⑦ Last Concert

<This text>

 <last concert>


 ハコに描かれた雲はたなびいていた。薄き霧のように伸びるそれらは、煙のように曖昧だ。合間に見える星は、やけに神々しく、こんなものが地上の、それも天井のずっと向こうから光を届けていたのかと思うとなんだかおとぎ話の空想の世界のように思える。星が昼間のハコに見えるのは珍しいことで、システムに神話を抱くやつは吉凶だと言っていた。事実僕がこのハコに来て数週間経つが、昼間の星の天井図は初めて見る。

 こんな日にコンサートを設定した白の運がないのかもしれないし、逆に星のもとでピアノが弾けると言うことはとても幸せなのかも知れない。

 空と僕は星を見ながら静かにコンサート会場の広場まで歩いていた。彼女の歩幅に合わせて、道を辿る。彼女が上を見ながら歩くから、僕は彼女の横顔を見ながら傍につく。軽い瞬きから、言葉や音を漏らすことはなく、ハコにとどろく足もない。今日はやけに静かで、まるで嵐の前の静けさのような異様な感覚を感じてしまう。この静けさを常に空は感じているとしたら、積み木のように家が連なる今は、とても不安だろう。

 黄昏どきから夕暮れへ。赤らんだハコにすずやかな波の音。まぎれてとん、とピアノの演奏音がひそやかに。

 僕がそれに気づいて耳をそばだてる。ピアノが不規則に演奏をし、小手調べのように演奏を断絶させる。

 市場に続く傘は次第に閉じ始め、まばらに屋根は空ける。歩けばあるくほど、明かりはつき始めていた。橙のぬくもりが今日はやけに多く、ピアノが叩かれるたびに明かりがついていく。広場にぬけたとき、明かりは瞬く間に世界を照らす。

 明かりの中心にはピアノがあり、そこを中心に円を描き人が見守っていた。親子連れは少なく、みな中年から老人までの大人が多い。子どもも見られるが、大人の合間をぬって数えられるほどしかうかがえない。

 中心にいる白は、最終調整が終わったのか、ピアノから手を離し、椅子から立ち上がった。手袋を何の躊躇もなく外し、胸元のポケットに入れる。コンサートだからといって彼の服装は変わらない。今日も黒いニットに黒いズボン。靴まで黒い。が、髪は一つに後ろにまとめてくくられて、いつも見えない顔がおおっぴらに見えていた。頬がこけていて、目は細い。まつげは短く、唇は薄い。白の顔をまともに見たのは初めてかもしれない。

 白はこちらをちらりと見て、手を振った。

「カ・ミ・サ・マ」と空も微笑みながら手を振り返した。

 空への気遣いだと思われるが、白が空へする心遣いに、ちくっと刺さるものがあった。右腕が呼応して痛みがにじむ。

 白は周囲を一蹴し、

「今日はお集まりいただきありがとうございます」

 背筋をまっすぐにしてお辞儀をした。

「さて、突然ですが、定期的に開催していますこのコンサートを、今日限りで終了しようと思っています。毎月来ていただき誠に恐縮ですが、一身上の都合ありまして。最後のコンサートになりますが、これまで以上に最高のものをお披露目させてもらえればと思います」

 白は、目線をどこかへ向けた。そちらへ、そっとよこすとまばらな観衆の中に飛鳥が立っていた。目を大きく開けて、目尻に雫をのせている。泣きそうになりながら、白を見つめていて。今日の姿は、このあいだ会った作業着ではなく、赤いワンピースを来ていた。唇もルージュの輝きが映えている。こげ茶色の髪は、櫛でとかれてつやがでていた。

 白は彼女に顔を向けながら、

「幼い頃より、ピアノが好きで好きでたまらなかった。カミサマだからなぜ好きか分からなかったけど、今は分かる。きっと誰かが喜んでくれるのがは嬉しかったんだ。が代わりに弾いて喜んでくれて、笑顔をもらっていた。

 このハコに来てから、もう一度ピアノに触れてから、その感覚が蘇った。うすぼんやりとした記憶のない不安をピアノと、そして僕に笑顔をくれた人がいて、吹き飛ばしてくれた。

 もう十分、僕は満たされました。

 今日は僕に記憶と感情を気づかせてくれた人に捧げます」

 白は飛鳥にほどけた笑みを見せると、ピアノの椅子に座った。足下にあるペダルを踏みならす。黒いタイルに、とん、と音が落ちた。

 彼の指が白い鍵盤を叩く。

 音が弾んだ。最初は音階をなでるようにあがり、これから始まりますと音が挨拶をした。そして徐々に音が落とされゆっくりとたゆむ。音はぼやけて朝の目覚めを語る。鳥がさえずる。光が窓辺から差す。葉っぱがかすかに揺らぐ。

