沙織

第22話 沙織、暴走する1

 沙織たちの母方祖父である内藤権兵衛は、今は総理を退いていた。

 それでも、前総理・現職国会議員として、政界に絶大な影響力を有している。


 沙織は、その人物の孫であり、秘書。しかも、名目だけの秘書でもなく、キチンと仕事をこなしている。

 この上さらに美人と来れば、当然、モテモテ。

 だが、彼女は、言い寄ってくる男には、素気無そっけない態度しかとらなかった。


 権兵衛も、良い縁談を探して、見合いを積極的に勧めている。

 相手は、将来を嘱望されている若手代議士だったり、有名企業の創業家御曹司だったり、蒼々たる候補たちなのだが、沙織は目もくれない。


「私は、子持ちの既婚者です」


の一言で断ってしまい、縁談の件に関しては一切の聞く耳を持たないのだ。


 このかたくなな孫には、「前総理」も、ほとほと手を焼いていた。


 「既婚者」と沙織は言うが、戸籍上、彼女は独身のままで有り、子供も居ないことになっている。

 彼女の産んださち神子かんこであり、妖界へ旅立ってしまっていて、「この世」には居ない。


 だが、実際に結婚しているとか、育児中だとか、そんな意味で彼女は言っているのでは無いのだ。

 「子持ちの既婚者」発言は、彼女からすれば、「既婚者として扱い、旦那の元へ戻して欲しい」との婉曲的なメッセージだ。


 本当なら沙織も、「慎也の元に戻して欲しい」と、ハッキリ主張したい所だが、亜希子からも釘を刺されている。

 自分の主張によって、妹たちまで慎也から遠ざけられるようになってしまう事態は避けたい。そう考えると、沙織としては、これくらいの主張が精一杯だった。

 なんだかんだ言っても、彼女は妹思いの優しい姉なのだ。


 しかし、である。言われる権兵衛にとっては、あの発言は、心にグサッと突き刺さる一言だ。

 なにしろ、慎也の元で子を産むように命じたのは、誰有ろう、権兵衛自身だ。

 信奉する尾張賀茂神社大物忌おおものいみ様からのお告げであり、「世を救う為」とはいえ、孫の人生を狂わせてしまった責任は自分にあると思うと、申し訳ない。


 だからこそ権兵衛は、沙織・杏奈・環奈には、この後は一人の女としての幸せをつかませてやりたいと、強く願っていた。


 とりあえずは、年長の沙織からだと、どこから見ても文句のつけようが無い見合い候補を探し出してきているのに、あの一言で断られては、立つ瀬がない…。


 沙織のあの言葉は、「あなたが傷物にしておいて、今更、見合いも何もない」と言われているとしか思えなかったのだ。

 だから、それ以上、強く勧めることも出来ず、どうすれば良いか頭を抱えていた。


 そう、権兵衛は、沙織が慎也の元へ戻りたいと思っているとは、知らなかった…。


 知っていれば、また違う対応もあったかもしれない。

 だが、これは権兵衛を責めることは出来ない。沙織のあの一言で察せよとは、こくである。

 かといって、沙織が悪いわけでもない。可愛い妹たちを思い、自分の気持ちを殺しているのだ。

 これは、悲しい行き違い。

 そして、世の中こういうことは往々にしてあることなのだ…。


 こんな思いをしているにも関わらず、その妹たちからの嫌がらせのような電話…。恨み言を返しながらも、沙織は仕事に励んでいた。

 与えられたからには、精一杯こなすのが彼女の性分。能力もあるのだから、結果は高く評価される。

 そして更に期待され、ますます帰るのが難しくなっていってしまうという悪循環。


 彼女は日に日に、いら立ちをつのらせていった。




 ところで、沙織には特殊能力がある。祥子に引き出してもらった、いわゆる「淫魔の力」である。

 淫気を放出して男を誘惑し、結合させる。結合している間は、男を意のままに操ることが出来る。また、接吻することで男の精気を吸い取ることが出来るという、奇妙な特殊能力…。


 彼女自身は、自分の能力を嫌っていて、使うつもりは更々無い。

 実際に使ったのは親友の恵美の仇討ち(実際には恵美は生きていたが…)だと、鬼に対して使った一度のみ。

 自ら封印している能力だ。


 ではあるが…。


 無理やり慎也たちと引き離され、遠い地で寂しく過ごさなければならない…。

 抜け目のない妹たちは、上手く立ち回って既に慎也たちの元にも顔を出している。

 自分だけが仲間外れになってしまった…。


 そう思うと、イライラし、抑えている能力の制御が利かなくなってきてしまっていた。


 本人には、その自覚は全く無い。…が、漏れ出てしまうのだ「淫気」が。


 そしてこれが、取り返しのつかない悲劇を引き起こすこととなる。

 沙織にとってでは無く、その周囲に居ただけの何の罪も無い男たちにとって……。

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