冴えない魔力持たずの官吏の家路

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冴えない魔力持たずの官吏の家路

 その男に、残存魔力マンナ・ストックはない。


 しがない下級官吏ロワリイ・オフィシャルであり、つまらぬ都市機能インフラ維持のため、常に魔力マンナリソォスを使っている存在だ。


 彼が使えるのは、主に自分に由来しない大気の自然マナ素で、それで軽い信号ボイスレスチャントを送れるだけにすぎない。


 官吏だから、多くはないにせよ、相応に賃金サラリイはもらっている。


 下級官吏ロワリイ・オフィシャルというものは、魔力マンナを持たないものだから、自然と物取りハイウェイマンに襲われる。


 多くは長く続かず、逃げるか死ぬかしてしまう。ちなみに彼は勤続20年だった。


 その日も帰り道近道をしようとして、案の定、どこかの街で指名手配されたか、野盗ですら使えぬと追い出されたか、いずれにせよろくでもない破落戸ロオグの類に囲まれていた。


 低級魔法使いレッサアウィザアドの類もいる。


 一般官吏なら死んだも同然だ。


 彼らからすれば財布が歩いてやってきた、程度にしかおもっていないだろう。


 しかし、官吏はのそのそと、彼らに向かって歩いていく。


 「すみませんが、通ります。帰るもので」


 破落戸ロオグたちは嗤う。


 傭兵マアシナリイくずれと思しき男たちが古びた手斧を構えた。


 魔法使い崩れレッサアウィザアドケインを掲げる。


 4対1、いや野伏レインジャアも1人いるだろう。官吏はそのように見てとった。


「通りますよ」

 す、と人差し指を傭兵くずれの1人の心臓に向ける。


 魔法使い崩れレッサアウィザアドがその姿を見て、嗤う。


 下級官吏ロワリイ・オフィシャルのその指に、魔力がないのは一目瞭然なのだ。


 まったくマンナの流れを感じていないからだ。


 虚仮威しだ、とひと目で分かったのだ。


 だが、傭兵マアシナリイ崩れはその場で呻き、倒れ伏した。動かない。即死だ。


 うわあ、と残る二人の傭兵マアシナリイくずれが同時に斧を振り上げた。


 官吏は無造作に、彼らの首のあたりを薙ぐように振った。


 彼らは斧を取り落し、首を押さえ、倒れ込み、声が出セずにいる。


 まるで陸の上で溺れているかのように藻掻き、やがて二人とも動かなくなった。


 魔法使い崩れレッサアウィザアドの目が必死さと恐怖を帯びた粘ついた眼光を光らせながら、ようやくマジックボルトの詠唱を終える。


 掲げた杖が強い光を放ち、魔力マンナが爆ぜた。


 だがその閃光は霧散するだけで、魔法使いレッサアウィザアドはそのまま操り糸が切れた繰り人形のように四肢をだらしなく伸ばし、崩れるようにして斃れた。


「なんなんだ」


 新たな声。


 野伏レインジャアが、隠れていた角から姿を現す。


 どちらかと言うと、往来に他人が来ないか見張っていたのだろう。


 エルフの男だ。


 その美貌は煤け、表情も荒れ、くすんでいるが、目には紛れもない恐怖があった。


 額に烙印スティグマがある。


 名誉無きものロストオォナァとして森を逐われたのであろう。


 官吏は答えた。


「いえね、最近、多いものですから。帰宅ついでの残業でして。はい。

 相応に手当がでるものですから」


「そうじゃない。アンタは何ら魔力マンナを発さず、殺した。

 あんたは都市維持に魔力マンナを吸われてる。

 からっけつじゃないか。一体どうやってこいつらを」


「はあ、まあ、おっしゃるとおりなのですが」


 官吏は淡々と答えた。


「別に自前の魔力マンナでなくても、人様の魔力マンナを使えば相応のことはできますし、人を殺すに大仰な軍用魔法も必要ありませんし。

 その方たちの体内魔力マンナをいじりまして、すこしばかり。はい」男は淡々と続ける。


「一番元気な方、最初の方がやや危のうございましたから、ご自身の魔力マンナの濃いところで、少しばかり暴れさせ、心臓の弁を割かせていただきました。

 次のお二人は、気管と頸動脈ですね、血と呼気を整えるところですから、その辺りをつかさせて頂いて、諸共割かせていただきました。

 地上で溺れながら死ぬのはさぞかし苦しかろうと思いますが、手を抜きますと死にますので。

 最後の魔法使いウィザアドの方は、ちょうど魔力マンナを整えて撃つところまで待たせていただきまして、脳を。

 撃つときはかなり濃くなりますから、軽く勢いを与えて偏向させるだけで、脳幹を砕くのは容易というもの。

 魔法使いウィザアドの方というのは、詠唱が長いので、乱しやすうございますので、はい」


「そんなことはできない、人にはそれぞれ魔力マンナ抵抗というものがある!

