取引36 ふわふわアシスタンス



「初めまして蛍さん。ミア・シャルロット・ルヴェと申します。……なにとぞ、よろしくお願いします」

「……ッ」


 ミアの邸宅でのジョエルとの対立から、早二日。日曜の午前中という穏やかな時間帯に、米太のアパートの居間には、何やら不穏な空気が漂っていた。

 なぜか正座の蛍と相対しているのは、ニコニコ笑顔、ご機嫌な様子のミアだった。その隣ではメリッサが、どう見ても高級そうなお菓子の袋を差し出している。蛍の放つ微妙な空気を感じ取った米太は、間に挟まれる形であたふたしていた。蛍が焦ったような調子で、


「……う、ウチは兄さんに誰を連れてきたのか聞いただけで、アナタが答えるのはおかしいです!」

「こら、蛍、失礼だろ! もっと礼儀正しくするんだ」

「……いえ、ベイタ、わたしは気にしません。……気軽にミアとお呼びください、蛍さん?」

「こ、こっちが気になるの! 大体、誰なの、この人たち! 兄さんに似合わず、その……すっごく綺麗なのは何か理由が……!?」

「……お褒めに頂き大変光栄ですが、……むしろ何も聞いていなかったのですか、花野井くんから?」


 場の混乱を見かねたメリッサが口をはさむと、


「……聞いてたは聞いてたけど、……その、ウチも、あんまりちゃんと聞かないようにしてたというか……」


 蛍の煮え切らない様子を見て、メリッサは無機質な視線を米太へと向ける。


「いや、その……なんていうか、気恥ずかしさのあまり、説明が上手くできなくてだな……」

「……仕方のない人達ですね。……私たちみたいな者が突然訪問するなんて、驚かれて当然です。よろしければ私から、妹さんに説明いたしますが?」

「えっ……、いいのか?」

「ハイ。……それはもう詳細に詳しく説明させて頂きます」

「それはそれで怖いわ!」


 思わず青くなる米太だったが、メリッサが一歩前に進み、


「実は……」





「……で、返金した挙句告白して、約束通り今日、連れてきた、と。お付きの人も一緒に……」

「ウィー、そうです。さすがベイタの妹さん、理解が早い……」


「――そ、そこまでしろとは言ってない!!」


 顔を赤くして叫びを上げた蛍が、すぐさま俯いてわなわなと頭を抱え、


「くぅー……、ちょっと油断した隙に、兄さんがついに、他の人のものに……!」

「いや、言い方! ……なってないから」

「なにを言っているのですか、ベイタ、……あんなに情熱的なキ……むぐッ」

「なんでもない! ……バカ、なに考えて……」


 顔を真っ赤にしてミアの口を塞ぐ米太。その肩口をメリッサがちょん、とつついて、


「……えっとね花野井くん、まだギリ許されるくらいだけど、さすがに手の出し方は考えた方がいいかも。……ちょっとでも間違えると、公国が敵に回るよ?」

「笑顔で怖いこと言うなよ! そして言い方! これ以上誤解を招くのはやめ……!」


 青い顔で釘を刺した米太だが、もう遅い。蛍はその目にうるうるとたっぷりの涙をたたえ、


「……に、兄さんの裏切り者ー!」


「――ちょ、待て蛍! 俺、追いかけてくるからお茶でも飲んでて!」


 家を飛び出していく蛍を追い、米太が姿を消す。家主のいない部屋に取り残された二人は、


「……あ、わたし、てましょうか?」

「いえ、ミア様。たぶん手法がぜんぜん違うかと……」





 金属階段を、一段飛ばしで下りていく蛍を追う。全ての階段を下りきったところでようやく手を掴み、


「放して兄さん。ウチ、家出してくる!」

「いや、誤解してるから! 俺とミアはまだ……」

「でも好きなんでしょ? 想い伝えたんでしょ? なら、何も誤解じゃないじゃん!」

「……それは、そうだけど……」


 米太は言い淀んだ後、再度口を開き、


「……でも、それは、もともとお前が……」


「……まぁ、それは野暮というものですわよ、米太様……?」


 驚いて声が聞こえた方を見ると、


「……ローラ?」

「ごきげんよう、米太様……。……あと、わたくしのことはフローラとお呼びください、そちらの方が馴染みがありますから……」


 車いすに乗ったフローラが近いてきて、優雅にほほ笑んで見せる。


「……誰?」

「ミアの妹の、フローラだ。……高2だったけか?」

「ハイ。……お兄様にはいつもわたくしも姉も、大変お世話になっていますわ。よろしくお願いします、蛍様?」


「……兄さん! 今、様って、……様って言われたんだけど!」

「……ああ。ちなみに俺は、お兄様とも言われたぞ。なんか得した気分だ」

「わかる!……じゃなかった! フン!」


(……忙しいヤツだな……)


