取引24 トラウマエスケープ
ファミレスを出た後、ママチャリを漕いで大学に到着する。通学ラッシュを避けた早朝ということもあり、キャンパス内にはほとんど人がいない。米太は紙袋をロッカーに入れ、暗証番号を入力する。その後、しばらく移動して、目立たない男子トイレの個室に鍵をかけて着替えをし、ある番号に通話をする。
「……準備完了だ」
『……承知しました』
◇◇◇◇◇◇
「……貴方に、聞いてほしい話があります、……いいですか?」
「……え? ……いいけど」
「…………」
「……ミア様が笑わなくなった理由を、ご存じですか?」
「……ローラにも言われたが、正直笑わないこと自体、俺にはわからない……」
「……そうかもしれませんね。私の知る限り、花野井くんの前では、笑顔でしたから……でも、だからこそ貴方には、知っていおいてほしいんです」
「……………」
「……わかった。聞くよ」
「……ありがとうございます、花野井くん」
「……ローラ様が歩けなくなったのは、6歳の時のことです……。障害の原因は、落馬による
「ミア様自身も、8歳。
「…………」
「……下半身
「その日から、ミア様は変わられました。誰が何を言ってもそれを受け入れ、丁寧で優しく、品行方正で、まるで人形のようになりました。皮肉なことに、そのミア様の変化は、ローラ様に伝わり、ローラ様も変わられました。……とても、内向的に」
「それからずっと、あの姉妹はまるで他人のように互いを気遣って、過ごしています。私はずっと一緒にいたのに、何もできませんでした。義父のやり方に文句を言う気概もなく、ただ、自分の感情を押し殺して……」
「…………」
「……だからこそ、嫉妬するんです。こんなに短い時間で、お二人の関係を近づけたのは、花野井くんしかいません……」
「私の義父は、ミア様を公位継承者として育てることにしか、興味がありません。……それも必要と思いますが、……私は、正直、ミア様に普通の生活の喜びも経験してほしい。姉妹の関係も含めて。……だから、今回だけに限り、あなたに公女様をお任せしたいんです。……頼みます、花野井くん」
◇◇◇◇◇◇
2時間後、通学ラッシュの人の喧噪も落ち着いた、午前9時15分。ひたすらトイレの個室で待っていた着信が、ついにやってきた。
『準備が完了しました。いつでも行けるそうです』
「じゃあ、……いよいよ、やるか」
否応なく緊張の糸が張り詰め、口が乾燥し、お腹も痛くなってきた。根尾にはああ言ったが、正直、今の今まで葛藤していた。しかし、瞼の裏に焼き付けた蛍の顔を思い出して、なけなしの勇気を出し、
「……決行だ」
『……承知しました』
すぐさま通話を切断し、個室の扉を開けて早足でトイレを出る。ルートは頭に入っていた。上半身をスッポリ覆える、の地味なロングコートのおかげで、まばらな人波の視線を集めることもなかった。
『……キャンパス外の監視は、基本的に出入り口を見張るもの、となっています』
メリッサの言葉がよみがえる。
『外に出る門は、東西南北の4つ。それぞれの出入口に1人ずつ、さらに正門と裏門には2人。表向きは警備のため、ですが、実質、学外への無断外出を監視しているんです。出入口を出たらそこの監視から執事長へ無線で連絡が行きます。……大学の敷地から、外に出るのはほぼ不可能です』
大学施設の外に出て、なるべく端を歩きながら十字路を横断する。周囲にいる人の視線が気になって仕方がない。顔を下げたまま、それでも足を動かし続ける。
『……しかし、貴方が言った通り、隣接する高等部棟は話が別です。ローラ様の移動的ハンディキャップを計算してか、基本的に生徒玄関の2名しか監視がいません。つまり、大学敷地内から高等部棟へ入ってしまいさえすれば、……監視のいない高等部の裏門から、外に出られるということです。……そして……』
広場を横切って、高等部棟は目前になる。
