013:ブラックショーツ

「伝言なんですけどぉっ」


 間延びした声が背後から、やることもなくなったし、ギルドに向かおうとする僕へと呼びかける。

 振り返ると。木々の隙間から、両手を口に添えて大声を出す女の子の姿が見えている。


「もう少しでぇっ、川の水が復活するそうですよぉっ」


 手を大きく振って答えると、女の子は大げさに頭をぶんぶんと縦に振って返答した。

 おそらく「分かった」の意味だろう。

 それを見て確認すると、再び前を向いて歩き始めた――

 



――まさかこんなに早く川の水が元通りになるとは……侮れないな仮称男」

 森の中、ではなく街の中。

 森から街の大通りへ繋がる曲がりくねった道順は、何度も通った通路であるから、気を抜くといつの間にか辿り着いてしまっている。

 考え事の最中は時間を忘れてしまって、ついでに自分がなにをしてしまっているかを忘れてしまうからいけない。


 考えていたのは、白龍の少年のこと。

 あとはラムイ・エルドラドのこと。

 どちらも共通して僕の障害となる人物だが、現在の思考はラムイの方へ傾いていた。


 無論、白龍の少年は僕にとってある種の負い目であり、この異世界生活においての最初の汚点である。

 早いうちに倒すなり、屈服させるなりしておかなければ、何か酷いことをやらかすかもしれない。

 しかし今の僕にはやれることは、彼をそういう手荒な方法で手懐けることは、不可能に等しい。

 考えても詮無きこと。

 捕らぬ狸のなんとやら。

 対策らしい対策も立てられない現状、リソース効率が悪い。


 ならばとラムイの方へと思考は、自然と傾くのだが、こちらもこちらで読めたものではない。

 ラムイ・エルドラド。

 受付嬢。

 黄金卿の名を持つ者。

 悪い噂の絶えない、断続的に続く悪評に彼女の悪性が垣間見えているのは間違いないのだが、かと言って僕が率先して尻尾を捕まえるのは面倒――じゃなかった、相応しくないと思う。

 嫌がらせは受けたが、どうにもならない難易度の依頼の斡旋をしたんじゃないし、事を大きくしてしまったのは紛れもない僕の責任である。


 お局VSトラブルメイカー。

 誰だよこんな不毛なマッチを組んだのは。

 ここへ、たまに悪魔や天使、ついでに白龍が顔を出すのだからしゃれにならない。

 僕がリングを降りても成り立つくらいには、中々こんがらがっている。

 混沌の中心に立っている者が言うべき台詞ではないかもしれないけれど。


 とにかく。

 僕は彼女を恨み切れていない節がある。

 斡旋された仕事は中々にブラックだったけれど。

 直接的な問題を起こされたわけでもないしなあ。

 と、そこまでのらりくらりと考えていたところで。


 ふとした拍子に、全身の産毛が逆立つような不安感に襲われた。

 視界の暗転と音の反響――パニックを起こしているときと同じような体の不調が、極めて客観的に駆け巡る。


 ここ最近はこんなことなかったのに。

 多少慣れて、成長できたと思っていたのに。


 自分の甲斐性のなさに、失意にまみれていると。

 賑わいの中、やけに僕へ注目が集まっていることに気が付いた。

 冒険者だけではない、この大通りを通り抜けようとしていた買い物客や、近隣住民までも見ている。

 自意識過剰とか幻覚とかじゃなく、はっきりとした視線の集中。


 人が見ている。


 人が聞いている。


 人が言っている。


 鼓動は早く、喉は乾き始めた。

 思考はぼんやりとし始め、目尻が熱くなってくる。


 このままじゃ。


 ぜったいに。


 まずい。


 頭の片隅に追いやられた冷静を引っ張り出して、足早に、そして決して前を見ずに、振り向かずにずんずんと歩いた。

 走ればいいものを、競歩で切り抜けようとしている。

 混乱した体は、そういう客観的意見に耳を傾けようとしない。

 混濁した意識のまま、ひたすらに歩いて。歩いて。歩いて。

 前方の視界の端に、白い建物を捉えた。


 やった!


