取引37 対価プレゼント


「……ベイ、タ?」


「……う!?」

「……お姉さま……!」


 なんとか胸から顔を引きはがし、視線をやると、案の定、そこには驚きに目を見開いたミアがおり、


「……ちょっと目を離した隙に、……な、何を……?」

「いや、介助してただけだから! な、フローラ?」

「……はい。……でも……」


 同意を求める米太だったが、何を思ったかフローラは、やけに頬を赤く染めてしおらしくなり、


「あんなに大胆なのは……その……、……ドキドキしました……」

「フローラッ!? ちょ、語弊が!?」

「……語、弊?」


 ミアが顔を赤くして眉を吊り上げ、


「……あ、あんなにも堂々と、胸に顔を埋めておいて、よくそんなことが言えますね、ベイタ!」

「だから、介助してただけだって!」

「フン、どうせどうせです! ……わたしの『初めて』は躊躇するのに、フローラの胸なら自分から飛び込むわけですね。よくわかりました、ベイタ。……本当は、どんな女性が好みなのか!」


 口論して向かい合うミアと米太の脇で、てきぱき迷いなくメリッサが車いすを持ってくる。一寸の無駄のない動作で、米太からフローラをサッと受け取りし、


「……どうぞ、フローラ様」

「……まぁ……、……ありがとうございます、メリッサ。……嬉しいですわ……」


 控えめにほほ笑みを作るフローラに、メリッサが視線を外したまま。


「……その割には、浮かない顔をしていらっしゃいます、……フローラ様」

「…………、そう、でしょうか……?」

「……はい。……まったく貴方も……、本当に……」

「……?」


 そんな雑然とした空気の中、


「どーも! 忘れてた皆さんお待たせしました、根尾でーす! ……って」 


「えーと、なにこれ、修羅場? ……らしくねー、またねー」


 優れた洞察力と判断力を発揮した根尾が、早々に退散する。その場の空気に暗雲が立ち込める中、米太は恥を忍んで口を開き、


「……だいたい、好みの女性なんて、……そんなの、改めて聞かなくても知ってるだろ? その……」


 自分の言おうとしていることを考えるだけで、顔が熱くなってきたのがわかった。しかし、それでも自らのプライドを押し曲げてでも、なけなしの勇気を出して……、


「……聞きたくありません! ベイタの裏切り者!」

「……え! ちょっと!?」


 米太の続きを待たずに、ミアが階段を下りて走り去る。予想外のタイミング外しに呆気にとられるあまり、追いかけるタイミングを逸してしまった。その場に残された全員が気まずい気分になり、


「…………」

「いや、メリッサ、土下座は違う。今のは悪くないから」

「ですが……、ミア様の初心うぶさには、私にも一抹の責任を感じますし……」

「……いえ、……わたくしのせいですわ。……すみません……こんな……」

「いや、フローラはむしろ一番悪くないだろ。どっちかというと、俺が……」

「……そんなことより、早く追いかけた方がいいんじゃない?」


 米太は動きを止める。振り返ると、いつの間にか蛍が米太の側にいた。


「蛍……、お前……いいのか?」


「……正直、今でも家出したい気持ちでいっぱい。フローラ様が言ってた通り、いろいろ思うところもあるよ? ……でも」


 蛍が口を尖らせながら、流し目でこちらを見て、


「……とりあえず、兄さんのかっこいいとこは、見ときたい」

「……」


「…………わかった」


 踵を返し、階段を下る。


「すまん、メリッサ。……すぐに連れ戻すからッ」

「……そう遠くには行っていないようです。多分、北側です」

「ありがとう!」


 すれ違いざまの情報提供に礼を言いつつ、階段を下りきった米太が走り出す。しかし。


「ちょっと待った」

「?」


 蛍の声に足を止め、振り返ると、


「兄さん、これ」


 差し出された手には、小さなプラパックの包み。


「……フリフリの人には、やっぱりこれでしょ」




◇◇◇◇◇◇




 その場所は、米太のアパートからほど遠くない距離にある橋の上だった。手すりにもたれて河川を眺めるミアの姿は、いい意味で目立っており、そこだけ切り取って絵画にしたいくらい息をのむ光景だった。


