取引14 お家ゲスト
「…………」
見上げると、大正モダン的な洋風建築がそびえ立っている。一見どこかの博物館かと思うような歴史的建造物を目の前にして、驚きを通り越して身震いがした。呆然と立ち尽くしていると、入念な細工がなされた格子状の門の中から、スーツベストにネクタイ、スカートというフォーマルな出で立ちのメリッサが顔を出し、
「お待ちしておりました、花野井くん」
「え、ええと、本日はお招きいただき、誠に……」
「かしこまらないでください。……今回は一応お詫びのつもりです」
「……いや、そうもいかんだろ」
こめかみを抑えながらうろたえる米太に、メリッサは表情を変えないまま、
「大丈夫、見た目だけです。このような感じですが、服はたんなる仕事着だし、建物も耐震工事やらなんやらで相当弄っています。……なのでその辺のビルと大して変わりません。……それに」
一瞬の間に距離を詰め、米太の耳元にささやきかける。
「……内側はもっと凄いです」
「…………」
どう解釈していいかわからず、言葉が止まる。今の文脈だと、この洋風建築とメリッサの両方が「内側はもっと凄い」ことになるが、前者はともかく後者の意味は……。
「……言っておきますが、中ではあれこれ質問しないこと。特に家系のことについての質問は禁句です。しつこく聞こうとするなら、……執事につまみ出されます」
「お、おう。気を付ける」
「……あと、この中では、ミア様の言葉を遮らない方がいいです。みんなミア様のことを慕っているので……十中八九、家の者に睨まれます」
「そ、そうなのか。悪い、忠告、感謝する」
「……大丈夫ですか? 顔色が悪い気がしますが?」
「問題ない。心の準備をしてただけだ。……くれぐれも、失礼のないように気を付けるよ」
「いい心がけです。……きっと大丈夫ですよ、花野井くんなら。……では、参りましょうか」
両開きのドアをガードマンが開き、メリッサの誘導で邸宅の中に入る。玄関といえるものはどこにもなく、驚くほど広い空間が広がっていた。天上は高く、豪華なシャンデリアがたくさん吊ってある。床はどうやら大理石のようで、その中央にある階段から
「……凄いな、まるで舞踏会でも始まるみたいだ」
「……まるで、ではなく、実際にそういう時もありますよ」
「ま、マジで?」
「ハイ。もともとは、そういう目的で作られた建物だとか」
米太は通路に視線を向ける。銅像だとか、甲冑だとか、鳥のはく製といったような、見るからに高そうな骨董品が点々と飾られている。職業病で思わず査定したい欲にかられるのを我慢しつつ、漫然と歩いていると、
「……待ってください」
急に動きを止めたメリッサに、思わずぶつかりそうになる。見ると目の前には、黒い
「……花野井様をお連れしました」
「あ、どうも……」
メリッサに釣られて一礼する米太に、ジョエルはすぐさま胸に手をやって身を傾け、
「これはこれは、旦那様。大変なご足労をおかけしました。わたくしめはミア様の執事をさせて頂いております、ジョエル・アルビーナと申します。以後お見知りおきを……」
「……ええと、こちらこそ、よろしくお願いします。……あの、大学では勝手に何度かお見かけして……」
「それは大変失礼いたしました。お許しください。わたくしめは見ての通り、老いぼれにございますゆえ……」
「いえ、そういう意味では、……こっちこそすみません」
相手の対応が丁寧すぎて、何を言っているのか、わからなくなってくる。外国人特有のダンディで重厚なジョエルの声に、男として圧倒的な差のようなものを感じた。
「……失礼ながら、ミア様がお待ちです、ジョエル様」
「……ああ、これは失敬。ミア様の大事なお客様を、この老いぼれごときが足止めするわけには、いきませぬな」
大きな身体を折り曲げ、
「ですが、先に続く応接間に入るには、ボディーチェックが必須なのです。お疲れの所恐縮ではありますが、旦那様、ご協力いただいても?」
「あ、ええ。どうぞ」
「……それでは失敬」
白い手袋ごしに、米太の全身をジョエルが軽く触れる。脇腹から足首など一連の流れが途切れることなく、相当手馴れている様子だ。などと思っていると、
「手荷物の中身も、拝見したいのですが?」
言われるがまま、鞄を差し出すと、ジョエルは手袋をつけた手で、スマホや財布を一つ一つ持ち上げて確認し、
「よく手入れをなさっておられる。花野井様は、物を大事にされる御方のようですな」
「……いや、それほどでも……」
(……正直、買い替える余裕がないだけなんだが)
「ご協力、ありがとうございました、旦那様」
「いえいえ」
あっという間に解放された米太。ふと視線を感じると、メリッサが物言わぬ顔でこちらを見ていた。なんだろう、と思い、視線をやると、
「ミア様がお待ちです。……ご案内します」
視線を合わさぬまま、すたすたと歩き出してしまった。慌ててついていく米太に、ジョエルが後ろから声をかける。
