何かをさせてくれ」
「なに、も、いらない」
「僕を使ってくれ」
──お兄ちゃん、なにもいらない。お兄ちゃんのために生きてよ。
痛烈に記憶と空の言葉が目の前を行き交う。
「なに、も、いらない、から。このみみ、は、わたしの好きなところ。わたしの、もの。これで、つら、くても、わたしの、も、の。つら、さも、全部、生きてる」
──このハンディは生きていることを感じられる、あたしにとって嬉しくてたまらないものなんだよ。
どっと押しよせる記憶に何も言わずに荒波にもまれ出した。僕は、彼女たちに何をしていたのだろうか。彼女のために何ができていたのだろうか。
機械義肢が嘲笑しているかのように踊る。体が震えて止まらない。両手を抱き寄せて、震えを止めようとする。でも僕の脳内の記憶の波も、体も収まらない。
生きていると感じているものを奪うことになる、僕の今までの言動は、白を殺してしまったことへの薄情さは、人を侮辱することと一緒なのかもしれない。
「ごめんなさい」知らなかった。「僕は空みたいに背負ってこなかったんだよ。苦しみも悲しみもつらさも、全部いらないものだと捨ててきた。だから、僕は簡単に白を殺せたんだ」
本当は殺したくなかった。でもそこに指令書があったから。だから、僕の機械の四肢は血まみれなのだ。白の返り血が僕の衣服にべっとりとこびりついている。
「そしていずれは君の父親すら殺す予定だった。全部背負い込まず、僕の意思すら介入させずに」
震える体を制止する。どうしても言うことが聞かない。記憶の扉は開けっぱなしで、僕は記憶と言葉の渦に巻き込まれていた。どこに僕がいるのかふわふわと漂っている。
「どうしよう、殺してしまった。僕はいろんなカミサマを殺してしまって、飛鳥を傷つけて、これから空のことも傷つけてしまう。なら、空、君だけは、僕は何かしてあげたいと。そして、空っぽの僕の分も何かを得て欲しいと。それすら、拒絶してしまうのか。
僕は、どうしたらいいんだ」
「あなたを生きて」
空が僕を強く抱きしめた。
この甘い匂いは、桜の匂いだ。
体の震えが収まった。
遠い記憶に思いを馳せて、空の柔らかさを感じた向こうに目を細める。話し込んでいたらしい。もうすっかりハコの明け方の赤色が映えている。白い壁に赤いタイルの上、そこに見知ったシルエットが立っていた。
「空、ただいま」
紫の姿がそこにはあった。
<Rejection of Sky>
<end>
<next text>
<purple bargaining>
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