010:忘れてしまって、忘れちまって、忘れちゃって

 朝からの活動ということもあって男の射程範囲に地下水が収まったのは昼あたりであった。


 緑が生い茂り、繁茂する森の中。

 木々の隙間からは爽やかな青空が見えている。

 木の根に腰かけるようにして僕と女の子と男、そして凄まじい数のスライムたちが対面していた。


 元スライム現女の子に助けられた気候条件によく似た今。

 しかしあのときとは違って、僕らの取り囲む空気はあまりにも重い。


 ズンと。


 湿り気多く、淀んだ雰囲気が流れている。


「あ、あのぅっ」

 それを打破するように口を開いたのは女の子である。


「契約者は、どうして名前をおしえてくれないんですぅっ?」

「……別に大した話じゃないんだけど。ほんとに聞きたい?」

「あうぅっ」

 女の子は参ったような困り顔で僕から視線をずらした。


 ずらした先に居るのは、男であった。

「俺は気になります。どうしてそこまで渋るのか、理由がない訳ないし」

「……分かった。別に長い話でもないから」

 くずれた居住まいを直して、僕は二人の顔を見た。


 おどおどしながらも、今度は目を逸らさない。

 堂に入ったまま、目を逸らさない。


 ここまで期待されたら、僕の話の面白く無さに肩透かしを覚えさせてしまいそうだけど。

 いつかは話す話だ。

 それがシリアルに、ギャグに転んで打ち明けるかは定かじゃないけれど。

「僕には『上岡藍』という名前があった」

「ウエオカ・アイ?じゃあウエオカさんって呼べばいいんですかぁっ?なんだか、変なファストネームですねぇっ」

「上岡は苗字だろ」

「苗字だね」

「うへぇっ!?ますます変ですぅっ!」

 その言葉に周りのスライムが首肯する。

 しかし首は無いので転げ回っているようにしか見えない。


 スライムたちには日本姓の馴染みがないらしい。

 それに対して、この川男……どうして読み方を、更に言えば苗字っていう名称まで知ってるんだ?


