取引13 休日サーチ



「うーん、決まらん……」


 ミアの邸宅への訪問を、明日に控えた土曜日の午前九時。

 アルバイトの開始まであと二時間と、時間が迫る中だったが、


「これも違う、いや、これはわざとらしすぎるな……んあー」


 パソコンの前に陣取った米太が、渋い顔をする。


「さっきから、なに調べてるの、兄さん……?」


 後ろから画面を覗きこんだ蛍が、声をかける。米太の見ている画面では、ジャケットにスラックスを合わせ、磨かれた革靴を履いた若い男がポーズを取っていた。


「……服? あ、もしかして、デートだ!?」

「なわけあるか。……なんつーか、もっと固い感じなんだよ」

「固い感じ? 確かにセットアップとかカッチリ系ばっか見てるし、……結婚式でも行くの?」


 首を傾げる蛍に、米太は「いや」と頭を振り、


「……なんだろうな、何とも言えない。正直スーツが無難かと思うんだが、かえって意識してると思われる方がよくないんだよな……キメ過ぎず、抜き過ぎず、絶妙なバランスを保った服装って、難しいよな……」

「よくわかんないけど……、そーだねー、ぶっちゃけ兄さん、ブランドとかの知識はあるけど、ファッションセンス無いもんね!」


 グサ、と音が聞こえるほど、蛍の無遠慮な発言に、米太はダメージを受ける。正直、次郎系ラーメンを被った時よりも大ダメージだ。


「まー、がんばりなよー! デートの時はちゃんとコーデしてあげるから。……じゃ、図書館に勉強行ってきまーす」

「……う、おう……達者でな」


 バタン、と音を立て、扉が閉まる。部屋には涙目の米太だけが残された。


『ファッションセンス無いもんね』


 耳の中では、先ほどの蛍の言葉がこだましている。自覚がないわけではなかったが、ああもダイレクトに言われてしまうと、心が折れるというものだ。


「あー、もう止めよ! 時間の無駄だ。こうなったらどこかの店でマネキン買いでもしてやる! たまにはな!」


 半ばやけになった形だが、ちゃぶ台の隣で大きく伸びをして、問題は終わりだとパソコンを閉じようとする。


 その時、何の魔が差したか、数日前の出来事が米太の脳裏に蘇った。



『っとっつっと!? 兄さんおかえり!?』

『……えーと、何してたんだ?』

『ちょ、ちょーっと、声優さんのネットラジオを聴いてて……! 兄さんこそ早くない? バイトは?』


 

(……あれから二日間、表立って変化はなかったが、妙にコソコソしてるんだよな、アイツ。……まさかとは思うが、ホントにアレなコンテンツとか、見たりしてないよな?)


(いや、あの蛍だぞ? アイツに限ってそんな……、……)


 気になる気持ちを抑えきれず、米太は閉じかけたパソコンにもう一度向き直り、


「ログアウト、ID……ログイン」


 いけないことだとわかりつつも、蛍のアカウントを認証した状態で、検索エンジンを表示する。ドクドク、と緊張のあまり心臓が軽く脈打つのを感じる。


(……あくまで父兄として、父親代わりの身としての責任を全うするためだ。けして好奇心とかでは……、でもマジだったらどうしよう!)


 微妙な心の葛藤に悶々としつつ、覚悟を決めた米太は、


「……履歴は、これか……ッ!」


 カチ、とクリックする。

 上から順に、蛍の最近検索したサイトの履歴が表示される。米太の緊張もマックスに高まり、


(……? 普通だな?)


 続けて画面をスクロールして、検索履歴を遡るが、『声優まとめ』『ヘアアレンジ おすすめ』『覇権 今季 アニメ』など普段の蛍が見ているサイトと同じようなものばかりだ。正直拍子抜けした。エロいのがないにせよ、せめて『兄、ウザイ』くらいあっても言いと思うのだが。逆にイイ子過ぎて心配になる、と、米太は肩をなでおろした。


