004:手始めにはやはりスライムから

 試しに皮を剥いでみた、殻を破ってみた。


 するとこのザマである。

 自分が見えなくなって、周りが見えなくなって、一人の少女を傷付けて――冷静になってみると僕はなんてことをしてしまったのだろうか。

 今度会ったらあの子に謝ろう。


 ……また会えるかどうかは知らないけれど、会えたならきっと僕は全身全霊をもって謝罪しよう。


 ぺた。


 やっぱり厚い面の皮は標準装備で持っておくべきだな。

 気を遣い、作り笑いをしている方が楽だ。


「……ぺた?」


 ざわざわとそよ風になびく草むらの中で体を起こす。

 音の理由を知るために体を起こしたつもりだったが、そもそも起き上がれることが不思議じゃないか?

 熱中症の症状でぶっ倒れて、そう短時間で起きれるものじゃないはずだ。

 まして意識を失うほどの重体である。

 そんな風に簡単に、極めて楽に回復できるはずなんて――


 ぺた。


「ぺた?」


 まだ朧げな視界の中で、”なにか”が僕の頬を撫でた。


 ひんやりと冷たいゲル状の、固体とも液体とも言えないそれ。

 肌を濡らすことは無く、かといって粘性のように粘っこく張り付くような感覚もない。

 氷枕のような、そんな感じ。

 周囲を見回すようにして、首を動かす。


 ようやく落ち着いてきた視界の中で、そいつは僕が動いていることを、喜ばしく思うように飛び跳ねていた。

「…………スライム?」

 半透明の、浅い青色の流動体。

 ガラス細工のような見た目のそれは、僕が首を傾げると、それに応じて首を傾げた。

 もっとも首はないのだから全身の上半分を右にひねっただけだが。


「…………」

「…………」

「あーええと、僕になにか用がありますかね」

 いやスライムに話しかけてどうする。


 そもそも敵かもしれないんだし、というか敵だよな。

 RPGとかで序盤に登場するチュートリアルのやられ役。

 今の僕でもたおせそうな……いや倒そうとは思わないけど。理由が無いし。

「…………」

 スライムは何も言わない。


 困ったな……人との会話なら多少マシだというものだが、動物との(スライムがペットのような扱いを受けているのかどうかは知らない)対話は経験がない。

 スライムに気まずさを覚えるというなんとも不可思議な状況が少し続いて、ためすがめつこれを見ていて、気が付いてことが一つある。


 こいつは少し弱っている。


 もしかしたらこのべっちゃりとした形状が通常の状態なのかもしれないけれど、僕の良く知るスライムは、RPGなんかによく出てくるそれは、もっと丸みを帯びていて、三角形をモダンアート風の形に切り取ったような形状である。