「ミア」

「……ベイ、タ……」


 声をかけると、驚いたようにこちらを振り返る。その視線には若干の熱が感じ取れ、米太は安堵するが、


「……何してるんだ、こんなことで?」

「……」

「ええと……?」

「………フン、ですっ」


 どうやら完全に拗ねモードに入ってしまったらしい。会話が成立しない。


「…………」

「……あのー、ミアさん?」

「……」

「……あのー、一応まだ大丈夫ではあるけど、それでもしばらくしたら帰らないと、バイトが……」

「帰ればいいのではないでしょうか、わたしを置いて。わたしよりもお金を選んで……」


 依然としてこちらを向かないまま、なんとも皮肉めいたことを言ってくる。米太は苦笑いしつつも、


「はい、これ」

「……!」


 蛍が持たせてくれた、プラパックの包みを手渡す。両手で受け取ったミアは目を瞬き、


「これは、……」

「そう。ミアが初めに購入した、999万円の髪飾りだ」

「……可愛い、です……」

「花束と一緒に渡そうと思って、忘れてた。……つけてみて」

「……あ、え」


 包みを開いて、髪飾りを取り出す。白いカーネーションがあしらわれた裏のクリップで、ミアの耳上の髪を一房とって、耳にかけるようにして固定する。花びらの白が髪色に映え、ただでさえ目を引く美少女がさらに可憐に感じられた。


「……どう、ですか?」

「……すごく、似合ってる。可愛いな……」

「……、……メルシー」


 赤い顔で俯くミア。しばし無言が続いた後、「あ」と焦ったような声を出して、


「……ち、違います、……今のは、その、取り消しです」

「わかってる。……でも、俺が言ったことは、取り消さない」

「……っ」

「…………」


「……あの、ベイタ、質問があります」

「いいよ。……何だ?」

「これ、いくらで譲ってくれるのですか?」

「これはプレゼントだ。だから、対価はいらない」


 米太の返答に、ミアが目を丸くして、


「ノン、そんなはずありません。ベイタなら、利益を大事にするはずです。何か裏があるのでしょうか?」

「おいおい、さすがに傷つくな。……ま、でも身から出たサビかもな」

「ウィー、そ、そうです」


 口を膨らませてそっぽを向くミアを見て、米太は自分の中で何かが固まるのを自覚した。フッと笑みを漏らし、


「……なら、やっぱり対価が欲しい。いいか?」

「ウィー。お金なら、いくらでも、お支払いします」


「いや、お金は要らないな。別のものがいい……」

「?」

「……ミアにはさ、『出品者』とか『購入者』じゃなくて……」


 震える声も、苦しい呼吸も、関係ない。


「……友達に、なってほしい。そして、あわよくばその……」


「……その?」

「……いや、ええと、ほら」

「ノン、ベイタ。……よくわかりません、何を指して……」

「ミア……!」


 米太が、正面からミアを見下ろす。瞳は至近距離でミアの瞳を捉え、そこに映る全ての輝きが、米太の中にとてつもないほど大きな何かを生み出して、止められない。



「――俺と、付き合ってほしい!」


「…………!」


 

 驚いた顔に、流れるように赤みがさして、見るからに熱を帯びる。少しだけ不安そうに眉をハの字にしてから、瞳が潤み、綺麗な金色のまつ毛が、上下に瞳を隠すほど接近して、



「…………ウィー」




 そう言って、ミアは笑った。






 第一部 完

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フリマアプリの購入者が大学のマドンナ留学生だと判明し、イチャイチャしようとしてくる件 或木あんた @anntas

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