006:ラッキーパンチ

「あのースライムさん?」

「私はスライムじゃないですぅ、そこら辺に湧いて出てきたただの女の子ですぅ」

「ただの女の子は高校生の全力疾走を制止して、首根っこ掴んで強引に連れて行かないとおもうんですけど」


 麗らかな陽気から微かな眠気さえ覚える昼下がり。

 僕は不慮の事故によって『上位種』とやらに姿を変えてしまったスライム――じゃなかった、一般少女に引きずられていた。


 一応の抵抗はしたさ。

 全力疾走で、全力投球で、全身全霊で逃げ回ってみたけれど。

 この異世界を強かに生きている彼女に、日和った世界で人間関係如きに頭を抱えていた僕が敵うはずもなく。

 今はこうやって諦めて、無抵抗にされるがままになっていた。

 少し視線を上げると、少女が愉快そうに鼻歌を歌っていた。



『私の集落を襲う冒険者を残らず虐殺してほしいんですっ!』



 その一文が、頭の中で絶え間なくリフレインする。

 意味を熟考するでもなく、解釈をでっちあげるでもなく、ただ反芻させる。

 この呑気な顔からは想像もできないほど、重い話。


 この子はスライム――じゃないけど、もし集落を襲う冒険者というものが今もなおそこでたむろしているとしたら、僕にやることはほとんどないんじゃないだろうか。

 冒険者。それ即ち危険を冒す者。


 街で武装していた人はそこそこいたはずだ。

 そして種族が人間である冒険者はそこそこいたはずだ。

 柄の悪い輩を相手するには、僕の度胸はあまりにも足りなすぎる。


「おえ」

 空嘔吐くほど、ストレス。

 特に『虐殺』、この二文字が僕にとってかなり負担だ。


 異世界転生者らしく、大概のものを癒すなんて、モンスターを上位種に可変させるなんて、ドレッドノート級の力を悪魔から賜りはしたけれども、これが攻撃手段になるとはとても思えない。


 ならばこの子に戦ってもらうのはどうだろうか否だな。

 句読点が付かないくらいに有り得ない案だ。 

 右腕を一分も挙げてられない女の子が、熟練の冒険者に勝てるほど――まして今までカモにされていたモンスターがそうそう勝てるほど世界は上手くできていない。

 と、第二の人生を送ってる幸福者が言うのはただの憐憫か。


「…………」

 見上げたまま女の子の顔を覗き込む。


 優しそうな顔立ち、とろんと性格を現れているようなたれ目、ハミングに合わせて肩を弾ませる姿。

 どう見ても女の子だ。


 僕を引きずるほどの腕力と、体力と、俊敏性を考慮しなければ。


 ……おや?


