取引5 腐れ縁ジャーナリズム
昼休み明けの一発目。時間割にして三コマ目。大講堂には所狭しと学生がごった返し、私語や物音で雑然としていた。あまりにごちゃごちゃしているため、目を凝らして人を探すのも億劫で、ひとまず近くの窓際席に座り、
『……999万円、……アナタに差し上げます』
よみがえる、昨日の記憶。他には誰もいない二人きりの空き教室。そこで放たれたセレブ留学生ことミアの衝撃発言と、その後の、
『……やっぱり、わたしでは、イヤなのでしょうか?』
『いや、決してそういうことでは!』
『……じゃあ、教えてくれるのですか!?』
花が咲いたように嬉しそうな顔をするミアに根負けして、結局米太は、承諾してしまったのだった。「女の子に涙で迫られると弱い」という、自分の新たな弱点をまざまざと見せつけられる形となった米太は、
『ただいま……』
『おかえり……って、兄さん! 顔死んでるのに、薄ら笑いなんか浮かべて、やめてよ! ただでさえ幸薄い我が家が、もっと貧乏になっちゃうよ!』
『あ、ははは。大丈夫さー、全部大丈夫さー、蛍』
『こ、言葉と表情が一致してなさすぎ。……どしたの兄さんー、は、まさか! その、慰める?』
『……だ、大丈夫だ、そんなの。……マジで何ともないから』
『? ……よくわかんないけど』
などと、夜、蛍に聞かれた時も上手く説明できず、適当に誤魔化してしまっていた。今思うと慰めてもらっておけばよかったと心底後悔しているが、正直昨夜はそれどころではなかった。いや、今もか。と米太はため息をつく。
ミアとの連絡は取引メッセージを使って取ることになったけれど、一応今のところ何の連絡もない。こちらから連絡をとるべきか悩みつつ、そのまま何もできずに午前中を終えてしまった。
(あ……)
何の因果か、それとも無意識な引き寄せの成果か。大講堂の外にある何気ない広場に、人だかりができているのが目に入る。大きな窓から見下ろす形なので、人だかりの中心まで見える。そこにいたのは、やはりというか当然というか、金髪美少女留学生の姿だった。
今日はミアに加え、水色髪をショートカットにした留学生もいて、談笑していた。その脇には、恭しく黒いスーツを身にまとった老執事が、長身を姿勢よく伸ばして直立している。本物の執事なんて、遠巻きにでも何度見ても慣れない。まるでそこだけ別世界みたいだ。
(てか、信じられないよな、あんな天上にいるような人物に、よりにもよってフリマアプリを教えることになるなんて……)
冷静に考えると、目の前が真っ暗になる。そもそも住む世界が違いすぎて、挨拶すらも憚られるような相手だ。いくらお金をくれると言われても、正直信用できるのかもわからないし、額が大きすぎてむしろ怖い。いっそのこと断ってしまいたくなるが、昨日のあの感じを考えるに、断るのも一苦労だろう。
「はぁ……」
思わず二度目のため息が漏れる米太。
その時、スマホの通知音が鳴った。一瞬フリマアプリかと思ったが、画面を確認すると、どうやらラインのメッセージだったようで。
『NEO:米ちゃん今どこ、もう大講堂にいるー?』
『いる。お前はどの辺?』
「――すぐ後ろ」
「うおッ!?」
突然耳元で聞こえてきた声に、米太は思わず声を上げた。
振り向くと、そこにはいかにも大学生っぽい茶髪のもさい低身長男子がいて、にやにやとこちらを見つめている。
「やほー米ちゃん。相変わらず童貞な反応ー」
「……
「撤回? またまたー。今、留学生を舐めるように見てたくせにー」
「おい、違うぞッ」
「どうだかー。……よっと」
断りもなく隣に腰掛け、「いる?」とスナック菓子を差し出してくるのは、根尾遊羽。米太と同じ一年生であり、米太にとっては中学からの腐れ縁。サークルに入っておらず、友達のいない米太にとって、話しかけてくれる数少ない人物と言っていい。米太は無言で菓子をつまみ。
「……や、確かに。見てたは見てたけど、そういうんじゃなくて。……ただ、漠然と住む世界が違うなぁー、と」
「それはそうだねー、実際サークルの先輩がさー、学内新聞の記事のために調べてみたらしいんだけど、滞在先、港区のちょーデカい豪邸らしいよ? 庭付きプール付きの」
「ま、マジ? そりゃすげーな」
(金持ちだと思ってはいたが、まさかそこまでとは。執事の件と言い、本当にどこかの財閥の令嬢とか、あり得るのかもしれない。だとすると、昨日の九百九十九万円ってマジなのか……?)
