⑥ White Memory side Asuka

<This text>

 <white memory side asuka>


 飛鳥は、僕の機械部分に苦々しい手で触れた。まるで彼女自身が痛みをはらむように。

「あいつもだいぶ悩んでいた。幻肢痛がする。頭の中で女の子の声がする。頭痛がして、そのあと指が痛む。ピアノを弾くことができないことに拍車がかかり、またよけい痛む」

 だが、僕が見た白はそんなことはない。


 飛鳥は、白の病状を説明し続ける。

 白はこのハコに、幼いときに配置された。当時の飛鳥と同年代。まだハコに飛鳥と同年代の子供が大勢いたときだ。小さな学校があって先生がいて。今もあるが子供の数は二三人に減っていた。白はその学校を覗いていたらしい。傍から見ていただけだったカミサマが、子供と同じように教室に乱入してきたのは音楽の授業の時。ピアノの鍵盤が弾んだ、そのときに白は「触らせて」といてもたってもいられないくらい興奮した様子だった。鍵盤を指で押すと、彼は涙を流した。小さな小さなハコのカミサマ。機械だと思っていたハコの住人は、カミサマへの庇護欲を駆り立てた。

 ハコの住人はピアノに熱心になるカミサマをそこにあるもの、と捉えて日々見つめることにしたのだ。

 それは飛鳥も同様だった。

 それから連日、カミサマはピアノを弾きに学校へ訪れた。毎日毎日、来る日も来る日も弾き続けた。

 見守っているだけだった飛鳥は、ついに痺れをきらして話しかけた。

 ──ピアノが好きなの?

 だが本人は、「知らない」の一点張り。

 覚束ない手で白は弾き続けた。とりわけ上手というわけでもなければピアノを習っていない手でもない。

 ある時、飛鳥は白が手袋を外し、鍵盤を弾くところに出くわした。両手の指がすべて金属で、軋む指をなんとか折り曲げて演奏をしていたのだ。

 これが、カミサマの証である機械義肢であることを察した。

 飛鳥の家はカミサマ仕えの機械義肢の店をしていた。他にカミサマでなくとも義足、補聴器、会話装置、と様々な機械を取り扱っていた。その中でも白は特殊であった。指という機械義肢。飛鳥は、これまで機械義肢にとんと興味がなかったのに、彼の指を見て彼女の才能が開花した。

 ──うまく動かせないの?

 今度はぴくり、と白は飛鳥の言葉に反応した。

 ──あたしが、カミサマにピアノを弾かしてあげる。

 一から機械義肢の取り換え方法を習ったのはそれから。

 飛鳥は白のために機械義肢師になった。

 機械義肢も扱える部分は限られている。システムが脳の信号を拾いあげて、機械義肢を動かしているそのケーブル部分は、人間は扱えない。できて関節をすべらかに動かすことや微調整の範囲内だけだった。逆に言えばたったそれだけでも、ピアノを弾くことはできる。システムに脳信号の微調整を依頼しつつ、飛鳥は機械義肢を親から習いつつ、初めて機械義肢に向き合い白の指を調整した。

 初めて思ったように動かせたのは、初めて白がピアノを弾きだして数年後のことだった。

 指が弾む。鍵盤を押さえる。踊るように白は叩きつけた。頭を振り、楽し気に鼻歌を歌い。海のさざめきとピアノの鍵盤の音がまじりあう。つややかな音をしなる指で流し、次には子供のような無邪気な音を響かせた。

 白は青年になり、ハコのカミサマとして定着していった。

 コンサートを開くよう提案したのは飛鳥だった。機械義肢の親と、近所の人、市場の大人にカミサマのピアノのすごさを触れ回ってしまい、それならみんなに聞かせてあげればいい、と喜んで提案してしまった。飛鳥は今思えば愚かなことだったのかもしれない、と告げて、でもあの頃は白も嬉しそうだったから、と付け足した。

 コンサートは無事に成功した。

 ハコの中の住人は青年の弾くピアノに聞きほれ、月一で開催してくれと要望が多々くるようになったのだ。飛鳥も鼻が高かった。初めて調整した機械義肢の指、しかもその指でくりだされるピアノの音は一級品であり、みなに認められ始めたのだから。

 コンサートは幾度も幾度も開催された。月日が過ぎるのは早かった。白の前髪が伸びるまで、彼の背が飛鳥を追い越すまで。あっという間に過ぎた。

 次第に白は幻肢痛に悩まされ始めた。

 ピアノを弾き始めた頃から違和感をもつようにはなっていたらしい。そのたびに気のせいだと思っていたが、あまりの痛さに、飛鳥の指の調整中に吐くくらいになってしまった。そのたびに言うのだ。

