〈About the White〉
⑤-1 Mechanical Prosthetics
<This text>
<mechanical prosthetics>
白い壁の清掃をしつつ、空と一緒に帰路につく日を過ごして数日。僕の体の変調はさらに大きくなっていた。機械義肢の四肢は思ったように動かずに止まることが多く、関節は曲がらず、痛みのないはずの義肢はなぜか痺れを感じて痛覚が刺激される。脳内にこびりつく記憶は再起動をかけられ始めて思わず押し隠す。そんな日が続くから朝のトーストは焦がし、夜のご飯は空が帰る前にひっくり返す。彼女には気づかれていないことが幸いだが、体の調子は悪くなる一方だった。
「今日は、機械義肢の店に行こうかなと思ってる」
朝食の席で空に今日の予定を提案する。彼女は手を指して、頭を傾げた。
「義肢の調子が悪いんだ。空は今日パン屋休みだったよね」
こくん、とうなづくと空は心配そうに僕を見上げる。
「休みの日だからゆっくり休みなよ」
食卓には今日の朝食は空がパン屋からもらってきたベーグルにハムとスクランブルエッグを挟んだものがきちんと三人分あった。ほんのりと焼き立てのハムと絡みあう卵の香り。挟み込んでまるごと頬張ると、どろどろに溶けたスクランブルエッグがハムのしょっぱさのアクセントが効いている。スクランブルエッグがパンにしみわたり、ベーグルの固さを緩和しふんわりと優しい柔らかさを味わうことができた。
空は朝食に手をつけず、何か思うことがあるらしく。
ちょんっと僕の右足の義肢を蹴った。蹴られた感覚は薄いが、金属の反響として内部から僕の脳へといきわたる。感覚的には、『蹴られている』という感触だけがあるだけだ。痛いや触感はない。
思ったよりも蹴った義足が固かったらしく空は足を上げて、目を大きく見開いて痛さをこらえるように口を無理やり結んでいた。苦々しく口を横に広げて、笑みを見せる。
「硬いだろ。僕の体はほとんど金属だから、やめたほうがいいよ」
すると、空は手元のメモに、
『一緒に行っていい?』
「いいけど、どうしたの?」
『もっとカミサマのことを知りたい』
僕は、彼女のペンをとって、
『僕が言える範囲であれば何でも教えてあげるよ』
なぜ彼女がカミサマをしろうとしているのかはあえて聞かないようにした。もしかしたら父のことについて勘ぐりをつけているのかもしれないし、そこに踏み込むことはまだ僕には怖くてできない。
『そういえば、青。その、機械義肢のお店ってどこにあるか知っているの?』
僕は点を三つ数えて、
「そういえば、知らないや」
二人して噴き出してしまう。
空を連れて、白の店を訪ねる。相変わらず雑多な靴がとりそろえられている。以前にも増して靴が多く所狭しと靴がぎゅうぎゅう詰めになっていた。棚からあふれてしまった靴は地面に直に置かれている。靴箱を積み重ねて、その上に革靴、棚の一角はパンプス、ロングブーツと、穴が開いている靴もあって、季節を問わない。このハコは季節がないため常に春のような陽気が続いているが、靴は用途問わず使うのかもしれない。
白は靴箱を何箱も積み上げて奥から持ってくるところで、「おはよう」と先に挨拶を済ます。
「まだ店に靴を並べるつもりか」
箱を積み上げすぎて顔が見えない白に皮肉をくれてやると、僕は二箱上から持ち上げた。白の顔がようやく見える。かといって、前髪が長いから全体像は見えないが。
「実は先日来た列車で、違うハコから良い靴が入ってね。どうせならいろんな靴を見てもらいたいじゃないか」
「それはいいが、こんなに靴を買いに人はここに来るのか」
「人の数じゃないさ。みんなの履きたい靴を、履きたいときに履けるように、ね」
