007:対話原理主義者に最も有効なのは武力行使

 彼女が、女の子が、スライムが、どうして「倒す」とか「懲らしめる」とか、口が悪いにしても「殺す」や「いたぶる」という言葉を使わず、「虐殺」の極めて非道な二文字を扱ったのか、今の僕には理解できた。


 スライムたちは虐待されていたのだ。

 ゲル状の流動体ならいくら虐めてもなんとも思われないとでも思っている”おおうつけ”たちに。

 駆け出し冒険者たちに果敢に殺されていることをよしとしたのは、相対的な面もあるのだろう。

 自分たちを殺したとて経験値として意味を果たさない奴らに虐待されるくらいなら、王道で金字塔を進む勇者たちの糧になりたいという取捨選択の話。


 目には目を。

 歯には歯を。

 虐待には虐殺を。


「契約者……」

 隣で女の子は泣きそうな顔になっていた。

 早く止めてくれと。

 どうして奴らを”虐殺”――自分たちと同じ目に遭わせてくれないのかと。

 そんな同族思いの泣き顔。


 思わず飛び出したくなる気持ちを制止して――学生ズボンを、自分の肉を巻き込むようにして握った。

 冷静に、冷静に。

 責任の重さから吐きそうになるのをどうにか我慢して、深呼吸。

 さて、自問自答の時間だ。


 主たる問題は、マナーのなっていない、レベリング中の駆け出し冒険者を追い出してまで娯楽的にモンスターの命を弄ぶ彼らをどうやったら虐殺できるか。

 単純に武力行使で彼らに勝てるだろうか。



 否だ。

 まず僕は丸腰だし、運よく一人抑え込めたとしてもそこから他三人を虐殺できるほどの器量は持っていない。

 一発勝負だ。失敗は僕の死とスライムたちの権利の剝奪を意味する。

 ならば、言いくるめるのはどうだろうか。



 否だ。

 街中で対人恐怖症を発症して、どうにかなってしまうというオチだろう。

 仮に、面の皮厚く彼らと話せたとして、きっと聞き入れてはくれない。

 ああいうのは小さなコミュニティで威張り散らし、そのテンションでコミュニティ外の者にも威張るタイプだ。

 その分ヘタレではあるから、僕が強面ならきっと逃げてくれるのだろうけど。



 だったら。

 僕が貰った力、ヘリオトロープ曰く僕用に調節した最適解ならどうだろう。

 『万物に生命を宿す力』は死体の僕を生き返らせ、スライムを上位種に改編してしまった。

 これが仕様なのか、不具合なのか分からないけれど頼らない手はない。


 少し目を閉じる。

 ここからの最適解はなんだ。

 僕は正直なところ、非道な連中を殺す気にはなれていない。

 「『目には目を』では、全世界を盲目にするだけだ」とは誰の言葉だっただろうか。

 ああそうだ、あの色狂いか。

 彼の言葉を引用するでもないけれど、この問題はハナから乗り気じゃないのだ。

 彼らを殺したところで、事態を虐殺によって収めたところで、この問題が解決できるとは思えない。


 女の子はこの問題は数十年間続いていると言った。

 この四人が。

 この四人だけが。

 数十年に渡り、スライムを虐めている?そんなはずはない。

 きっと輩連中の中でずっと流行し続けている、向こうで言うところの暴走族や未成年飲酒のようなものなのだ。

 もし、彼らを殺してしまえば、僕はその後ここへ来てはスライムを虐めて楽しむ不良全てを殺さなくてはいけなくなる。

 ……もちろん途中からパッタリと誰も来なくなるのは想像に容易いが、それでも四人以上は殺さなくては。

 虐殺しなくては、事態は収拾しないだろう。


 おそらくだが、この力に頼れば彼らを殺すのは簡単である。

 浅瀬で逃げ惑うスライムたちを全て上位種にし、数の暴力で圧倒とか。

 自身に力を使いながらゾンビ特攻とか。


 女の子が僕ならできると信じてやまないのも根拠の一つである。

 悪魔様となにやら詳しそうな口ぶりだし、契約者という代名詞も初めて聞く言葉である。

 殺さず、虐殺。

 自分でハードルを上げておいてなんだが、中々レトリックな事をしなきゃならないらしい。


 いいじゃないか。

 燃えてきた。


 とっくに少年心は枯れ果てていると思っていたのに、女の子とジャンプの話をしたおかげだろうか、自然と口角が吊り上がった。


 ……いくつか方法は思いつくけれど、一番彼らに効果的なのはこれだろうな。


「悪いがスライムさん。お前の集落は場所が移動する必要があるかもしれない」

「あっ!諦めろっていうんですかぁっ!?殺された仲間の未練は一体どうしたらぁっ!?」

 泣きながら僕に失望をしたような顔をする。


「違うよ。ただ少し」

「少し?」

「水が枯れちゃうかもってだけ。あとはそうだな、大所帯になっちゃうかも」

 意味が分からないという顔をして、ただ僕を睨んだ。


 それにただ微笑むだけで返事をして、スイッチを入れるような感覚を自分の中で作る。

 学生ズボンを、自分の肉を巻き込むようにして握った制止を振り払って、僕は彼らの方へと走り出した。

 草むらから飛び出し、河原の小石を蹴り飛ばしながら、全速力で、自分の持てる限りの力を以てして、疾走する。


 荒らしのパーティはちょうどスライムを切り刻んで遊んでいるところであった。

 その悪行に苦虫を嚙み潰したように顔をしかめて、ちょうど口の中に酸っぱいものが溢れてきた。

 ストレスと重圧から来る嘔吐。


 ゴクンと。


 呑み込めば、喉が焼けるように痛い。

 僕を見るや否や、四人は陣形を取り――流石は冒険者たちのパーティ、迅速な対応である。


