002:対人関係とかいう現代戦争

「異世界!?今異世界って言ったのか!?」

「おうとも。世のオタク達が望んで止まない異世界転生異世界召喚異世界転移――呼び方はなんでもいいけど、そいつを味わわせてやろうって言ってんだよ」


 ヘリオトロープはいつもの調子で、暗闇で僕を嘲っていたような調子の乗り方をして、指を鳴らす。


 パチンと。


 快活で、その柔らかく小さな手からは聞こえてくるほどの良い音を鳴らすと。


 何もなかったはずの部屋に、一つの扉を出現させた。

 シャボン玉のような半透明の床から、壁に沿うようにして重厚な扉。

 酸化や風化や傷の跡が見られる黒い金属の塊。

 取っ手は無く、鍵穴も無く、両開きのそれは、押し引きのみが開閉の行使に役立つことが容易に想像できた。


 けれど。


 装飾、彫刻、意匠の施された――悪魔をモチーフとした数々の凹凸にはあまりにも威圧感があり、重圧感があった。


 人が触れてはいけないような。

 人が開けることは許されないような。

 人が通ることは出来なないような。


 ――一方通行の扉。


 僕には、そう見えた。


「い、嫌だ!」

「ああん?」

 僕の拒絶を眼つきの鋭さで突っぱねる。

 しかし、相変わらずの可愛さを保っているので恐るるには足りない。


「異世界ってことは、僕の元居た世界とは異なるんだろ」

「そりゃあ読んで字の如く」

「でも異なるってだけで、対偶でも逆でもないんだろ。まして偽でもない……多少相違点があるってだけでベースは僕の世界と変わらないんだろ」

「そりゃあ異世界だからなァ」

 そう呟くと、伸びをして――長くなると踏んだのか、佇まいを正した。


「悪魔しか居ねえようなとこなら地獄。神と天使が群がってるなら天国。妖精や魔女がうごうごしてるなら魔界。異なる世界――相対性の問題でつけられた世界線の名前、『こうだったらいいなあ』の終局点。ある種の、特異点。それが異世界だからなァ」


「そうすると、」

 乾ききった喉を潤すように生唾呑み込んで、ヘリオトロープの目を見た。

 彼女もまた僕の視線に気が付いて、馬鹿にしたようなにへら笑いを浮かべながら、見つめ返す。

 僕は意を決したように言葉を紡いだ。


「異世界にも、人はいるんだろう?」


「……は?」

 理解できていないような、不思議でたまらないといった声色。

 確かな意気込み、頑なな意志の元に形にした僕の言葉はヘリオトロープの疑問符によってあっさりと切り捨てられてしまった。

 何言ってんだこいつという感情を乗せて、彼女の視線は鋭く、睨んでいるように――というか睨まれてしまっている。

 むしろ、呆れてる?