『……貴方がご存じのとおり、高等部棟へ立ち入るのにうってつけの場所があります。ゼミ室等の多目的トイレです。……そこで、少しこちらから策を打ちます』
米太は首元に手をやり、ボタンを外してコートを脱ぐ。その下にあったのは、いつもローラが着ているようなブレザータイプの高等部生の制服だった。怪しまれないように自然を意識してコートをしまい、遅刻してきた生徒を装って早足で高等部棟へ滑り込む。内心冷や汗をかいたが、特に監視に止められることもなかった。そのまま、無意識に駆け足になり、
『高等部棟の駐輪所まで来てください。……そこに、貴方の待ち人をお連れ致します』
屋根に覆われただけの駐輪場に、なんとか到着する。見回すと、一番外に近い位置に、根尾が家族から借りてきた電動アシスト自転車が、何重にもロックされた状態で停めてあった。あらかじめ聞いていた番号でロックを解除していると、
「……ベイタ……、ベイタ……?」
後ろから、ひそひそと不安そうな声がかかる。誰の声か、すぐにわかった。実際に聴くのが久しぶりで、思わず動きを止めてしまったが、ゆっくりと振り向く。
「……!」
そこには、制服姿のミアがいた。地味な髪色のカツラを被って、眼鏡をかけていても、隠しきれない端正な造形。プリーツスカートから除く白い太ももが新鮮で、思わず目を奪われる。本人も特にそこが気になるらしく、指先で裾を気にしながら、
「……ご、ごきげんよう……どう、ですか?」
「……お、おう。似合ってる」
途端にミアは顔を赤く染め、
「の、ノン。そこじゃありません。首尾よくいっているか、という意味ですっ」
「そ、そうだよな! 悪い。……あ、ほら、これでロックは全解除、いつでも出発できるぞ……?」
歯切れの悪い口調で米太が返す。久しぶりの対面もあってか、妙な気恥しさがあり、視線を合わせないまま、米太はミアから荷物を受け取り、かごに入れる。
「……ベイタ、ベイタ。……質問があります」
「どうした?」
「……この自転車に、乗るのですか?」
「ああ」
「……二人で、ですか?」
「そう、だけど……あ」
ミアが不安そうにしている理由を、ようやく察した。昨日の話だと、ローラが落馬事故にあった時も、たしか二人乗りだった。そのことを一種のトラウマとしているミアにとって、たとえ他の乗り物であったとしても、拒否的になってしまっても無理はない。
「……怖い、のか?」
「……ノン。……そんなこと……」
笑って言うが、下を見ると脚が震えている。本気でこんなに身体が震えるものかと、心配になるくらいだった。
「……大丈夫です、……すぐに収まりますから」
怯えた様子を見せないようにと、取り繕うミア。その様子を見ていた米太は、
「……おし、なら、やめよう!」
「……え」
「……やめよう、二人乗り。一応確認なんだがミア、自転車には乗れるんだよな?」
「……ウィー、そうですが……、え?」
呆気にとられるミアに、米太は言ってのける。
「……じゃあ自転車にはミアが乗れ。……俺は走る。これなら二人乗りじゃない。……怖くないだろ?」
「え、ええ!? ……いいのですか、せっかく準備してもらったのに……?」
「まぁ、確かにそっちのがロマンがあるが……、別に必須じゃないだろ。……それよりもこの場を離れる方が先決だし」
「…………いいの、ですか?」
「……何が?」
振り返ると、かすかに涙ぐんだミアが、
「……わたし、……がんばらなくても、いいのですか?」
「…………」
笑顔みたいな泣きそうな顔で、声を震わせる。米太はそっとミアの頭に手を置き、
「……いい。……今日だけは、いいんだ」
わしわしと、撫でて手を放してから、裏門へ向けて走り出す。
「ほら、行くぞ、ミア。……早く行かないと、始まってしまう!」
ミアは指で涙をぬぐってから、
「……ウィー、ベイタ。待ってください!」
力強く、電動アシスト自転車のペダルを漕ぎだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます