④ Blue Mission
<This text>
<blue mission>
灰色の炭を被ったようなワンピースを着こんで、空は家を出た。彼女はその間うんともすんとも言わず、僕になんの言葉を残さないで背を向けるものだから、「いってらっしゃい」と聞こえないながらも彼女に声をかけてやった。まだ怒っているのか彼女の背中は僕のどんな言葉すら跳ね返すほどの鏡面に見える。虚しくとどろいた言葉は閑静な白い積み木みたいな住宅街に放り出された。心なしか灰色の言葉で住宅街はすべて灰色に染まって見える。システムで天候の彩は固定化されているにもかかわらず、肉体の視界で汚れて見えてしまうのだろう。
僕自身が抱えている淀みに疑問符を抱く。赤いタイルの上を歩く。こつこつと心地よい足音がタイルを叩いた。
僕の体は、ほとんどが機械で塗りたくられている。一部の肌は、肌色をした機械に置き換わり、中身の臓器は定期的に点検をして、動いているかどうか整備する。呼吸をするたびに、僕の内臓機械はこすれて動き、ぎこちなく内部機能を動かす。そうしてふぅ、と息をつくと一回の循環が終わる。次の動作に備える。こんな僕の記憶や彼女に対しての何か、は果たして本物なのだろうか。
自分の心の揺れを、カミサマとして鼻で笑い吹き飛ばした。
僕はすぐに何枚かの指令書を出して、ハコに空の父が来る前までの指令を選びあげた。ハコの事務作業のようなものだ。カミサマが行うものであるので、実際は白が行うものなのだが、今回は僕と白で手分けして行うことになる。
空の家の中から指令書を遂行するためのいくつかの用品を揃える。バケツに、モップ、あとは汚れ作業になるため作業着に着替えて、いつもは隠している袖と足もとのズボンをたくし上げた。あらわになる機械の四肢にはもう見慣れたものがあった。ときおりぎしっと機械がうまく動かない。上手く動かせない手元の指を一本ずつ折り曲げていると、なぜか不安が手に宿り痛覚が蘇る。機械の手足は何も痛みはないはずなのに違和感がある。
やはりそろそろ機械の整備にいかなければならないのだろうな。
幻肢痛など、もとよりないはず。システムは完璧にカミサマになるときに僕らを仕上げるのだから。
指令書を片手に、白い積み木の家を見上げた。白い陽光が天井から舞い降りている。だが、この光は目に優しいため、目を細めることもしない。いくつか点在する白い家に目星をつけて、指令書に書かれた家と照らし合わせる。住宅区域に点在する×(ばつ)と家を交互に見ていくと、確かに印がつけられた家は僕の視界に限らず、黒ずんでいるように見えた。
空の家は対象外であり、今回の指令には載っていない。
靴を脱いで僕はぷらぷらとバケツを持ち運ぶ。白い積み木の家々の間に見て回る。路地裏のように見える家間は、ごちゃついた水道管や電気の配線、空調設備に使う風切り車は見受けられず、平らな白い壁のみが連なる。ここに隠れようものならすぐに見つかってしまうだろう。人影は見えず、カーテンは閉め切っている。本当のところ空き家が大半なのかもしれない。田舎なハコとは聞いていたし、他のハコとの連絡もここ数十年されていない。一人のカミサマだけが君臨し続ける、気楽なハコだ。
田舎なハコは、ゆっくりと衰退の一途をたどっている。子どもが生まれず空き家が増え、インプラントの食糧だけが人口に見合わずに生産し続ける。だから衰退し誰も住まなくなったハコはシステムの共有は止めて、最後に残ったカミサマがハコの終焉を見届けた後システムが埋めてしまう。観光名所に使用しようにも、田舎なハコはそこのカミサマの威厳が強すぎてハコどうしの行き来を拒絶する場合が多いし、最近では都会のハコの人口が増えていく一方だ。田舎のハコのカミサマが一人虚しく閉じていくハコを間近で何個も見てきた。このハコも同じ匂いがする。
──ここが、空の、そして紫の育ったハコ。
僕に仕事を教えてくれた紫が、カミサマからはぐれようとも帰ろうとしたハコだ。紫がいたころは、赤いタイルの上を走り回る子どもも大勢いたのかもしれない。僕の前を通り過ぎる少年の影とともに歩みを進める。いろんな少年少女が走り回り、赤いタイルの上ではしゃいでいた。彼らについていくと、分岐する道があり、中央に水を汲める蛇口があった。少年は蛇口をひねる。澄んだ水があふれ出てくる。そこへ口を近づけて唇を濡らした。一人一人、水を飲み、また赤いタイルの道を走って行ってしまう。風もなく影だけがハコに存在し続ける。
