006:はじめてのいらい

  トレイを持ったまま、杖を小脇に抱えて部屋を出る――出るといっても受付の方向の扉ではなく、受付嬢が出て言った方向である。

 アンバー曰く「これ以上話すのは天使規約に違反する」らしい。

 悪魔と死神の死体協定だったり、天使規約だったり。

 かっちりした制度に彼らも縛られているのだと思うと――なんだか俗っぽくて、多少の親近感がわいてくる。


 しかしその内容は人のものとかけ離れているが。

 人間と三十分以上会話すると昇天する恐れがある為制限を設けているとか、人間の間じゃありえない理由だ。


 僕が出た先、扉の向こうには短い廊下があった。

 廊下の側面にはもう一つ扉があり、反対方向には二階へ行くための階段がある。

 デッドスペースを殺す為に造られたような階段は狭く、二階はそこまで大したものはないのだろうと思う。

 やはりすべて白い。


「お話は終わりましたかアトカさん」


 その階段から。

 狭く急勾配なのに慣れた様子で女性が降りてくる――既視感のある、受付嬢だった。

 煙草をふかしながら、ほうと息をつく。

 紫煙が充満して、視界がかすかに灰ばむ。

 タールとアンモニアとアセトアルデヒド。

 有害成分の少し苦手な臭いが僕の鼻をツンと曲げさせた。


「あ、はい。い、一応終わりました」

「……アンバー様と話す分には普通なのに、私と話すときはそんななんですね」

「これは僕のどうしようもないところなので……」

 申し訳なく思いつつ、しかし目は合わせない。

 「まあいいです」と受付嬢は呟いて、携帯用の灰皿へ煙草をすり潰し、火を消した。

 紫煙が少し晴れる。


「これ、その……あなたに渡せって言われたので」

 おずおずとトレイごと渡すと、受付嬢は無表情に受け取り、内容を斜め読みしていった。

 少し。

 微かに目を開いて笑った瞬間があったような気がしたけれど、すぐさま疲れた顔に戻った。

「悪魔の使いで、天使の婿さん。難儀ですね」

「え、ええまあ。はい」

 婿さんではないと強く主張したかったが、僕としてはこの場に居られるだけで奇跡のようなものなのだ。

 すぐさま逃げ出したいのをぐっとこらえている状態。


「こりゃあ大変な目に遭うでしょうね。三大天使が一人の恩恵を受けて、序列六位の十三鬼牢が一人の権能を譲り受けて……能力は強いですけど。それ以前にレベルと経験が足りない」

 藁半紙をクルリと巻いて、懐にしまう。

「私から見ても良いカモです」

「あ、はい」

 普通そこまで言うものだろうか。

 他人事だと思いやがってちくしょう。


 あからさまに肩を落とす僕に、受付嬢はくすりと笑って。

「だから力を付けましょう」

 そう言って、封筒を投げてきた。


 いきなりの投擲に僕が瞬時に反応できるはずもなく、無様に落っことして、それを拾い上げた。

 クスクスと笑われてしまう。

 情けないなあ。


 封筒を開いてみると、上等な紙と黒の平らなケースが封入されていた。

 平らなケースを開けてみると、そこにあるのは文字列と杖のマークの入ったカード。


「それは冒険者連盟から発行される”冒険許可証”です。カードとアトカさんの能力値は集積機レディオノイズによって結びつきされ、随時数値化、更新されていきます」

 受付嬢は「先ほど書かれた内容は後で入力しておきます」と付け加え、ケースから取り出すよう指示する。

 つまりこのカードでステータスが正確には読み取れるということか。

 文字が読めない僕からすれば、更新されたところで何を書いているのかさっぱりだけれど、便利なものには違いないらしい。

 ケースは不必要かと思って、返そうとするが、止められた。


「ケースに窪みがいくつかあるでしょう?」

 言われて見てみると、彼女の言う通り、二段四列で計八個の窪みがあった。

「ギルドの功績、人々の救済にたり得る行いをした場合。活躍した数それがバッジとして埋まっていきます。要は冒険者内にランクを作っているということです。ランクが上がるとハイリスクハイリターンな依頼を受けられます」

