レッド・タイズ〈警視庁特務専任部署心理課〉

ガリアンデル

眼の眩む夜#1


 最上梁人は警視庁特務専任部署心理課のオフィスを訪れていた。


 殺風景で、たった一人しか在籍していない部署の一室には一人分のデスクがだだっ広い部屋の中央に置かれている。梁人のものだ。

 デスクの上には調査書類、いわゆる『手がかり』と呼ばれるものが広げられており、書類の山の傍には時代錯誤な黒電話が設置されている。


 野暮ったく伸びた黒髪に、長身痩躯の黒スーツの格好の男。『草臥れた死神』と揶揄される人物。それが最上梁人という男だ。


 デスクに着いた梁人がいくらかの手がかりを手に取って目を落とす。内容は昨日、アリスとの会話で上がってきた意味不明な絵が記された数枚の写真。


(これに意味が有るのか……いや、事態はそんな事を言ってる場合じゃないか)


 犯人の造形すがたは不明のまま。しかし、それで問題はなかった。梁人は意味の分からない手がかり達をデスクに置いて静かに瞑目した。


 何かを待っているかのように、梁人が瞑目して五分ほどが経過した時、それは訪れた。


 じりりりん。じりりりん。


 けたたましく鳴り響くベルの音に、梁人は目を開き黒電話を取った。


「はい」


『最上心理監察官、準備が出来た。至急、地下特別収容階層にまで来る様に』


 がちゃり、と電話が切られる。


 ◆


 オフィスから出た所で、腰の位置あたりから声を掛けられた。


「お呼びか?」白い髪の隙間から薄紅の瞳で梁人を見上げる顔があった。アリスだ。


 腰まで伸びた銀に近い白色の毛髪に、研究者かあるいは医者然としたコート型の白衣を羽織っている。年齢は十から十三歳ほどの少女に見えるが、本来はそうではない。梁人は無言で少女の横を通り抜けた。


 白の少女──アリスは立ち上がり、長く伸びた白銀の髪を白衣の後ろへと流す。その所作を見届けて梁人は「仕事だ」とだけ答えて歩き出した。


「またアレに会うのかぁ」


 嫌そうに呟くアリスの声に梁人は小さな苛立ちを覚える。


「自己嫌悪か? ならレッド・クイーンの悪夢を引き起こす前に思いとどまるべきだったな」


 梁人は淡々と、興味なさげに吐き捨てた。アリスは前髪を弄りながら「そうじゃないんだよ」と否定した。


「なんていうか、凄いんだよね。嫉妬みたいなのが」


「嫉妬?」


「そう。多分、わたしが梁人といるのが気に食わないんだと思う」


「下らない。僕にとって、お前もアイツも大差ない。所詮、道具は道具だ」


 そう。アリスも、これから会う人物も梁人にとって道具、、の一つでしか無い。

 この世界に混沌を持ち込んだ元凶に対して、梁人が向ける感情は憎悪のみ。

 その憎悪だけが、今の梁人を梁人たらしめていた。


「道具……か。まぁ梁人はそうだよねぇ」


 アリスは、自嘲気味に笑って視線を窓の外へと向けた。灰色の空と無機質なビル群、倒壊した電波塔、更に遠くの街並みは──最早存在しない。

 

  

 ◇



 地下への直通エレベーターの中、アリスがそわそわしている事に気付いた梁人が、尖った口調で告げる。


「トイレなら済ませておけと言っただろ」


「違うよ? 毎度の事だけど子ども扱いするのはやめてくれないかな……」


 変に落ち着かないアリスの反応を見て、梁人はある事を察した。


「……接触、、してきたのか?」


 呟いた梁人に、アリスは無言で頷く。

 おそらくはこれから面会する相手からによるものだろう、ならばと梁人はアリスに問いかけた。


「何を言っていた?」


「何も。ただ、こっちを見てるだけ」


 アリスの視線が頭上へと向き、梁人もその方向へと視線を向ける。だが、現実的には何の変化も無い。ただのエレベーターの天井だけが梁人の視界には映っていた。


 しばらく無言の時間が続き、一分ほどでエレベーターが特別収容階層に到着した事を告げるベルが鳴った。


 エレベーターの扉が開くと、無機質で機械的な空間が広がる。最低限の明かりしか灯っていない薄暗い廊下の先には、由来不明の最新技術が用いられたセキュリティ・ゲートが待ち構える。


