009:ゾンビ戦法はいくとこまでいくとメンタル勝負
背中の肩甲骨から鎖骨にかけて、肉も骨も構わず砕くような握力が僕の両腕を使い物にならなくする。
「ウッ……ガアッ……!!」
肋骨も折れてしまっているのだろうか、肺が潰れたように痛い。
バタバタと足や手をもがくように動かすが、びくともしない。
筋力平均以下じゃあ、どうにもならない。
どうにもならなさが、ひたすらに恐怖を与えた。
対人恐怖症でも発症してしまっているような、人の根源たる部分に訴えかけられているような。
上手く呼吸が出来ず、なんども吐き気を催してしまう。
胃の中身が逆流しているような感覚は、死にかけていることに対するストレスもあるのだろう。
しかしそれ以上に。
物理的な痛みが、今までにない肉と骨が一緒くたにミキサーに入れられたような痛みが。
「おえ」
と空嘔すると。
ぼとぼとと。
宙ぶらりんの僕の口から吐瀉物が落とされる。
もっとも朝から何も食べていないから胃酸と唾液をまき散らすだけだったが。
口の中が酸っぱく、ゲロ臭い。
パニックを起こしていた思考はゲロで収まって、代わりに現状のどうしようもなさを明確に味わってしまった。
白龍の一匹に肩を掴まれ、肺が潰れるほどの傷を負い。
無防備な姿のまま上空で宙ずり。
しかも十数匹の白龍は臨戦態勢ときている。
上では白龍が咆哮し、鷹楊に翼を動かした。
本能での動きかもしれないが、今の僕からは十分に、嘲っているように見えた。
馬鹿馬鹿しく、さも下らなそうに。
地上からは随分と離れてしまっている。
十メートルは下らない高さ――綺麗に着地できたとて、骨の一本や二本はお陀仏な高さ。
治すことはできても、痛みに耐えてそのまま態勢を立て直せるかどうか。
ああくそ。
どうすればいいんだ。
声に出す気力もなく、頭の中で苦し紛れにぼやいてみせる。
過信していた。
自分の力やできること、やれること、準備は万端、裁量は完璧――そう思っていた。
舐めていた。
白龍という相手を、十九レベルの格差を、十数体の人数差を、心配してくれた冒険者たちの心遣いを。
ヘリオトロープから受けた御業も、アンバーから賜わった杖も。
どちらも僕の力量で、使い物にならなくもなるし、便利でしょうがなくもなる――石礫にも宝玉にも姿を変えるのだ。
レベルの底上げをしてくれるわけじゃない。
レベル1の僕にもできることを増やしてくれる、現状ただそれだけの道具。
高鳴る心臓を、潰れた肺から漏れ出る空気を、口に感じる酸味と鉄臭さを。
今は全て、忘れてしまう。
視界はクリア、思考はスマート。
僕はただ予め考えていた、最悪の状況に対するプロセスを踏むだけだ。
凄まじく嫌だが、凄まじく痛いだろうが。
喉を大きく開いて、肺と口の痛みに顔をしかめながら空気を吸い込む。
「喝采たる混沌の門を開けよ」
もうこれしか道は残されていない。
手が切り傷で血みどろになるくらい必死に掴んでいた杖を持ちあげて、白龍の口の中に入れ込む。
「賽は投げられた」
どろどろと黒い泥が白龍の口へと次々に流れてゆき、入りきらなかった液体は漏れている。
白龍は体を揺らし、僕を掴んでいたかぎ爪を離そうとする。
けれど外せない。
僕が何のためにここまで痛みを我慢して、能力行使をせずにいたと思っている。
超人的な再生は外傷の原因たる異物まで取り除くことはできない。
異物以外の全てを元通りにする。
背中や腕に刺さった石は取り除かなければ、上手く再生できないように。
だったら。
かぎ爪が深く刺さったまま再生すれば、弧を描く爪の周囲を完璧に元通りにできれば。
それが抜けることはあるまい。
「債は吾が請け負おう」
右腕は淡く光り続けている。
暴れ、切り裂き、食い破ろうとする白龍の攻撃スピードを遥か上回る速度の回復が、副次的なそれが続く限り、白龍は僕を手放すことは出来ない。
ついでに右腕はがっちり固定しておく。
左腕で掴んだ黒石の杖は白龍の口腔を傷付けながら、口から外れぬよう喉まで押し込んだ。
「災厄を此方から彼方へ」
第三陣とは、『対象を捕らえ、上空まで運び、振り落としたのと同時に他の白龍が石を投げつける』という各個撃破を目的とした戦術である。
捕まってしまえば対象に成す術は無く、振り落とされた時に行われる追加攻撃に対する防御をする――対症療法しかできることはないらしい。
熟練の冒険者でさえ、耐え忍ぶしかないのだからレベル1にできることなどたかが知れている。
……だから捕まらないのが大前提だったのだが、こうなってしまっては仕方がない。
「コレクション」
かすれた声を皮切りに。
溜めこんだ泥は白龍のを貫くように一気に溢れ出した。
きっと大した攻撃力もないから、白龍に対するダメージは微々たるものだろう。
けど――
ぐらりと。
白龍の身体は風に煽られたように体勢を崩して、沈むように高度を下げていく。
――コレクションにはブラインド効果がある。
僕と言う重しを抱えたまま、何も見えない状態で羽ばたくというのは至難の業だろう。
至難の業だからといって、難しい事だからと言ってできないということでもない。
だから、最後のダメ押し。
ブラインド効果が切れない内に、黒石の杖を口から外し、振りかぶる。
そこそこの質量を持った杖は白龍の頭蓋に直撃。
何かが割れるような音と共に、白龍は制御を失った。
声にもならない叫び。
耳が割れるようなそれに一瞬怯むも、もう一度杖で顔を殴る。
赤黒い液体が黒色の杖に目立たない染みをいくつか作ってしまった。
電源を落としたように、重力に従って落下していき、景色は青色から白色に変わっていった。
遮るものの無い青空から切り立つ崖の岩石に。
白龍のホバリングは能力行使によるものだと聞いていたから、きっとそれが切れたのだろう。
僕は体勢を変え、白龍の身体で僕が覆えるようにして地面へ――激突した。
激しい痛みと、なにもかも潰れていくような感覚。
薄れゆく意識の中でも必死に自分の能力行使だけはつづけた。
この攻撃での最悪の事態――白龍に捕らえられた場合の作戦は”死なば諸共”だった。
第三陣の計画通り、白龍は落下した対象に岩石を投げつけていく。
動かなくなった白龍を盾にした僕へと。
作戦は、おおよそ成功だった。
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