 どれもシステムができる以前に本物として存在していたもの。人工的な冷たさではなく温もりが存在する。それは生にも近しいもの。音楽は、当時のものを事細かに音として伝えてくる。どこまでも広がる田園に、帰り道を歩む子どもの景色。ハコにも学び舎はあるが、太陽といった星から注ぐ光は既にない。紫外線が有毒を強め、人間は地下へ移動しなければならなかった。太陽の恵みを捨て、人間が作った未完成のシステムを信奉するに至った。

 僕たちは自然を知らない。

 本当の生を知らない。

 白も同じくカミサマだから、分かると思っていた。

 だが、響き渡る音は僕の中にほのかに郷愁を思わせる。白のこのハコで過ごしてきた日々が音に全て込められていた。そして、白の記憶も。飛鳥と白は出会い、この海のあるハコの歴史を歩いた。たった十数年だが、彼らにとっては十分過ぎる時間だった。

 音は佳境に入る。低音が続き、複雑で重苦しい雰囲気が続いた。淀んだ空気に白の幻肢痛の苦しみがのる。

 そうか、この曲はクラシックに彩られた彼の人生だ。

 薄暗い日々が続くのと同様に、しかし低音の音はぼやけない。一つ一つの音は明確に区切られている。曖昧な音は一切なく、彼の指から繰り出される音は透き通っていた。低音も高音も、どれもはっきりと鮮明に。純粋無垢な白の性根。

 おしゃべりで、何か含んでいて、うさんくさいカミサマだと思っていた。しかし、彼はハコに対して何かするときはきちんとシステムに申請書をだしていたり、初日の朝僕の荷物を空の家に置いていたり、と一つとるだけで彼の性格の真髄が分かる。

 飛鳥が白を大切にするのはそういうところがあるからなのだろう。

 低音は徐々に明るさをはらむ。先ほどの苦しみは脱ぎ去り、音は鋭くなる。元気な音たちは踊り出す。曲は終盤にさしかかっていた。低いが温もりと溌剌さを抱きながら、広場へ転がっていった。黒いタイルの上をくるくる、と。タップしながら足を浮かす。空へ、空へ。ハコへの天井を抜けて外へ。ハコに満たされた波の音と共に。 

 最後の一音を白が叩くと、白は足下のペダルを離した。

 がこん、と。

 無音が立ちこめる。

 先ほどの音たちは姿は見えない。

 かすかに漂うちりちりとした余韻。

 誰かがふっと息を吐いた。

「ブラボー!」

 拍手。

 皆が一斉に拍手をした。

 とどろきのように響く歓声。

 誰もが叩かずにはいられない。

 僕も機械の手を叩く。

 他と音が違うけれど、確かに歓声の一つとして中に混じる。

 空も慌てて手をぎこちなく叩いた。

 歓声、拍手、そして中心の白は空へ顔を向けて、

 にやりと笑った。

 タップするように鍵盤が叩かれる。

 ヒップホップのように弾かれ、続いて観衆が驚き、動きが固まった。

 白の体は右に左にゆっさゆっさと揺れる。奏でるように、唄うように陽気に。それは酒場のような軽いピアノ。さきほどの整った音はどこにもない。ぼやけたり、いきなり高くなったり、不規則だがリズミカルなさまに次第に観衆ものっていく。

「カモン!」

 白が相づちをうつと一人の老人が隣にいる老女に手を差しだし、ピアノの前でゆったりと二人で踊り出した。型などない。ピアノの音色とともに黒いタイルをタップ、タップ。そして続く人が出てくる。少ない観衆は次第にピアノの周りに集い、ピアノの音色に沿って、くる、くる、と。

 僕は、どうしようかと悩んで、隣にいる空に目を落とした。彼女は踊るピアノと人々を見て、はぁと感嘆していた。 ピアノを弾く白がちらちらと僕を見て促している。

 空は見ているだけで。

 白の音も聞こえていない。

 それなら、

「空」

 どうしようか悩んで、僕は空へ手を差し出した。

 袖をまくって、手袋も両手ともポケットにしまった。

 誠実に、僕のありのままの姿で、彼女を誘った。

「一緒に踊ろう」

 聞こえていないけれど、意を決した言葉は言わずにはいられなかった。

 空は深く頷いて。

 僕は舞い上がって、すぐに彼女の手をとった。ぎゅっと握ってしまって、機械四肢の操作を間違えてしまって、すぐに彼女の手が痛くないように調節する。空はそれでも何にも顔に灯さず、僕の手に引かれてくれる。

