イケメン部長はダメ女子社員を見捨てない

芦屋 道庵

イケメン部長はダメ女子社員を見捨てない

 ひっく、ひっく……

 涙が止まらない。

 

 またやってしまった。取引先に見積り書を送る期限が今日だったのをすっかり忘れていた。

「亀山さん、見積り書、出来てる?」

 もうすぐ午後五時というタイミングで藤田絵美先輩に聞かれ、初めて気づいた。

 できてません。蚊の鳴くような声で答える。さらに絵美先輩が言う。

「もうすぐ定時だからね。急いで」

 はい、ますます声が小さくなる。明後日までだと思ったので、まだ全然できていない。

 ど、どうしよう……

「私、今日定時で上がりまーす」

「あら、絵美ちゃん、もしかしてデート?」

「えへへへへ、彼の誕生日」

「まあ、いいわねえ」

 無情にも時は過ぎ……


「亀山さん、最終確認するから、見積り書見せてくれる?それを送信したら、今日は終わりにしよう」

「あの、絵美先輩……」

「ん、どうした?」


「え、ええぇぇぇ」

 絵美先輩が呆然としている。そして、課内がしーんと凍り付いた。

 先輩は、しばらく天井を仰ぐと、スマホを手に部屋の外に出ていった。

 部屋中にため息が充満している。

 また、ダメヤマがやっちまったよ……

 陰ではカメヤマではなく、ダメヤマと言われていることを知っている。


 とはいえ、これは課内全体の責任。とりあえず協力して間に合わせなければ、顧客を失うかもしれない。

 みんな無言でデータを打ち込んでいく。

 空気が重い。

 絵美先輩は真っ青な顔をして、唇を噛みしめながら、パソコンに向かっている。

 出来上がったものから、絵美先輩のもとに集められ、チェックをかけた後、書類は完成した。それを送信して、今日はおしまい。

 午後八時になろうとしていた。みな、疲れ果てた顔で帰っていく。

 絵美先輩は真っ赤な目をして、足早に出ていった。

 先輩、大丈夫かな?

 私のせいで破局なんてこと、ないよね……


 私、この仕事に向いてないんだな……

 皆がいなくなった後もデスクから立ち上がれない。

 

 大学を出て仙台の会社に就職して二年。その後恋人もできず、休日は趣味の乗り鉄でひとり気晴らしをするのみ。

 この歳で「奥の細道」なんてシャレにならない。

 仕事でも、まるでいいとこなし。

 

 辞めよう。

 ここに居ても、迷惑をかけるばかり。

 もう疲れた。

 故郷の天童に帰ろう。

 将棋の駒作りの修行をするのがいいかも。


「おーい、カメヤマ。生きてるか?」

 部長の声だ。

 部長は今年三十五歳。東北大学を優秀な成績で卒業したエリートと聞いている。

 そして絵に描いたようなイケメン、しかも優しい。

「カメヤマって呼んでくれるんですか?」

「他になんて呼べばいい?ユカリとでも呼ぶか?」

 な、名前で呼ぶんですか?

「ぶ、部長、その呼び方は反則です……」

「どうして?カメヤマはNGなんだろう?」

「そんなことないんですけど……。ダメヤマと呼ばれているので……」

「そうか、ダメヤマか……」

 クククッと部長が笑う。

「ひどい……」

「すまんすまん」


「ところで、まだ帰らないのか?」

 午後九時を過ぎていた。

「まだ、後始末が終わらなくて。なんか力が入らないんです」

「腹、減っただろう。これ、食え」

 赤いきつね と 緑のたぬき

 お腹ペコペコだ。

「どっちがいい?」

「赤にします」

「わかった」

 部長はポットのお湯を入れてくれた。

「俺は緑だ」


「俺がまだ若い頃、とんでもないことをやらかした。その頃はまだ、メールじゃなくてファックスで送信していんだが……」

「誤送信、ですか?」

「そう。それも取引上の秘密を全然違うところに送っちまった。俺はクビを覚悟したよ。みんなが帰った後、辞表を書いていた」

「そんな時、尊敬してた上司が入って来た。上司には俺の考えていることなんか、お見通しだったんだな。俺に近づいて来ると、いきなり頭をひっぱたいた。今だったら、完全にパワハラと言われるな」


