取引21 待ち伏せトイレット
「は? ……女子トイレ?」
『そー。しかもJKの』
「……」
呆気にとられる米太。根尾は電話越しにまったく気にも止めない様子で、
『……ざっと偵察した結果、高等部の敷地には監視の奴らが半分しかいないのさ。しかも、繰り返しになるけど、なんと高等部には車いすに対応したトイレが無いらしい!」
「急に何を言ってるんだお前。おかしくなったのか?」
『おかしいのは米ちゃんだよ。実際に会ったんじゃなかったの、車いすの妹』
「え、あ……」
根尾の言っていることに思い当たる。確かにミアの妹のローラは車いすで、家もバリアフリーになっていた。高等部の施設は大学に比べて築年数が古いから、そういった整備が追いついていないのかもしれない。
『そのせいで、あの妹はトイレの度に一番高等部に近い、ゼミ室棟まで移動してるらしい。広くてきれいな多目的トイレもあるし、ゼミ室棟自体普段は使われないことが多いから、都合がいいらしい。……しかも』
『……ゼミ室棟の中までは、監視はついてこないらしい。よくわかんないけど、監視の目は圧倒的に姉の方が厳重みたいなんだよね。……で、公女様に接触するなら、ここが突破口になると思ったんだけど?』
「なる、ほど……」
要は、妹であるローラを介して、ミアに連絡を取れるかもしれないということだ。突破口も何も連絡手段を欠く今となっては、救いの一手と呼んでも過言ではない。
「……が、しかし、大丈夫か? どこから集めた情報か知らんが、女子高生のトイレについてそこまで把握してるとか、もはや病気の域では?」
『……人聞きの悪い。あくまでジャーナリズムの一環だから。ストーカーじゃないから」
「けど、要はJKをトイレで待ち伏せしろってことだよな? それこそ見つかったら犯罪、逮捕案件な気がするが……?」
『まぁ、そうかもだけど、細かいとこはそっちでどうにかしてよ? じゃ、オレは偵察に戻るから』
「おい、待て、根……」
潔いまでにプッツリと、通話を切られる。
『トイレでJKと接触』
文字にするだけで犯罪臭がプンプンするが、もちろん問題はそこだけじゃない。あの天使のようなローラをトイレで待ち伏せるなんて、どんな反応をされるのか予想がつかない。ミア曰く引っ込み思案らしいので、護衛を呼ばれて本当に逮捕されるのがオチではないだろうか。
(……しかも、何ら向こうにメリットのない交渉になる。成功する確率はかなり低いと言っていいだろう)
頭の中を様々な想定が駆け巡り、思考がネガティブになっていく。しかし、
『……何でもない、何でもなかったの。気にしないで、兄さん』
蛍の言葉が、その無理やりな笑顔がよみがえる。あれが本心じゃないことくらい、鈍感な米太にもわかる。気にしないわけがない。兄なんだから。
(……やってやろうじゃねぇか、トイレ待ち伏せ)
◇◇◇◇◇◇
高等部の昼休みは、大学よりも遅くやってくる。双方の時間が被るのは10分もないため、大学に隣接した高等部校舎には学食がなく、学食を希望する高等部生は、隣の大学の学食を利用することが多いらしい。
「…………」
もっとも、最近は大っぴらに大学施設に立ち寄れない米太にとって、それは関係のない話だった。高等部の昼休みのチャイムが鳴ってから、早20分程度。多くの大学生達が、昼食後の睡魔に耐えながら講義に出ているたった今、安定にエスケープ中の米太は、ゼミ室棟のトイレ付近に潜み、ひたすらローラのトイレを待っていた。潜伏時間は4時間を超える。
(……なるべく目立たないよう朝に現場入りしたのだが、どうしよう、ぜんぜん来ない……)
女子のトイレの間隔とか全くわからないので、もっと早く来ると思っていた。周辺ともあってトイレには事欠かなかったが、さすがにそろそろ待ちつかれてきたし、何よりお腹が空いてきた。昼休みの終わりまで待ってこなかったら、日を改めるか……、などと思っていた時。
「……はい。大丈夫ですわ……。では……」
高等部棟に近い入り口から、聞き覚えのある声がして、物陰に隠れる。そっと覗き見ると、金髪ボブの外国人美少女が、か細い腕で車いすの車輪を動かし、こちらに向かってくるのが見えた。
(……来た!)
