血塗れの英雄
東
血塗れの英雄
――荒い息遣い。
さっきまで”トモダチ”だったものが、横たわっている。まだ”トモダチ”なのかもしれない。でも”トモダチ”ではなくなる。
胸のやや左側――だいたい心臓の辺りが、真っ赤に染まっている。
ハサミを握るボクの右手が、赤い液で生ぬるく湿っている。
地面にポタポタと滴る音がした。生ぬるい赤が、胸を染めている赤と同じだと、思い出す。
そういえば、ボクがハサミで刺したんだっけ。
○
それからの記憶は断片的だ。
初めにそこを見つけたのは、先生だったかもしれないし、別の同級生だったかもしれないし、関係ない他人だったかもしれない。
たしかなのは、後ろから羽交い絞めにされて、ハサミを奪い取られたこと。ボクの目の前で、横たわる”トモダチ”が大勢に囲まれて、傷口を抑えられたり、脈を計られたり、何度も名前を呼ばれたり、していたこと。
――なんで助けてるんだろう。
先生が救急車を呼ぶ声がする。
どこかでだれかが泣き叫んでいる。
知らない大人がわらわらと集まって来る。
いつの間に来たのか、警官がいやに慣れた様子で進める。
担任の女教員がヒステリック気味に説明しようとする。
多くの人が必死になればなるほど、かつてトモダチだったものは、生気を失っていった。
やがてそれは、完全な死体になる。
「どうしてこんなことしたの!」
誰かがボクにそう聞いた。聞いたというより、モヤモヤとした疑問をそのまま投げつけたような、そんな吐き出し方だった。
「そいつが悪いんだ」
ボクはそう返す。そう返すつもりでいた。きちんと言葉にして伝えたかどうかは覚えていない。
でも、絶対にボクは悪くない。
○
『 楽しいはずの遠足が 小学男児同級生を殺害か
○日、都立××公園で小学生男児が殺害された。その場にいた教員や児童らの話もあり、警察は八歳の男子児童を保護。カウンセラーを交えた聞き取りを行なっていくという。
保護された男子児童は「お弁当のおかずを盗られてカッとなった」と話しているという。××公園では当時、児童らの在籍する小学校が遠足に来ていた。』
○○
当時の俺の年齢では刑罰には問われないらしい。同級生を殺しても罪はないどころか、少年院にも送られない。自分で言うのもどうかと思うが処分が軽いのではないか。
しかしそれはあくまでも法律の話だ。罪に問われないからノーダメージということではない。
17年生きてきて、引っ越しを四回と転校を6回経験した。どこからそんな金が出てくるのかは不思議だが、不便の責任は俺にあるので文句を言えるはずがない。家族には申し訳なさでいっぱいだ。本当に。
名前も顔も思い出せない同級生を殺して以来、俺の生活は一変した。一変というほどそれまでの生活が確立していたわけではないが、少なくとも確実に悪い方向へ向かった。
事件から1、2年は外に出る度に誰かしらが後をつけてきた。それはメディア関連の記者やSNSで動画配信しようとする一般人や面白半分でいる中高生だったりした。それが自分だけであるならまだしも、家族にまで被害が及ぶからなおさらだ。
「どこか遠くへ引っ越そう」
耐えかねた父親がそう言い出したのが小学3年生の頃。家族全員一も二もなく賛成だった。そうして俺は最初の引っ越しをし、東京を離れて千葉の方へ出たのだ。
しかしメディアとは粘着質なもので、どっから場所を突き止めてるのかすぐに俺たちのもとへやって来る。我慢ならなくなった父親が、再度の引っ越しを決断したのはその1年後。今度は埼玉の方まで逃げたが、それでも記者たちの追いかけは止まらなかった。
結局小学校在学中に引っ越しを4回。最終的には大田区の方へ逃げ帰ることで収まったが、それは俺たちが逃げ切れたというより、世間の関心が限りなくゼロに近い濃度に薄まったという方が正しい。
それで終わればよかったんだけど。
○○
敢えて平たく、直接的な表現をする。
妹が強姦被害に遭った。
字面に起こすだけで脳味噌が沸騰しかけるし心臓が高鳴る。吐き気を催すようなことだ。しかしそれは紛れもない事実だった。
普段は明るく歌いながら帰って来る妹が、その日に限っては俯いたまま何も喋らず家に入った。そして部屋にカバンを投げ入れ、制服も着替えずにバスルームへ向かったのだ。1個違いの妹は高校に入ったばかりだったので、最初は制服を清潔に保ちたいのだろうと軽く考えていた。