 果たして。

 果たして、一分も腕を上げられないような女の子がそこまでの身体能力を持っているものだろうか。


 泡沫のような疑問、大したことのない矛盾を解決すべく、おそるおそる女の子に聞いてみた。

「あー、そんなことですかぁっ?」

 あっけらかんと、僕の質問をただの雑談としか思っていない声を上げる。


「それはですねぇっ。私が上位種になったときに悪魔様から能力を貰ったからですよぉっ」

「悪魔って、ヘリオトロープにか?」

「悪魔様は悪魔様ですよぉ。強いて言うなら序列十一位の悪魔様ですね。大抵の悪魔様は匿名性を重視しますし」

「ずいぶん現代的なプライバシーポリシーだな……」

 少し申し訳なさそうに「契約者の悪魔様は強すぎて、私なんかに加護を与えたら自壊するでしょうしぃ」と付け加える。


 自壊て。

 この子が平然として穏やかじゃないことを言うのにも少し慣れた自分がいた。


「……次に能力っていうのは」

「『自発的な行動が成功する力』っていう能力ですぅっ。えへへーこれで契約者とほぼ同じ立ち位置ですよぉっ」

「…………強すぎない?」

 なんだその怪しげなサロンで配られてる本の題名みたいな能力は。

 僕もそっちが良かった。


「でもかなり制限があるんですよねぇ。一貫して自分一人で事を片付けることが最低条件、アクティブな能力なのでリキャストタイムもある。そこそこ使えないですよ?」

「ふうん。字面だけだとかなり使えそうな能力だけど」

 ゲームでよく起こる、能力めっちゃ強そうだけど実際に使ってみるとそうでもないってやつか。


「じゃあ僕を捕まえることに使わずにお前の抱えてる問題解決に使った方が良かったんじゃないのか?一人でどうにか冒険者を退けて、」

「駄目ですよぉっ」

 女の子は、初めて語気を強めて言葉を遮った。


「この問題は私がうまれるずっと前からある問題なんです。何十年も続いているものなんです。今から、私の能力でどうこうできることじゃないんです」

 悔しそうに。

 女の子は、自分の不出来を恨んでいた。

 一貫して自分で片付けることが最低条件――だったら生まれる前から存在する問題に対して条件外なのは明白じゃないか。

 迂闊だったなと思った。

 いくら女の子とは言え、スライムとは言え――重く捉えているはずの課題に対してあまりに軽はずみな提案をしてしまった。

 彼女は既に自分の中で、自分にはどうにもならないと結論付けた上で話をしていたというのに。

 残酷なそれを、言語化させてしまった。


「ごめん」

「いいですよぉっ。契約者さえ来てもらえればこの一件は解決できるでしょうしぃっ!」

 さして無理した様子もなく、そう嘯く。


「……これでとうとう僕は、本当に冒険者たちを虐殺せざるを得なくなったってことか」

「えへへぇっ……それって私をその気にさせてるときはあんまり乗り気じゃなかったってことですぅっ?」

「はははははは!」

「えへへへへへへ、笑って誤魔化せるとでもぉ?」

「サーセン」


 怖いよこの子。

 心なしか僕をひきずる腕の力が強くなっているような気がする。

 何の役にも立てない能力携えて、僕はどうやって虐殺するのか。

 どう考えても、こっちが虐殺されそうな気がするけど。


 ヘリオトロープ、殺された時また助けてくんないかなぁ。



「あ、あそこです。あそこ、あれが私の集落です」

 声を潜めて僕をひきずる手を止めた。

 女の子の行動に準じて、僕も物音を立てないように振り返る。

 そこは集落というより川であった。

 澄み切った清流。

 集落の傍に川があるわけじゃなく、本当に浅瀬の川があるだけなのだ。


「……これが集落?」

「あからさまにがっかりしてますねぇっ。じゃあなんですかぁ?生息地とか群生地とか出現ポイントとでも言えばいいんですかぁっ?」

「ごめんて」


 視線を追っておおよその女の子が指し示す場所に辺りを付けると、そこには彼女の言う通り冒険者がいた。


 しかし僕の想像していた屈強な男たちはどこにもおらず、見る限り駆け出しらしい、若者ばかりである。

 今いるのはひとパーティのみ。

 そこにわらわらと空色のスライムたちが群がっている。

 男が一人で、女が三人……なるほどハーレムか。


 一瞬あまりに不快感に吐きそうになったが、よく見れば男はどこかよそよそしく、生気がない。

 可哀そうに。パーティを組んだはいいものの、蚊帳の外なのだろう。

 僕も似たような経験があるので、同情してしまう。

 いじられ役になるか空気になるかの二択を迫られて、空気を選んだのだと見える。

 男はつらいよな。わかるぞ少年。


「あれが虐殺してほしい冒険者一行か?さすがの僕も年下をいたぶる趣味は無いぞ」

「そんなわけないじゃないですかぁっ。あれくらいなら自然の摂理としてっ、弱肉強食のサークルオブライフとして許容できますぅっ」

 判断基準が分からない。

 もしかしてこいつは適当なことを言ってからかっているんじゃないのか?


 そう思っていた時、

 わらわらと。がやがやと。

 男が二人、女が二人のパーティ。

 駆け出しよりもずっと年上の彼らが突然現れた。


 彼らはなにやら汚い言葉使いで、駆け出しパーティを罵り、あっというまに川から――集落から追い出してしまった。

「私が言っているのはぁっ、あの冒険者たちのことですぅっ」

 見た目が輩に違いなく、そして中身も輩であった彼らの方を見て、女の子は嫌悪感を丸出しにして吐き捨てた。


「確かに、マナーがなってないな」

「そうでしょうっ?」

「けどマナーって言ってもこれは冒険者サイドのマナーであって、お前たちからすれば駆け出しも荒らしもそこまで違いはないんじゃないか?」


 女の子が何かを言おうとした。

 しかしそれが聞き取れることは無かった。

 荒らしパーティの男の声、やはり汚い言葉遣いで聞くに堪えないが。

 要約すると、


『スライムは100℃の熱湯に二分で溶ける』


 ということ。

 早い話、虐待をしていた。

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