 ──女の子の声がする。

 ピアノを弾くたびに、記憶に触れるたびに。彼の幻肢痛は助長されていった。コンサートでほめそやかされるたび。ピアノが流ちょうになるたび。記憶を思い起こし、感情豊かに笑い、逆に痛覚が発達する。

 ピアノに向き合い続けないといけないわけではないのに、彼はやめることはできない。女性のような「私」と言い、髪を伸ばし、誰かを模倣するように歌うようにピアノを弾き続ける。細長い体は折れそうなほど軋む。指だけの機械義肢が彼を苦しめる。

 幻肢痛のスイッチは、どこからだったのか飛鳥も定かではない。

 が、ここにきて幻肢痛を訴えるときは決まって、彼の記憶が呼び起こされるときだった。誰かの声がしたり、自身の感情がゆさぶられたり。指が器用に動きピアノを弾くことで白の記憶は助長される。

 飛鳥は苦しくなって、もうピアノを弾くのをやめてくれ。指も調整しない。記憶も忘れるほうが良い。苦しむ白を見たくない。

 だが、白は聞く耳をもたなかった。

 ──ピアノを弾かきゃならないんだ。誰かに約束をしたんだよ。

 指をぎこちなく動かしながら、それでもピアノの音は軽やかだった。

 クラシック。幾千年前の、ハコがなかった時代からあった古の曲たち。白は海のあるハコで聞き知りもしなかった譜面をなくした記憶の中から抜き出し続けた。曲名も知らないのにリスト、ベートヴェン、バッハ、モーツァルト……と作曲家たちの名前をうわごとのように連ねる。痛々しい姿に飛鳥も呆れ、つい最近まで彼の幻肢痛に付き合っていた。


「ここ最近、ピアノを弾くときにある言葉を漏らしたときから、白は明るくなったんだ」

 飛鳥が作業台に座り、白く細い筒のようなものを指で挟んだ。口に咥えて、バーナーでその先端に火をつける。着火した筒の先端は灰に変化していく。白い筒を指で挟み、取り出し、ふぅと白い煙を吐き出した。部屋の中が陰気な匂いで充満し煙で部屋が曇る。

 視界がかすみ、飛鳥の姿がぶれた。泣いているようにも見えた。

「『姉さん』って、白はつぶやいたんだ。それもピアノを弾いているときに。コンサートのときだった。やつは、それを呟いたとたん、初めて会ったときみたいにぼろぼろ涙を流したんだよ」

 ピアノはぬれそぼり、前髪が涙でべったりと頬にはりついた白を思い浮かべた。

 それは僕が紫で見知った光景だった。

 飛鳥は、嬉しいのか悲しいのかわからないくらいの曖昧な笑みを噛み締めて、筒を再び口に咥える。体に満たされたあの時の記憶を煙とともに吐きだす。いじわるなのか、空に向かって吐き出したものだから、空はけほけほと咳をたてた。飛鳥はにしししと歯を見せていた。

「だから、ここ最近あたしは白にあっていなかった。白は、もう幻肢痛に悩まされていない。記憶や感情がトリガーなら、あんたはそれを避けるほうがいい。だけど本当に取り除きたいのであれば……

 それが本当にカミサマってやつに良いことなのかあたしにはわからない」

「カミサマの禁忌だ」僕は厳しく飛鳥に告げた。「その先はいってはならないんだよ。今の白がどうかはわからないけど、飛鳥はこれ以上かかわるべきではない」

「それは、青がこのハコに来た意味や、あたしが出会った心臓のカミサマと関係があるから?」

 気づかないと思っていた? といたずらに手元の筒の先を手元に置いてある空っぽの灰色のさらに押し付けた。灰は散らばり、部屋の中は白い霧でいっぱいになっていた。

「カミサマに、システムに、かかわると碌なことがない。あたしは機械義肢が好きだけど、脳と直接かかわる義肢は、諸刃の剣だと思っている。脳の信号に干渉し動かすから、記憶や感情に触れて、折に触れて動かなくなったり、白みたいに調子よくなったりする。心臓、という重要な器官だとそれは大きくなるはずだ。システムは、だから感情を持たぬよう見知らぬ土地にカミサマとして放り出すんだろ。そんなので忘れられるわけがない。システムは中途半端に優しいんだよ。やるんなら、全部忘れさせてあげてくれ」

 飛鳥はわかっているはずだ。僕に言ったところで変わらない。でもとめどない白への感情が揺り動かす。カミサマにかかわりすぎている人間だから。カミサマは、そういった感情は持たないようにしているから、白は知らない。

 飛鳥の感情に気づかない。

 それはカミサマだから?