「ごゆっくり、おくつろぎくださいませ、……旦那様」
トントン、と華美な木製の扉を、メリッサがノックする。
「失礼します、お客様をお連れしました」
「どうぞ」
扉が開くと、そこは大学の学食くらいの広さの部屋だった。天上や壁には、星やら馬やら細やかな装飾が施され、中央にはいかにも銘品のカウチが二つ、金色で縁取られたテーブルを挟んで向かい合う。その向こう側のカウチには、
「……まぁ。こちらの方が『米太様』ですの、メリッサ?」
小鳥のように細い声が聞こえ、頭が混乱する。よく見ると、座っている金髪の少女はミアではない。髪型が顎までのボブカットになっており、パッと見た座高もミアよりも低い。その分、主張する張りのある胸元は、その線の細さゆえに、姉よりも目立って見える。足首はカモシカのように細く、まるで妖精みたいだ、と米太は思った。
「仰る通りです、ローラ様。こちらは、花野井米太様。ミア様のご学友で、先日……」
「もちろん存じていますわ……。お姉さまを危険から救ってくださった方ですよね……。お会いできて光栄です、米太様……」
首を横に傾げ、微笑むローラ。その笑顔のあまりのあどけなさに、米太は思考回路がマヒしそうになり、
「ええと、こちらこそ、お目にかかれて光栄というかなんというか……」
「そんなに固くならないでください……。わたくしの方が年下ですわ……」
「そうなんでしょうけど……」
途端に米太はメリッサに耳打ちをし、
『……ミアの妹?』
『ハイ。高等部二年に留学中のローラ様です』
『……てことは、もちろん……?』
『当然、ミア様と同等の扱いです』
『だよな……!』
米太は咳ばらいをして、姿勢を改め、
「えと、よろしくお願いします、ローラさん」
「こちらこそ……。いつもお姉さまが、お世話になっています……」
「さすが姉妹というか、日本語がすごくお上手ですね!」
「ありがとうございます……。お姉さまもわたくしも、日本のことが大好きですから……。でも、お姉さまと違って、わたくしは覚えが悪いので……、がんばりました……!」
嬉しそうに微笑むローラを見て、米太は内心、
(……妖精というか……て、天使だ……!)
と、目の前の少女に神々しさすら覚える。純粋で好奇心の塊みたいな姉と比べると、かなり控え目で奥手な印象だが、角のない話し声や言葉づかいからも、彼女自身の優しさが伝わってくるようだ。話していて相手を安心させる、不思議な印象の少女だった。
「……お話し中、失礼します、ローラ様。よろしいですか?」
「……はい。なんでしょうか、メリッサ……?」
「……ミア様は、どちらに?」
「……はい。なんでも、お洋服が決まらないそうで、まだ、お部屋に……」
「――ノンッ! お待たせしました!」
駆け込むように応接間に入ってきたのは、純白の膝丈ワンピースに身を包んだミアだった。取り繕ってはいたが、どうやら走ってきたらしい。上気した赤い顔で、荒く息をしている。
「まぁ、お姉さま、素敵です……!」
「……ご、ごほん。ベイタ、この度は、遠路はるばる、ご苦労様でした。……ようこそ、私のお家へ」
急に恭しく胸に手を当て、ミアが礼をする。すぐさまメリッサとローラが頭を垂れ、慌てて米太も続いた。
「家の者は、失礼などなかったですか?」
「そ、それはもちろん。かえって俺の方が不快にさせてるかも……」
「気にしないでください、ベイタ。今日はアナタがお客様なのです。……メリッサ」
「ハイ。……いかがいたしましたか?」
「……せっかくなので、わたしのお部屋にご案内します。アナタは下がって大丈夫です」
「かしこまりました。……では、後ほど、上までお茶をお持ちいたします」
「メルシー。でも、結構です。自分でお出ししますから。……こんな機会ですので、アレを試してみたいのです。……大丈夫、全部そろっていますから」
何のことがわからず、米太は首を傾げる。
メリッサはしばらくミアを見つめた後、
「……承知しました」
一礼して、足早にメリッサが立ち去る。米太が礼を言う暇もなかった。反対にローラはゆっくりと笑顔になり、
「楽しんでいってください、米太様……。ぜひまた、わたくしとも、お話してくださいね……?」
「もちろんです、よろこんで」
ローラの笑みにつられて微笑むと、何故か焦った様子のミアが、
「……べ、ベイタ、こちらです、はやく行きましょう!」
「お、おう。……ローラさん、失礼します」
ミアに腕を引かれ、後ろ手に振り向くと、ローラの隣に車いすがあることに、ようやく気付いた。
「ごきげんよう、米太様、お姉さま……」
驚きに包まれたまま、ゆっくりと扉が閉まる。手を振るローラと白い車いすが、次第に狭くなる隙間の奥へと消えていった。
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