003:生で見るほうがずっと

 扉を抜けた先は、異世界であった。


 色白で異国風な風貌の人々に混じって、獣耳獣尻尾の獣人、耳の尖った妖精、無骨な髭をたくわえた小人、羽の生えた天狗など――数えきれないほどの種族が数えきれない数割拠していた。


 木枠に切り出した石を詰めたような造りの建物がずっと一直線に建ち並ぶ。それこそ消失点まで伸びているのじゃないかと思えるほどに。

 扉から見ただけじゃ分からない、生の空気感が、僕の肌を鼓膜をビリビリと貫いた。


 騒ぎ言い合う、嬌声、罵声、怒声にあふれた騒音。活気たるやというものを教えくれるような、人々の声。


 それに次いで馬車の轍が石に擦れる音、金品のやり取りで響く金属音、道を踏みつけ品を値踏みする者の足音。


 気迫、威圧感。


 いつ死ぬか分からない浮世にしがみついて、必死に、逞しく生きていこうという気概の見られる――ある種の疎外感。


 ここはいわゆる商業街、僕の元居た世界で言うところの商店街、ショッピングモールといったところである。


 もしここから一歩離れれば閑静な住宅街が広がるだろう。

 もしここから一歩進めば喧噪な冒険者の街が広がるだろう。


 どちらにせよ、いやそのどちらを選ばなくとも待っているのは、知らない人と建物だ。


 ぞくぞくと。


 全身の産毛が逆立つような、不安感が僕の身体を包む。


「ほんとなんだ……」

 僕は本当に生き返ってしまったのだ。僕は本当に悪魔と会話をしていたのだ。僕は本当に異世界に来てしまったのだ。


 多種多様な意味を持つ不安が僕の身体をどうしようもなく、縮こまらせた。


 ああいう風にヘリオトロープから𠮟咤激励されて、これから僕は頑張ることを余儀なくされているわけだが、だからといって、人間そう変われるはずもない。


 張り付いた笑みが、誰にだってMAXの好待遇が、そうそう体から引っぺがされるわけはないのだ。


 不安感。不信感。不穏感。


 足がすくんで、どうにも動けそうにない。

 一度怖くなってしまって、僕の今までやってきた身に付けたきたスキルが何の役にも立たないと気が付いてしまって、一切の自信を失ってしまった。

 からりと乾いた風の吹く満ち満ちた夏空からは想像もできないほどに、僕は震えていた。


 はっとして。



『気が付くと。

      周囲の人は僕を見ていた』



 人も、獣人も、妖精も、小人も、天狗も。


 僕を見て、笑っている。


 人が。


 人が。


 人が。


 こわい。


 怖い。


 恐い。


 棒立ちで動こうとしない僕を不審な目で人々は見ている。


 買い物をしない僕を偏屈な目で人々は見ている。


 おかしな服装の僕を奇異の目で人々は見ている。


 彼らは囁き合っている。ひそひそと。僕に聞こえないことで、なにかを言い合っている。ちらちらと一瞥しながら何かを笑い合っている。


 こういうときどうすればいいんだっけ。止めさせればいいんだっけ。でも僕のことを言っているとは限らない。後ろに見える誰かのことを、僕じゃないサムワンを見ているのかもしれない。それなのに僕が話しかけてしまっては変じゃないか。おかしいじゃないか。既に変な人としての地位を確立してしまっているのに、これ以上変な人になってしまってどうしろというのだ。僕のリセットされたはずの人間関係はここでも同じように、僕が気を遣うだけの上辺だけの関係になるのか。


 視界は、黒ずんでいって、周りが見えなくなる。


 手足の震えは止まらない。


 動くことすらままならない。


 なんでこっちを見るんだよ。僕はなにもしてないだろ。なんで向うへ行かないんだよ。僕は何か悪いことをしたのかよ。頼むから気にしないでくれ。僕のことなど忘れ去ってくれ。いいからどこかへ行って。お願いだから見ないでくれ。そんなに僕の格好は変か。そんなに僕の挙動はおかしいか。僕はそんなにここにいちゃだめか。人と違うことがそんなにだめなのか。僕は、僕は、僕は、僕は――



