第9話 決闘

 暗い魔剣の迷宮の中、私は泣きながら歩いていた。橋の上での戦闘が、有志の騎士に死をもたらす結果となった。故郷の領地を放り置き、私に力を添えてくれた、否、皆の命を救ってくれた彼の死。

 騎士の中の騎士の死。

 涙は止まらない。拭っても意味はない。だから泣きながら、歩くしかなかった。

 天井の暗闇に隠れた蝙蝠の怪物は、鳴りを潜めたままだ。ロロが止めるのも聞かず、橋を越えた先にある扉に迫り、歩みを止めずに蹴り破った。

 我を忘れて暴れ出す者を側から見れば、愚かに見えるだろう。でも、今さら取り繕って賢人ぶる気持ちには到底なれなかった。

「私は、愚かだ!だが、愚かな私に、これからお前は支配されるのだ!待っていろ!我が騎士の命に相応な価値ある魔剣かどうか、今から値踏みしに行ってやるぞ!」

 目の前の暗闇に向かって、怒鳴った。

 騎士たちの目には、気が触れたように映ったやも知れない。私の語り相手は、この魔剣の迷宮の主だ。意志ある強力な魔剣ならば、必ず届いているはずだ。何故か、そう確信している。それを証明するかのように、暗闇しかなかった扉の内側に、ぽっと灯りが燈る。

 円形の天井に、無数に埋め込められた光る石が照らし出したものは、広大なドーム型の広間だった。地下空間にして、人の業では到底不可能と言わざるを得ないそれは、代闘士たちが凌ぎを削り合う円形闘技場を連想させた。

「泣いたり怒鳴ったり、意外に感情豊かなんだな?」

 私は静かにクルトに目線を移した。泣いたら、頭がスッキリした。

 こんなやり方でしか、心を立て直せない自分に恥じない訳でもない。でも、ここは仮にでもいいから、許して欲しい。まだ、立ち止まる事はできないのだから。それだけに、クルトの事なげな口調に、救われた気分がした。

 私と目が合ったクルトの顔に一瞬、陰が刺したように感じた。ふと、彼は足元の何かに気づき、屈み込んでそれを拾い上げた。

「んーと、何か落ちてるぞ」

 それは、コインの様だった

「扉についていた物です。蹴り破った拍子に外れたんですよ」

 ロロが呆れた口調で、小指で頭を掻きながら答えた。

 部屋の中は、円形に並んだ、巨大な柱。

 奥に扉。天井に・・・灯りに目が眩んで良く見えないが、卵の様な岩が柱と同じ数だけぶら下がっていた。石でできているのだろうか?相当な重量があるはずだけれども、まさか落ちてきやしまいか。

 ロロが説明を続ける。

「柱に描かれたレリーフの中央に、丸い窪みがあります。奥の扉、出口にはそんな細工は無いように見えます」

「なるほど、入れろってか」

 クルトがごく自然な動きで、一番手前の柱にコインを嵌め込んだ。

「ちょ、クルトまで、正気を失ったのですか?」

 ほぉ?ロロが慌てている。私は思わず笑いそうになった。何か、妙な気持ちだった。大声で泣いた直後だというのに、胸の奥底がすっかり軽くなっていた。心の奥底に溜まっていた重い泥濘を吐き出したかのような気分だ。

なぜだろう?

 そう思った刹那、剣が唸るかの様に震え出した。ただならぬ危機を察知した。

「クルト、上!」

 天井の丸い石球が、クルトがほんのひと呼吸前までいた場所に落下し、閃光と共に、轟音と砂塵を巻き上げた。

 衝撃で足が浮かび、内臓をも震わす轟音と、呼吸を妨げる大量の砂塵が、全員を襲う。落下した巨石は、私たちがどうやっても傷つけられなかった、大理石の床を破壊した。

「クッソ。危ねぇ。助かったぜ、姫」

 間一髪の差で九死に一生を得たクルトは、這いつくばった状態で、顔だけを九十度反らし、私に例を述べた。だが、当のクルト以外、他の全員の目は捉えていた。巨石に“割れ目“が走り、静かにその姿を変容させ始めた事に。

 すぐさまロロが駆け寄り、クルトを強引に立ち上がらせようとするが、彼女の腕力では無理だった。遅れてボードワンが助っ人に入り、騎士をようやく起こし上げる。

「なんだ皆?大丈夫だ。一人で立て・・・て?」

 一番の危機に瀕している当の本人がのんびりしていたが、玉から伸びた腕がその姿を覆い包もうとした刹那、危機を悟った若者の反応は素早かった。重装備とは思えぬ軽やかな動きで、瞬時に跳び退き、距離を取る。