 その前に二人が立つと、ひとりでに扉が開き出す。そうしてようやく特別収容階層に足を踏み入れる事が可能となる。


 二人が入ると、ひょろ長い体躯をした初老の男性が待っていた。短く切った白髪混じりの黒髪の厳めしい顔つきの男を見るなり、梁人は姿勢を正して男の名を口にした。


「アラバキさん」


「来たかシニガミ、、、、


 腕時計を一瞥し、アラバキと呼ばれた初老の男は梁人たちに背を向けて歩き出す。その背を追って二人も続く。


 男の進む先は、さらに地下へと向かっている。階段を使いさらに四階層は降りたところで、男は第五階層を警備している重装備の男に声をかけた。


「これより『面会』を行う。境界の希薄化に注意して準備に取り掛かれ」


「はっ」


 指示された警備員の男は、警備室のカウンター内のモニターを確認したのち、第五階層の面会室までの通路を封鎖している隔壁シャッターの解除した。


 ごぉんごぉんと大きな音と共に警報音が鳴り響く。開いていく隔壁の先は赤い光に照らされ奥まで見通す事が出来ない薄暗い廊下が続く。まるで地獄の底に繋がっているかの様な禍々しさを放っていた。


「相変わらず気味が悪いねぇ」


 梁人の隣でアリスが感想を述べた。


「無駄口を効くな」


「ごめんごめん」

 

 おどけて謝罪するアリス。それがわざとやっている事だと理解しつつも、梁人は思わず本心を吐露した。


「殺すぞ」


 言って梁人が舌打ちをした。対してアリスは「もう一回殺したでしょ?」と悪い笑みを浮かべた。

 

 そこへ、二人のやり取りなど気にも留めていないアラバキが低い声音で入ってきた。


「シニガミ。前回同様、確認を行う」


「はい」アリスへの態度とは変わって、梁人はアラバキの言葉を聞く姿勢を正した。


 アラバキの手にはA4サイズのタブレット。モニターには『特殊面会プロトコル:ランド・オブ・ワンダー』の文字が映し出されている。


「まず、持ち込める物資はお前の着ている衣服と総重量が5キロを超えない物。次に、足場を作るための『手がかり』、これはお前の道具である『アリス』が保管している。そして、ランド・オブ・ワンダー内部で遭遇する歪形の精神サイコ・ストレインと、それに対抗する為の道具『V・I・A』は記憶剤にて、精神の揺籠に保持されている。ここまでで何か問題はあるか」


 アラバキはタブレットから目を離し、梁人を見た。


「今のところは何も問題は起きていません。ですが、アリスを連れて行くのは本当に必要ですか?」


「またその事か」


 傍らのアリスを一瞥して、アラバキは言葉を続けた。既に何度も言った言葉を繰り返すように。


「そこの個体名アリスはお前のランド・オブ・ワンダーにおける命綱だ。かつて──いや、今もなお敵であるソレに命を預けるのは業腹だろうが、我慢しろ」


「全くもってその通りだよ」

 

 アラバキの言葉にアリスが同意を示して満足げに頷いていた。アラバキの言う通り、L.O.Wではアリスの手助け無しに探索は不可能だと頭では理解していても、耐えきれないモノがある。


 溜めかねた怒りをどうするか、逡巡する間もなく梁人は拳を振り上げていた。


「えっ……」


 アリスが間抜けな声を上げて、目を見開く。


 直後、ばごっという音が通路に響いて、そばのアリスがびくりと跳ね上がった。


「シニガミ。意味もなく壁を殴るのはやめたまえ」


 呆れた様子のアラバキが、金属製の壁についた拳の痕を見てため息を吐いた。


「……はい」

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