③-2 Kamisama System in <white_91>

『カミサマって、お父さんとかお母さんいないの?』

 こつ、こつ、と黒のパンプスの踵を鳴らし、ハコの中に音を一つ二つと空は増やしていく。歩きながらも器用に紙に言葉を書いて僕に示す。

 黒いタイルが敷き詰められた広場は、朝来た時よりも傘のテントが張られていて、人がまばらに寄り集まっていた。ハコの人口が少ないから、これでも盛況な方なのだろう。システムが生み出した果物、それを加工したお菓子、家畜を裁いた肉の類も売っていた。様々な匂いがひしめきあうのに、空の筆談の音は妨げられないほどに静かだった。

『私は、お父さんもお母さんもいたけど、カミサマは常に一人だから』

「記憶はカミサマの秘め事だから」と僕は聞こえないから声に出す。

 紫だってきみのような娘がいたんだ。いないはずはない。

『忘れているだけだ』僕も彼女のように書いて見せた。

『思い出そうとは思わないの?』

『禁忌なんだよ。カミサマはシステムのものだ。記憶も、体も、感情も。だから、そこに触れてはいけない。僕たちはカミサマの秘め事といって触れてはいけないものとして契約時に絶対順守を誓っている』

『でも、いたか、いないか、で言ったら?』

 やけに突き詰めてくるので、空は紫のことを知っているのかと勘ぐってしまう。不安を胸に、広場の売り出しもので頭をいっぱいにする。

 今日のご飯は僕が作りたい。明日の朝ごはんも、彼女は食べないだろうから僕がご馳走したい。カミサマだから、僕は彼女に入れ込むのだろう、きっと。

 筆談をやめ、

「いた、かもしれないな」

 僕は悲しげにつぶやいてしまう。

 もしかしたら僕の根底の記憶が、彼女に入れ込む何かがあるのだとしたら、離れなければならない。もともと彼女の父親が彼女の前に現れるまでの話だ。話すだとか、近しくなる物事はしないでもいい。指令書にもそこまでは書かれていない。

 だが、僕は空のもとにいたいと感じてしまう。

 彼女の純粋無垢な笑みを見たいと思ってしまう。

 本当は紫を殺したくない、と思い直してしまう。

『なら、青はそれだけの欠損を抱えてまで忘れたいことや、叶えたいことがあったのかもしれないね』

 わからないよ。

 きみの言う記憶は僕たちには必要ないことなのだから。

『忘れてるのが悲しい』

 空は僕に書いたものを見せようとして紙をちぎり手のひらの中にぐしゃっと収めた。


 僕たちは、広場にあった豚肉のお店で二人分と、赤い人参、じゃがいも、たまねぎ、と買っていく。空は常連なようでみな一様に、手で二だとか、一だとかを指を立てて見せていた。買い物のチョイスは僕がして、空が案内する。青い傘は野菜やさん。赤い傘のテントは、肉屋さんとそそくさと空は慣れた様子で僕を引き連れた。買ったものは紙袋に入れられ、僕が抱えて歩いた。

 その後、黒いタイルの広場から遠回りして、案内がてら家に帰ることにした。地図は見ていたが実際にみてみないとわからない。傘のアーケードも、どこになんの店があるのかも、ハコのあるじがまさか靴屋を営業していることすら僕にはわかっていなかった。

 住宅街まではカフェが多く点在し、カラフルな傘も少ない。扉もあけっぱなしなものはなく、木の板で閉じられている。鉄格子のような黒い窓のふちでカフェは飾られていた。覗き込むと、老人がゆっくりと毒気のない煙管キセルをくゆらせて座っていた。どの店も木の温かみとアイボリー色の漆喰で壁が塗られ、橙の電灯で店内を照らしていた。システムの陽光を避けるように夜に沈むオールドファッションが演出されている。まるでシステムから抗うように。

 赤タイルの道を進むと、甘くふんわりとした匂いが漂ってきた。柔らかさに包まれて、空とともに香りのたもとまで歩く。急ぐことはないので、寄り道は光栄だった。置き看板には、『Haibane』とチョークでつづられている。店先にオーニングテントが張られており、ショーウインドウにはケーキやパンが所狭しに陳列されていた。

「久しぶり、空ちゃん」

 カウンターから顔をだしたのは、四十代半ばの女性だった。深緑の三角巾に深緑のエプロン、くるりとカールした茶色の髪が一つに束ねられている。

 うん、と空は大きくうなずいた。どこか気まずそうにしている。

「あら、そちらの方は?」

 僕は説明を短くするために右手の義手を持ち上げる。カミサマの証はばんハコ共通だ。簡単な所作で彼女は僕がカミサマだと悟ると、目元に悲しみをため込ませて空にちらりと目を移した。