 遠くからでは分からなかったけれど、あまりに威厳がないから分かるはずもなかったけれど、魔法使い、僧侶、剣士、弓使いのバランスの良いパーティらしい。

 陣形を崩すことなく、一人が動いた。


 一人だけで、僕にはソロで十分だということなのだろう。


 えらく舐められたものだ。


 しかしそっちの方が都合が良い。


 動いたのは女の魔法使い。

 そいつは呪文を唱えて、杖を高くかかげて。

 一直線に走る僕めがけて、魔法は飛んでくる。


 氷礫。


 火球。


 雷鳴。


 岩石。


 水刃。


 一貫して、飛び道具。

 一番コスパの安い魔法だろう、これで仕留められると思っているのだろう。


 ご名答だ。


 冒険者ですらない、僕がろくに動けるわけもない。

 いや避けようと思えば、数発分は回避可能だろうけれど、敢えて避けず彼らの方向だけを見続ける。


 氷礫で擦り傷を。


 火球でやけどを。


 雷鳴でしびれを。


 岩石が青あざを。


 水刃が切り傷を。


 普段なら悶絶するほどの傷、しかし僕は。

「トラックにはねられるよりかはマシだなっ!」

 よろけもせず、ひた走る。


 彼らを見続けて、走って走って。


 魔法使いの女が罵声を僕に浴びせた。

 なんとも聞き心地の悪い、面の皮が分厚かった時ならばへこへこと作り笑いを浮かべたくなる言葉の数々。

 連呼される悪口。


 しかし今日は。


 今だけは。


 今回だけは。


 僕が主人公なのだ。


 前衛の剣士のリーチギリギリまで肉薄し、剣士が剣を振り上げた。

 刹那、体制をわざと崩して、ギリギリのところで避けて――スレスレを通り抜けるっ!


 息を漏らして、大袈裟に吸い込む。


 僕にこれといった身体能力はないが、観察眼には多少の自信がある。

 ずっと見続ければ、どこまでが剣の攻撃範囲なのかくらいは分かるし、どこまで近づけば剣を振りたくなるかくらいは分かる。

 伊達に気を遣い続けて生きていない。


 剣士一人に注視すれば、なんてことはない。


 そのせいで魔法は全弾必中したらわけないか。

 彼らを避けて、向かう先はスライムの群れ――スライムの集落である川の浅瀬。


 ざぶんと。


 スライムをクッション代わりにしながら、飛び込んで、体を水に浸した。


 冷たいな、意外と。


 振り向くが、パーティは追ってはこない。

 代わりに魔法使いは激高して、なにやら先ほどよりも多めに詠唱を、力のこもった詠唱をしていた。


 怒声にも似たそれが終わると。

 四人はそれぞれ卑しい笑みを浮かべた。



 影。



 上を向けば、どこかから切り出してきたような灰色の直方体の巨大な岩石がふよふよと宙を浮かんできた。


 ああ、なるほど。

 これで僕を押し潰すつもりか。


 いち早く気が付いたスライムたちは我先にと、ぷるぷる震えながら、押しのけ押しのけ影から――魔法の範囲外へと逃げようとしていた。

 逃げようとは、思わない。


 なぜなら逃げてしまえば、彼らは僕を射程に入れる為に、焦点を合わせる為に実力を行使するだろう。

 そうなってしまえば、僕の計画はおじゃんである。

 邪魔をされてしまっては、僕の赤く蠢く右手が川底から離れてしまえば、水の泡だ。


 スライムを女の子にしたのに数分はかかった。



 さて。



 川に『万物に生命を宿す力』を使った場合、どうなってしまうのか。

 四人は口々に、僕を陥れるようなことを言う。口々に、絶え間なく罵声を浴びせては、嘲笑する。


 おうおう笑え、笑え。

 いくらでも時間稼ぎしてくれ。


 川なんてデカいものに、というかそもそも対象内なのかも分からないし……万物のレンジが森羅万象だといいんだけど。


 彼らは僕のやってることに気が付いていない。

 この後どうなるのかをまるで理解していない。


 それだけで、少しばかりの少年心と確信的な優越感で罵詈雑言は雑音でしかなくなる。



 影は、濃くなった。



 とっくにスライムは避難し終わった、僕しか範囲内じゃない大石が落ちてくる。

 魔法使いは我慢の限界らしかった。

 おいおいそんなもんかよ、もうあと一時間くらい僕の悪口言ってみようぜ?

 もう死んでしまうだろうと、思った。

 しかしそれは本心じゃなく、客観的な意見で。

 本心は、



「僕はお前ら如きにゃ殺せねーよ」



 馬鹿正直な、彼らと変わらない相手方を嘲る言葉だった。


 影は濃くなる。ずっと黒く、ずっと深く。

 石の位置エネルギーが消費されていって、僕との距離が縮まれば縮まるほど、風圧が来る。

 川の浅い水深を吹き飛ばしてしまうような圧力、体積、質量。


 圧死するなと思った。

 けど、それは確信じゃない。


 僕の頭皮を掠めるくらいの、至近距離。

 膨大な質量を持った石塊はそこで、停止する。

 それどころか停止した岩石はゆっくり持ち上がっていって、僕が手を挙げても届かないくらいの高さで再度停止した。


 目の前には男が居た。


 和服で身を包み、金色の角が二本生えた、三メートルはあるんじゃないかと思うくらいの巨体の後ろ姿。


 彼は決して太くはない腕で、石を悠々と持ち上げている。


 川の水は枯れていた。


「親方。こいつらは殺していいんでしたっけ?」

 ようやく吐き気は収まった。


「殺さずに、虐殺してね」

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