意識すると一気に緊張が高まってきて、深呼吸をする。ローラがボタンを押し、多目的トイレの自動ドアが開く。
(……とりあえず、ローラが用を足すのを待ち、あの入り口から死角になる角度から、話しかけて……)
などと、脳内シミュレーションを繰り広げていると、再び扉が開き、
「ぁ……、どうしましょう……! ぇえと……」
見ると、何やら焦った様子のローラが、入り口から周囲をキョロキョロと見まわしている。先日会った時のような穏やかな表情ではなく、どうやら涙目で赤面しているようだ。あまりに哀れなその様子に、思わず手伝ってあげたい衝動にかられるが、タイミング的に怪しすぎるので、思いとどまるしかない。ローラの見上げるような視線の先を追うと、
(……あ)
そこで米太は気付いた。トイレットペーパーが切れている。新しいものに交換しようにも、無情にも替えのロールは、棚の上に乗せられていた。……ちょうど彼女が届かないくらいの高さで。
「……ぅ、……ぅぅ」
こういう時、多分すぐに人を呼べばいいのだろうが、ローラは顔を赤くしてぎこちない動きに終始している。どうやら、内気が裏目に出るだけでなく、意の催しが限界に近づいているらしい。本当に気の毒で、見ているこっちが泣きそうになってきた。
(……こうなったら、俺が代わりに、いや、でもバレたら4時間が水の泡……)
米太が葛藤する中、ローラは意を決したのか、苦悶の表情を浮かべながら、
「……っく、うぅ……」
片腕に体重をかけて上半身を必死に持ち上げ、棚へと手を伸ばす。あと数センチというところで、
「……ッ!」
片輪に体重をかけすぎた車いすが、耐え切れずにバランスを崩す。美少女の顔が驚きに目を見開き、落下の恐怖を目に宿した瞬間、
「――っォうッ!」
条件反射的に、米太が身体を投げ出す。
小柄とはいえ、両腕に人一人分の全体重がのしかかり、車いすの硬い打撃が殴打する。衝撃と勢いに勝てず、そのままローラを抱きかかえてトイレの床に倒れこむ。勢いよく床に叩きつけられる形となった米太は青くなり、
「……、大丈夫かッ!? 怪我は!?」
すぐに声をかけると、至近距離で目を閉じていた金髪の少女が、
「…………米太、様……? ……どうして、あなたが?」
驚いたように米太の顔を見上げるが、
「そんなこといいから! ほら、早く……」
半ば強引にローラを抱きかかえ、便座に座らせる。
「……ぁ、……ぁりがとう、ございます……」
米太の言わんとしていることに気付いたらしい。ローラは顔を赤らめてぼそぼそとお礼を言う。米太は素早く車いすを起こした後、棚からトイレットロールを一つ手渡して、
「……ごゆっくり!」
多目的トイレの扉を閉めてから、やってしまった、とため息をついた。
結論から言うと、その一件は米太にとって、さほどのダメージにはならかった。ローラは無事何事もなく用を足せたようだし、幸い米太も監視に見つかることもなかった。最悪の事態は回避できたようだった……が。
「……あの、本っ当に、申し訳ありませんでした!」
罪悪感に耐え切れない米太は平伏して謝罪を述べる。床がトイレだろうがなんだろうが、関係ない。こんな事態になった以上、対応を誤ると存在自体消されかねない気がするのは、たぶん気のせいじゃない。一度閉めたトイレに再び呼ばれたはいいものの、監視を呼ばれてつるし上げられるなんてことは、どうしても避けたい。
「……あやまらないでください…………違います、……わたくしが、……何でも一人でできる気になったのがいけなかったのです……」
「……いや、そうは言っても……」
多感な年齢の女の子にとって、顔見知りの異性にこの手のことを知られること自体、どれだけ恥ずかしいことか、想像もできない。
しかし、ローラは多少恥ずかしがりつつも、
「……本当に、気になさらないでくださいね、米太様……」
「……でも」
「いいのです、……それにわたくし、……米太様なら……」
「……え?」
思わず聞き返す米太にローラは、「……いいえ、何でもありません……」と顔を赤くする。その表情ににかつてのミアの面影が重なった米太は、「お、おう?」とどぎまぎすることしかできない。しばらく沈黙が続いたローラだったが、「あ、あの……」と切り出し、
「……ありがとうございます、助けてくださって……。ええと……何か、お礼でもできたらよいのですが……」
「…………」
一瞬、フリーズ。そして、
「…………今、なんて?」
「……ぇ、……ええと、……助けてくださったので……お礼を……?」
米太は思わず身を乗り出し、ローラの手を両手で握り、
「……い、いいんですかッ!?」
「……ぇぇ……、……わたくしに、できることなら……」
「――なんでも!?」
「……ぇ!?」
驚いて声を上げたローラが、何を勘違いしたのか、その端正な顔を再び赤く染める。急にもじもじした様子で、両手を豊かな胸の前でギュッと握り、視線を合わさぬまま。
「……ぁ、その……、……なるべく……ぃに沿えるように、……どりょくは、しますけど……、……ぁんまり……かげきなのは……」
「――全然いい! ありがとぅ!」
「…………!? は、ハイ……」
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