取引12 お礼アポイントメント


「ベイタ!」


 目を覚ますと、見慣れない白い天井。横たわるベッドには、清潔そうな白いシーツがかけられていて、どうやらそこは病院みたいだった。


「あれ……、俺なんでここに?」

「頭を打ったのです。……わたしの身代わりになって、ラーメンの器に……。よかった。目を覚まさなかったら、どうしようかと思いました」

「そんな大げさな……、って!」


 自分の頭に手を伸ばし、包帯がぐるぐる巻きになっていることに驚愕する。


「え、何これ、マジなヤツ? そんなに深刻だったの、死ぬの、俺?」


 途端に現実感に苛まれ、パニックになりかける米太だが、


「……大丈夫だと思います。一通り検査はしてもらいましたが、どこにも異常はなかったので」


 見るとメリッサがミアの側に立っていた。


「気がついて安心しました。急に気を失ったから、驚きましたが、……そんなことよりも、ミア様が『ベイタが死んでしまいます』って、大変でしたので……」

「ちょっ、メリッサ!」


 ミアが焦ったような顔をしてメリッサを睨みつける。一件微笑ましくも見えるが、その様子を見た米太は、すぐさま作戦のことを思い出して肝を冷やした。


(……どういう状況かわからないが、もしかしたら、もうバレてる?)


「ミア、ちょっと」


 慌ててミア小声でを呼び出した米太は、


「? なんですか、ベイタ」

「普通に会話してるけど、一応、俺たち、まだ他人の設定だよな?」

「……」


 ミアは少しの間固まってから、


「アイィぃ……! 忘れてました!」

「……だろうな」


 思わず頭を抱える米太。これでは不審に思われても仕方ない。


「……ところで、聞こうと思っていたのですが」


 不意にメリッサの声が響き、


「は、はい!」

「いつのまにお二人は顔見知りに?」


 案の定訝し気な瞳をこちらへと向けてくる。


「そ、それはたまたま講義の合間に、というか……」

「そ、そうなのです。あくまで偶然に……」

「ほほう」


 急にしどろもどろになり、お茶を濁す回答しかできない。メリッサはしばらく二人を無言で見つめ、


「まぁ、べつに構いませんが」


 ホッと胸をなでおろす米太。しかし、米太の心情を知ってか知らずか、


「ところで花野井くん、少し、いいですか?」

「え? ああ。何か用……」

 

 言いかけて、米太は言葉を止める。メリッサは姿勢を正して向き直り、真剣な表情をして床に膝をつき、


「花野井くん、……いいえ、花野井様。……この度はミア様をお怪我から救ってくださり、本当にありがとうございました……」


 胸に手を当てて、恭しく頭を下げる。


「いや……、何もそこまで……」

「言い過ぎではありません。……事の次第によっては、私のクビだけでは到底済まされない、重大な事態になるところでした。……本当に、本当に申し訳ありませんでした」


 その言葉の切実さに言葉を失う。何が彼女をそこまでさせるのか、米太にはさっぱり理解できない。付き人の仕事はそれほど厳しいものなのだろうか。少しだけ、ミアが土下座してきた時のことが、頭をよぎった。


「お詫びとして、今回の件については、治療代、検査代はもちろん、お召し物のクリーニングや帰りのタクシーもこちらで負担させていただきます」

「それはとても助かるけれど……、いいのか?」

「当然です。花野井くんが助けてくださった方は、そういう方なのです」

「……メリッサ」


 遮るようにミアが声を上げた。米太は驚いてミアの方へ視線を向けたが、目を逸らされてしまう。そんな二人の様子を見たメリッサが、


「……もしかして、まだ、何もおっしゃっていないのですか?」

「……え?」


 何のことかわからず、ミアを再び見るが、


「……メリッサには関係のないことです」

「……、何でもありません、失礼しました」


 メリッサが頭を下げて話題を切り上げる。ミアとは視線が合わないままだ。


「あの、今のって……」と米太はミアに尋ねようとするが、


「そ、そうでした! メリッサ! これほどの事態を助けてくださった方に、それだけなんて失礼じゃないかしら!」

「あ」

 

 多少大げさにミアが言い、そこで米太はようやく作戦を思い出す。被害者ビジネスの最後の手はずとして、申し訳なさを盾に、大事な要求をする必要があったのだった。


「あの……俺は、別に……」


 一応わざとらしくとぼけたフリをするが、頭の中はさっきのミアの言葉がよぎっているので、あながち嘘ではない。そのことに気付いているのかいないのか、ミアはまた多少大げさに声を上げ、


「ノン、ダメです。……もっとちゃんとお礼とお詫びをしなくては、でしょう? メリッサ、例えば、ほら……お家にお招きする、とか」


 そう。ミアの家。それこそがこの作戦で米太が描いた最終目的。学内ならメリッサが、学外では老執事が担当して、監視の目は常に張り巡らされている。なら、どちらの目も及ばない懐に、大胆に攻め入ればいい。そう考えたのだ。


 しかし、


「ご自宅に、ですか? しかし、そんなことではこのような事態の収拾には……、やはりちゃんと謝礼を用意した方が……」

「しゃ、謝礼!?」


 思わず身を乗り出しかけ、慌てて自分を制する。


(……ここで揺れたら、今までの努力が水の泡だ。惜しいけど、めっちゃ欲しいけど謝礼!)


 微妙な心の葛藤を乗り越えつつ、


「いや、そんなのもらえない! 気持ちだけで十分だから」

「でも、それではわたしの気持ちが収まりません。せめてお茶だけでも、ダメでしょうか?」

「そ、それは……まぁ、お茶……くらいなら?」

 

 無理やり渋々感を醸し出す米太。


「だそうですよ、メリッサ! ほら、準備をして」

「……わかりました。では今週末、邸宅にご招待します……」


 続くミアの強引さに、ついにメリッサが根負けしたらしい。さっと手帳を取り出し、


「……失礼ですが、花野井くんのご予定をお伺いします」


 思わずミアと目を見合わせた。その瞳がキラキラと輝いて、作戦成功の喜びを隠しきれていない。さすがにあまりにもわかりやすい表情に……、


「……? ミア様、何か?」

「……ノンッ、なんでもなくてです」

「?」

「ご、ごほん、えーとだな、土曜日はバイトだから……日曜の午後でも……」

「かしこまりました。それでは、十四時などはいかがです?」

「ああ。大丈夫だ。……ふう」


 慌てて助け船を出したおかげで、なんとかバレずに済んだようだ。冷や汗をかきながら横目で見ると、ミアが小さな口を必死に固く結び、ニヤケそうになるのを堪えているのが見える。つられて笑いそうになるのを、今度はこっちが堪えなきゃいけなかった。


「それでは、明後日の十四時、大学の裏門にてお迎えに上がります。重ね重ねになりますが、この度は本当に申し訳ありませんでした」


 その場で一礼し、メリッサが病室を出ていく。続いて立ち上がったミアもドアに向かい、


「――っ」


 一瞬だけ振り返り、両手で握りこぶしを作って微笑む。それはまるで、『作戦成功』と言わんばかりの表情だった。


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