002:偽りの名前、逸話の腕
スライムの女の子と川の男と別れてしまって、森を抜けて街へと向かう道の途中。
僕は多少後ろ髪惹かれながら、しかしああも見栄を切ってしまった以上戻る訳も行かず。
ずんと落ち込んだ気持ちのまま、足取りはたどたどしいまま、恐ろしくのろい歩速で道を歩いていた。
その理由はもちろん寂しさもあるけれど、街に行きたくないこともある。
そして、あの巫女の少女に会ってしまうかもしれないからでもある。
僕に親切心で言ってくれたであろう言葉の数々を――いくら混乱気味だったとはいえ、暴言で殴殺したのは目に余る行為だったと思う。
会ったら謝りたい、という気持ちは本物である。
しかしそれ以上に会うのが怖くもあるのだ。
僕が彼女と再開して、またああいう風にならないという保証は無いし……
パンと。
ネガティブを追い出すように、両手で頬を叩く。
もう一度会えるかどうかも分からないのに、考えたところで「捕らぬ狸の」というやつだろう。
「いまはそれどころじゃないしな」
僕が今から考えるべきは、偽名の件とこれからどうするか。
ひとまず適当な名前を考えてしまって、これからの展望の方にリソースを割いてしまおう。
「ふむ……」
偽名とは言ったものの、一体どのような名前にすれば魔術家たち魔法屋たちのお眼鏡に”かなわなく”なるのか皆目見当がつかない。
個人情報の共有が僕たちにとって不都合でしかないとは言え、どんな名前が普遍的かどうかは聞いておくべきだったか。
いや。
それにしたって、そこを参考にしている時点で、推測に推測を重ねれば、おおよそ僕の偽名をピタリと当ててしまうことも可能と言えば、可能か。
歩きながら腕を組む。
困ったな。
どうやって偽名を考えよう。
二人の会話からして、こっちの世界ではファミリーネームとファストネームを使うことが多いらしいな。
なんというか異世界――西洋をモチーフにしている世界らしいなあ。
ともすれば。
ボブとかジョンソンとかスティーブとかスミスとか、そんな名前を使えば良いのか。
「…………」
もしかしたら命が掛かっているかもしれない偽名決めで考えることではないのは確かだが、そういう名前は僕には似合わない気がする。
いかにもアジア顔、いかにも日本人顔なのに、名前はゴリゴリ西洋というのは逆に目立つのではないだろうか。
目立つはずだ。悪目立ちすると思う。
生い立ちとか聞かれると偽名なのがばれてしまいそう。
「実は早くに親を亡くしてしまって、孤児院に拾われたのですが、名前が無かったらしく……これはそのときに」とでも嘘に嘘を重ねなければいけないのだろうか。
駄目だな。
僕の対人恐怖症とストレスへの弱さを鑑みる限り、そんなことしてしまえば、胃潰瘍まっしぐらだ。
まあ病気もすぐさま治る体ではあるのですが。
体の傷は治せるのが不良戦で実証済みだが、心の傷が全く言えないのも巫女との死闘で実証済みだ。
正直なところ、これから人が多くいるところへ向かわなければいけないと考えるだけで、胃が痛い。
けど街以外に目的地も無いしなあ。
はあ、と。
嘆息して、偽名の方へ頭を傾ける。
上岡藍。
うえおかあい。
アイ・ウエオカ。
あいうえおか。
A-to-KA。
「アトカってそれっぽくないか?」
名前からの連想ゲームだから、逆回しにすれば正解に近づく可能性が大いにあるが、だからといって「アイ・ウエオカ」というダジャレのような名前が本名とは思うまい。
そもそも五十音を知っているのが前提だし、異世界の人々と会話はできているものの、文字記号まで日本語ということはあるまい。
ただの推測に過ぎない希望的観測だが、もしヘリオトロープの言うことを信じるならば、この世界は「こうだったらいいなあの終着地点」なのだ。
そういう風にできていても、何ら疑問は無い。
ファミリーの方はどこぞの貴族や魔術一家なんかとたまたまかぶってしまうなってことが起きても嫌だし、追々でいいか。
よし。
これから僕はアトカだ。
この名前も、なにかと被っていたら面倒なことが起きそうだな……あまり執着せず、当たり障りのない名前になるよう調節は随時しよう。
さて。
次はこれからの方針だな。
僕はそれ以外の当てがないから仕方なく街へ、名前を知らない街へ再び戻っているのだが、戻ってそこからなにをしようか。
王道な展開で言えば、これからギルドや冒険者連盟なんて風に呼ばれる――異世界版ハロワへ行かなければいけないのだろう。
もしくは魔法やら魔術を学べる学校だろうか。
……学校に通えるほどの魔法の才はあるかどうか不明だし、あいにくと学校へ通えるほどのお金を持っているわけではない。
それ以前に無一文だ。
あれっ。
そうか、僕はお金を持っていないじゃないか。
その上売れそうな、質へ入れられそうな荷物もない。
転生時の僕の売れそうな荷物と言えば、コートや学ランだが、どういうわけか今の僕の手には何一つ残っていない。
おっかしいなあ?