「あの」



 視界の開けるような感覚。


 目の前に現れたのは――僕に話しかけてきたのは赤髪の少女であった。


 大人しい色合いの巫女服に身を包んだ、恐らく冒険者の回復役。

 少女の身長や発育度合いを見る限り、僕と同い年くらいだろうか。


 僕を散々馬鹿にして、恥ずかしめてきた、僕を格下と信じて疑わなかったカースト上位の、恐怖の対象でしかなかったクラスメイトと同い年の――


「いやだっ!」

「へ?い、いや別に私はあなたになにも」

「いやだ!いやだ!いやだ!こっちに来ないでくれ!僕に構わないでくれ、空気のように扱ってくれ。無視して回れ右してくれ」


 きっとこの人も、人だ。


 僕という劣等存在を踏みつける為に話しかけたに違いない。


「そ、そういうわけにもいきません」

「どうせ罰ゲームなんだろ。僕に何秒話しかけられるかっていうのを競ってるんだろ。もういやだ!その手には乗らない、僕はお前みたいなのに話しかけられたくてここに来たんじゃない。一人にさせてくれ、一人がいいんだ。もう人に気を遣いたくないんだ。いいから!いいからいいからいいから!!僕は、これ以上人を嫌いたくないんだ」

 そう言って、あらん限りの暴言を吐いた。


 けれど少女は目に、微かな涙を浮かべるだけで、強かな心を以て口元をきゅっと結んで微笑んでいた。


 僕の言い分を聞くだけ聞いて、何も言わなかった。

 優しい人だと、思う。

 それと同時に、僕は――自分という存在はどれほど惨めなんだろうかとも思った。

 こんな心の優しい少女に向かって、棒立ちで震えていた僕がなんてことを言ったのだろうか、と。


 僕は彼女をストレスの捌け口にしていた。


 僕が友達だと思っていた連中とおなじようなことをしていた。 

 彼女の行為は、まるっきり好意だったというのに。



「言いたいことは、それだけですか?」



 見知らぬ人に罵声を浴びせられてもなお、少女は笑みを浮かべていた。

 しかしその声は震えている。怯えている。僕以上に、僕を恐れている。

 大声で女の子を怒鳴りつけた僕の評価は、周囲の評価は言うまでもない。




 ああクソ野郎だ。

 ああ死んでしまえばいいのに。

 ああ誰か殺してくれよ。

 



 僕は最低だと分かっていながら、これをしてしまえば評価もクソもあったもんじゃないと思いながら、回れ右をした。


 少女を置いて、走った。


 泣かせた少女を見捨てて、逃げた。


 耐えられなかった。


 僕はこんなものか。


 薄皮一枚剥いで、厚い面の皮を剥いで、出てきたのはこんなに惨めな自分か。


 飾らない自分とはよく言ったものだ。そもそも華がないやつにその言葉は通用しないじゃないか。


 息を切らし、人混みをよけながら、逃げる。

 きっと追いかけては来ないだろうけれど、とにかく離れる。

 大通りを抜けて、路地に入り、ジグザクに交差する道を右往左往する。


 どくどくと。心臓は激しく脈打つ。


 暑い。暑い。 


 日照りしているのに、轢かれる直前の姿――防寒着で太ましくなった姿で走っていた。


 それに気が付いて、自分の意識が朦朧としていることにも気が付いて、僕はそれらを脱ぎ捨てていく。



 手袋。



 マフラー。



 コート。



 学ラン。



 セーター。



 ローファー。



 靴下。



 ベルト。



 ズボンに手が差しかかったところで、それはどうなのかと思って、止める。

 ようやく暑くなくなった。


 しかし代わりに、ずしりと後悔が体を沈めている。


 身軽とは、言えなかった。


「……少し走りすぎたかな」


 全速力で、わき目も振らずに走ってしまったから、僕は見知らぬ森に立っていた。

 どちらが街の方向なのかも分からない。

 しかしこれで浮世から、人混みに溢れた世界から遠ざかれたというものだ。

 当初の目的は達成していることになる。

 僕はここから悠々自適な生活を始めるんだ――


「あ、あれ?」


 なぜか力なくへたり込んでしまう。

 木々の根本でうずくまってしまう。


 体は動かない。恐怖からでも封印のせいでもなく、全身が不稼働になっている。


 どうしてか。

 あ、いや。

 心当たりは一つある。


 単純に、熱に侵されながら走りすぎた結果の体力面の問題――


 そこで意識は途絶えてしまった。

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