 興奮したり共感したり、かと思うと不機嫌になってみせたり。百面相のような蛍の様子に、米太は呆れた表情を見せる。


「……それで? 野暮っていうのは?」


 尋ねると、フローラは豊かな胸の前で祈るように両手を組み、


「……いくら自分から焚きつけたと言っても、実際にこうも上手くいかれると、……応援する気持ち半分、悔しい気持ち半分。……複雑なのですわよね、妹心って……」

「ええと……言ってること、よくわから……」

「――めっちゃわかります!! そうなんですよ! 自分で仕方ないとわかっていても、納得なんて、できないんですよね!」


 米太に割って入るように、蛍がフローラの手を取り、


「……ええ。わたくしも、一人の妹。貴方と同じです。お気持ち、察しますわ……」

「フローラさん! ……いや、フローラ様ッ!!」

「お、おう……」


 急に意気投合しだす妹ズに、ついていけず置いてきぼりになる米太。しばらく二人の談笑を眺めたのち、


「……えと、……それで、フローラは一体ここで、何を?」

「……ぅぐ」


 喉のつぶれたような声を出し、フローラが顔を赤くして視線を下にやり、


「……実は、お姉さまから少し遅れて、こちらに到着したのですが……その」


 チラリと目をやった先には、


「あ……、階段?」

「……はい。……お恥ずかしながら、また一人で大丈夫と、見切り発車してしまって。……そこで、エレベーターがないものかと一度、周囲を見てきたら、お二人が見えたものですから……」

「なるほどな。……ええと、どうすればいいんだ?」

「え……、それは、どういうことですの……?」

「どういうことも何も、俺が手伝おうか、と……」

「……! それは……い、いいんでしょうか、わたくし……、その、お姉さまに悪い……」

「いや、それとこれとは話が別だろ? そういうのは遠慮せずに、ちゃんと頼ることも大事だと思う」

「…………そう、ですわね。……じゃあ」


 車いすの腰ベルトを外したフローラが、両手を伸ばしてこちらを見上げ、


「……じゃあ、はい」

「ええと、どうするのが一番安全……」

「……このまま、正面から抱きかかえてください……」

「正面から、というと、……こう?」

「……こう、です」


 フローラの両腕が、米太の首に回される。ギュッと力が入り、それに合わせて体を持ち上げる。その瞬間、


「……!」


 そこで米太はようやく、自分が何に片足を突っ込んだのかを理解した。正面から抱きつかれる形になるその介助姿勢は、フローラの豊かな胸の感触を、肩口から顔にかけてもろに受ける形になり、思わず力が抜けそうになるのを、必死に堪えなければいけなかった。


(なんという柔らかさ……じゃなくて、気の抜けない姿勢なんだ!)


「……ええと、そのままだと移動しにくいと思うので、片腕を腰に……、もう片方をももの裏側に回すと、もっと安定します……」

「こうか……?」


 変なところを触らないように気を付けながら、手の位置を調整する。正直、びっくりするくらいフローラは軽かったのだが、確かに言われた通り、さっきより負担が軽くなった気がする。……肩口の一点を除いては。


「じゃあ、……いくぞ?」

「はい……、お願いいたします……」


 トン、といつもの金属階段を、一段ずつ、慎重に上がる。その度に、間近に密着した柔らかいカタマリが揺れるのがはっきりと感じ取れ、心臓がバクバク音を立てる。

 ただ、変なことに気を取られて落としでもしたら、それこそ命にかかわる一大事だ。それだけは、なんとか避けねば、と、米太は必死に欲望と戦う。


「ハァ、ハァ……あと、少しだから、ガマンできるか……?」

「……はい……」


 ギュッと、フローラの腕に力が込められ、同時に押し付けられる何かを感じ、色々と限界を感じた米太は、


「せーのッ!」

「……!」


 一気にテンポよく二段を駆け上がり、


「これで、最後……!」


 ようやく頂上へと到着した途端、力が抜けてその場に座り込む。


「……ありがとうごさいました、米太様……」

「……いや、……思ってたより、ハァ……、自分の運動不足を痛感したよ……」

「……十分、たくましかったと思います。……なんというか、……その、カッコよかった、です……」

「え……?」


「あ、いえ……、ええと、後は車いすを持ってくるか……、それとも、先に家の中に……」

「そうだな、車いすは蛍には大きそうだから、家にしよう。……もう一度、抱えるけど、いいか……?」

「……はい。では、もう少しだけ……」

「……せーの」


 持ち上げた瞬間、再び首にフローラの腕が巻き付き、さっきと同じように、腰ともも裏に米太は手をまわす。……が。


「……!?」


 違うところが一つだけあった。勢い余ったのか、抱え始める姿勢が違ったからか、先ほど肩口で済んでいた柔らか接触部分、……いわゆる、おっぱいの箇所が、今度はまごうことなき米太の顔面と、重なっている。先ほどまでの感触と、比較にならないくらいの圧力。ほどよい弾力も、温かさも、未体験の甘すぎる感覚に脳が死にかけ、思わず全身を硬直させる米太。

 すると、


「……ベイ、タ?」

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