 それは、歪ながらも間違いなく、人型を模していた。より正しく形容するならば、それは四本脚の糞転がしの様だった。

 皆が盾を構えて、私の周りに集まり奇怪な、機械仕掛けの石人形の動向を見守る。

「ゴーレムという、迷宮の守護者です」

「どうやって動いている?石だぞ?」

 ロロの解説に、クルトが捕捉を求める。

「魔法、としか言いようが・・・」

 言い終わる間も無く、岩人形は身体を大きく揺さぶって突進を始めた。反射的に剣で切り倒そうと体勢を整えた騎士たちだったが、巨石人形の体当たりを喰らう直前で、私の身体を支えながら左右に別れて避けた。とんでもない重量の岩の突撃を、剣や盾でどうにかできるようには、到底思えなかった。

 急な方向転換が苦手なのか、岩人形は勢い余って柱に激突し、それを薙ぎ倒してしまう。

 またも巻き起こる粉塵にむせ込みながら、ロロが叫んだ。

「柱を壊すとは、どういう躾け!」

 すると、崩れた柱の上から、またも別の大岩が落下し、岩人形と激突した。

 流石の岩人形も、これには堪えたか?と思ったのも束の間、ぎくしゃくと立ち上がった岩人形は、今や二体に増えていた。

「扉は開きません!」

 奥の扉を開けに行った騎士ターラントが報告する。当然だ。すんなり開くものなら、守護者の活躍の場がないというものだ。

「クルト、さっきのコインは?」

 私の問いに、クルトがにっと笑って、コインを見せる。咄嗟に拾い上げた抜け目なさは賞賛したいが、今は気取っている場合なのですか。

「柱のレリーフを調べろ!コインを私に!」

 ロロの指示に、全員が一斉に動き出す。またゴーレムの突撃で柱が崩されては堪らない。柱の窪みとコイン、これがこの試練を乗り越えるための正攻法なのだ。それを壊してしまう、というのも、試練の内なのかどうか。

「波です」

「そっちへ向かったぞ!」

 ミュラーが反射的に、柱の裏側に逃げる。しかし、ゴーレムは構わず突進し、柱ごと彼の身体を吹き飛ばした。

「クッソ!またかよ、こっち来んな!」

 クルトがコインをロロに向けて放りつつ、もう一体の突進を紙一重で躱す。そのゴーレムは勢いのまま、壁に頭をのめり込ませた。

 轟音と砂塵。

 砕けた大小の岩が、広間中に飛び交う混沌。

 砂塵が目に入るとひどく痛み、瞼を開けているのも辛くなる。喉の痛みも耐え難い。

「コインは太陽!柱は波がふたつ」

 エルフの紋章官は、考えを声に出していた。情報を共有して、皆のアイデアを引き出したい試みか。しかし、今この状況で謎かけの答えなど、思案できようものか?

「どうにかして!」

「あぶねぇ!」

 ぶんっと風が頬を打つ。目の前にゴーレムが腕を伸ばして、私の首をもぎ取ろうと足搔いていた。その手が届かないのは、クルトが押し留めてくれたおかげだった。両手両脚が収まっていた胸部の窪みに、すっぽり嵌まり込みながら。別の柱が崩れ、またも巨石が落下する。

 常人離れしたクルトの膂力だったが、長く持つとも思えない。ゴーレムは邪魔者のクルトを腕で掴もうとするが、胸の窪みの中は構造上、手が届かないのか、不恰好にもがくばかりだ。しかし、全身全霊の力でゴーレムの突進を押し留めるクルトの力も、もはや限界に達していた。

 抜刀し、魔剣の加護を祈る。魔法で動いているならば、魔剣で断つ事もできるかも知れない。岩ではなく、魔力そのものを切れはしまいか?その時、ふと頭にイメージがよぎった。それは、蹴り破る際に目に写った扉の文字だ。

「こっちは少し違う、波じゃない、きっと山だ!いや、山脈か?」

「逆三角形に棒二本に下矢印?みたいな!」

 ボードワンの声と私の声が、重なった。

「逃げろ!」

 岩人形が知恵を見せた。後ろに下がって、クルトのバランスを崩すと、ハンマーの様な一撃で彼の背中を叩き伏せ、次は私とばかりに向かって来た。振り下ろされる腕に合わせ、勝手に体が動く。ゴーレムの腕を叩き伏せて、機動を逸らそう・・・その為の予備動作として、私は大剣を大きく振りかぶっていた。しかし、頭の中では重量差で打ち負けるのも判っていた。