 ……どこかで聞いたようなシステムだな。


 まあそれは置いておいて。

 埋まっていればいるほど、その冒険者は手練れであり、尊敬されるということか。

 単純で分かりやすい構造ではあるけれど、その分トラブルも多そうだ。

 埋まった数の水増しとか。

 個数差による差別とか。

 その点を少し怪訝に思っていると、察知したかのように彼女は言葉を紡いだ。


「その数も集積機によって常に監視されています。実力のあるゼロ個も無能な八個もいますし……アトカさんの想定しているようなことはないと思いますよ?」

「あっ。そうですか」

 こええよ。

 何で言いたいことが分かるんだよ。


「先日冒険者を辞めた不良たちがいい例ですね。彼らは所持数は平均四個だったかと思いますけれど」

「へえ」

「初めはいい子たちだったんですけど、いつの間にかグレてしまったんですよねぇ」

 受付嬢はもったいないと言わんばかりに溜息をついた。

 すみません、そいつらが辞めたの僕が原因だと思います。

 不良がいなくなったのは個人的に良かったことだと思ってるけど、他に道はあったのではないかと考えなくもない。


 いいや。

 今後不良に絡まれる可能性がゼロに等しくなったと思おう。

 ポジティブに。ポジティブに。


「それで、アトカさんが舐められないように私が勝手に依頼を手配しておきました!」

 にっこりと笑い、軽やかな足取りで僕に近づいてくる。

 かと思えば、封筒を奪い、ケースと共に封入されていた上質紙を取り出す。


 ふむ。


「読めないです」

「分かってます。だから取っちゃいました」

 それにしては乱暴だったくないか?


 紙には極めて緻密に描かれた羽の生えたトカゲと文字列が連なっていた。

 その正確性を見る限り、多少の印刷技術はあるらしい。

 魔術魔法のある世界だし、活版印刷とは限らないんだろうけれど。

 天使や悪魔にそういう力、そういう才を貰った人がいてもおかしくはない。


「この絵はこの街――ジョードから少し離れた山岳地帯に定住し始めたドラゴンです」

「ドラっ!?」


 尻尾は長く、前足はすっかり退化してしまったようだが、かわりに大きな一対の翼――蝙蝠の翼に似たものが備わっている。

 皮膚は白く、鱗に塗れている。爬虫類のような琥珀色の眼。

 まさしくRPGに出てくる大物だった。


「これは白龍と呼ばれる翼竜の一種で、一般的なドラゴンとは違い火袋を持たない為ブレス攻撃はしてきません。その代わりに発達した足を用いた自衛行為をするようですね。あまり攻撃的な種ではありませんが鉱石採集に使われるポイントに巣を作っているようです」

 今度は上質紙を丁寧な所作で返してくれた。


「戦いずらい地形。群れを成し、シンプルに強いモンスター。人の迷惑になっている」

 指折り数えて、受付嬢は喜ばしそうに叫ぶ。

「こんなに良いシチュエーションがありましょうかっ!この依頼を達成できれば必ずバッジを入手できますよ!」

「無理ですよ!僕回復職ですし、なによりレベル1なんですよ!?」

 目を輝かせながら、僕の話はまるで聞かず、ぐいぐいと押し、外へ出そうとする。


「だいじょうぶです!勇者様ならどうにかできます!」

「ちがいますー!僕は聖術者なので、人を癒すことにしか能がないんですー!!」

 短い廊下の向こう側、正面の扉を開くとそこはギルドの裏口に繋がっている。

 路地の、人気の少ない場所へと辿り着けた。


 ドカッと。


 僕を蹴り倒し、ギルドから追い出して、受付嬢は高らかに謳う。

「さあ勇者よ!人々を苦しめる太古の龍を撃退し、世界に平和をもたらすのです!」

「そんなテンションじゃない話ですよね!?いや僕からすればそのくらいの難易度なんですけど!?」

「さあ行くのです!!行けったら行けっ!」


 バタン、と。

 僕の言葉を聞く余地もなく、扉は閉まり、もう後に引けないことは分かってしまった。

 溜息をつきながら、立ち上がり、すっかり夕焼けの空を見て、僕は思う。

 ポケットをまさぐっても安全ピンが一つ入ってるだけの無一文は思う。


 今日もまた野宿なのかと。


 がっくりと肩を落として、大通りへと進んだ。


 扉の奥で、アトカが居なくなったのを確認した受付嬢は一人呟く。

「これで死んでくれたら楽に終わるんですけど……アンバー様のお気に入りはどのくらいの実力なのか。楽しみですねえ」

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