店内の靴はどれも年季が入っていた。厚底がかすれているものもあれば、水でぬれたのか表面がからからに乾いている布のパンプスもある。誰かが使っていたものが回りまわってきて田舎のハコにくる。だが、このアンティークな靴はむしろ店内を飾り、レトロチックな店内に仕上げられていた。ぬくもりとこだわりを持って店を運営しているのだろう。
自身のハコを放棄するカミサマもいるというのに、どこまでも白は真面目で優しい。
店内を空と散策していると、依然と靴の間にピアノが置いてあった。こげ茶色の皮の平べったいピアノだ。こちらも年季が入っている。この店内の中のどんな靴や雰囲気よりもふるぼけていた。だが埃はかぶっておらず、毎日手入れされているのか、皮の心地はさらさらとしているし、傷一つない。
空がこのピアノに興味を示し熱心に触っていた。
手元の靴箱を片付けた白は、あとは私がやるよと僕の腕の靴箱を持つ。靴の箱を地面に置き、中を開けながら白は、
「で、今日は何の用なんだい。一応昨日で清掃はすべて終わったはず。また違う指令のこととか?」
「今日は機械義肢の店を紹介してもらおうと思って」
空が優しくピアノの扉を開く。中からずらりと並んだ白い鍵盤。歯並びがいい口がのぞいている。店内の橙の明かりがピアノの口に入り込み、鍵盤が艶めく。秘められた宝箱を開くようにそっと空は扉を開けた。
「義肢の店のことは了解。と、ピアノが気になるのかい?」
白が僕たち二人の間に入りこんでピアノの前に立つ。すんなりと背が高い白を二人して覗き込むように見上げた。まるで天を仰ぐよう。白は僕たちを見下げながら優しくたしなめて、前髪を耳にかけた。形の良い耳が現れると同時に目が上弦の月のように細まっているがうかがえた。
ふっと息を吐いたと思うと、鍵盤を機械義肢の人差し指でこん、と抑える。店内に透き通った音が通り過ぎた。機械義肢の関節がこすれあい、音の波の中にまぎれる。かたかたかた、と今度は機械の指を握りしめて、僕たちへ視線を移す。
空は何が起こったかわからないようで、先ほどと同じように白の表情を下から覗いている。子どものようにあどけなく答えを待っている。白はそれに、「お・と・の・で・る・が・っ・き」と丁寧に説明して、鍵盤から空の手を優しくよけ、扉を閉めた。
「カミサマでもピアノは弾く」白が機械の指を見せながら悲し気に言った。「これは珍しいことかい?」
僕は彼の中の記憶を想像してしまう。それを払いのけてから、
「いいや」
強く否定した。
「僕の指は機械義肢だけど、ちゃんと動く。ピアノだって弾ける。譜面も覚えている。なぜだかそれだけで今は幸せなんだよ」
愛おしそうに両手の機械義肢の指を握りしめる。精密な動きをする指は、店内のなによりも輝き、ピアノは白に寄り添うように存在している。レトロチックな店内も呼応して、彼の機械義肢は異様な存在感を見せる。あまりの大きさに目を覆いたくなった。
と、そこで白は僕たちに一枚の紙をだしてくる。
「そういえば、僕のピアノコンサートが広場で今度行われるんだけど、今度お二人さん来ない?」
「こんさーと?」と僕。
「こんひゃーと」と空。
「そう。僕は定期的にハコでコンサートをしててね。ピアノを演奏するんだ。憩いの場としてこんな田舎なハコにも娯楽がないとね」
「僕はいいけど、空は聞こえないだろう」
「デートにも最適だろ」
「で、」
「最初はぴりぴりしていたが、最近仲よさそうにしてるから、私なりの配慮をと思ったんだが。お気に召さなかったかい?」
デート、デート、と二回繰り返して空を見て、デートともう一度唱えた。空には案の定見えていない。
「それともなにかい? まだ付き合ってないとか、冗談を言ったりするのか」
僕は押し黙り、空は頭を傾げた。その様子を白は、はっと口を大きく開けて、
「もしかして本当に……」