水流が床を打つ音に混じって啜り泣きが聞こえて、俺の考えは変えさせられた。
「どうした?」
閉め切られた洗面所の扉越しに声を掛けた。もちろん返事はない。
「どうした」
もう一度声を掛ける。やはり返事はない。
処置なしと諦めてその場を離れる。しばらくして部屋着に着替えた妹が出てくると、「お兄ちゃんだけ?」と恐る恐る言ってきた。
「うん」
読んでいた本を置いて短く答える。妹は「そっか」とだけ言い、それからしばらく下を向いて呼吸をして、やがてポツリポツリと事の顛末を語り出した。
「誰にも話さないで」
すべてを言い終えてから、妹は涙ながらに言った。
「他の人に知られたくない?」
妹はコクリと頷いた。
「母さんにも?」
もう一度コクリと。
「警察にも?」
コクリ。
じゃあどうすればいいんだよ、そう言いかけたのをグッと堪える。代わりに「分かった」と頷いた。
ひと通りのやり取りが終わった後で、コンビニへ行って甘いものをいくつか買った。ケーキやドーナツやシュークリームといったものだ。家に帰って妹に食べさせていると、買い物に出ていた母親が帰って来た。
「こんな時間におやつ?」
時計を見ると、18時半を過ぎている。
「甘いもの食べたくなっちゃったから」
「ちゃんとご飯も食べてよね」
ご飯が喉を通るはずはなかったが、妹はもっと深刻だ。
○○
妹を襲った犯人に目星をつけられるはずなく、泣き寝入りする日々が続いた。ほとんど前科持ちに近い俺が堂々と外を歩くのには抵抗があるので、目深に帽子を被って妹の通学路を闊歩する。しかしそれだけでは何の手掛かりも得られまい。
だからこそ、僥倖だった。
駅前の広い公園のなかで、いかにもな不良グループがたむろしている。俺は無意識に距離を置いていたが、ふとした言葉が耳に飛び込んできた。
「前のレイプやばかったよなー」
反射的に俺はそこへ向かって行った。気弱な性格は自覚していて、後先など考えずに飛び込んで行ったそれは本能に近い。
「いまレイプっつったか?」
「だれお前」
当然の反応である。
ツカツカと歩み寄ってくるなり挑戦的な物言いをする帽子を目深に被った黒服の男に対して、むしろ手を上げなかったのは賢いとさえ言える。訝し気に俺を見上げる不良姿の男らは、しばらくジッと俺のことを見ていた。
「この辺でレイプがあったのか?」
本当は腰を低くして丁寧に尋ねたい臆病な心があったが、勢いに任せて強気な態度を崩さずに言う。彼らはなおも眉をひそめて俺を見ていたが、やがて「そうだよ」と答えた。
「お前らがやったのか?」
「は?」
「違う?」
「ちげえよ。俺らが助けたんだよ」
「助けた?」
端的に話をまとめると、数日前にサラリーマンらしき男がこの辺りで女子高生を襲っていたらしい。彼らが見たのは既に姦通の後で、繁みの方から聞こえてくるすすり泣きを追って、慌てて男を引き剥がしたという。
「被害に遭ってた子はこんな感じだった?」
スマホを取り出して妹の写真を彼らに見せる。
「あ、そうそうこの子。知り合い?」
「妹だ」
「うわ、ドンマイ」
彼らの内の1人が肩を叩いてくれた。
励まし以上に、情報を得られたのが嬉しかった。
「警察には言った?」
「いや。妹ちゃんが言わないでくれって言うから、通報しないまま」
「そうか」
ありがとう、と言い残して俺はその場を去った。
「なに笑ってんだよ」と背後で怪訝な声がした。
○○○
やがて俺はもう一度人を殺した。
○○○○
人を1人殺した俺に執行猶予五年が言い渡されたとき、世間も俺自身も納得の声を上げた。当然だ。強姦の真っ最中に犯人を刺し殺して、女子高生を助けたのだから。
若い少女を狙った犯人に、死してなお世間は厳しい。それと反比例する形で、俺を英雄視するような風潮は広まっていく。
メディアのおっかけは再発して、かつて俺の犯した小学生時代の殺人も取り沙汰された。
しかしどういうカラクリなのか、スクープの見出しは一様に「幼い正義感に基づく悲劇の殺人」とかいうものだった。メディアや大衆にとって、俺はもう人殺しではならしい。
俺は英雄になったまま、殺したことで褒め称えられるのだろう。
血塗れの英雄 東 @ZUMAXZUMAZUMA
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