「空に何かあったんですか?」

 自殺のことは伏せておいた方がよさそうだ。

「なにも。ただ僕は昨日このハコに赴任したばかりで、空にこのハコを案内してもらっていたんです」

「まだ喪服姿なんで、もしやと思って心配したんですが、何もなければよかった」

『お母さんがここで働いてたんだよ』空が裏で僕に説明をわたした。

「空の母親が亡くなったことはご存じですか。もともと父親は失踪して行方不明だったので、今日あたり空の様子を見に家に行こうと思ってたんです」

 見に行くのが遅い、と合いの手を入れず、「そうだったんですか」とあいまいに返事をした。

 パンの心地よい香りに目を奪われる。ショーウインドウ越しにでもわかる、それぞれのパンのふっくらさ。ケーキもあるが、それよりもパンに目がいく。シナモンロールの蜜と餡の絡み合いが綺麗にショーウインドウの中の光できらきらときらめいて、いくつかの食パンは白い生地に十分な空気がはいり、ふんわりと大きく膨れてい、耳の部分の茶色がこんがりと焼きあがっている。茶色、薄茶色、焦げ色、マーブルにまぶされた白い生地。ホットドッグに、まるまるとしたカレーパン。揚げたての艶めきがある。焼きたてのいい匂いが僕の腹を攻めたてる。

 だが、こんなおいしそうなパン屋さんに来たというのに空は浮かない顔だった。

「まだ来るとつらいかい」

 空がうつむき、頭の黒百合のコサージュが倒れる。

「カミサマ、この子はここに来ると母親のことを思い出すんだ。これからのことも何も決まってないから、私が介抱してあげようにもこの子は遠慮してしまうし。つらいことは逃げていいっていうのに」

「耳のことも、」と僕は言いだし深入りし過ぎたか、と口ごもる。

「ああ、そうだね。耳も、システムに言えばどうとでもなるのに」

 空は僕たちの会話なんて聞こえないから、パン屋の前をふらふらと歩き、ショーウィンドウの前でうずくまった。こんこん、と指でショーウインドウをつつく。オレンジの電灯がパンを照らしていた。彼女の横顔は憂を帯びている。吹っ切れない何かをガラスの向こうに見ていた。

「空のお母さんがいつも買ってたのってどのパン?」

「それなら、この食パンだけど」

 それは空がショーウィンドウ越しにつついているものだった。平べったく皮が厚い食パンで、人気商品なのか他の食パンよりもすり減っていた。

 僕は彼女の隣に立って、決めた、とパン屋のおばさんに注文する。

「この食パンをください」

 ちょうど明日のパンが必要だったのだ。すると、おばさんはカールしている茶髪をゆらして、僕へと「はいよ」とほころんだ。ショーウインドウの中から切り分けて、二三日分の食パンを食べやすいように切り分けてもらい、土色の紙袋に包まれる。カウンターからにゅっと手を出し、僕の持っている袋の上に置いた。空がようやく気付いて、立ち上がり食パンの入った紙袋を抱きしめる。パンの香ばしい香りが漂う。

「またいつでも来なさい」

「はい」と僕が先に返事をして、

「は・ぃ」と慌てて空が応えた。

「空、私はいつでも味方だからね。困ったら何でも相談するんだよ」

 空はわかっているのかわからないが、もう一度大きな声で「あ・ぃ」としゃっくりを上げるがごとく応答した。調子の外れた声は相変わらずで聞きなれてしまい鼓膜を愛おしく撫ぜた。


 二人で岐路につく。赤タイルの上を無言で歩くと、ハコの照明が昼の澄み切った空の陽光から、寂しげな茜色の夕色に変遷していく。紙袋に染みた赤色に物寂しさを感じる。このハコはなぜか郷愁を沸き立たせる。胸のわだかまりを増幅し、ある日の記憶を呼び起こす。僕は必死になって落ち着けているうちに、海の波風が漂い、次第に流れるかすかな波音が記憶を凪いでくれる。

 空の家に着いた頃にはすっかり記憶は霧散し、海風いっぱいに浴びた体は夜の暗闇に落とし込められる。積み木のような白い四角の家々に電灯がともりだす。四角い窓からぱっとつく明かりに生活に触れているような身になる。

 空の家のキッチンに立ち、水を手に浸すとすぐにそんな生活も僕の中からすっと消えた。温もりも感じない僕に生活も何もない。大部分がシステムにもらわれた、ほぼシステムといっていい僕の感性にどこか不安を催すようになっている。