 数日前までは恐怖の対象でしかなかった潔癖の教会が、今では憩いのギルドのように見える。

 視界のアングルを正面に向けて、扉を押す。


 すると中には見覚えのあるインテリアの数々、曲がった受付用のテーブル、奥の扉、依頼が貼られた掲示板、天井から吊られた受付嬢が記憶そのままに佇んでいる。

 やはりすべてが白い。


 色と言えば鼻を伸ばした冒険者たちの武器や防具、そして天井から吊られた受付嬢から覗く黒いショーツくらいなもので……


「は?」


 猫かぶりには定評のある僕だが、この状況では思わず疑問が口から漏れてしまう。

 その声を聴いて、受付嬢は体を震わせた。


「おっおかえりなさいー!!あっあのう!!これ、ほどいてくれませんかあっ!?」


 受付嬢の顔色は酷いもので、羞恥に塗れた結果真っ赤に染めあがっており、泣いたのだろうか――目元も赤く腫れていた。


 もしこれが見ず知らずの人ならば、すぐさま助けてやりたくなるだろうけれど。

 こんな風に僕を虐めた人がひどい目にあっているというのは、胸がすくものがある。

 あれだけ恨んでいないと言っておきながら、「ざまあみろ」と思ってしまうのは、中々に業が深い。

 この際誰がやったとか、そういうのはどうでも良かった。

 どこかのだれか、ありがとう。

 僕はお前の味方だぜ。


「すみませんっ!なに考えているのか知らないんですけど、ほどいてくれませんか!お願いします!!ほんっとうに頼れるのがあなたしかいないんです!!」


 ぎちぎちと縄を揺らしながら、ラムイは絶叫した。

 あれだけ動いても緩まないということは、恐らく自分で切れたりはしないのだろう。

 なにしろ聖職者だし。

 回復メインの職業群で斬撃が飛ばせるとは思えない。

 いや光の剣とかはあるのか。

 威力が高すぎて、建物ごと斬ってしまいかねないからしないだけで。


「話聞いてますっ!?おーい!おーい!!そこらの冒険者はなんにもしてくれないんです!!他の受付の方にも頼んだんですけど、助けてくれなくてっ!!」


 そらみたことか。

 自分の悪評と、冒険者のリビドーを恨むがいい。

 しかし、これでは依頼の達成やら星の話やらが出来たもんじゃないな。

 アンバーにでも話に行くか。

 何日も経ったし、天使規約とやらには引っかからないだろう。


 ラムイを無視して、一度くぐったことのある受付用の机を抜けて、奥の扉へと向かう。

 当然ラムイ以外の受付の人がそこには立っていたが。


 グッと。


 親指を立てると、すさまじく満足気な顔で立て返してくれて、お咎めなく奥の扉へたどり着けた。


「嘘でしょっ!?そんなことありますか!!ねええ!!お願いですからあああだすげでええええええ!!!」


 断末魔にも似た声を聞き流しつつ、扉を開いた。

 そこは談話室――もとい礼拝堂である。

 色の無い一室、数日前に訪れたはずなのに随分と懐かしい気持ちになっていた。


 アンバーから出された紅茶の味もすっかり忘れている。

 せっかく来たというのに、肝心の天使様の姿が無い。

 ひとまず所在なさげに歩き回ったのち、ソファに腰掛けた。


「おかえりなさい。ゆうしゃさま」

「うわっ!?」


 なんとなく座ったソファ、僕の膝の上に女の子が腰を落ち着かせていた。

 対面にするように彼女は座っていて、少し腰をベストポジションを探すように動かした後、両腕を優しく腹部に回した。


 微かに甘い匂いをかもしながらのハグ。

 力は、調節されていた。

 だからといって振り払ったり、どけようと気にはなれず、ひとまずアンバーの気が済むのを待つ。


「こういうとき。おとこのこは、はぐしかえさなきゃだめなんだよ?」

「そんなことより。アンバーさん、色々話したいことがあるんだけど」

「そんなことより?」


 力を加え、僕の腹をしっかり潰しにかかる。

 たまらず右腕は光り出し、すぐさまアンバーの腰に手を回した。


 緩まった腕に安堵して、視線を下へ向ける。

 ほんと有無を言わさないなこの子。

 表情筋を僅かに緩ませて、えへへとろけるように笑った。


「満足した?」

「ううん」

「どのくらいで満足しそう?」

「いっせいき」

「死ぬて」

「しなないよ」

「そうかもしれないけどさ」


 この能力が寿命にまで対応しているかは知らないよ?


 アンバーは「じょうだんよ」と上品に口角を緩めて、僕から降り、対面するのではなく、隣に座った。

 数日前と違うのは僕の右腕を潰しに――じゃなくて抱きかかえていない点。

 正直しなかったことにほっとしつつも、その理由を個人的に考えていた。


「じゃあ。いろいろはなしてほしいわ」


 アンバーは、いつ淹れたのか見当もつかない紅茶を――きちんと湯気の立っているティーカップをその薄い唇につけながら、そう言った。


 僕の目の前にも一杯がある。


 彼女に倣って、軽くのどを潤して、色々を話し始めた。


 白龍の少年以外の、色々を。

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