 砂塵の中、黄金の矢が横一線に疾った。

 ゴーレムたちの動きが、しんっと止まる。突進中の慣性までも無視した、異様なまでの急静止。まるで、床に貼り付いたかのようだ。

 咳込む声だけが、広間に響いた。

「ひどい説明でしたが、咄嗟に連想出来ました。私で無ければ、こうは行きませんよ」

 先ほどの閃光は、ロロが投じたコインだった。何かの魔法を使ったものか、五メートルは投じたであろう小さなコインは、波のレリーフが彫刻された柱の窪みに、ピッタリと嵌まり込んでいた。

「一体、どういうわけだ?」

 クルトがよれよれと立ち上がる。ゴーレムの一撃を受けた甲冑の背中が大きく歪んでいる。大層、丈夫な身体でよかったわね。

「姫が見たのは、扉の文字ですね?全然、説明できていませんでしたが、古代文字で『我を沈めよ』だったと思われます」

 ロロの話を聞きながら、半ば岩に埋もれたミュラーを見つけ、掘り出すように助け起こす。彼もどうやら、大きな怪我は無いようだ。

 ミュラーが閃いたように、続きを紡いだ。

「柱のレリーフは・・・この半島の地図ですね」

「正解です。最初に扉の文字と、コインの絵柄を知っておけば、意図が判りました。レリーフを見なくても、ボードワンならば方位が知れたでしょうし」

 ボードワンからはかつて聞いた事がある。総本山たる大神殿の位置が何処にいても判るらしい。ただし、それは祈りの儀式を行った際の事で、直感的にいつでも知れるわけではないらしい。なぜ、このような遠回しな言い方をするのか、ロロの意図は不明だ。そういう言い方をする人は、私は嫌いだ。

「皆、無事ですか?クルト、身を張ってくれた事を感謝します。皆もよく堪えました。ロロもご苦労様」

 一応、後の事も考えて、労っておく。きっと、奥の扉は開いているに違いない。それが、迷宮の主の仕事なのだから。きっと、迷宮の主は文明人に違いない。この迷宮の試練を突破できる者から、獣や蛮族を省きたかったのかも知れない。


 果たして、この迷宮の主はそこにおわした。

 謁見の間、という設えなのだろう。翡翠色の絨毯の先に龍のレリーフが厳しい玉座。鎮座するのは人形のように姿勢正しい白き甲冑。仄かに光を発するそれは、魔剣ならぬ鎧武者だった。

 城代には敬意を払うべきだが、相手は神代のものと言えど人の産物だ。足早に玉座の前まで段を上がる。騎士たちは、私のすぐ後ろで鎧武者の出方に警戒していたが、クルトだけは先ほどの経験に懲りたのか、上下左右と仕切りに周囲を見渡していた。

『よくぞ辿り着いた、魔剣の皇女よ』

 耳の奥の方で、威厳に満ちた男性の声が響いた。互いに顔を見渡す。皆、聞こえている様だった。頭の中のイメージだとすると、声の種類は、もしかすると人それぞれ違うのかも知れないが、それを確かめる術はない。

「試練は合格ね。新たな所有者を求める貴方のご要望には、応えられたってわけで相違無いかしら?」

『上々』

「なら今度は私からの要望よ。私の物になり、死んだものたちを蘇らせなさい」

『黄泉に旅立った魂は、呼び戻せん。でなくては、何の為の試練か。決して命を失わぬ戦いなど、ただのお遊びではないか』

「なら、私だけを呼び込めば良かった!貴方は、ここにいる全員に等しく報酬を与えるつもり?ひとつしかない報酬のために、全員に等しく危険な試練を課すのは筋が通らない事じゃなくて!?」

『我はお主を、一行丸ごと一つの集団として受け入れてやったのだ。お主は側仕えの援助を得て試練を越えた。ならば、これは譲歩というべきだ。我が諌めを受けるのは、筋違いであろう?そもそも、それがお主の宿命というものだ。己が願いを成すため他者の犠牲を強いるのが、生き様であろう。騎士を従える者よ。これが、お前のあるべき姿である以上、我はそれを許容してやるまで』