「あ、あれ?僕の言いたいこと分かんない?」

「分かる分かんねぇ以前だな。なにをお前は当たり前のことを重大発表みたいに言ってんだよ。炎上商法、フィッシング詐欺も大概にしとけよなァ」

 煩わしそうに、おっさんみたいな立ち振る舞いで頭をかいた。


「人がいるなら人間関係にまた悩まなくちゃいけないだろ。僕はもう、人と会話したくないんだよ。朝から晩まで本を読んだり、どうでもいいことを考えたりしてたいんだよ」

「老後か。厭世家になるには社会を知らなすぎるだろ」

「うっ」


 それを言われると反論できない。

 学校でのカーストやしがらみしか知らない僕が、仙人のような生活をしたがるのはいくらなんでも自分本位すぎる。

 ……第一、僕はこの子に――ヘリオトロープという悪魔に、悪意はたっぷりではあるけれど、助けられてしまったわけだし。


「分かったよ。異世界に行けばいいんだろ」

「拗ねるな拗ねるな。早計なんだよ、結論まで三段跳びで行くな。手順を踏んで私の話を聞け」

 ごもっともだった。


「幼女に諭されてしまった……」

「んなことで落ち込むなよ!?」

 ヘリオトロープはこほんと、咳をして一区切りをつける。


「まずな。異世界に行ってまで人間関係こじらせる必要はないだろ」

「やっぱり誰ともかかわらず、あいたっ!」

 小さな手のデコピン。

 こんなに小さな体とは言えさすがは悪魔、とも言うべきか。思わず仰け反ってしまうくらいには痛かった。

 自分のおでこをさすりながら、居住まいを正す。


「お前はヨシツネか。話題が八艘飛びしてるわ」

「そんなこと言ったって……」

 他にどうしろというのだ。

 僕が人と関わるには、誰かと対話するには、首が痛くなるくらい見上げなければいけないのだ。

 たとえ相手が対等だと、思っていなくても。

「…………」


「……あのさァ」

 見かねたようにヘリオトロープは話し始める。

 かと思えば。

 彼女はおでこをさする僕の手をのけて、代わりに彼女の手が僕の頭にそっと押し当てられた。

 温かく、小さく、柔らかい手は丁寧に、傷付けないように僕を撫でていた。

 まるで母親のように、慈しみを以て。

 まるで恋人のように、愛しさを兼ねて。

 僕の馬鹿みたいに無理をしていた心を、ストレスを解きほぐすように。

 その手はとても、くすぐったかった。


「誰かについて回って、胡麻擂って、したくもない笑顔浮かべて、得意じゃないこと続けて……そんなのだるくねえか、めんどくさくねえか」


「はい」


「取り柄の無い奴は取り柄の無い奴なりに自分の世界広げて、見えるもん大きくする方がいいと思うぜ」


「……はい」


「別に責めてねえよ」


「…………」


「カーストとかしがらみとか、そういうのを下らないって、ランクとかクランとかギルドとか下らないって言い切れて、相対値に目もくれず絶対値を確かな指標としてる奴――”表面だけで言えば取り柄の無い奴”ならそういう高度なこともできるって話だ」


「はい」


「お前は、死ぬ寸前まで友達だと思ってた奴らは、本当に友人になりたいと思ってた奴か?」


「…………い、いいえ」


「だろうな。お前はそいつらを種族、属性、職業、段階でしか見てなかった。顔が良いからあの子と付き合いたい、頭が良いからあいつと友達になりたい、可愛らしいから手元に置いておきたい。そういう代替品の沢山いる、いくらでも替えの利く相手としか見てなかった」


「…………はい」


「そしてお前もそうとしか見られてなかった――話が面白いからこいつと話をしたいってとこだろうな」


「ヘリオトロープは、」


 思わず、名前を呼んでしまった。


「あん?」

 いつもの調子で、しかし多少の抜けきらない可愛げが言葉に残っていた。


「リオちゃんはどうしてそんなに僕のことを知っているの」

 彼女にとって僕は――彼女の言い分を真似するのなら、替えの利く存在であるはずだ。

 『死者の五パーセントは悪魔に譲られる』もしその話が本当だとしたら、僕は五パーセントの中から抽選で適当に選ばれたに過ぎない。


 過ぎないはずなのに。


 それなのに。


 それなのになんでここまで優しくしてくれるのだろうか。


 僕はこれまで、誰にもこんな風に接してくれることなどなかったのに。


 あるはずなかったのに。


「……恥ずかしいから一度しか言わねえ。お約束の聞き返しをしたら容赦なく殴る。リスニングテストだと思え。これを聞き取れなかったら死罪だ死罪」

「え、なに」

「返事っ!」

「はっはい!」


 ヘリオトロープは撫でるのをやめて、赤くなった顔を近づけてきた。

 近くに、近くに、近くに。

 耳に唇が触れてしまいそうなくらいの至近距離。



「わたしは、おまえをえらんだんだよ」



 ぼそりと、危うく聞き逃しそうになるほどの小声でつぶやいた。

 それだけ言うと、顔を条件反射のような速度で離す。

 彼女の顔は赤くて、耳まで真っ赤で、小さな口をにまにまとさせながら、羞恥に打ち震えていた。


「…………」

「…………」

「な、なんか言えよ」

「えっ!?えーと……も、もう一回言ってもらってもいいですか?」

「はっ!?おまっ!?私がどれだけの恥ずかしさを受け入れて、お前に言ってやったのか分かってんのか!?」

 思わず立ち上がったヘリオトロープは、羞恥を怒りに変えて、小さな体で僕を威嚇してきた。

「いや違うよ!?聞こえてた、聞こえてた!けどもう一回聞きたいなって」

「それ聞こえて無いやつじゃんっ!!はー!もーこれだから鈍感クソ馬鹿うんち野郎はこんなんなんだよっ!死んでしまえ!つーか死ねっ!!野垂れ死ね!!」

「酷い!僕を選んでくれたのに!」

「うぎゃあああ!!聞こえてたのかよ!?それはそれで嫌だっ!!言語化するなよ!脳が!!大脳辺縁系がぶっ壊れるうううう!!」


 素直に恥ずかしいと言えよ。


 大脳なんとかがぶっ壊れそうになってるリオちゃんは短い手足でバタバタと駆け巡り、己の感情を熱エネルギーへと交換していた。

 じたじたと。ばたばたと。


 しばらくして。


 ようやく落ち着いたのか、ヘリオトロープはとぼとぼと帰ってきた。


「うう……言うんじゃなかった…………まさかこんなに恥ずかしいとは」

「見てるこっちが清々しくなる暴れっぷりだったな」

「うるさい」


 ただでさえだぼったくて体のあちこちが見え隠れする危なっかしい服装なのに、暴れて、乱れてしまったせいでぐちゃぐちゃになってしまっていた。

 見かねて、それを正してやると彼女は小さく礼を言う。


「とにかく。誰彼構わず自分の最大限できる”もてなし”を”猫かぶり”をする必要はないってことだ。そんで大切な人には、大切にしたい人には素を出せばいい。異世界でも、根本は変わんねえ。最低限――ミニマムを心掛けてりゃ疲れることもないだろ」