 僕の感情はないまぜになって、空の腰へ腕を回す。

 ピアノの音色が華やかになった。低音の伴奏と、かなり高音の主旋律。妖精が戦場で踊り狂うような、ギャップ。僕はひやっとしたが、次に戦場は春のような陽気の伴奏へ映る。

 それまで踊っていた人々はピアノにそって陽気に鼻歌を歌い出す。アルコールをいれた人々のように、気は大きく。僕の心も広がり出す。

 空、と口を大きくして呼んで、腰の腕を放して両手でくる、くる、と二人で回り出した。風が僕たち二人を包み込む。周囲の景色もうつろいゆく。唯一変わらない彼女の顔をまじまじと見ることができた。大きな瞳と長いまつげ。白い肌はハコ特有のもの。ふっくらとした桜色の唇は朱が差してある。踊りに息があがり頬が上気している。今日の服は白いワンピース。黒いコサージュは、白いバラのコサージュに変わっている。黒い長い髪が尻尾のように後を追う。艶めいた彼女の髪から零れる光に見とれる。

 彼女のために他に何ができるだろうか。一緒にいて、彼女の寂しさを埋められる。きっと彼女の父や母の代わりに傍にいてあげられる。彼女の耳はなんとかしてあげられないだろうか。

「カ・ミ・サ・マ」

 彼女のその一言で、僕の体が固まった。

「ああ、僕はカミサマだ」

 だが、僕はカミサマなんだ。

 ここに来たのは彼女のためじゃない。彼女をむしろ落としこんでしまうことなんだ。

 彼女は頭を傾げて、白いバラが落ちそうになった。造花であるのか、動いたついでに白いバラの花びらがひとひらひらり、ひらり、と地面に落下する。

 僕はカミサマなんだ。彼女のために生きられない。彼女のために、何にもしてあげられない。

 空のカミサマじゃない。

 幻肢痛が痛烈に四肢から押しよせる。心臓が握りしめられたように苦しい。指令書の細々とした指令が針のようになって突き刺してくる。針の筵(むしろ)となった心臓のまま、はち切れそうになって、右腕のしびれ、左の肩の接続部分、全てにおいて痛みを催す。吐きそうになり、足を止めてしまう。空も一緒になって立ち止まった。

 僕はそれでも、カミサマとして歩まねばならないんだ。

 彼女の手が僕の頬に添えられ、次に頭に。後ろからよしよしとなでた。

「泣いてる?」と空。

 僕は手を頬に。

 気づけば情けなく頬が濡れていた。ぬぐった掌には涙がてらてらと照っていた。橙の明かりを受けてぬめりある光を蓄えている。

 顔を上げたところ、すぐそこで飛鳥が一心不乱に僕へ強い眼光を撃ち放っていた。僕はようやく受け取り、頭を振る。彼女の願いは分かっている。でも、僕は無理なんだ。彼女の望みを受け取ってやれない。歯を食いしばり、飛鳥は広場に背を向ける。赤くたおやかなワンピースが瞳に残る。その背は瞳にこびりついて離れない。

 ピアノの演奏は海のさざ波のようにとめどなく降り注ぐ。踊っている人々の影が広場を行き交っている。


 コンサートは、それからひとしきり演奏された後、お開きとなった。踊っていた人々の影は消えていき、最後に残ったのは僕たちだけになった。真ん中の白はぽつり、とピアノの鍵盤を見つめて椅子に座っている。

「ごめん、もう大丈夫」

 空が僕の頭を撫でる手を払い除けた。

 彼女はまだ心配そうに頬を凍らせている。僕はその頬に、機械の冷たい手を添えた。冷え上がった彼女の頬の傍へ顔を寄せて、耳に問いかけた。

「ごめん、空は優しいからきっと僕のようなカミサマは不似合いだ。君の父のような、紫のような、そんなカミサマだったら、あるいは違っていたのかもしれない」

 僕は離れて、

「先に帰ってて」

 促した。

 彼女は知らなくていい。紫のことも、僕がどんなカミサマかも、どういう役割を担っているのかも。

 彼女はそれでも動かない。

「お願いだ。君に見られたくないんだ」

 行けよ、と怒り出しそうになるところを踏みとどまって、頭を下げる。すると彼女はぐっと唇を噛み、くしゃくしゃにして、不満ありげに頭を下げた。そしてさらさらとメモに記述し、