僕は影を遮って、あふれ出る水の下にバケツをくぐらせる。とく、とく、と注がれる水を見つめていると、影が差した。人型のひょろりと長い図体。僕は影の先端から根元を追って、顔を上げた。影から黒いブーツが連なり、黒いズボン、ニット、青白い顔がようやく見えた。
「白」と僕はやつの名前を呼ぶ。
すると、やつは指令書をぴらぴらりと揺らして口角をあげた。
「『住宅の清掃』だっけ」
「ああ、うん。システムから送られてきた指令の一つだ。白も?」
白は足を引いた。かかとが、金属にあたりかつん、と虚しく響く。バケツにモップ、僕と同じ装備をしている。
「私が申請した指令だから同じ指令書だよ」
「カミサマからシステムに申請するなんて珍しいな。たいていはめんどくさがって申請書を出さずに勝手に管理するカミサマも多いのに」
「こういうのきっちりするタイプのカミサマなんでね」
と、白はバケツを指さして、「水、水」とケラケラ笑った。手元に視線を落とすと、バケツにたまった水が今にも吹きこぼれそうなほど溜まっていて、慌てて蛇口を閉め回す。既にバケツの水は淵にかかり、持ち上げようものなら赤タイルを濡らしてしまいそうだ。
「なあ、ちょっとだけハコを汚していいか」
ケラケラとまた、白は笑ったので了承ととらえ、バケツを足先で蹴とばす。水が淵からこぼれだし、一筋の小さな滝となって赤タイルを汚した。
「そんなところまで気にするんだな。他のハコのカミサマって、そんなに人でなしなやつが多いのか」
「基本的にはハコの独占欲が強いやつばかりだ」
「そういうのもっと聞きたいな。私はこのハコのことしか知らないし。ここは見ての通り穏やかだ。ヒトも大人しい。何か大事をしでかしたりすることもなければ、カミサマを毛嫌いするやつもいない。みんな素直でシステムに対してなんの抵抗もない」
掘れば掘るほど彼は話す。水を得た魚のように。おそらくは話し相手が欲しかったのかもしれない。バケツを持って蛇口の下に置き、水を灌ぐ合間も、
「私もシステムに対して何にも思っていないし、青が申請を出すまでなんの疑問も思っていなかった。他のカミサマのことだって、ハコのことだって、まるで何も知らない。隔絶した空間なんだよ、ここは」
絶え間なくしゃべり続ける。衰退するハコに赴任したことはない。ただもしかしたら衰退するハコはみな白のような孤独さがあるのかもしれない。彼の言葉はハスキーで言葉尻が途切れがちであったので、よけいに哀愁を漂わせる。
「入ってくるやつもいなかったのか」
「いないさ」
「……そうか」
海の方から大きな波の音がした。定期的にシステムが起こしているのだろう。潮の匂いが波とともに香る。なぜか目や鼻につん、と刺さる。空に会ってからか、紫が失踪してからか、僕の中の何かが揺らぐ。これまで何にもなかったはずなのに。
「出ていくやつはいた。何年か、何十年か前。私がまだほんの小さなころだったと思う。システムと契約してカミサマになったんだ」
──紫だ。
「私のハコに何かあったのはそれきりだ。あとはゆるやかに日々が過ぎていくだけ」
気づけば、足元は大洪水になっていた。知らず知らずのうちに白のバケツからは水があふれ出ていた。赤いタイルは黒々しく深紅に染まっている。白の足元から楕円形に赤く染まり続ける。その足場は脆く見えた。
ぐらり、とそこで彼は肩まで伸びている髪先をかき分けて、ギラギラと輝く細い眼光を僕にあてつける。
「で、きみはなんでここに来たんだい?」
僕はすぐさま適量になったバケツとモップを持ち、指令書に書かれていた家へ足を運んだ。
モップに水を吸わせて壁に押しやる。黒ずんだ色はなかなか取れず、二回、三回とこすり、やっと黒さは薄れた。反復してやるたびに、バケツの黒さだけが増幅されていく。壁は灰色のままで、下地にある新品の白さは出てこない。数時間、同じ家をこすっている気がする。
──やっと、
遠くから駆けてくる足音が聞こえた。
「「見つけた」」
なぜか耳元で言葉が重なる。
モップを水に浸し、壁につける。壁に数分置いてこする。先ほどまでよりも白くなった。この方法だとこすり続けるよりも簡単に黒を灌げそうだ。
──そうやって集中してると周りが見えなくなるんだな。標的を追いかけてたんだろ? わかったわかった。迷子にならなくてよかった。じゃあ、行こうか。指令を遂行しよう。
