二節:対コウ措置

000:欲しいものは

 聖堂。


 突き抜けて高く丸みを帯びる凸の天井、そこから垂れるように地面まで伸びる幾本の柱、丁寧に磨かれた大理石の床、天井と柱の隙間を縫うようにして敷き詰められた色とりどりのステンドグラス。


 驚くべきことにここではステンドグラス以外、全ての装飾、全ての建材が白い。

 真っ白で、純白で、一つの色以外を完全に排除してしまっている。

 その分ステンドグラスの鮮やかさが目立つような設計にしたのだろうけれど、どちらかと言えば悪目立ちの部類になってしまっていた。


 そんな白を基調として余計なものを一切含まないここは、邪教と恐れられる宗教の一つ――『魔術教』の総本山たる大聖堂である。


 通称、光の城。


 異端ばかりの魔術教であるのに総本山が真っ白である為に”光の三原色”になぞらえて付けられて名前だとか。


 ステンドグラスの印象的なまでの不気味さを強調した名前だとか。


 魔術教は邪教ではないことをイメージアップ作戦で付けられた名前だとか。


 根拠のある定説から根も葉もない噂に至るまで、この大聖堂はさまざま意味づけが絶えず行われている。


 ぎちぎちと。


 光の城という通称は大聖堂を縛っていた。

 偶然なのか、設計なのか。

 ”光の城”と言う名前の意味は絶えず増えているせいで魔術的な縛りはとても強固であり――


 大抵の攻撃を受け付けない、境界として過剰なまでの拒絶性。

 大抵の天使を呼び込める、教会として過剰なまでの神秘性。

 大抵の人間を洗脳できる、協会としての過剰なまでの誘惑性。


 教会としても、協会としても、境界としても、一流。


 拒絶し、誘惑し、神秘を含む。


 魔術に、魔法にまるっきり疎い人間でさえ魅了してしまうそこだが、人がたやすく行き来できてしまえば、試験場としての条件は少しずつ薄れてしまう。

 大聖堂はブラックボックスであるから、人々は思い思いに意味を見出すのだ。

 それが正当な理由かどうか、無理矢理な理由付けかどうかにさして問題ではない。


 皆が皆、多角的に縛ればそれでいいのだ。

 いい加減であるから、適当であるから、その縛りが歪んでいるから、その歪みは他の歪みと絡み合って、解けなくする。

 小奇麗か、大雑把か問わなくていい。


 本質が”絶対”ならば。


 大聖堂は魔術を嗜む者、魔法を狂信する者にとって「目指すべき場所」「再現すべき聖域」という意味合いがある。

 彼らが目指せば目指すほど、知れば知るほど、それぞれの意味を掴むため、結果大聖堂が遠く離れて完璧に近づくのだから、いっそ憐れでもある。


 だから「本質を知られてしまっては張りぼてになる」という理由で、普通ここは誰も訪れることを許されていない。

 何人も大聖堂へ行くことは、本来近づくことさえ重罪である。


 されど。


 カツカツと。


 大聖堂の床の上で滑る、気だるげな足音。

 物が全く置かれていないせいでひどく低い吸音率を露呈させるように、反響しながら響く。

「…………」

 仮に家具を敷き詰めていたとしても聖堂の大きさが大きさなので、それは意味の無い事だと足音の主は知っている。

 舞い散る埃に顔をしかめながらその人物は淀みなく、勝手知ったる様子で歩いていた。


 何事にも例外はある。

 大聖堂はなにも地面から生えてきた訳ではない。

 設計に携わった者ならば、知ってしかるべきである。


 しかし。


 この現代において――大聖堂の設計、製作、完成にかけて数百年を要し、完成からさらに数十年経っている現代において、そんなものいるはずがない。

 仮に設計した者が生きているのならば、それは、そいつは間違いなく――化物である。

 大聖堂で歩く人は、聖堂を縦断するように伸びた白いカーペットを土足で踏んで、音を殺す。


「お久しぶりです教皇。陛下におかれましては、ご息災にお過ごしのことと存じ上げます」

 カーペットの上で、白衣が埃で汚れてしまうのを嫌がりながらも跪いた者は――ツンと尖った耳を持つ妙齢の女性であった。


 妖精と形容されることもあるその種族の長所は「長命」と「魔力の高さ」、そして「美麗な容姿」にある。

 例外たり得るために必要なあまりに長い寿命と、聖堂の開発に携われるほどの魔術教での地位。

 金色の短髪で丸眼鏡をかけ細い眼をより薄くして微笑む姿は美しさ以外の何物でもない。


 彼女は化物であった。

 現代風に言うならば――エルフ。


「よせ。年長者が若造に敬意なんぞ払うものではないぞ」

 彼女の視線の先、ずっと向こうにその声の主、若造――ではなく年老いた男はしわがれた声で言った。

 男は過度ではないにしても、軽度ではない装飾のついた正装のローブを身に纏っていた。

 教皇と呼ばれるに足る威厳を備えた老人。

 大聖堂の持ち主ならば、出入りに制限される謂れはないだろう。

 もう一つの例外、それが彼だった。


 彼は彼女に近づいて、自身が埃に塗れることを厭わず、膝をついて手を取った。

「元気にしていましたか、師匠」

 その声は老人のものであった。

 顔の全面に深く掘られた皺をいっそう畳むように、愛嬌の笑い方をする。

 師匠と形容された女性は老人の手を握って立ち上がった。


「……元気だったさ。少なくとも暇はしていないね」

「そりゃあ良かった。なんにもしてないとエルフだってボケだしますから」

 老人は女性の回し蹴りを喰らって、こけかける。

