第11話 バグ


「ううーん」

満月の深夜、シーラは広い自室で頭を抱えていた。

ベッドに横たわり思案する。

それはもっぱら、この前の件についてだった。

あの視察以降、魔獣の出現はピタリと止んだらしい。


(黒い影と、二人の不自然な態度・・・。原因は何?もしかして、「私」?)

この世界に宿った、「私」としての人格が悪影響を与えているのだろうか。

(黒い影、壊れた画面)

それは―。

「・・・バグ」

まさにその現象だった。絶対に、あの草むらにバグがあったのだ。

(それを頑なに隠す理由は何?)

ガイアなんて優しさを微塵も感じない力具合で、シーラの手を握りしめてきた。普段だったら絶対にないその仕草は、明らかに彼の焦りを物語っていた。

(シーラにバレたら、まずいってことだよね)

人格の変わったシーラを警戒しているのだろうか。

(というか、そもそも・・・)

(・・・何故二人はバグを認識できているの?)

ゲームに組み込まれたキャラクターである、彼らが。

(そもそも私がストーリーを改変し続けたのがいけないのかな・・・)

イレギュラーな行動をしたシーラを、この世界が拒絶している可能性もある。


「うーん」

寝返りを打っても答えは出ない。

【こういう時はルーティーンワークをするに限る、とシーラは思った。】

彼女はおもむろに、テーブルの灯りをともす。

(日記を書かなきゃ)

【いつもの日課だ。その日の出来事や感情を文字に残す。そうすると、感情を忘れずに済むから。】

手に万年筆を握り、机上に手を伸ばす。・・・が、


(ん?)


その手の先には何もない。


(ていうか、そもそも―)


・・・この世界に来てから一度も日記を書いた記憶が無い。


「え・・・」

どっと全身から冷や汗が吹き出す。

脳内がパニック一色に染まる。


(い、ま、どうして、日記を書こうとしたの?)


困惑するシーラの思考に何者かの語りが聞こえる。突然、明かりが消えた。


【実は、彼女は冷徹と言われながらも感情があったのだ。薄れゆく感情を忘れないように、ひっそりと毎日、感情を記していた。】

(どういうこと?)

【シーラは失われてゆく己の感情を恐れていた。徐々に消えていく世界の彩に、恐怖していた。】

(感情を失う・・・)

【だから彼女は全て記した。次に向けて、今のシーラが残せる全てを日記に記すことにしたのだ。】

(次?今のシーラ?)

【そうすることで、彼女はエリアが登場した後の物語が変化することを願った。】


シーラは困惑した。

(さっきから誰が私に干渉しているの?)


***


ガイアは満月を見ていた。黄金に輝く満月は、シーラの瞳を思い出させる。

絵になる漆黒の青年。その手には一冊の本が握られていた。

ガイアはその本を机に広げ、ゆっくりとページをめくる。

そこには丁寧な字で綴られた文字があった。


===============================

【一日目】

アルマ王子に仕えて、1週間が経ったかな?そろそろ城の人とも仲良くなってきた!

日記を記そうと思ったきっかけは、何となく、です。成長した私が、これを見て色々思い出してくれると嬉しいな。


==============================

【十二日目】

この日記を書く目的が変わってきました。明日の私に、昨日の・・・今の私を思い出して欲しい。いつ明日の私が変わるか分からない。でも、嬉しいのはアルマ王子に対する忠誠だけが変化しないことです。


==============================

【二十一日目】

アルマ王子が負傷した。前より何も感じない。王子を、守らないと、それだけでいい。


==============================

【不明】

感情が消えている。ガイアに辛くあたった。明日はついにエリアがくる。


==============================

【不明】

またこの展開。駄目だった。明日に凍結する。

どんなに頑張っても、あの声が私を否定してくる。



・・・ガイア、ごめん


============================


一体、最後の一ページには何度目を通しただろうか。ガイアはその文字を見るたびに、目の前が滲んで見えなくなる。

「シーラ・・・」

そして、そっと裏表紙をめくる。「あれ」が動いている。

「お前、この前シーラの前に現れただろ・・・」

物言わぬ黒いバグに話しかける。ジリジリジリジリ。ただ動いている。

(俺の唯一の希望であり、唯一の敵)

こいつのおかげで俺は救われたし、こいつのせいでシーラが壊れる。

黒い画面に手を突っ込み、目を瞑る。

(この前のバグは消せたが、またバグが出現したな・・・。は?ここは―)

「・・・!っまずい」


ガイアは本を片手に自室を飛び出した。


***


【シーラは悩んでいた。しかし、その悩みもすぐに解消される。簡単なことだ。彼女の人格データを凍結すればよいのだ。】

【人格を凍結するとシーラは感情を失い、機械的な性格になってしまうのが難点だが仕方がない。彼女はエリアの恋路のモブキャラであるから。】


シーラは頭を抱え、うずくまる。脳内に響く無機質な声。第三者からの視点で語られるその声は、まるでストーリーテラーだ。

その声は彼女を悲観させ、絶望させることを目的としているようだった。


【凍結した彼女は物語の進行を早める。感情を持たない彼女はエリアに過干渉をしないため扱いやすい。】


【・・・だが、一つ問題が発生した。】


【気付かれた。彼だ。】


(彼って―)


すると、突如、部屋の扉が開かれた。室内が一気に明るさを取り戻す。

「シーラ!」

彼は手に持っていた本を投げ捨て、頭を抱えていたシーラの両手を掴む。

「・・・大丈夫か?」

「う、ん」

ここまで焦った彼の顔は初めて見たかもしれない。シーラの顔を覗き込むように見た後、安堵の息をつく。

「間に合った・・・」

「どうしてガイアがここにいるの」

「助けに来た」

「・・・何から?」

ガイアの目をじっと見つめたまま、シーラは尋ねる。その視線に観念したように、一息ついた彼は覚悟を決めたように口を開いた。

「流石に隠せない・・・よな」

「ねぇ、私に何が起こっているの?」

察しは、ついている。


「まぁ、一か八かだな。お前に見せてやる」

ほら、と彼はシーラの足元を指さす。

「えっ」

シーラは言葉を失う。二人の足元には、黒いマス目模様が広がっていた。足元の木目が、黒い方眼用紙を敷き詰めたみたいに無機質だった。

「見てて」

ガイアはいつの間にか手にしていた本を持ち、裏表紙をシーラに向ける。

そこにはかつて見た黒いジリジリ、バグがあった。

「これはお前の日記だ」

「どうしてガイアが持っているの?」

「全てはここから始まったんだ」


ガイアはバグに手を突っ込み、目を瞑る。時が止まったかと思う一瞬のうちに、景色が戻った。

足元に広がる黒が、いつもの木目調に戻る。


「これが俺と王子が隠していたことだよ」


ガイアは真剣な表情で困惑するシーラに告げた。

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