「冗談をよすのは、お前だ。カミサマとなんか、そういうことになるはずないだろ。この子といるのは、また違った理由だよ」
「それならなぜ一緒にいるのか聞いていいかい?」
「それは……」
実際空と一緒にいる理由など『父親が彼女を訪ねてくる可能性があり、彼女といることで遭遇率が高くなる』だとか言い訳がましいことしか浮かばなかった。それは彼女といる理由にはならない気もした。彼女の前に僕が姿を見せなくても、彼女を遠くから監視し続けていたらいいだけだからだ。
それなのに、僕は彼女と一緒に住み続けている。
僕が彼女といる理由。
ただの居候だ。
なんて言ってしまうことが悲しくなってしまって、口から出るのが憚られた。
「機密事項だ」
と、一番逃げた言い分を告げて、それはそうとコンサート良いなあ、と空に見せた。空も満更でもなく、耳が聞こえない以前にピアノという媒体に対して興味を示していた。コンサートのポスターを抱きしめて、白に向き合う。瞳がきらきらしていた。こんなものがあるんだ、と言いたげなその双眸に白は何も言うことができない。
そういうことで、と空と僕は白にコンサートに行く予約を取り付けた。
「当日、楽しみにしてる」
僕がにんまりと目を細めていうと、空はこくんこくんと大きく頷いた。
白のピアノを弾く姿を頭に思い浮かべる。まったく想像ができなくて、その機械の義肢が心地よく動きながら、鍵盤を弾く姿が気になった。ぎしぎしと動きの覚束ない僕の機械義肢を見て滑らかに動くのか。少なくとも僕は白のようにピアノのような精密な動きを機械義肢で弾くことなんてできない。
彼は、よっぽどの理由があってピアノを弾くのだろう。
──ほら、女の子の声がする。
白の記憶がふつふつと僕の中で疑念になって浮かんでくる。あわよくばしゃぼん玉のように指を突っつき、弾けて消えてしまわないか。ピアノを弾くことや指のことで、何もなければいいのに。
僕たちはピアノコンサートのポスターを抱きしめながら、靴屋さんを後にした。その際、白も「私の指も見てもらうから」と機械義肢の店に同行することになった。靴屋さんの店は、『close』と看板だけ掛けてカギは閉めず出かける。どうやら、このハコでは鍵で扉を閉める文化はないらしい。空の家もそうだった。よっぽど治安がいいとみて、僕がいることに罪悪感をほんのりと抱いてしまった。治安を司る期間がこのハコには存在していないというのに、カミサマだけは威厳を持って存在しているのだ。カミサマの存在がこのハコの礎を築ていていることなど鼻から明白だったろうに。
機械義肢の店は、靴屋から十分ほど歩いてもっと路地裏の奥まったところに存在した。白い積み木の家から家へ。より濃い青の影を落とした家へと歩み寄り、シャッターが半分ほど降りた、油臭い黒く焦げた家にたどり着いた。家の壁は油ぎり、白い壁がぎとぎとと茶色く汚れている。白が「何度も洗ったんだけど、そのたびに汚れていくから終いに店主がいらんって一喝してね」とまだまだおしゃべりが続きそうだったので、かまわず僕は腰をかがめ、シャッターの下を覗き込み、「こんにちは」と声をかけた。
すると、僕の上にあるシャッターに蹴りを入れられて、飛び上がる。より奥へと覗きこむと、女性が僕の顔を見下ろしていた。目じりが吊り上がり、強気な態度でぐいっと僕の顔に顔を近づけた。
「お前、誰?」
こげ茶色の髪が一つに束ねられており、肩からするっとたわんだ。眼光が鋭く僕を射抜かれる。手元には機械義肢のための工具、ドライバーを持ち、今にも振り下ろしそうな勢いの気迫をまとっていた。
「久しぶり飛鳥。今大丈夫かい?」
と、白が割り込みに入った。
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