「そんな話をしたくて、そんな馬鹿な冗談を言うために私をはるばるここまで呼び出したってのかい?」

 自分の白衣の裾を手に取って、埃を払いながら、老人を睨む。

 焦ったように老人は両の手を振って、

「違います違います!私だって暇じゃないのはおんなじなんですから」

「そりゃそうだろうね。何の理由もなく教皇サマがこうやって追放されたはずの魔女と会ってるのはおかしな話さね」

 老人は慣れているのか、女性に対して言い返すこともなくただ苦笑い浮かべるだけだった。


 その様子を見て、女性は「変わらないね」と溜息をつく。

「私が呼び出したのはこれが理由です」

 老人は見計らったように、丸まった羊皮紙を取り出した。


 女性がそれを受け取ると、羊皮紙は二枚重ねになっていて、一枚はどこかの地図、もう一枚は細かい文字の羅列――なにかの報告書のようだった。


「ラクド川はご存知ですか?」

「ラクドっつーと……ド辺境の川じゃないかい?」

「国境付近の川です。よくご存じですね」

 老人の語気の強い言い換えに、女性は「たまたまだよ」と肩を竦めた。

「それで、国境沿いの川がどうしたのかい?」

「枯れたんです」

「へぇ。首都のライフラインならいざ知らず、地方都市にまで気を配るなんて善政で善性の王様は違うねぇ?」

「からかわないで下さいよ」

 女性は老人の返事に軽く笑って、羊皮紙に目を落とす。


 一枚目。

 薄小麦色の紙に書かれていたのは地図である。

 国全体を捉えたものではなく、一部分を切り取ったもの。

 ある地方の街を中心として山の形、川の流れ、勾配や廃墟に至るまで事細かに書かれている、およそ平民には手に入れられそうにないほど正確だった。

 その地図の中に惜しげもなく赤インクで印が付けられている。

 その印は一本の川――ラクド川を囲っていた。


「枯れたという表現は良くないかもしれません。正しくは、川の水が無くなった」

「無くなった?」

 女性の鸚鵡返しに、老人は首肯する。

「降水量の減少もなければ、平民の使い過ぎもない。直近の井戸建設も数年前です。これは明らかに、」

「魔術的ってことさね」

 女性に台詞を奪われ、少し寂しそうな老人は再度首肯した。

「貴族や教会の協力を得て、調査を行ったのですが……」


 女性は二枚目をめくる。

 細かな文字で、何行にも何列にも書かれたそれはラクド川の魔術的な調査の詳細な情報であった。


 調査一回目。

 実施内容:ギルド加入者とブラックリストをもとに、残留魔力からの人物特定。

 結果:不可能。前提である魔力の痕跡が見られなかった。隠ぺいされている、もしくは魔道具による犯行と推測。

 

 調査三回目。

 実施内容:精霊使いによる人物特定。

 結果:川の周囲の精霊は対話を頑なに拒否。強引に対話を試みるも、ひたすらに怯えていることしか分からず。犯人は精霊の扱いに精通していると推測。

 

 調査七回目。 

 実施内容:魔物使いによる人物特定。

 結果:川周辺に住む魔物はテイムが不可能だった。強引にテイムを試みるも、通りがかりの少女に何度も邪魔をされる。五度目の実施の際には魔物の姿が消えていた。犯人が少女である可能性アリ。

 

 七回目のアリというところには乱筆で「あるわけない」と上書きされていた。

 その他にも合計九回の実施調査の内容が極めて平静を装って書かれていたが、どれも犯人像を増幅するだけに留まるだけで、影すら踏めていないような状況だった。

 九回目の推測には「もう悪魔とか天使の悪戯だと推測」という諦めが手に取るようにわかるヤケクソの一文が添えられていた。


「……これはあれかい?お前の若い頃の理想像かい」

「そう思うのも無理ないです。魔術でしか表現しようのない事象に、魔術的な調査が通用しない。これはもう人の域を超えているとしか」

 老人は困ったような顔をして、女性は眉間に指を当てていた。

「つまり魔女である私なら、人の域を飛びぬけた私なら。これの犯人捜しに役立つだろうと」

「言い方に棘がありますよ師匠」

「いいじゃないか。綺麗事じゃ済まされない話になってきたから私に頼ったんだろう?」

 老人は言い返せない、というより言い返さない。


 女性はしばらく老人を睨んだ後に、

「分かったよ」

 と根負けしたように力なく笑った。

 その様子に老人は顔のしわを深く畳んだ。

「けど、これは私の出る幕じゃない」

「……私が動けばいいんですか?」

「パシリ根性がまだすわってるのは良い調子。けど、そうじゃないさね」

 女性はにやりと悪意のある笑みを老人に向ける。

「最近新しく弟子を取ったんだよ」

「弟子?」

「つまりあんたの妹弟子」

「会いたいんですけど」

「無理に決まってるじゃないか」

 老人は女性のあの悪意に満ち満ちた笑みの意味を理解して、ひたすらに落ち込んだ。



「安心しな。あの弟子は、多分使えるよ」

 


 ――青く碧く蒼い長髪、夏の爽やかな風になびかせて少女は思う。

 体に不釣り合いな杖を持って、真新しい新品のローブをはためかせ、少女は想う。

 ひたすらに外の世界を、まっすぐに冒険を、一途にまだ見ぬ仲間を。

「冒険者ってどうしたらなれるんだろう」

 少女はまだ知らない。

 魔法以外の、この世の全てを。

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