「三秒だけ待つわ。生き還らせて」

『認識する者がおらぬ時点で、迷宮は塵と同義となる。生物が迷宮内に存在するのは、認識する者が現れた瞬間に構成されるからだ。もはや、死人しかおらぬ空間は存在すらしないのだ。よって、死人を蘇らせる力は、我にはない』

「・・・弔うこともできないの?」

 言いながら、目の前が暗く、頭の中心部に氷を詰められたかのような感覚を覚えた。

『魂までは消えることはない。お主らにそれが認識できるとも思えんが』

「・・・いいわ。貴方は・・・甲冑なの?」

『然り、我が招き、我が試練を乗り越えた魔剣の皇女に、我を与えん。だが、その前にもうひと掃除、して貰わねばならぬぞ』

 突如、壁に垂直の光の筋が現れ、それがゆっくりと広がっていく。壁が巨大な扉となり、自ら開いていく。まるで、異次元と現が交差するかのような光景だった。扉の外の喧騒が聞こえてきた。

『全員、外に出るが良い』

 言われなくても、そうします。 

 扉の外は、宴会の最中だった。

 五メートルはあろうかという大階段の下には、縦長の窓から西日が差し込む巨大な広間があった。そこで下品に騒いでいるのは、武装したならず者たち。中には、半裸の女性もいた。燭台の並ぶダイニングテーブルには、大層なご馳走と酒樽が並んでいる。どうやら、街への略奪行は成功してしまったようだ。それを一度に平げよとは、精神を疑うばかりだが。

 扉の中から現れた私たちをぽかん、と見上げているのは、難攻不落の砦に籠城するマンフリード一味だった。

 落ち着いた素振りで服を担ぎ、部屋の奥へと引き下がる半裸の女性陣。なかなかどうして、肝が据わっている。察するに、彼女らは“仕事“をしに来た部外者だ。

「おい!こっちを見ろ!ここだ!」

 一際派手な真紅の出立ちの男が声を荒げた。片手でも両手でも使える半端な、という意味のバスタードソードを机に立て掛けている。鎧は胸当てだけだ。えっと顔の方は・・・意外にも整っている。妙に悪ぶった格好と、くねった姿勢がそれを台無しにしていたが。

「お前ら、どうやって、そこを開けた?」

「気になるのは、そんな事なの?これから、皆死んでしまうかも知れない事は、どうだっていい事?・・・だとしたら、私はあなたを尊敬します」

 言いながら、とんでもない場所に引き出してくれたものだと、心の中で迷宮の主に毒づいた。これでは、試練の延長戦の様なものだ。でも、しかし、そもそもこの展開を望んで地下道を掘っていたのだ。不意打ちと言えば不意打ちだし、概ね成功とも言える。ただ、この場合は両者ともに不意を突かれたのだが。

ともあれ、問題なのは、階段の上で陣取るか、戦い易い広い場所まで降りて行くか。

「おい、扉が閉まっちまってるぞ」

 警戒しながら、クルトが呟く。

「きっと先刻、私が駄々をこねた事への報復ね」

 げんなりとした表情のクルト。そんなやり取りを全く意に介さず、マンフリードが鷹揚に語りかけてきた。

「お前、街の連中が言っていた“剣の姫“だな。白い髪だと聞いた。そうだろ?思ったよりも、俺の好みじゃねぇか。嫁入りに来たなら、可愛がってやるぜ。だが、できれば、てめぇみたいなお嬢ちゃんじゃなく、後ろの別嬪の方が好みだがな」

 下卑た男たちの笑いが、豪奢な造りの広間に反響した。

「三十五人。広間の外にも、気配を感じます」

 ロロが促す。今は時間をかけるべきではなかった。

「口数が多いのは、戦いを避けるべきと本能が悟っているからでしょう?ここにいる九人には、全員がかりでも勝てない、と感じているから威圧で説き伏せようと?残念だけど、無駄な事ね。騎士の精神はそんな事で挫かれたりし無いわ」

 言ってから、一人足りない事に気づく。

「はッ!俺には六人のデクの棒と、泣きっ面の女二人にしか見えないぜ?その六人の鎧人形で、俺ら全員相手にできると思ってるわけか?まさか、思わねぇよな?どういう手段でそこに現れたか知らねぇが、とんだ誤算だったな?びびっちまったなぁー?おい?」