 それがどうだ、目の前のこれは溶けているような、少しはぐれているような見た目であった。


「もしかして僕を助けてくれたのってお前?」


 不思議だった。


 逃げ惑った僕がこうやって疲れが取れているのは、なにか原因があると踏んでいた。

 もしこのスライムが善意で体を冷やし、何かしらの方法で補水してくれたのだったら、これが疲れているのにも辻褄が合う。

「…………」

 やはりスライムは何も言わない。


 ううむ。


 コミュニケーションを取るのは僕も苦手としているところなので、スライムのように何も言わないのは楽である。

 けれど無視されているような気もするし、必要最低限の情報収集すらままならないのは多少不安になる。

 もしかしたら弱っているから話せないのかもしれない。


 溜息。


 正座をして、スライムと向き合う。

 なんだかシュールな絵だな。


「いいかスライム」

「…………」

「お前は僕を助けてくれたと仮定するぞ」

「…………」

「だから恩返しがしたいのだが、それに関してなにか思うところはあるか?ないよな?」

「…………」

「無言は肯定とみなすぞ」


 僕は先ほどの思考のうちに、一つの思いつきをしていた。

 もしかしたら尽く失敗して、スライムが見るも無残な姿になるかもしれないと思ったけれど――それでも僕がトラウマを負って、スライムが一匹異世界から姿を消すだけだ。


「『万物に生命を宿す力』を行使する。します。しまーす!……これどうやって能力を使うんだろうな、別に使い方とか聞いてなかったし、はうっ!?」


 その宣言の後に、コンセントにプラグを差すような感覚が襲ってくる。

 使ったことのない脳みそを使ったような、シナプスに知らないホルモンが分泌されているような、ブラックボックスを残らず開くような。


「なにこれ」


 気が付けば右腕に、肘から手首にかけて幾何学模様が浮かび上がっていた。

 赤黒く、血液が流れるように光は流動し、胎動する。

 生命力が集っているような感じたことのない、しかし馴染む力。

 ヘリオトロープの言う通り、違和感らしい違和感はなかった。

 右手をスライムへと向けると、無反応だったそれは慌てたようにびくつきながら、うろちょろと跳ね回る。


「外したらボンッってなるぞボンッって」

「…………!」

 スライムは僕の言葉を受けて、硬直する。

「聞こえてんじゃねーか」

 この声もおそらく聞こえているだろうな。


 ……もし失敗したら僕は異世界に飛んで二つ目のトラウマを負ってしまうことになるのか。

「それもまあ、良しっ!」

 柄にも無く、ポジティブシンキング――もといやけくそを叫びながら、手探りするような感覚の元でスイッチを入れる。


 赤い光は更に強く、更に早く流れていく。

 その手で、手のひらでスライムの脳天あたりを触ってやる。

 スライムはそれを受けて、おびただしくも強い光を放ちうごうごと体を蠢かせた。

 苦しんでいるようにも見えるけれど、きっと気のせいだな。うん。

 これでおそらく、スライムは回復するはず。多分。きっと。

 スライムはのたうち回り、しかし僕の「ボンッってなる」という言いつけを健気にも守って、掌からは退こうとはしなかった。


 声にもならない絶叫。


 声が出せるはずもないのに、スライムの強烈なまでの痛覚が伝わってくるようだった。


 しばらくして、スライムは静止した。


「……やばい、死んだか」

 少し血の気が引いて青ざめてしまう。

 しかしスライムはピクリと、その言葉に反応するように起き上がった。


 ん?起き上がった?

 スライムが?

 首すらないあのふよふよの流動体が?


「あうう……いきなり酷いじゃないですかぁ。悪魔様の契約者ならそれはそうと先に言ってくださいよぉ」


 と、怯えたような幸薄そうな声が頭上から聞こえてくる。

 なぜ頭上から?というかスライムは?

 見上げると泣き顔の青髪少女が一人。

 スライムの代わりにその場に居たのは、大柄な女の子である。

 僕の身長は誰にも明かす訳のいかないトップシークレットであるために、おおよそ平均程度としか言うことしかできないが、その平均を三十センチは上回る巨体。


 彼女は極めて魅惑的で女性的な体のラインをしており、決して太ってはいない魅力ある締まり方をしている。

 髪は浅い青色、ガラス細工のように透明感のある髪色で長く、片目が隠れている――ちょうどドロドロに溶けたスライムを頭に乗っけているような。


「あ、あのう」

「なんでしょうか仮称スライム娘さん」

「すらっ!?いえ、いまはどうでもいいんですけど…………手をのけてくれませんかぁ?」


 顔を真っ赤に彼女はたまに体をくねくねと震わせながら、そう呟いた。

 見上げていた視界を平常に戻す。

 するとずっと大きな胸が目の前のあらわれるのだが、二つの内の一つ、それを僕の手は鷲掴みにしていた。


 むにむにとそれを軽く握ってやると、女の子は軽く吐息を漏らす。


 ふむ。


 と小さく言って、手を離し、正座し、生い茂る草原に頭を擦りつけた。

「死にます。ごめんなさい」

「そんなぁ!?」


 想定外のトラウマを抱えてしまった。

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