004:気付かずに張った伏線を回収するのは苦労する

 僕は少女に勧められてソファへ座り、少女に勧められて紅茶を飲んでいた。

 純白のテーブルにはパールホワイトの絵付けのないティーカップが二つ。


 こういうとき。

 普通話し相手は対面するべきなのだろうけれど、僕の腕に抱きつくようにして隣にいる。


「いいか少女。僕は勇者じゃない」

「うそよ」

「何を根拠としてだよ」

「このへやにきたからよ」


 少女は片手で紅茶を口に含んで、「ほぅ」と恍惚とした表情を浮かべた。


「部屋に来たら勇者って言うんだったら、僕を案内した受付嬢はどうなるってんだ」

「あの子はゆうしゃじゃないわ」

「どうして」

「わたしのしんじゃだもの」

「信者ねぇ……」


 確かに。

 ここは教会のような見た目をしているし、ギルドの受付嬢がなにかしらの宗派のシスターと言われても違和感はないけれど。

 だからといって簡単に信じられるか。

 数日前に悪魔と会ったと思えば、今は天使に勇者と慕われている。


 いい加減にしてほしい。

 僕の人生はこんなに波乱万丈であるべきじゃないんだ。


 はあ、と。


 溜息をついて、どうにか現状を呑み込む。

「話を整理したい。お前は何者なんだ」

「みてのとおり」

 そう言って、僕の腕はがっしり離さないまま片腕を広げて、自慢げな顔を見せる。

 つまり僕の予想は合っていて、この子は天使に間違いないのだろう。

 小さな翼、大きな輪っか、僕を押さえつける剛腕。

 明らかに人外。

 僕が対人恐怖症を発症しなくてすむ一例。


「分かった次は自己紹介だ。僕の名前はアトカ、ここには冒険者になる為に来た」

「ちがうわ」

「なにが」

「しってるもの」

「なにを」

「うえおかあい」


 その六文字。

 その名前。

 偽名ではない、真名。


 僕は血の気が引いて、飛び退き部屋から退出したくなるけれど。

 腕が――右腕を掴んで離さない少女の細腕が、それをよしとしなかった。

 僕は人違いを、たまたまアトカと言う名前が彼女の言う勇者様と被ってしまっていた可能性も、あるかもと思っていた。

 たったいま、それは無くなったわけだが……


「わたし、ゆうしゃがすきになっちゃった」

「どうして。僕みたいなのはいくらでもいるだろう。それに初対面だ」

「ちがうわ」

「初対面じゃないってことか?僕はこっちに来て数日も経ってないのに?」

「けどわたし、しってるもん」


 頬を膨らませ、頑なに主張する少女。

「……分かったよ。じゃあ君のことを教えてくれ」

「わたしのこと?」

「初対面云々の話は埒が明かなそうだから自己紹介に戻ろうってことだ」

「けんめいね」

「……………」


 元はと言えばこいつのせいなのだが、きっと言っても無駄だろう。

「あんばー。てんしよ」

 少女は――アンバーは薄い栗色の目を見開きながら、僕の目から離さないで言った。

 ずっと見ていたくなるような薄栗色アンバーの瞳。

 その思考を振り切って、彼女から目を逸らした。


「それで天使様?僕に一体何のご用件で閉じ込めたんですか」

「とじこめてない」

「そうなんだ。じゃあ脱出したいんだけど」

「いやよ」

「どうしてだ」

「まだようけんがおわってないもの」


 トンと。


 彼女は空いている方の手を机の上にかざして、指先で机をたたく。

 すると、高級そうな机はあっさりと割れて――割れたかのように見えたが、その実異空間に繋がっているだけだった。

 いや異空間て。


 机の上に薄い切れ目。

 それは淡く発光しながら、中身の覗かせた。

 シャボン玉のような蠢く玉虫色の中に無数の物が浮かんでいる。


 それは巻物であったり、ハードカバーであったり、大剣であったり、防具であったり――おそらく街のどこを探しても見つからないであろう品々が詰まっている。


「はい」

 アンバーは抱きしめておいた方の腕をその中に押し込んだ。

「おいっ!?なにしてる!?」

 その呼びかけにアンバーは応じない。

「にぎって」

 開いている方の手で彼女の手を握ってみる。

「ぽっ」

「冗談だよ」

「もういっかいやって」

「冗談だって」


 手を放そうとするも、力が強すぎて動かせなかった。

 知ってはいたけれど、強気にからかったところで通用しないらしい。


「いいから」


 ぎゅっと。


 余計に手を切れ目に突っ込まれてしまった。

 握れと言われても手を中でかき回してみる限り、なにかに触れているような感じはない。