 いいや、白だから、かもしれない。

 空がメモ用紙に、

『アスカは白が大切なんだね』

 と記して煙ごと彼女を抱きしめた。

 彼女の胸の中で飛鳥は大きなため息をこぼした。それらすべてを空は抱きとめる。飛鳥は安心して彼女の中でようやくとつとつと涙をこぼし始めた。今までかみ殺してきた悲し気な笑みは、白を想ってのことだったのかもしれない。

 そのあと、飛鳥は空が見えないところで一息つき、

「なあ、カミサマ。あんたがなんでここに来たのかは知らない。多分、この子に関係することだろ?」


 ──この子、あのカミサマの娘だろ。


 僕は息をのむ。

「あたしもこの子と同じ。カミサマのことが知りたいってだけだ。だから、心臓のカミサマにいろいろ聞いたんだ。あんたはどこから来たんだと。そうしたらいろいろ教えてくれたんだよ。このハコにいる娘に一目会うために来たって。あれからどっかに行って会ってないけど。

 あんた、なんでこのハコに来た。あのカミサマを追ってきたからか。だとしたら、白は関係ないんだろ。カミサマの禁忌に触れたカミサマがどうなるか、あたしは知らないんだ。白はどうなるんだ」

 だとしたら、

「白だけは、見逃してくれないか」

 声を殺して、

「白は、あたしの幼馴染なんだよ。小さい頃から一緒にいた。ピアノが大好きなだけの。カミサマじゃない、ただの幼馴染の男の子。このハコの終わりまでずっと一緒にいようって、あの義肢を初めて調整してやったときに約束したんだ」

 僕は何も言うことができなかった。もらったコンサートのポスターが重く思えてくる。義肢がうまく動かない。肌が凍てついて固まり、声が出せない。息が苦しくなる。

 カミサマは、こんな感情持ってはいけない。

 持ってはいけないんだ。

 空のように、僕は彼女に寄り添えない。

 それが何よりも僕の機械義肢を痛ませた。


 シャッターに背をつけて、飛鳥は白い筒を咥えていた。細くたなびく煙は暗くなったハコに映えている。シャッターの隙間から漏れ出る白い電灯は、彼女の影を残酷にも消え去る。路地裏にある店は暗がりの中で唯一路地裏を寂し気に照らし続けていた。

 こげ茶色の髪が宵闇に沈み、色の境が見えなくなる。

「また気軽に来なよ。幻肢痛は緩和できないけど他のことは大方あたしが診てあげられるから」

 そうして飛鳥は筒を指で挟み下ろした。

「さっきから気になっていたんだけど、それなんだ」

「煙草のことかい」

 飛鳥が煙を吐きながら、

「大昔の嗜好品さ。こういう大昔のものに興味があってね。白もそうなんだ。これはあたししかはまらなかったけど」

 にしし、とまた歯を見せて笑うから、空も真似してにししと笑っていた。真似するな、と飛鳥は空の頭をなでて黒い髪がぼさつく。空はそれが面白いのか、声を上げて笑っていた。緩急もわからないくらいの不安定な笑い声に落ち着く自分がいた。

「ここも古いハコだから、いつまでもつか分からない。だから嗜好品もたくさんあるし、コンサートだって催される。最後の最後まであたしたちはここから離れないし、大好きだからいろいろしてしまう」

「珍しいハコだ」

 白のシステムへの申請書の多さから、このハコがどれだけカミサマから愛されているか分かってはいたが。きっと白は、カミサマとしてここを愛しているのだろう。

 まあね、と飛鳥は嬉しそうに噛み締めて、

「しばらくいるんだろ。ならコンサートも見ていきなよ。冗談抜きで白のピアノは最高だからさ」

 空と僕は大きく頷いた。コンサートは今週末の夜に行われるから、空の仕事終わりにでも行けそうだった。自ずと僕らはコンサートに期待感が増す。機械くさい飛鳥が門外漢からいうのだから、おそらくは相当彼の演奏は良いものであるのだ。

 楽しみにしてる、また来る、と二人で言って、僕たちは路地裏を後にした。

 ハコの天井に映し出される星は、幾千年前の地上の夜空だ。ちりばめられた星は人工的なものであるが、人が作り出したものであったとしても美しいと思う心は変わらない。何もないハコにさざ波が立つ海の音がこのハコのどこへ行っても聞こえる。空は音を知らないから、わからないけれどこの音はきっとこのハコの住人にとっては宝物であろう。このハコのシステムが映す空も、風景も。

 空が僕と同じように天井を見ていた。ぷらぷらとその手はあけすけにぶらさがっているものだから、僕は目線を空から離しつつ握りしめた。すると空も僕の手を握り返す。何も言わずに帰路を歩き続けた。空と海のさざ波と、僕のうちに秘めた幻肢痛による痛みを抱えて。

 今日のご飯は何にしようか、空が喜ぶものがいい、と感情や記憶、指令を放っておいて今だけは確かにある空の温もりによりかかった。


 <white memory side asuka>

 <end>

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 <last concert>

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