取引8 煽情ロッカー

 廊下に響く女性らしき声に、米太は一瞬身体を硬直させた。未だ上半身、下着にマウンテンパーカーのみ、という出で立ちのミアが、青い顔をして。


「……つ、付き人のメリッサです! 多分戻るのが遅いから、心配して……!」

「ちょっと待った! こんな姿見つかったら、100パー誤解される!」

「……ど、どうしましょう! とにかくどこか、隠れるところ……ッ」


「? ミア様ー? ここですか?」


「…………!」


 ガラリ、とスライド式の扉が、音を立てて開く。

 メリッサ、と呼ばれた水色髪の少女が、教室を見回し。


「ん? 誰かいると思ったのですが。……気のせいでしょうか」


 不思議そうな顔をして、扉を閉めて出ていく。緩衝材と緩衝材がぶつかる音がして、パソコン室を静寂が支配した。

 

「…………」


 そんな静寂を破るように僅かに開く、金属ロッカーの扉。人一人がやっと入れる空間に、大学生の男女が二人、密着して息を殺していた。


(もう、行ったか? ……いや、ここで下手に動いて物音でも立ててしまったら)


 米太は意識の全てを廊下に向ける。自分が置かれている状況がいかに危険か、ただそのことだけに思考を集中させようと、全神経を注いで僅かに開いた隙間から視線を外に……、


「……はぁ、……はぁ、……はぁ、……はぁ」


 無理な話だった。

 耳は小刻みに繰り返されるミアの呼吸に釘付けで、半ば抱きかかえるように密着する身体の熱と重みに、頭がおかしくなってしまいそうだった。挙句には、狭い空間で大胆に押し付けられた胸から伝わってくる彼女の鼓動。もはや音ですらない触覚的な振動が、柔らかい感触を介してダイレクトに響いてきて、愕然とする。

 感じれば感じるだけ、もはや何をどう考えても、荒いその振動の意味を誤解せざるを得なくなり、自分の胸の中にいる少女の何もかもを奪いたい衝動にかられ、


「……ベイ、タ」

「……ッ! すまん」


 寸前のところでこらえ、引き剥がすように米太はロッカーを出る。

 危ないところだった。もしミアが声をかけてくれなかったら、理性を保てていた自信が真剣にない。荒い息をしつつミアを見下ろすと、


「……、……ノン、……」


 乱れた金髪とブラウス、覗く白い肌。端正な作りの小さな顔が、真っ赤に上気してそっぽを向いた。しかし、未だその手は米太の服の裾を強く握っていて、くしゃくしゃになったシャツを意識した瞬間、米太は自分の胸が詰まるのがわかった。


 互いの呼吸が落ち着いてから、服装を整えたミアと米太は改めて向かい合う。


「とにかく、監視の目を撒かないことには、教えるも何もないな」

「……そうですね、……大学では、メリッサがほとんど一緒にいます。四六時中ではありませんが、完全な単独行動ができる機会は、あまり多くありません」

「……だから、授業中だったわけか」

「……ウィー。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」

「そんなの気にするな。……仮に、学外で会うとしたら?」

「それこそジョエル……執事に見つかってしまいます。家と大学以外では、基本的にジョエルが監視してますから」

「……厳しいな」

「ジョエルはお祖母様の代から、わたしの家系に仕えているんです。色々としきたりが厳格な家なので、その分、自由にならないことが多くて……。メリッサはジョエルの養子で、生まれた時から一緒にいるから、ジョエルより気は遣わないのですが……」


(……名家ってやつなんだろうか?)


 何にせよ、あまりに不自由そうで、正直同情する。長年、お金に困らない生活を追い求めてきた米太だが、


(その代償としてここまでの不自由を求められたら、……俺は払えるのだろうか?)


 考えもしなかった自問に米太は思わず考え込む。しかし、ミアはその様子を別に解釈したらしく、


「……あの、ごめんなさい、無理を言って。……何だったら、取引メッセージだけでも十分……」

「いや、それはダメだ! ちゃんと会って確認しないと、何も教えられない。文脈を読み違えて、また誤解してしまうかもしれないじゃないか」

「……それは……、でも、どうすれば?」

「…………」


 米太は少し迷ってから、ゆっくりと口を開いた。


「……俺に、策がある」

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