 魔力マンナへの直接介入など、常人のできることでは──」


「そのとおりなのですが、この街は人が魔力マンナを税金として貢納し、それでサアビスを維持しております」


官吏はかすかにため息をつき、続ける。


「私どもはそうしたシステムの末端の官吏ですので、多少、その、操れるわけでして。

 いえまあ、巧みな方は防壁を張ったりもしますが、都市の中なら我々の胎内のようなものですし、流れがすべて見えますから、容易というものです。

 余所のかたはこの辺りがわからないようですが」


 官吏は悲しそうに言った。


「この街は北で、寒うございますから、脳や心臓をやる方が多いのです。

 本来は、応急の手当に使うものなのですが、どうも外の景気が悪く、外来の荒くれロオグの方が多くなりますと、こういう使い方をせざるを得ない。

 心苦しうはございますが、私も殺されたくはないのです」


 そこまで言って、男はエルフだったものに視線を落とす。逃亡を図ったので足首の筋繊維の一つを断ち切り、痛みで転ばせ、悲鳴を出せぬよう肺に小さな穴を開け、気胸を起こさせた。


 疑問を抱えたまま苦しんで死ぬのはつらかろうと最後くらい答えたものの、果たして最後まで聞いたかどうか。


 彼は大気のマナ回線を通じて、夜勤のエルフの女性に通話信号を送った。


「もしもし。はい。エルムストリィト、13番通りです。

 外来の食い詰めた方々ワンダラァが。

 はい。5人ほど。

 申し訳ないのですが、葬儀屋に連絡して、搬送の手配をお願いします。

 寒いとは言え、朝方には傷みましょうから、苦情がでます」


「それでは申し訳有りませんが、なにか身元がわかりそうなものを、当たらせていただきます。仕事なもので」


 彼は死体の懐をあさり始めた。案の定、身分証明のたぐいはなかった。


 かつての家族に当てた手紙が一通、傭兵くずれの懐から出てきたが、住所もなく、ただ自分のしでかしたことへの悔いと謝罪が書かれていた。


 ついで彼らの財布を漁る。5人で銅貨10枚。


 宵越しの銭は保たない主義なのか、そこまで食い詰めたのか。


 これでは黒パン一斤も買えない。


 国民証明書もない。福祉も受けられない。物取りハイウェイマンに堕するはずだと彼は思った。


「申し訳ないですが、縁無き方むけの一番安い葬儀になると思われます。

 墓標もございませんが、お許しください。

 はい、まあ、予算が限られておりますもので」


 死者たちを鎮める印を切り、かれは下級官吏ロワリイ・オフィシャル向けの安宿エコノミイルウムへ向かい始めた。


 彼は勤続20年。


 顔の冴えない中年男の官吏であり、誰からも見下される立場だ。


 個人魔力マンナを持つ権限も、官吏であるから与えられていない。


 その手のものは都市に供出する決まりとなっている。


 魔力マンナゼロ、貧民よりは資産はある。


 だから下級官吏ロワリイ・オフィシャルは死人が多い。逃げ出すものもいる。


 しかし、彼は勤続20年。


 この都市で、魔力マンナ皆無で人の魔力マンナを利して使うすべに長け、壊れかけた魔力照明マンナ・ライトをなおすことも、日に1000冊の証明書に晶石印章スタンプを押すのも自由自在だ。


 もちろん、それには人の命の生殺与奪も含まれる。


 その経験が、彼に20年の歳月の命を許してきた。


 彼の上司である上級官吏ハイ・オフィシャルはいう。


 試験を受け、魔力保持権を得てはどうかと。魔道士ハイネス・ウィザアドすら目指せるかもしれないと。


 ただかれは下級官吏ロワリイ・オフィシャルの仕事に馴れていたし、一人暮らしだ。


 程々に給料がもらえ、暮らしていけるなら、無駄に権限を得て無駄な苦労をしたくはなかった。


 魔力を抱えて大魔術、というのも相応に疲れる。


 だから、彼は勤続20年の下級官吏ロワリイ・オフィシャルを続けている。


 生かした数も殺した数も、きっとこの街で一番多い、他人の魔力を操り使うすべに最も長けた、この街で最も危険な、けれど最もつまらぬ男だ。


 明日への夢もなく、今日の安楽だけがあればいいと、今日も片手間で人を活かし、人を殺す。


 都市の護りとシステムが無くとも、大気のマンナを嗅いで敵の体を探り、100人の山賊バンディットを打ち負かし皆殺したことすらあるこの下級官吏ロワリイ・オフィシャルは、今日も片手間に物取りたちを殺しながら、小走りに家路を急いでいた。


 寒いからだ。


 帰宅し暖かなスゥプと黒パンを食べ、暖かな毛布で眠りたい。


 それが彼の幸せである。


 もう殺した5人のことなど、欠片も考えていなかった。

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