 抜き身の剣とかが当たるのは嫌だから、恐る恐る――文字通り手探りで動かしてみるが。


 なにもない。

 なんにも、触っていない。


 ここまでなにもないと切れ目を除いたときに見えた業物たちは何だったのかとも思う。


「にぎらなきゃ」

 今度は従順に、言われた通り、僕は期待せずにパーの手をグーにした。

 すると、


「ん?」

「みつかったみたいね」

「さっきまでなんにも無かったのに……どういうこと?」


 手には何か棒状のものを握った感覚がある。

 皮か布が巻かれた持ち手を握ったような。


「そういうちからだもの」

 アンバーは強引に僕の手を引き抜くと、握った棒は裂け目に引っかかることなく、するりと抜けて部屋の中に納まっていた。


 それは過度な装飾の無い、黒い鉱石を削って作ったような――

「杖?」

「つえね」

 それは持ち手にだけボロ布の巻かれた、それ以外の場所を触ってしまえば指を切ってしまいそうな”抜き身の刀”ならぬ”抜き身の杖”だった。


「これはね。わたしのちから。ひとにいちばんひつようなものをあたえるの」

「へえ。つまり僕は魔法使いなれってことか。多少なり不良との因縁があったし」

「ちがうわ」

「へ?」


 アンバーは首を横に振って、僕を否定した。

「このつえはかいふくのつえよ」

「つまり僕は回復職に就くって事か」

「えへっ。えへへへへっ」

 横で不気味な笑い声が聞こえる。


 ……嫌な予感しかしない。

「あのね。かいふくしょく、つまりしんかんやしんぷになるにはね、しんこうたいしょうがひつようなの」

「へえ」

「だからね、あのね。わたしをしんこうしてほしなって」

「いいよ」

「ことわりたいのもわかるけど――って。いいの?」


 アンバーは目を丸くして、僕をおどろいたように見つめていた。

「僕を呼んだ理由も、僕がどうして天使であるお前と易々会話できているのかもさっぱりだけど。正直まだびびってるけど、べつにいいよ。信仰するくらい」

 宗教観の薄い日本生まれ日本育ちなせいか、さして宗教へ入ることに抵抗はない。

 明らかに頭のねじが飛んだ宗教なら御免被るが、この子の様子を見る限り、すさまじくやばいってことはないはずだ。


 別に無宗教を貫いていたわけでもないし。

 臨機応変に対応することが、一番大事だろう。


「やばそうだったら転向するし」

「そこはっ!だいじょうぶ!わたしは無理強いとかしないし!」

 やや興奮気味に、少女は鼻息荒くそう言う。

 すこし微笑ましく思っていた、じぶんがいた。

 にしても、リオちゃん勝手に宗教に入ったとか言ったら怒るだろうなあ。

 それも軽いノリで。

 天使嫌いとは聞いてないけれど、悪魔なんだから天使くらい嫌っててもおかしくはない。


「えへへっ、これでりおよりいっぽりーど……」

「なにか言ったか?」

「ううん!なんにも」

 ……りおっておそらくヘリオトロープのことだよな。


 聞こえなかったことにしよう。

 聞こえなかったことに。


「ねえ。ゆうしゃ」

「なんですか我が主」

「……あんばーって、よんでいいんだよ?」


 きょとんとした顔で腕を抱きしめる力を少しばかり強くする。

 高校生がどうあがいても抜け出せないほどの力が、少しばかり強く。

 これはお願いではなく脅迫だと、聡い人間は気付くだろう。


「わかったアンバー。アンバーね了解」

 力は緩まった。

 腕捥げるかと思ったわ。


「じ。よめないんでしょ?」

「読めないね」

「いっしょに書いてあげる」


 アンバーはいつのまにか用意されていた銀のトレイを僕と彼女の中央に動かした。

 中には藁半紙のようなものと万年筆。

 さっき僕が見たものとまるっきり同じセットだった。


「それじゃあいくよ」


 アンバーは懇切丁寧に説明しながら全ての項目を僕の言う通りに埋めていった。

 ただ職業と信仰宗教の欄は先に埋められていた。

 おそらく職業の方は『神官』とか『神父』とか『僧侶』とかなんだろうと予想が付くけれど。


 宗教……この宗教の名前ってなんだ?

 名前を知らずに入るとか前代未聞過ぎるな。

 焦りに身を任せてアンバーは問うてみる。


「僕はこれでアンバーを信仰するに至ったんだけど、宗教の名前とかってあるの?」

「うん。”しゅうは”はあんばーさいど」


「しゅうきょうは、『まじゅつきょう』っていうの」

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