 今日買ってきた野菜や肉を鍋に入れ煮込み、簡単に知っている料理をつくる。ありあわせの皿を取り出して、煮込んだものを注ぐ。人工甘味料と野菜や肉がまざりあい、白いスープが出来上がる。旧時代ではシチューと称されたもの。今日買ったパンをつけて、三人分の皿を食卓へ運んだ。

 帰宅してからも、空はじっと骨壺を見続けていた。空にとって母親の存在がどれほど大きかったのか、それだけでも深く理解できた。今朝の冗談交じりに言った言葉を後悔し始めてきたころ、僕は空の制止を振り切り三つの皿を食卓に並べた。いやいやながら、空は骨壺の前に置かれたシチューを見て、手を合わせ祈った。深く、深く。かぶりを大きく。コサージュがもたげるまで。

 食卓にパンのバスケットを中央に置いて、傍らに白紙の紙とボールペン。白い紙にぽとりとシミがつく。とん、とん、と徐々に増えだし、静かに空は涙を伝わせる。

『つらいことからは逃げてもいいと、パン屋の彼女は言っていたよ』

 僕は慰めにもならない言葉を彼女の目の前に置いた。

 バスケットの中にある食パンを手に取りシチューに端をつけて、口に運ぶ。シチューの甘みがふんわりとした食パンによくしみて舌の上で崩れた。パンの耳は厚さがありしっかりとしているため、シチューが染みこんでいてもパンのしっかりした噛み応えが残っている。

『記憶をなくし、感情をなくし、カミサマは薄情になったんだろうね』

 空は険しい表情で改めてペンを持ち直し、

『忘れてしまったら、お母さんは誰にも記録されない。それは、耐えられない。悲しいことだよ』

『きみがつらくてつぶれてしまうんなら、忘れた方がいい』

『それでも』空がぐずぐずになった紙を避けて震える手で、『私がつぶれたとしても、忘れたくない』

『きっと時とともに消えていくさ』

 空は机をたたき、椅子を後ろにはねのけて立ち上がった。ペンは机の上から転げ落ちて、シチューは空っぽの骨壺にはねた。バケットから食パンが零れ落ちる。視線をあげると、空が口から煙のような息を立てて、僕に冷たい表情を向けていた。唇をかみしめて「ぅう」と獣のような音が漏れ出る。

 紙とペンをたぐりよせて書きなぐる。

『記憶がないから言えるんだよ』

 言われた通り、カミサマは空っぽだ。

「だから、カミサマなんだよ。そういう集まりなんだ」

 僕が声に出した言葉のニュアンスを受け取ったのか、空は僕をにらみつけて、立ち止まった。ペンの書きなぐる音も、彼女の呼吸音もやみ静寂が立ち込めた。機械の動きがにぶくなり、僕の体もうまくいうことができなくなること数秒。

「わぁ、かた」

 ──わかった。

 空が放った一言で、ようやく僕はスプーンを手に取れた。シチューをすくいとる。いくら空は僕の様子を見てため息をつき、椅子に座りなおした。力強くバケットの食パンをつかみ、シチューにつける。空が何かを食べるところを、このハコに来て初めて見る。興味津々に彼女の口にする食パンを見つめる。小さな口が開き、食パンを入れて、歯で噛み合いちぎる。皮の厚さを感じないくらいに。もぐもぐと、口の中にまだパンが入っている状態で、ペンを握りしめて、

『私、あのパン屋さんで働くことにする』

「まだつらいはずだろ」と思わず口を挟まずにはいられない。

『ちょうど仕事決まってなかったし。それにあそこで働くことでお母さんをより思い出せる』

「でも」と僕は彼女の聞こえない声を発し続ける。

 その選択は、このハコにおいても珍しいものだ。

『忘れないために』

 彼女は力強い瞬きをした後、鋭い光を丸いに瞳に宿し、僕を眼光で委縮させる。

「忘れないで」と遥か彼方から、僕に誰かが告げていた。脳内を揺さぶり、影として残り続けるこの正体を、僕は知っている。これは僕の記憶だ。記憶の中の誰かも空と同じように僕にすがっている。義手であるはずの手に温もりが宿り熱くなる。本当は触れてはいけない禁忌だが、空の力強さを見ると今だけは身を任せてもいいかもしれないと思えた。

 彼女の宣言の下に僕は、

『きみが生きられるのなら』

 紙の上で甘い言葉をなぞってしまう。

 空と僕はそれからシチューをすくい続けた。パンを頬張り、彼女は滔々と涙を流すが、瞳には彩の強さをたたえている。最初のもろく儚げな光はこぼさず、瞳にしっかりと蓄えて、彼女の母親が好きだったパンを口にし、飲み込んだ。


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