「……?」


 しかし、よく見ると、何度も執拗に検索しているサイトがあることを、米太は発見した。



『声優、タレント、養成所……?』




◇◇◇◇◇◇



「…………、あれ?」

「おかえり、蛍。ずいぶん遅かったな」

「……ねぇ、兄さん。逆に兄さんは最近バイト早上がり多くない? なんか、大丈夫なの? もしかして、クビになったのを言い出せないとか?」

「そういうわけじゃないが、それと蛍が遅いことは、何の関係もなくないか?」

「……それは、そーだね」


「あのさ、この際だから、ちょっと蛍に聞きたいことがある。……いいか?」

「? なに、かしこまって。……別にいいけど」


「……お前、なんか俺に言いたいこと、ないか?」


「…………」



 蛍が黙り込む。その沈黙を受け入れるかのように、米太は続く言葉を待つ。蛍の沈黙の意味を、米太はすでに知っているからに他ならない。しばらく沈黙が続いた後、


「……っ」


 蛍は意を決したように息を吸い、


「……あの、あのね、兄さん」

「うん。……なんだ?」


 蛍が米太の顔を真っすぐな目で見上げた。ちゃんと聞いてやろうと、米太も心の準備を整える。


 しかし。


「……いつもありがと……兄さんっ」


 何を思ったか蛍は急に米太に抱きつき、満面の笑みで言い放った。



「…………は?」



 反対に米太は言葉を失ってフリーズする。


「……? どうしたの兄さん?」

「いや、どうしたの、はこっちのセリフだ。……何だ今の?」

「何って、言いたいこと、って言われたから」

「じゃあ何か、お前の頭は俺に対する『いつもありがと』で埋めつくされてるわけか」

「そこまでじゃないけど、漠然と思い浮かんだことだから……」

「……お前はこれ以上兄を萌えさせて、どうしたいわけ?」

「え。んー、そうだなぁー。膝まくらで頭ポンポンとか?」

「…………」


「なんだそれふざけんな超! 萌えるわ! ちくしょー!」

「えへへー。でしょー?」


「あーもう、わかったよ。いいよ聞かねーよ。でも今度からは遅くなる時は連絡しろよ? お前も一応年頃の女の子なんだからな?」

「はいはい。わかりました。ごめんね兄さん、心配してくれてありがとー」

「いや、マジのポンポンはさすがによせ、気色悪いわ、兄として」

「あはは、ごめんー。夕飯、すぐ作るねッ」


 台所に消える後ろ姿を眺め、密かに米太は思う。


(……お前がまだ、話したくないっていうなら、待つからな)


 それは、午前中の出来事。

 蛍の検索していた養成所のサイトを調べていくと、ある養成所のエントリーフォーム画面に辿り着いた。見ると何度も同じページを開いているようだった。まさかと思ってウェブメールを調べてみると、案の定発見した。


『エントリー完了のお知らせ』

 

 それだけじゃない。メールの受信欄に大量に届いている、動画共有サービスからの通知。


『投稿した動画にコメントが付きました』


 その中には、『声優志望がアニソン歌ってみました』の配信者としての活動する、蛍の知られざる姿があった。顔出しこそないが、それでも五千回くらい再生されていて、


『癒される』

『可愛い声』

『活舌が微妙ですね』

『応援してます』


 寄せられる様々なコメントに対し、


『ありがとうございます、嬉しいです』

『ありがとうございます、もっとがんばります!』


 一つ一つ返信するコメントからは、蛍の配信にかける思いが伝わってくるようだった。


(……黒くて細長い棒は、録音用のマイクだったんだな)


 邪推したことが心底恥ずかしくなるような結果だったが、この際エロじゃなかっただけ、何でもいい。さっきの様子を見ても、まだ蛍自身は秘密にしておきたいらしい。無理に問い詰めることはせず、しばらくはこのまま、知らないフリをしていようと思う。だから、と米太は思う。


(……いいや。明日はいつもの古着で行こう。節約、節約。ま、背伸びしてもかえって怪しまれるだけだしな。それより、養成所の学費の工面について考えんと……んー、シフト増やすかなー)


「兄さーん、できたよー?」


 台所から、蛍が鍋つかみで鍋を運んでくる。眉間に寄せたしわを悟られぬよう、


「おーう」


 平然を装った米太が、颯爽とテーブルについた。





 翌日、ついに米太が、ミアの邸宅へと乗り込む、禁断の訪問回へ。

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