「じ、じゃあアイ・ウエオカ?」

「そうなるね」

「へぇっ!これからはアイさんって呼ぶことにしますねっ!」

 女の子は嬉しそうにはにかみながら、高らかにそう宣言した。


「趣旨がずれてるぞお嬢」

「えーっと?何の話をしてたんでしたっけぇっ?」

 僕は苦笑いし、男は溜息をついた。


「”あった”ってことは今は違うんすか。名前を奪う婆の元で働いた経験でもあるんすか」

「まさか。僕はただ一度死んで、生き返った身だからこの名前を名乗っていいのか迷ってるだけ」


 静寂。


 男と女の子はほとんど同時に息を呑んで、息を殺した。

 そして僕を観察するような目を向ける。


 じろじろと。


 化物か怪物を見るような眼つきで。

 ――僕との心の距離を離すような眼つきで。


「親方が死んだ……?まさかだってあんたには、ありえない強さの能力が――序列六位の能力が備わっているじゃないすか」

 男の声はわずかに震えていた。

 まるで最悪のケースを想定しているような声色だった。

「これを貰ったのは死んだ後だよ。死んだ後にヘリオトロープに会って、貰った」

 男は僅かな安堵を見せた後、その直後に体を硬直させた。


 すかさず女の子が疑問を呈す。

「死んでから貰うっ?死んだ直前にとか、ギリギリ首の皮一枚繋がってたところをとかじゃないんですぅ?」

「いんや。しっかり死んだ後だね。ヘリオトロープ曰く、能力を行使した後にそれを与えたらしい」

 今度は女の子が硬直する。


 硬直というより、思考を放棄しているような魂の抜け具合だった。

 男は錆びついたボルトのようにギギギと女の子の方を向く。

 女の子は緩慢な動きで、力なく男の方を向いた。


「まあうちの親方だしな」

「ですね」

 二人はぐったりと項垂れたのち、首を傾げるばかりだった僕に説明をしてくれた。



 一つ目。

 悪魔は能力を授ける対象に身元を語ることはない。

 それは名前を知っているだけで不利な状況になるかららしい。

 まして序列六位となれば姿すら見せないはずだという。



 二つ目。

 死んだ後に拾われることはまずない。

 拾われたとて僕のように自由行動が約束されることはないようだ。



 三つ目。

 能力は普通生命として階級が上がったときにのみ与えられるもの。

 人間には天使、モンスターには悪魔と厳格に決まっているようで、悪魔に関わりがある時点で変らしい。変と言うか重罪。



「……そんな人を珍獣みたいな目で見ないでよ」

「闇市に売りに出したら十億は堅いですねぇっ」

「ブラックジョークが過ぎるっ……!」

 全然笑えなかった。


 とにかくと。


 男は僕にピースを――人差し指と中指を立てた左手を見せてきた。


 中指を折る。

「まず親方は偽名を作りましょう。魔術魔法の素材としてあまりにも珍重される要素を持ちすぎてるってのと、その名前は珍しいから覚えられやすいってのが理由す」

「なんで覚えられやすいとだめなの?」

「そういう輩の意識外に行くためです。選択肢として”面白くなさそう”ってのは重要すよ。あいつら基本好奇心で動くんで」

 遠い眼をして、そう僕に忠告する姿は見るに堪えなかった。

 ずっと街を支えてきたインフラなだけある。色々あったのだろう。


 次に人差し指を折った。

「自分のことは基本話さないで下さい」

「どこまで?」

「どこまでもっすね。親方が悪魔の試験体である時点でキルライン、能力のことと悪魔のことを話さないのは絶対遵守。もちろん悪魔の名前も出さないで下さい」

 男は真剣な表情のまま「どうしようもなくて、能力のことを言わなくちゃいけなくなったら”治りが人より早い才”って答えて下さい」と言う。

 ”力”ではなく”才”と言わなければいけないのは、天使が人に与える能力がそういう風に呼ばれるからだそうだ。


 あれっ。


 僕の人生、前より辛くないか?

 人間関係に疲れてはいたけれど、ここまで人間離れ――物理的にも精神的にも人から離れなければならない理由ができたのは初めてだ。


「これからどうやって生きていこう……」

 二人も僕にはかける言葉がないらしい。

 比較的立ち直っている二人とは対照的に僕の心は重く沈むばかりであった。


「あと、これはちょうどよかったというか。幸運な話なんですけど」

 と気分を換えるように、男はいつになく声のトーンを上げて無理に話し始めた。

「なんかいつもよりテンション高くないですかぁっ?おもしろーっ!」

 男は女の子の頭を無言で殴った。


「それで、俺たちまだ自己紹介せずにここまできたじゃないすか」

「確かに。名前を聞いたり趣味を言ったりする余裕は無かったしな」

「じゃあっ!今しましょうよぉっ!はいはーいっ!私からいきますねぇっ!私の名前むぐっ!?」

 男は近くにいたスライムを女の子への口元へと投げて、喋りを封じた。


「幸運な話で!自己紹介してないですねってことは!しないほうがいいにきまってんだろっ!!」

 マジギレだった。


「す、すみません……」

 マジ反省していた。


「俺たち二人が激レア、そして親方は極まったレア度。喉から手が出るほどおいしいモンスターす。名前趣味嗜好容姿年齢ステータス値――全部分からない方が安全になります。俺たちにも分かんない方がいいす。頭を覗き見る奴とか普通にいるんで。親方は……種族の関係上、ギルドとかに入らなくちゃかもしれないすけど、そのときは本当に気を付けてください。ステータス値はパーティメンバーにもギルマスにも見せないで下さい。見せすぎないのも怪しまれるので、そこは自己判断でお願いします」


 男は頭を深々と下げた。

 その姿に、いつもより真剣で真摯な対応にこちらとしてはたじろいでしまう。

 その姿が意味するのは、あれだけのことをしでかした男が頭を下げなければいけないほど、この世界には強く、僕らには敵いっこない敵がいるということ。


 そしてその敵の数も多い。

 危うい立ち位置に居るということなのだろう。


 僕も、仮称男も、仮称女の子も。


「じゃあ偽名も僕一人で考えた方がいいね」

「……無理な相談かもしれないすけど、今から考える偽名は本名のように扱って、本名は綺麗さっぱり忘れちゃってください」

「それは確かに無理な相談だな」

 十七年間寄り添ってきた名前をそう簡単に捨てられるはずも――ということではなく、脳の都合上名前なんて重要度の高いものを忘れるのは至難の業だということ。


「僕らも忘れます。忘れることが身を守ることにつながるので」

「ちなみに私はもうわすれちゃったよぉっ?」

 ドヤ顔で僕らに威張る姿は、とても腑抜けていて、いつになく笑えて――彼女なりに気を遣っているのがよく見て取れた。

 あれだけ仲間のことを思って僕に助けを求めたモンスターが、人に助けを求められるほどの理性あるモンスターが、人になって馬鹿になるはずもないだろうに。


 森へ走り込んだときは死ぬかと思ったけれど、スライムに助けられた。


 スライムと話しながら歩いた道中は楽しかった。


 スライムの為に男と共戦したのは誇らしかった。


 三人で過ごした数日は、なにより。


 現実でも十七年間より。


 充実していた。


 僕らが共に生活し、共に生きていた時間は短い。



 けれど。



 僕はこの人たちと、このモンスターと肩を並べられたことを誇りに思い、そして。


 忘れてしまおう。


「じゃあお開きにしようか」

「そうすね」

「はーいぃっ」


 僕はそのまま街へ降りて。

 男はずっと深い彫り進めた地底へと潜り。

 女の子はスライムの大軍を連れて、枯れた川へと戻る。


 振り返らず。

 何も言わず。

 すっかりと忘れてしまったように。


 そうしないと、そうしなければ。


『泣き顔が見られてしまうから』

『泣いてるのを見られたくないから』

『泣いちゃってるのを見せたくないから』



 泣き顔は、記憶に残ってしまう。


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