「はぁ……」
やっちまった。
いくら混乱を、対人恐怖症を発症していたとは言えこれでは何もできないじゃないか。
この世界でもそうとは言い切れないけれど。
何をするにしても、かさむのがお金だ。
これで質屋や服屋で僕の服がもし売られていたなら、そこそこ凹んでしまう自信がある。
もうギルド何某の世話になるしかないようだな。
……ダークホースとして、僕がヘリオトロープから貰った能力をあらん限り、悪用し(悪魔から貰ったので正規の使い方といえるかもしれないが)そこそこ強いモンスターの頂点に立つという策もある。
しかしそれは最終手段。
男があれだけ目立たない方がいいと忠告しておいて、簡単に無視できるほど、精神は太くない。
いくところまでは自分の善性を信じていきたい。
ギルドに入って、とりあえず宵越しの金を稼げるくらいには強くなる。
今のところはこの方針でいいだろう。
随分と、ふわっとして計画だけれど、それ以上に現状考えられることはないはずだ。
あとは。
そうだな。
「僕の対人恐怖症とこの腕だよな」
乾いた音で笑いながら、自分が笑えない状況に置かれていることを再度確認した。
対人恐怖症のスイッチ「人と話す」「人が自分を意識する」を起こさないよう、起こさせないよう細心の注意を払う必要がある。
こういう風に客観視するとおかしな話だが、僕は人が変わったように人のことが怖くなっている。
仮面とかマスクとか、そういう顔が隠せるものがあれば、多少マシになる気はするんだけど……街で探してみるかな。
いや、それを買うにもお金は多少なり持っておかなければ。
どちらにせよ丸腰で、対人恐怖症もろだしでギルドに入り、依頼を受ける必要はあるのか。
「気が重いなあ」
その上な。
と、カッターシャツの袖を捲ると、赤黒い幾何学模様のタトゥーのようなものが肘から手首にかけて刻まれている。
いまは不活性化しているため色は淀んでいるが、これが僕の中で"スイッチを入れる感覚"を始めると、流動するように爛々と輝き出す。
てっきりこの模様は能力発動時にのみ見られるものだとおもっていたが、そう上手い話もなく。
スライムに能力行使をしてからずっと残りっぱなしなのだ。
これを人に見られるわけにはいかないだろう。
右腕は意地でも隠しておかなければ。
そんなことを考えている中、街は少しずつ大きくなって、細部まで細かく分かるようになって――だんだんと近づいていることが分かった。
行きたくないけれど、行くしかないのだろう。
右腕の袖を降ろして、ボタンを留めた。
日は少し傾いている。
時刻にして四時くらいなものだろか。
さっさとギルドに登録して宿代くらいは稼がないと、また野宿になってしまう。
久しぶりに毛布に包まって安眠したい。
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