「今までのやり取りにそんな教訓があったのか」

「あったんだなこれが」

 そんなわけあるかい。


 そう突っ込むのも億劫だったので、口には出さないけれど――いや言葉にしなくても、この幼女には伝わってしまうのか。なんだか不思議な感覚だ。

「幼女言うな」

 こんな風に。


「さてとっ、力の譲渡も終えてるし。あらかたの不安要素は取り除いた……となると、あそこで出ずっぱりの扉をくぐるだけなんじゃねーの?」

「ちょっと待って」

「なんだァ?膝枕でもして欲しいん、いや嘘だよ。にじり寄るな、手をワキワキさせるな」

 少しずつ近づいていた足を止めて、手を下に降ろす。


 すると彼女は胸をなでおろしたように溜息をついて、僕に向き直す。

「それで?お前にいまだ存在する不安要素ってなんだよ」

「不安要素って言うか。不明要素って言うか……力の譲渡って、なに?」

 気まずくおもいながらおずおずと聞くと、あっけなく答えてくれた。


「万物に生命を宿す力」


「僕に?」


「お前に」


「マジで?」


「マジで」


「いつ?」


「お前が寝てる時だよ。復活させて、すぐくらいに譲渡した」

 そっけなく、彼女はつまらなそうに立て続けに応答する。


「そんな一方的にできるもんなの?」

「できるできる。大体お前に渡すつもりで調整した能力だからな。するする受け取ってくれたわ」

「あんまり実感ないんだけど」

「実感があったら、それは違和感の証拠。馴染んでない実証だぞ」

「そういうものなのか」

「そういうもんだよ」

「私の四半世紀の努力の結晶だぞ?ありがたく受け取れよ」と照れくさそうに笑って、頬をぽりぽりとかく。

 二十五年でこんなとんでもない力が作れるものなのか……やっぱり悪魔なんだな。

「やっぱりってなんだよ!徹頭徹尾信じとけよ!」

「悪かったよ。これからは信じるから」

「おうおう信じとけ。信じきっとけ。そんで信頼ついでに異世界に飛んじまえ」



 パチンと。



 ヘリオトロープが再び指を鳴らすと、両開きの扉は金属を引きつぶすような重低音を上げて、ゆっくりと開かれていく。


 扉の奥は壁と同じシャボン玉のような壁――というオチを想像したけれど、外に広がっていたのは人々賑わう商業街であった。

 やはり人は、沢山、居る。


 しかしこちらには目もくれず、というか見えていないらしく、思い思いに売買をしていた。

 石畳の大通りに沿って数々の店が立ち並ぶ。


 服屋。武器屋。防具屋。宿屋。薬屋。酒場。飯屋。質屋。八百屋。肉屋。魚屋。


 中世を思わせる街並みに、僕は軽く感動を覚えていた。

 すると、背中が軽く押されるような圧力が。


「おらおらー!見とれてないでとっとと異世界デビューを果たしやがれっ!実証実験の成果を出しやがれっ!私の能力の性能を見せびらかしやがれっ!」

「別れの言葉がそれかよ」

 ぐいぐいと、ずいずいと押されながら、後ろを視界の隅で捉えると、楽しそうに笑うヘリオトロープの姿があった。


「別れも何も、どうせ私はお前の動向を見てるし、連絡だって取ろうと思えば取れるんだぜ?んなもん意味ないだろうに」

「遠距離恋愛してる恋人みたいなこと言うなよ」

「い!い!か!ら!」


 そう言いながら押していって、扉ギリギリのところで踏みとどまった。

 振り返ると、ヘリオトロープはなんだかんだ言いながら別れの言葉を送ってくれた。


 行ってきますと、形式的に挨拶を返したつもりが、彼女の前で初めて笑いかけてしまった。

 かなり間抜けな顔になったらしい。

 少しきょとんとして、にまにまと嬉しそうに笑われた。

 「頑張れよ」とおそらく人生で初めて身内以外に言われた激励は、僕のちっぽけで矮小で見るに堪えないほど傷付いている心に深く溶け込んでいった。

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