008:ギャクサツ完了
雫すら残さず枯れ切っている川底で、僕はひたすらに安堵していた。
座りっぱなしというのもどうかと思って、立ち上がって――男の隣に立つ。
腕や足は筋肉質であるというより、どちらかと言えば僕の体型に、太くも細くもない中肉に近い。
しかしその客観的意見を滅ぼすほどの、虐殺するほどの身長の高さ。
短髪の青髪から生える一対の角。
それは額よりも上、稲妻のような角ばっていて、刀子のように薄い。
蒼い羽織、一本歯下駄。
軽々と石を持ち上げる姿は、さながら龍。
「殺さずに殺せだって?はは、親方の言うことは中々風情があるな。もしくは情緒か」
しみじみと男は呟いて、持ち上げていた石を垂直に、ほんの数センチだけ浮かせる。
滞空しているうちに男は開いていた手をゆるく握るようにして、五本の指を石に突き立てるようにして、突き指してしまうような形にして。
ブスリと。
滞空が終わり、自由落下してきた石に指が突き刺さった。
高密度の石にいともたやすく五つの穴を作ってしまって、また軽々とそれを支えた。
「親方の、スライムたちの慈悲に感謝しろよ。木偶の棒」
にやりと、快活に笑う。
男は五本の指を軸にして、緩慢な動きで上げていた腕を横にする。
すると当然、大石も追従して、五本の指に突き刺さったまま横へ。
男は表情一つ変えず、地面から垂直に持ち上げられている大石を平行にした。
さながら大剣を扱うように。
片腕で大石を持ち上げるに飽き足らず、指だけで大石を貫き支えていたのだ。
「よっと」
予備動作なく。
左腕に平行に持たれていた大石を、右側へ。
振りぬいた。
轟音。轟圧。轟風。
巨大な質量が空気とぶつかって激しい突風を巻き起こし、風切り音を掻き鳴らす。
風と音共に精神的な圧が僕たちを巻き込み、吹き飛びそうになるのを踏ん張ってなんとか堪える。
ばさばさと。
突風が小学生の悪戯のように、僕たちを脱がしにかかっていた。
僕たちだけではない。
そこら中に生えている木々も、路傍の小石も、枯れた川底で仲間たちと身を寄せ合うスライムたちも例外ではない。
一同、ただ吹き荒れる風に巻き込まれないように必死だった。
荒らしのパーティの弓使いも、つがえていた矢を弓から離し、ただ敵わないと思っているような様子である。
この場にいる全員がこの男に主導権を握られてしまっていた。
男が直立不動、これをなんとも思っていない様子である。
大石とは比べ物にならない範囲の風圧。
もはやは攻撃の域。
男が実は風魔法が得意なんです、と嘯けば順当に信じれしまいそうなそれ。
ジェットエンジンが至近距離に積まれたのかと錯覚してしまう轟音の中、甲高い悲鳴が微かに聞こえてきた。
ぎゅっと瞑っていた目を僅かに開くと、魔法使いがしゃがんで手首を抑えながら絶叫しているのが見て取れた。
彼女の両の手首はあり得ない方向へねじれている。
そして、視界の隅。
男の手には砕けた棒切れが――ちょうど魔法使いの扱っていた、天高く上げていた杖の特徴と合致するそれが握られていた。
……男は威嚇のために大石をわざわざ持ち上げたんじゃない。
魔法使いという戦力を的確に削ぐために大石を振るったのだ。
杖にあの質量がぶつかれば、壊れるのは必然であり、壊れないにしても魔法使いの腕にダメージを与えることは出来る。
それを思いつき、正確に大石が杖だけに当たるように調節し、振りぬいた度胸はただものではない。
むしろここは魔法使いを評価すべきなのかもしれない。
一歩も動くことなく、攻撃の瞬間に杖を離し、両手だけの最小の損傷で終わらせられたのは及第点、いや十二分に合格点といえるのではないか。
しかしそれは。
魔法使いを評価することは、この男を絶対だと言っているようなものである。
あんな手練れを防戦一方にしたのは、天晴としか言いようがない。
冷汗が。
喉が渇いてしまうような緊張が僕に走る。
隣の男は、僕が生み出してしまったこいつは一体何者なのだとそう思ってしまう。
「さて」
男はつまらなそうに、大石を天高く振り上げた。
さながら魔法使いのように。
彼女との相違点と言えば、熱量の一点。
魔法使いは僕を殺すために必死に、躍起に、舐めてかかっていた。
男は彼らを殺さずに殺すために、淡々と、冷静に、全力であった。
「一時間やる。お前らは似たようなことをしている奴らにこう言って回れ」
彼は息を吸い込む。
瞬間。
空気は凪いだ。
男の声は怒号であった。
「遊び場は自殺の名所に変わったってな」
それは。
その言葉は、”次はない”という単純明快な心を折る、戦意を喪失させるメッセージであった。
心を虐殺するメッセージ。
僕にはできないと真っ先に否定した脅迫という手段。
彼らは男の言葉を聞くか聞かないかの間に、みっともなく逃げていった。
それを見送って、男はまた垂直に大石を投げ飛ばす。
およそ数センチ。
一秒にも満たない滞空。
男は左手の形を拳に変えて、わずかに振り上げる。
大石は重力に沿って下に垂直に降りてくるが、地面にぶつかるより先に男の拳にぶつかって、砕けた。
五本の指が刺さっていた穴を中心にして亀裂が走り、ぱっくりと二つに分かれる。
巨大な石は男を避けるようにして河原に落ちていく。
先ほど感じたのによく似た風圧を巻き起こしながら、位置エネルギーを消費して。
轟音と轟風。
すさまじい土埃と共に小石を巻き上げて、その二つは川に沿って壁を作ってしまった。
「虐殺完了ってな。これでいいか親方」
男は横を見下げるようにして、僕に言った。
「……正直」
「うん?」
「やりすぎだな」
凄惨で見るに堪えない現状に、僕は引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。
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