紫と動いていた時のことだ。僕にとって最初の指令だった。いつだって僕と紫は随行していた。カミサマになってから、僕は右も左もわからなかった。紫は僕の上司だったのだ。カミサマ間の絆など機械じかけの僕にはないも同然なのに、紫はなぜかカミサマ以上のものを求めていた。光が燦燦と降るハコでは、ひまわり畑が有名だろうからと指令の合間を縫って僕をひまわり畑に連れた。水中のアクアリウムで覆われたハコでは、大きなサメがいる水槽に引きずりだして「あれがサメという生き物らしい」と僕に何かと教えてくる。
──なんでだろうか。僕はきみに近しい人を知っているんだ。覚えてないんだけど。
そこで止めておくべきだったのだ。ひまわり畑にも、水槽のサメも、見に行かなければよかった。
──ああ、そうか。
都会のハコの一幕が僕の中でうずきだす。ずっと紫はとっかかりに対して、真正面から向き合っていた。それがカミサマの禁忌だとしても禁則地に踏み出さずにはいられない。自身の中の折り合いをつけられずにいたのだろう。僕に何かといろんなものを見せたがるのはなぜなのだろうか。なぜ、こんなに記憶に対して愛おしさが増すのか。
──きみと同じ年齢の娘が、いたんだ。
「水じゃ、ぜんぜん落ちないだろ」
一気に記憶を振り落とす。
白が僕のバケツに何かわからないどろっとした液体をいれていた。なんの許可を得ずに図々しく。
「おい、なにをしてる」
「これ入れたら面白いほど落ちるからやってみろよ」
「これで逆に黒くなったらお前のことをはったおすからな」
僕はモップを液体が入った水にざぶざぶ入れて、壁をひとこすりした。それだけでずるりと汚れが消えて下地の白がのぞいた。これまでの苦労はなんだったのか疑いたくなるほどだった。力を入れずに横の壁にモップを押し当てると、これまた簡単に黒は消えていく。
だろ、と白は鼻高々に言ってのける。白も手持ちのモップで目の前の家をこすり始めた。もくもくとやっていくと、記憶はすっかり消えていた。真っ白になった家を拝み、次の家へ。次第に僕と白は力を合わせていた。
「ぃあっしゃぃ」
久々の声の乱入に手を止めた。
パン屋の看板が先に見える。自分でも知らないうちに空の影を探していた。こっちにくるはずはなかった。かといって白が誘導したのでもない。海沿いの家でもまだ指令書に書かれていた家はあったはずだ。僕が無意識にここにくるようにしていたのか。
遠目に空がパン屋の三角巾をかぶり、エプロンを身に着け接客をしていた。小さな子供をつれた男がパンを頼んでいる。何を言っているのかわからない空は目をうろうろさせて、耳たぶをひっぱった。聞こえはしないのに一生懸命に耳を傾ける。慌てて出てきたパン屋のおばさんが手伝って、なんとか注文されたパンを男にわたした。男は子供の手をひっぱり、市場のほうへ戻っていく。
空は笑顔で男を見守ってにこやかに対応していた。でも、頬は引きつったままで、今にも泣きだしそうだった。親子連れが消えていくのを見送る。
と、途端に空は膝を崩していった。
「おぁあさん」
悲痛な鳴きは、僕の性能の良い機械の耳で簡単に聞き取れる。
母親の記憶は苛む。僕だってそうだ。カミサマは記憶に囚われている。だが、僕たちは、そんなに安易に向き合えない。システムに逆らうことが怖いということもあるが。それでも秘められたものに触れようとは思わない。
それなのになぜ僕は、気になってきているのだろうか。
空を見るとより深く胸が痛む。紫を想うたびにいくなと踏みとどまる。いてはいけない自分がいて、悲痛に鳴く自分をどこかにかんがみている。彼女のようになれない自分に違和感を抱く。彼女が苛立たしい。彼女が恨めしい。カミサマであるからできないことを彼女はやってのける。
僕は顔を背けて、目の前の白い壁を見上げた。
まっさらになった家は僕の何もない頭の中のようで。
ああ、そうか。
僕は空に嫉妬し、同時に焦がれているのだろう。
頭の中を黒く染め上げたいばかりに。
「白、お前は記憶を思い出したいと思ったことはあるか」
僕は自然と言葉を置いていた。
白はいいや、とカミサマなら当然の前置きを最初にして、
「でも、なんでだろうか。この指を想うたびに頭の中で誰かの声が聞こえる気がするんだ」
──なんでだろうか。僕はきみに近しい人を知っているんだ。
