※取引0 始まりクリップ
世の中、お金が全てだ。
「地獄の
『
米太の母は、今から五年前に亡くなった。米太がまだ中学二年生の時のことだ。死因は、交通事故だった。米太の祖父、祖母とともに即死だったらしい。何の脈絡もなく、唐突に妻を失った父は、相当な悲しみだったのだろう。その日から人が変わったかのように借金を重ね、挙句の果てには、苦労して義父から継いだ農業の土地も重機も、何もかも売り払ってしまった。そして、非難する親戚から逃げるように米太と蛍を連れて上京した。
父の仕事は安定せず、借金取りに追われる日々。学校給食を栄養の頼りにするような、ひもじい思春期を送った米太にとって、お金はその状況を抜け出すための実弾だった。年齢を偽り、新聞配達のアルバイトをして稼いだお金は、米太にとって、もはや阿弥陀そのものにすら思えた。
だからこそ、米太は思う。お金が全てだ。お金を得るために、できることはすべてやる。でも、けして父のようにはなりたくない。どんなに困っていても、真っ当な方法でお金を得るのだ。必死に勉強を頑張って、特待生制度のある大学に入学したのは、そのためだ。どんなに困っていても、正攻法でお金を得たいのだ。自分は、父親とは違うから。
「……あ、兄さんおかえりー」
バイト終わりの夜九時半。自宅アパートの扉を開け、へとへとになって靴を脱ぐと、台所から顔を出したのは妹の蛍だった。切りそろえた前髪にかかる横髪を、ヘアピンで止め直しながらこちらを窺っている。すんすん、と米太は鼻で息をして、
「……タバコくさ。もしかしてクソ親父、来てた?」
「バレた? ファブといたのになー、せっかく」
蛍の返答に、米太はみるみるうちに不機嫌になった。借金のことといい、音信不通のことといい、蛍と二人、父には何度迷惑をかけられてきたのかわからない。大学進学に際して、高校時代から貯めたバイト代と奨学金を使って何とか返済をしたものの、奨学金は返済義務があるため、現在進行形で尻拭いをさせられているのだ。
「連絡ナシかよ。ホントクズ、アイツ」
「まーまー、許してあげて。今はフリーの記者の仕事がそこそこ忙しいんだって。まともに働いてるんだからいいじゃん」
「それは、そうだけど」
「ていうか、父さんなんか置いていったよ? そこの段ボール」
見ると、ソファの横の床に、電子レンジくらいの段ボール箱が無造作に置かれている。封のされていない蓋の上には、殴り書きで『処分用』と書かれていた。
「え……ゴミじゃん。最悪だな」
「ところが中身は、ほら」
蛍が箱から取り出したのは、プラスチックの小袋に包まれたキーホルダーだった。あとは単純にフルーツを模したストラップや、土産屋によくある竜の巻き付いたよくわからない剣など。花のついた髪飾りなんかもあって、箱の中で規則的に並べられていた。
「未使用……っぽいな。なんかの引き下げ品?」
「うん。……多分、フリフリで売れってことなんじゃないかな?」
「なるほど。アイツにしては悪くない土産だな、ちょっとした小銭にはなりそうだ」
「ホント? 売れたらお小遣いにしてくれる?」
「ま、少しなら……」
「言ったねー? じゃー、これ!」
と、おもむろに蛍が一つの髪飾りを取り出した。シンプルな金属の髪留めに、白いカーネーションの花を小さくあしらった、質素な髪飾りだった。
「……んーと、500円くらい?」
「安っ。お前、いくらなんでも厳しくない?」
「だってお花とか合わせずらいんだもん。普段使いできないあたり、女子的にはマイナスポイントなんだけど?」
「だとしても、手数料と送料を入れたら、利益が300を切るぞ? さすがにもったいなくないか、ほら、見た目はそんなに悪くないだろ?」
「まー、たしかに可愛いけど、正直ちょっと安っぽい……」
「そんなのはこうやって、写真の構図に小物を入れたり、ちょっと画像を加工するだけで、現物よりもはるかに高見えする。……ほら」
パシャ、と撮影したばかりの写真を、蛍が確認して目を瞠った。確かに、実際の素っ気ない髪飾り一つよりもずっとオシャレな感じがして、高そうに見えた。
「な? 実際に商品を見られないからこそ、こういう小さな工夫が大事なんだ」
「なるほどー、……それで? いくらで出すの?」
「――999円だ!」
「……あ、あれ? 意外と安くない?」
「うん。正直、どんなに工夫してもノーブランドの小物は高かったら売れない! 出せて1000円だけど、あとは桁による印象操作だ。利益はまぁ、700円ってとこだろうが……」
「た、たった400円のために、わざわざ? ……相変わらず兄さんって金の亡者……」
「……悪かったな」
身をひるがえした蛍は、流れるようにビシッと敬礼をし、
「ということで、兄さん、後はよろしく!」
「は? 何お前、ここまでやらせといて逃げる気?」
「兄さんのために、晩ごはんを温めなおすという大事な任務があるので!」
あっという間に台所に消えた妹。いろいろと言いたいことはある。が、事実、蛍はいつも米太が帰宅するまで、夕飯を食べるのを待ってくれている。そんな健気な妹に文句を言うのは気が引けた。
――『珍しいカーネーションの髪飾りです。頂いたものですが使わないのでお譲りします。もちろん未使用です。シンプルで品があるので、インテリアとしてもご活用いただけます。詳細は画像で確認願います。よろしくお願いします』
(……後は、値段を999円に設定して……)
「兄さーん! できたよー!」
蛍の声に思考が奪われる。忘れていた空腹を一瞬で思い出し、まるで訓練された犬のごとく、口内が唾液で潤ってきたのがわかった。
「あ」
無意識に『9』を長押ししすぎて、値段がとんでもないことになっていた。
『9、999、999円』
その金額、九百九十九万九千九百九十九円。フリフリで出品できる最高限度がこの値段だったと思うが、早く修正を……、
「兄さーん、食べちゃうよー?」
(…………)
「わかった、今行く!」
(いいや。どうせ、誰も買わないだろうし)
そもそも間違って買う人も見たこともない。下書きにしといてもよかったが、どっちにしろ後で修正すれば全く問題ない、と。米太は、スマホをタップした。
ピコン。
『出品が完了しました』
その表示を確認すると共に、スマホをソファに放り投げ、蛍の待つ食卓に向かった。
それだけだった。米太のしたことといえば。
でも。
――ピコン。
『出品した商品が購入されました』
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