取引1 フリマエンカウント
『9、999、999円―― SOLD OUT 』
「 」
大学の講堂、ギリギリで滑り込んだ一コマ目の講義。教授から隠れるようにスマホを手にした
『フリフリ』
それは今流行中の、ネットを利用したフリーマーケットアプリのことだ。現在国内では最も利用者が多く、『不用品はフリフリ』というCMの効果もあって、老若男女に普及している。花野井家は見ての通りお金に余裕がないので、購入に出品にと、度々お世話になっているのだが。
『出品した商品が購入されました』
その通知をタップした瞬間、否応なく目に飛び込んできた、7桁の9と、『SOLD OUT』の文字。……つまりこれは、出品した安物の髪飾りが、売れたということで。
(……購入金額、999万……、ってッ!?)
「―――ええええええぇええええええぇぇぇ――――――ッ!!??」
思わず立ち上がってしまった。周囲の学生全員が米太のことを見ている。いつの間にか教授の声も止まっており、明らかに不機嫌そうな顔で米太を睨みつけていた。とっさに愛想笑いをするが、「ごほん」と教授は咳払いをして。
「……出てけ」
「さ、さーせんッ!!」
『えええええええぇ――――ッ!?』
再び絶叫の声がした。電話越しの妹、
「声が大きい、……抜け出してきたとはいえ、授業中なんだぞ一応」
『でもでも、それがホントなら、い、一千万ってことだよね、兄さん!?』
「……いや、正確には手数料が10パーかかるから、……900万円だ』
『900万!?』
「それに、あくまでも、取引終了できればの話なんだが……」
講堂から少し離れた通路の先、大きな窓の側にある休憩スペースで、米太はスマホを耳に押し当ててゆっくりと息を吐き、冷静になろうとする。が、もちろん上手くいかなかった。
『そそそんな大金、どうしよう!? てか、兄さん、どうやって? 順番に説明して!』
どうやらそれは蛍も同じようで、電話越しでも特徴的なアニメ声を響かせて説明を求めてくる。
「待ってくれ。急で俺も混乱してるんだ。お前も絡んでる事だし、ええと、昨日の晩、クソ親父が残してったどっかの引き下げ品を、フリフリで出品したのは覚えてるか?」
『あー、してたしてた。500円くらいかと思ってた安い髪飾りを、兄さんが構図とか小物とかを使って、999円で売ろうとしてた、あのこと?』
「……そうだ。実はあの時、ミスって9を長押ししてしまって、9、999、999円になってたんだけど、直すのがめんどくさいからとりあえず出品して、そのまま放置してたんだ。……そしたら」
『……なるほどー。つまり、直し忘れたその商品を、昨夜に誰かが買ったってことね。……だ、大丈夫なのかな? 詐欺とかにあったりしない?』
「それは俺も思った。ただ、流れ的には購入自体が相手方のミスで、気付いてないだけの可能性のが高い。となると、すぐにキャンセルの流れになるだろうが……とりあえず、取引を進めてみないことにはなんとも言えない」
『あれ? じゃーまだ、メッセージのやり取りは?』
「してないな。……正直こんな高額取引、俺も経験がないから、どういう反応をしていいかわからなくてな。まだ向こうからの動きも何もないし」
『そっかー。詐欺じゃないといいねー。ただでさえウチは借金持ちなのに……』
「悪い、一応取引メッセージでやり取りしてみるわ、もしかしたら、本当に九百万が手に入るかもしれんし。何か進展有ったら今晩にでも伝えるから、期待せずに待っててくれ」
『わかったー、じゃね、兄さん』
「おう。貴重な休み時間すまんな」
ふー、ともう一度息を吐いて通話を切り、倒れこむように椅子に座る。周囲は講義中ということもあってか、人がまばらで、空いてる空港の待合室みたいだ。米太はすぐさまフリフリのアプリを起動し、取引画面で途中になったままのメッセージを見下ろす。
(……とは言ったものの、なんて打ったらいいのかわからん。何事もなかったかのように『よろしくお願いします』? いや、さすがにこの金額をスルーはないだろう。かといって『確認ですが、この金額でよろしいんですよね?』とかは逆に下心があるみたいでダメだ。ただ、期待はしてないものの、ちょっとくらいは夢見ても……、あーもう……やっぱりわからん!)