米太の背筋が寒くなった。
「で、『噂のフランスからのご一行、実は超セレブだった』みたいな記事書いたら、アクセス回数が倍以上伸びてて、もうウハウハ。なのでマスメディア部は今、留学生様々なのだよー、ほら」
根尾の指さす先に目をやると、外の人だかりが先ほどよりも大きくなっていた。噂の留学生ご一行の姿を一目見ようと、さらなる学生が集まってきたようだ。
(アイツはアイツで、大変そうだよな、色々と……)
なんてぼんやり思っていると、
「……それで、どっちの娘?」
「……は? 何の話だ?」
「決まってるじゃーん、『推すなら誰か』って話だよー。ボッチの米ちゃんにはわからないかもだけど、この会話、すでに学部中の定番だからなー? ゆるふわくせ毛の水色メリッサちゃん? もしくは、高貴な金髪ご令嬢、ミアちゃん? 噂では高等部に妹がいるって話だ、いっそのこと実の姉妹コンビでいっちゃう? 『姉妹丼』?」
人差し指を頬にぐいぐい押し付けながら、根尾が言う。咀嚼を妨害された米太は、口の中身をなんとか飲み込み、
「……興味ないな」
「嘘ばっかり。ほらほらー、早く吐いて楽になっちゃえよー?」
「なぜに尋問みたいなことを……?」
「一応ジャーナリスト志望なもんで」
キリリとドヤ顔を疲労する根尾。米太がため息をつくと、
「ま、米ちゃんも、何か情報を掴んだら教えてくれ。小さなネタでもいいから。注目度が高い分、報酬は弾むぜ?」
「…………」
(……ちょうど昨日、手書きの講義ノートを入手しました、ついでに、フリマアプリを教えることになりました! ……なんて言えるわけない)
心の中でのもやもやを飲み込むように、米太は手のひらを掲げ、
「いや、断る。めんどくさいし」
「?」
突然顔色を変える根尾。米太の顔を訝し気に見つめて、
「どったの、米ちゃん? おかしいなー。いつもなら、『ほほう、儲かる案件だな?』とか、『この人達のプライベートを知りたいヤツが、この大学に山ほどいる、つまり、需要だ!』とか、挙句には『俺が留学生ご一行を、パパラッチして写真を売る……!』とか言い出すのにさ!」
「……言わねーよ。てか、お前の中で俺はどういう神経してんの?」
「清々しいほどに金の亡者? 違うの?」
「おい、それを言っていいのは、蛍だけなんだよ」
「えーなにそれー、シスコンかー? キモー」
「……うるせーし」
根尾はそれ以上追及してこなかった。バリ、とバックからさらなるお菓子を取り出し、大きな口で頬張る。相変わらず豪快な食べっぷり、と密かに思いながら、米太は密かに冷や汗をかく。毎度発言はどうかと思うが、昔から根尾の洞察力の鋭さはピカイチだ。気を付けないとボロが出る、と米太は意識を昨日の空き教室に戻す。
『……一つだけ、言い忘れていました』
昨日、別れる前にミアは言った。
『……このことは、誰にも言わないでもらえますか?』
特に断る理由もなかったし、反論する気力もなかったからすぐに受け入れたが、気になったのは、その後に続いた言葉だった。
『……特に、いつも近くにいる執事のジョエルにだけは、くれぐれも内密に。 ……いいでしょうか?』
(……あれは、どういう意味があったんだろうか?)
人間関係を全く知らないから何とも言えないが、少なくともパッと見は悪い人物ではないように思える。それどころか、年齢を重ねた老人らしい落ち着きと、多くの皴が刻まれているものの垣間見える端正な顔の作り。そして、服の上からでもわかるアスリートばりの筋肉。すげー、と同性ながら惚けてしまいそうな魅力的な人物、なんて。
思考が老執事に釘付けになっていると、根尾が米太に口を開いた。
「ねぇ、……あの執事の人なんだけど」
「……ごほッ、え? 何お前、エスパーなの?」
「は? 何言ってんの米ちゃん、頭大丈夫?」
「おい。……で? 執事がなんだって?」
「あの人、絶対昔イケメンだったよな!」
「……それは、そうかもな」
「いいなぁ、執事。オレも執事欲しいんですけどー」
「俺がなってやろうか? 時給十万円で」
「あっははー、相変わらず米ちゃんって、発想がキショいなー」
「……悪かったな」
「ま、逮捕されたときは、任せてよ。オレが率先して取材してあげるから、な、花野井容疑者?」
「――いくら腐れ縁でも、容疑者はひどくないか!?」
どうでもいいやりとりを繰り返す内に、昼休みも終わりに差し掛かる。講義の開始時間が迫り、離席する学生も少なくなって、根尾と米太も講義の準備を始める。……が。
――ピコン。
唐突に鳴った通知音に、米太の手が止まる。
時間に余裕がないので迷ったが、一応スマホを確認して、
「……あ……」
案の定、声が出た。理由は言わずもがな。
『購入者から取引メッセージ:このあと、空いてますか?』
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