白の記憶が揺らいでいた。それ以上はいってはいけない、とは思いつつ、僕は知らないふりをした。白は、空のパン屋を眺めつつ、愛おしそうに指をなでる。そこにある記憶を必死に手繰り寄せるように。あの日の紫のように。パン屋の灯火が白の指を照らし、ぬめりのある光を内包させる。
「ほら、女の子の声だ」
と白は言い、鼻っ面を上にあげて、心地よさそうにハコの海風を浴びた。その鼻から鼻歌が流れ出す。最初に出会ったときにも聞いたクラシック。幾千年前の、有名な曲。ゆるやかに漂い、彼の音にまぎれて記憶がふつふつと浮き上がる。これは、白の記憶だ。音、指、彼の脳内にある記憶。思ったよりも気持ちよく通り過ぎる。
海風が白い積み木で囲まれた間道を突き抜ける。風が積み木の家を切り裂いて、赤タイルの上を走る。その足音は女の子の泣き声のようだった。
白もハコの独占欲がないわけではない。僕の赴任に不信感を持つのも、独占欲があるからというのもわかっている。だが、それ以外にも一ハコ一カミサマという鉄則があるからと、いうこともある。どんなに田舎な交流を断絶したハコであっても、ハコ一つにカミサマは一人だということは知っているのだ。つまり、今≪white_91≫には二人カミサマがいるということになる。いくら寛容でも不審に思うはずだ。
白は僕にふんわりと質問するだけで済ましている分、寛大で、優しすぎるくらいだ。
鼻歌が終わりつつあるころに、ハコの天井が茜色に染まる。端は未だ青色だというのにグラデーションとなって茜色と混じりくすんだ黄金にハコ内を染め上げる。
郷愁が鼻につく。
ふと、空に笑ってほしいと思った。
空っぽの僕の分まで。
僕ができないことを。
指令書の内容を噛み締める。
白が鼻歌をやめ機を見て、僕は悲しげに「もうひと頑張りしよう」と呼びかけた。
「おかえり」
きれいさっぱりと白くなった空の家の前で、僕は彼女に笑いかける。
空は目を見開いて自身の新品同然の家を見上げた。灰色の壁は澄み切っていて、最初の落ち込んだ顔色をしていた家は、嬉々とした表情を見せている。空の顔は先ほどから変わらずに瞼だけぱちぱちと瞬いた。その瞬間夜行が閃く。彼女の顔を見ただけで僕の瞳がきらめいた。
僕は慌ててポケットに入れていたメモ用紙を取り出して。
『今日、カミサマの仕事で家の清掃をしてたんだ』
空の固まった表情が爆発してその場にへなへなとへたりこむ。スカートがしわがれるのもいとわずにぎゅっと両手で握りしめた。口元で何かをつぶやいて。
くっと見上げた。
「た・だ・い・ま」
おぼつかない声で空は言って花が咲くようにほころんだ。
安心したように僕の服の裾を引いて、僕は彼女の方へ体が傾く。彼女は手を僕の頬へ添わせて、ふふふっと耳元で笑った。くすぐったい声に体がそわそわする。なぜか心が跳ね回る。彼女が頬から手を放して、手を見せると黒っぽい炭が手のひらにこびりついていた。
「つ・い・て・た」
彼女は微笑みを僕の耳元にふわっと触れさせた。
息をのむほど、彼女の笑みが体に浸透していく。僕の顔がほてり始めた。体が固まる。
彼女は僕の手の中のペンを受け取り、
『昔の家を思い出した。お父さんとお母さんと私で。ここから学び舎に出てた。大切な思い出なんだ』
白い壁をなでて空は思いを馳せる。
『私には何にもないと思ってたけど、カミサマがいてくれて良かった。誰かが待ってくれているのは、こんなにも心強いんだね』
そうして僕にメモとペンを握り返させる。手を握って僕の首元から視線を上げて、僕の瞳を探す。照れくさそうに一旦目を逸らしながらも向き合った。
「あ・り・が・と・う」
「どういたしまして」と、目を白黒させながら、驚きすぎてなんの感情もないまま答えてしまう。
実は空の家は掃除をする家リストには入っていなかった。空が喜んでくれるかな、と。期待はしていなかったが、僕は彼女が帰ってくるまで他の家よりも入念に黒い埃を落としたのだ。怒られるかもしれない。そう思ってはいたが、逆に喜ばれて胸の高まりがいうことを聞かなかった。
「空、今日のご飯も作ったんだ。早く家に帰って一緒に食べよう」
はやる気持ちを落ち着けながら、僕は彼女の手を引いて、扉を開け、僕たちの家に二人で帰った。
<blue mission>
<end>
<next text>
<mechanical prosthetics>
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