『何かあるなら一緒にいる。これまで一緒にいてくれたお礼をしなきゃならないし。でも青がそこまで言うのなら、わたしは関わらない方がいいし、関係ないことにそこまで踏み込むつもりはない。でもつらいことがあれば、』

 最後に彼女の手は僕の機械の右腕をつかみ取り、メモをきっちり握らせた。指の関節を折り曲げさせた。

『教えて』

 教えられない、と。僕は何度となく思って胸が切り裂かれるほど張り裂ける。僕は苦しくも頬をほどけさせて答えるしかできなかった。

 空が僕の嘘で咲かせた笑みに安心すると、家の方へ歩き出した。僕は彼女が見えなくなるまで目で追った。完全にいなくなるまで、心を落ち着かせる。幻肢痛も消えていく。 僕は仕事をしなければならない。

 指令書に書いていることを。

 ピアノの前で座る白に向き直る。中心へ向かって、こつ、こつ、とタイルの音を際立たせた。白は僕へ振り返らず、ピアノを愛おしそうに見つめ続ける。機械の指で鍵盤を撫でて目を瞑る。それはこれまでのハコでの思い出を振り返るには十分な時間、たっぷりと深く思い起こしていた。

「もう、やめよう」と僕は白の痛々しい様に言いつのった。

 僕は、周囲の言葉の端々から気づいていた。けれど、ここまで引きずってしまった。これは僕の躊躇だ。そして気づかないふりや、この指令を避け続けてきたツケだ。

 そうでない方がいいと思い込んでいた。

「記憶、戻っているんだろ」

 僕は残酷な事実を突きつける。

「なんで戻っていないふりをし続けた?」

「カミサマの記憶は禁忌の代物だろ。当たり前だ。僕はこのハコに居続けたい。あわよくば衰退まで見送り続けたかった。この記憶を失いたくなかった。全部だ。全部愛おしかった。そこで現れたのは別のハコから派遣されたカミサマ。いちハコいちカミサマであるはずなのに、なぜカミサマを派遣する必要がある。後は簡単に察せられるだろ。

 システムは僕が隠していても、全部知っていたんだな」

 一問一答ではない白に彼らしさを抱きつつ、これで最後ならばと僕は慣れない声を張る。

「システムから細々とした指令書をもらっていた。その中には、このハコのカミサマの殺害命令もだされていた。記憶を取り戻したカミサマは、システムはいらないんだ。だから、僕のようなカミサマ殺し専門のカミサマが派遣される。

 僕は、カミサマを殺すカミサマなんだよ」

 紫もそうだった。一緒にいろんなハコに回って、いろんなカミサマを見てきた。記憶が蘇ったカミサマはみな一様にすっきりした顔を見せ、あるカミサマは元いたハコに戻ろうとしていた。紫もその一人であった。あるいは隠し通そうとして、昔のハコの話をするカミサマもいた。システムから逸脱したカミサマは、機械が誤作動を起こす。

 だから、僕のようなカミサマがいる。

「細々とした指令書、か」白は笑って、「なら、君の本命は僕を殺すことじゃないってことじゃないか」

「そうだよ」

「僕の命すら、記憶すら、ここにいることすら、システムは軽々しく見るんだな」

「ハコにいる限り、人間にとってシステムが絶対なんだ。カミサマは、ハコの権限を分け与えられているにすぎない」

「空が、悲しむな」

「彼女は関係ないだろ」

「関係あるから、先に帰らせたんだろ」

 何も言えなかった。

「君は気づいていないかもしれないが、カミサマであるのに彼女に傾倒しすぎている。カミサマ殺しのカミサマであるのに」

「そんな感情はない。ただ利用しているだけだ」

「虚勢だろ。カミサマであっても、一人の人間だ。記憶がないだけで。だから、僕はこうして記憶がなくてもピアノに惹かれた。記憶がなくとも、忘れられないものはあるんだよ」

「記憶を引きずっているだけだ」

「記憶を引きずることの何がいけない。むしろ、人間は記憶から成り立っているんだ。アイデンティティや感情すらも。

 だから、君は空に惹かれたんじゃないのか」

 言いすくめられて為す術なくうなだれた。

 ピアノがのびやかな音をたてて弾かれ始めた。

 音がたおやかに僕たちの会話を包み込む。

「それでも、君はシステムの思し召し通り、僕を殺すのかい?」


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