 部長は遠くを見るような目をした。


「この上司でさえ、こんなに怒っている。そう思ったらもう、抜け殻になってしまったよ」


 できた、食うぞ。部長が言った。


「その上司、すごく怒ってたけど、悲しげな目をしていた。お前は何をやっているんだ。後始末をする前に逃げ出す気か。この会社が、どんな思いでお前を採用したと思っているんだ」


 部長は 緑のたぬき のかき揚げをガブリと噛んだ。


「上司は俺のデスクに 緑のたぬき をポンと置いた。それを食って頭を冷やせ。明日はお詫びに回るから、二時間早く出勤しろ。そう言って部屋を出て行った。次の日、俺と上司は何十回頭を下げただろう。もうヘトヘトだったよ。でもその時、分かったんだ。誰だって失敗はある。でも逃げないこと、心から謝罪すること。それしかないんだって」


 なんだか涙が出てきた。


「こんなとき、赤いきつね はうまいだろ?」


 うまいというより、温かくて沁みる。


「運良く、誠意のある謝罪だと認められて、穏便に済ませることができた。今の俺があるのも、あの上司と 緑のたぬき のおかげだ。上司は俺を呑みに連れて行ってくれた。あの時のカキ酢は最高だったな。泣きながら礼を言う俺に、その感謝は、お前の部下や後輩に返せと言った。いま俺にもその時が来たというわけさ」


 部長。


「お前、かなり運がいいぞ。今日だって、周りがフォローしてくれただろ?」

「はい」

「なぜ俺がここに来たと思う?藤田に言われたからだよ」

 

 恵美先輩?


「下で藤田とすれ違った時、カメヤマが落ち込んでるから、一声かけてやってください、と頼まれたんだ」


 信じられない……


「カメヤマ、やるべきことは分かるな。明日、明るく出勤すること。そして、みんなに心から礼を言うこと。お前が辛気臭いと、みんなが暗くなってしまうぞ」

「はい」

「よし」


 部長が手を伸ばしてくる。

 頭、ポンポンされる……。

 思わず首を縮めて目を閉じる。


 あれ?

 目を開けると、部長の手は頭の直前で止まっていた。


「おお、危ない危ない。あやうくセクハラするところだった」


 えー、セクハラだなんて思いません。

 ポンポンされたかったのに……。


「さあ、カメヤマ、それ食ったら、帰れ」


 部長、離れたくありません。

 もうちょっと一緒にいたい。

 今夜は帰りたくない、と言ったら困った顔するかな?

 もう恋が燃え上がってしまいました。

 好きです。

 妄想が止まらない。


「は、はい」

「そうだ、いいもの見せてやろう」


 部長はスマホを差し出した。


「俺の元気のみなもと」


 待ち受け画面には、読者モデルのように美しい奥様と、 奥様そっくりの可愛い女の子。

 それを見る部長の目は、とろけるように甘かった。

 ダメだ。妄想が砕け散っていく。

 私の恋心は、生まれてすぐに消えていった。

 やっぱり、天童に帰ろう。


「カメヤマ、人事課の杉山って知ってる?」

「はい」


 確か、さわやかなワンコ系の男子だったと思う。


「あいつがさ、カメヤマと話したいんだって」


 思わず、赤いきつね の出汁をゴクリと飲み込む。


「今度、三人でメシでも行くか?」

「は、はい」


 やっぱり、故郷に帰るのはやめた。


 赤いきつね と 緑のきつね。

 部長、そしてみんな。

 本当にありがとうございます。

 

 亀山由香里、これからもがんばります!


 


 

 


 

 




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イケメン部長はダメ女子社員を見捨てない 芦屋 道庵 @kirorokiroro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