くしゃくしゃに髪の毛をかき乱し、米太は宙を見上げる。高い天井の模様を何となしに見て、煮詰まった思考を一度放棄しようとする。
(もう、いいや。バカらしい。……どうせキャンセルされるんだから、テンプレの挨拶だけにしよう)
『この度は、商品をご購入いただき、ありがとうございました。取引終了まで、よろしくお願いいたします』
テンプレのせいか、ほとんど予測変換だけで打ち込んでしまった。まったく心なんてこもっていないが、まぁ、いいとしよう、ダメ元だし。
(おし。じゃあ……)
スマホをタップする。
一瞬画面がフリーズし、読みこみ中みたいな表示が出て、
『メッセージを送信しました』
その時。
ピコン。
「え?」
ちょうど斜め後ろ。距離にして二、三メートルぐらい。
振り返ると、米太の後ろの列の端の席に、外国人の少女が座っている。白に近い長い金髪に、日の光が反射して輝き、白いゆったりとしたブラウスにリボン、ハイウエストのひざ下スカートの下には、白ソックスと革靴を履き、溢れ出るお嬢様感を隠しきれていない。
まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだ。背中を向けているせいで表情は見えないが、少し俯いた姿勢でスマホを抱え、細くて綺麗な指でスマホをタップしている。
(……セレブ留学生?)
『今年のフランスからの留学生が、めちゃくちゃ美少女ばかりらしい』とは、この大学に2か月も通っていると、誰もが承知の事実だ。しかも、とんでもなく金持ちのセレブなのだとか。噂には聞いていた米太でも、さすがに連日ホンモノリムジンやガチな執事を見せられると、野次馬根性の一つも湧いてくる。
(……信じられないよな、あれで同じ学生? しかも執事とか何様? 何なのこの格差! セレブ留学生、ありえん! ――うらやましい!!)
心の中で僻みを漏らしつつ、一方でその差を埋めようとかは一切思えない。それほど、留学生と奨学生である米太には、決定的な差がある。今までも何度か遠くからお目にかかったことがあるが、集団自体が輝いていると錯覚するほど、次元の違う人たちで近寄ることもできなかった。
(そんな存在の一人が、まさか……フリマアプリ?)
じっと後ろ姿を見つめ、頭のてっぺんからつま先まで、その造形の可憐なことを再確認する。遠くから見た時はわからなかったが、頭身のバランスも手足の長さも、胸の大きさや腰の曲線に至るまでそこらへんの女子とは一線を画していた。何よりも、その佇まいの優雅さに息が止まる。なんというか、もう同じ空間にいられるだけで幸せです、くらいの美少女で。
だからこそ、と米太はさっきの考えを覆す。
(……まさかな。ないない……きっとたまたま通知音が……)
ピコン。
「――ッ!」
また鳴った。いや、違う。鳴ったのは米太の方だ。開きっぱなしだったフリフリの新着欄には、
『購入者から取引メッセージ:こちらこそ、よろしくお願いします』
(なんだ……、メッセージが返ってきただけか、びっくりした。……でも意外と普通の内容……)
「!」
そこで、ようやく米太は気付く。留学生がそのエメラルドのような緑の瞳を、驚きに大きく見開いて、こちらをじっと凝視していることに。
「あ、あ、の……?」
留学生は口をぱくぱくしながらスマホの画面をこちらに向ける。そこに映っていたのは、まぎれもなくフリフリの取引画面。
――『出品者からのメッセージ:この度は、商品をご購入いただき、ありがとうございました。取引終了まで、よろしくお願いいたします』
――『購入者からのメッセージ:こちらこそ、よろしくお願いします』
(…………あれ、このメッセージどっかで……って!)
「「――ええぇええぇッ!?」」
米太と留学生は声を合わせ、揃って驚愕の声を上げた。
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