取引7 約束オートクチュール



「仕方ありません。……ベイタがそんなに、確認したいなら……」


 ふくれっ面のまま、自らのブラウスに手をやり、ボタンに指をかける留学生こと、ミア。


「え! ちょ! え!?」


 目の前の光景に、ただただ米太はテンパって、そのことがミアには一層お気に召さなかったらしい。未だむくれた表情のまま、


「……あくまで服、ですよね? 服を見るんですよね、ベイタは?」


 指先を動かしてぎこちなくボタンを外し、あろうことかブラウスを脱ぎ進める。その白い肩や下着の端、豊かな胸の谷間があらわになり、


「ちょ、俺、何も見てないんで!」


 とっさに慌てて背中を向ける米太。が、次の瞬間には、


 バサッ。


 生暖かい布切れが、米太の頭を覆い、瞬時にそれがミアから投げられた脱ぎたてのブラウスであることを痛感する。柔軟剤なのか、ボディーソープなのかよくわからないけど、めちゃくちゃいい香りに頭がおかしくなりそうになるのを、必死にこらえ、


「いや……これ着て!」


 と、なけなしの理性でとっさにリュックに常備していた、雨用のマウンテンパーカーを後ろに放り投げる。


「…………メルシー」


 ぎこちない声が後ろから聞こえ、ナイロンのシャカシャカした衣擦れの音が聞こえる。その音はかえって半裸の美少女が後ろにいることを痛烈に意識させ、手に持ったままのまだ体温が残るブラウスが、異常なまでに煽情的煽情的なものに思えた。


「あの、……着ました。どうですか?」

 

 ミアの言葉に緊張を解き、安堵して振り返る。


「……」


 しかしそこでは、ほのかに顔を赤らめた金髪美少女が、素肌にマウンテンパーカーを羽織っただけのあられもない上半身を晒していた。ナイロンの無機的な質感、かたどられる女性的な曲線、きめ細やかなおへそまわりの肌が、ミスマッチかつ危うい魅力を放ち、米太はついに男として理性の揺らぎを自覚し、言葉を失った。


(……エッロ! 何これ! こんなことなら、下着姿のほうが返ってマシだったかもしれん。……ていうか、こうやって見るとこの子、胸、大き……)


「……あの、確認は?」

「す、すみません!」


 暴走しかける意識をなんとか引き戻し、米太は手に持ったブラウスに注目する。高校時代から続く、リサイクルショップでのアルバイト経験から、大まかな物の価値は頭に入っている。アパレルは流行もあるので、比較的ブランド価値の推移が激しいが、ハイブランドは別だ。タグや仕上げ方を見れば、大体の価値はわかるのだが。


「……あれ、タグが、ない?」


(つまり、ノーブランドということか? いや、それにしても生地や縫製が良すぎる。この類はハイブランドでもかなり高級なラインのものだろう。……どういうことだ?)


 数分間ブラウスと睨めっこをした結果、


「これ……どこで買った?」 

「ノン、たしか作ってもらったものかと思います」

「……」


 再び、米太は言葉を失い、全身に衝撃が走る。


(オートクチュールってやつか! もうヤダ、格が違うー!)


 オートクチュール。それはサンディカと呼ばれる一流の組合に加盟した高級店でのみ縫製を許される、完全オーダーメイドの一点もの高級服のことだ。高校時代に、厳しく鍛えてくれた店長に雑学として教えてもらった知識だが、まさか日本で実際にお目にかかる日が来るとは思わなかった。


「……もういい。わかった。……俺の負けだ。疑って悪かった」

「たったこれだけで、信じてくれるのですか? ……ベイタはすごいですね。さすがです」


 先ほどまでの不機嫌が嘘のように、感心した表情でミアが尊敬のまなざしを向けてくる。米太は半分照れ隠しのつもりで、


「なぁ、一つ聞いてもいいか?」

「ウィー。何でしょう?」

「なんでミアはフリマアプリに興味を持ったんだ?」

「……」

「正直、不思議でしょうがないんだよな。執事付きのリムジン乗ってオートクチュール着てるヤツが、フリマアプリなんて」


 ミアは少しだけ考えるように黙ってから、口を開く。


「前から思っていたのです。もっとちゃんと、日本の方と交流したいと。わたしは今まで三度も日本に留学はすれど、自分で何かを選ぶ機会は一度としてなかったのです」


「……え?」


 唐突な発言に、米太は驚きの声を漏らす。


「失礼かもだけど。ミアってさ、やっぱ財閥の令嬢か何かか?」


「…………」


 ミアは少しだけ寂しそうに微笑み、


「……だいたい、そんなところです。毎回留学で関わる方は、ほとんど身内の関係者ばかりでした。参加する活動も、全て執事が決めたものに限られています。大学以外では常にお付きがいて、一流の店だけを巡って、庶民的な日本の姿も触れたこともない。……それっておかしいと思いませんか? わたしの見ている日本は、とても空しいです。せっかく何度も滞在してるのに、わたしは本当の日本について何も知りません……だから」


 何か遠くのものを見つめるように、言葉を続ける。


「知りたいと思っていたんです。そしたら、フリマアプリを見つけて、これなら直接周らなくても、本当に日本の方とやり取りができると思ったんです。あの、唐突ですが、ベイタはフリーマーケットの意味を知っていますか?」

「え、……何でも取引できる『自由な市場』ってことじゃないのか?」

「ウィー、……確かにそういう使い方もありますが、語源は違います。『のみの市』つまり、『がらくた市』だそうです。今から150年以上前のフランスの第二帝政時代、パリの中心街に大通りを作ろうと、スラム街や古い商店が取り壊された際に、北部で中古市を立てることを許可されたのが、最初だそうです。『中古品だからのみがいる』というのが、言葉の由来なんだとか」

「へぇー。詳しいな。さすが留学生」


 素直に感嘆する米太に、ミアが照れた顔を見せる。


「ノン、それは関係ありません。……とにかく、フリーマーケットは、庶民の営みそのものだと思うのです。だから、わたしは……その、とても興味があります」

「……なるほどな」


(つまりそれは、いくらお金があっても解決できない、金持ち特有の無いものねだり、みたいなものなんだろう。正直今まで考えもつかなかったし、理解もできない。……でも)


 米太はミアを見る。ぎこちない表情をしているが、その様子は真剣そのものだ。所詮贅沢な悩みだと切り捨てることもできるが、こないだの真剣な謝罪を見た身としては、とてもそんな気にはなれない。


「……それくらい、俺が教えてやる」

「え?」

「中古市のことなら、むしろ俺の得意分野だ。そういうことなら一肌脱いでやる。ミアが知らない日本のいいとこも悪いとこも、全部ひっくるめて俺が教えてやるよ」

「ベイタ! ……いいのですか?」


 ミアの真っすぐな瞳が米太に向けられる。そこには明らかに嬉しさの色が感じられ、思わず、


「その代わり999万はちゃんと払ってくれよ?」

「ウィー、もちろん構いません」

「……本当に?」

「? ウィー、そう言ってますが」


 多少冗談つもりだったが、相変わらず通じなかった。気まずくなった米太はごほん、と咳ばらいをして、


「わかった。……とりあえずその件は後回しにしておこう」

「……米太がいいなら、いいです」

「とにかくだ。今日はとりあえずこの辺で戻ろう。もうなんだかんだ二十分近く経ってるし、流石に戻らないと……」


 その時。


「ミア様ー? ミア様いますかー?」


「!!」


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