 再び笑いが起こる。

「腐ってねぇで、度胸あんならかかって来い!お前の女々しくつまらん話なんぞ、馬のケツがお似合いだぜ」

 どういう意味?私は、クルトを振り返る。

 両手を広げて、なんだ?いいから前を向け、という仕草のクルト。

 マンフリードに向き直ると、顔を赤らめて食い掛けの肉を床に放り投げていた。

「生かしてやろうとも思ったが、もういい!馬に繋いで、ひき肉になるまで引き摺り回してやる!」

 ん。話がまとまった。男同士の方が、シンパシーがあるのかも知れない。

「抜刀!」

 私の号令で、皆が一斉に武器を構える。

 ぐぅぅぅん・・・耳鳴りの様な魔剣の愉悦が伝わってきた。

 そうね。本領を発揮していただくわ。

 威勢の良い号令で火蓋を切らんと、スゥと息を溜めた時、違和感を覚えて振りかった。

「クルト、剣はどうしたの?」

 クルトは剣を抜かず、手持ち無沙汰そうに両手を腰に当てていた。

「ハルトマンとこで、落としたんだ。ずっと、手ぶらだったろ?今、気づいたのか? おぃ、天を仰ぐな!大丈夫だ。剣なら、皆持ってる。どれかを拝借するさ」

 それは、敵から奪う、という事らしかった。私は自分の短剣を彼に放り投げる。

 気を取り直して、私は名乗りを上げた。

「クラーレンシュロス伯ルイーサ・フォン・アマーリエが推して参る!」

 ギュン、と弦が弾ける音が聞こえた。

 目の前に閃光が弾け、飛来した矢が燃え朽ちる。続いて、その射り手の顔に光が弾けると、視力を失った男は悶えながら蹲った。

 ロロの精霊魔法だ。

「その力で、全員殺れないのかよ?」

「ご無理を・・・もう品切れですよ」

 口を尖らせたクルトに、戯けた様にロロが答えた。その言葉が本当かどうかは、彼女の性分にして計り難いが、合理的な彼女の事だ、可能な事ならばすでに実行していたろう。

「矢はまずいわ。降りましょう。ターラント、スタンリーが左翼、ウルバン、ボードワンは右翼、クルトとハルト、いえ、ミュラーが私の横に。ロロは後方で援護」

 階段を駆け降りながら、布陣を告げる。

「私はボードワンと代わりましょう。彼の治癒の奇跡は、貴重です」

 ロロが右手にレイピア、左手に大きなバスケットヒルトがついたパリイングダガーの二刀流の構えで、階段を降りる。

 階段の途中で、早くも押し寄せる敵とかち合った。

「怪我、しないでよ」

 甲冑を着込んでいないロロが、心配だ。

「努めます」

 私はウォーハンマーの一撃を剣で動きを合わる事で下方へ受け流し、下り降りる勢いのままガツンと、相手に身体を預ける。ついでに足をその踵に差し込むと、相手は階段を転げ落ち、登ろうする仲間たちと激突した。倒れた仲間をそのままに、各々が乗り越え、踏み越え、飛び越えながら、がむしゃらに押し寄せようとする。そこへ、これ見よがしと、顔の高さを狙って剣を横薙ぎに振り回すと、退けて避けようとした前列の敵たちは、背中から押し寄せる味方にのし掛かり、立ち往生した。

 足元が定まらないまま、背中を味方に押されてよろめく男の頭を、二つほど続けて剣で殴りつけてやる。

「退がれ、押すな!」

 これじゃ戦えないと、マンフリードの手下たちは階段下まで戻り、体勢を整え直した。

 私は一気に階段を降り切り、スペースを確保する。左右の騎士たちも、盾を使って敵を押し戻していた。

 これで弓からは逃れたが、高みの有利は失われた。

 ロロの姿が見えない。それを気にした刹那、正面の敵が剣で突いて来た。真正面から突き返す。切先でパッっと火花が上がり、相手の突きは基軸が逸れ、私の甲冑の表面だけを削った。

 相手の身体の中心線を鋭く、正確に攻撃した一撃は、自然、相手の一撃とかち合い、軸のズレた方の攻撃が逸れ、正確な一撃だけが相手の中心線へと至る。それが、ずっと父から手解きを受けて来た我が流派の極意だ。正確無比、一撃必殺。すべての動作は、攻撃を基本とする。

 それが、半生をかけて私が身体に刻んだもの。

 相手の顔面に刺さった剣を抜き、次の上段から振り下ろされる剣戟に柄を基軸にした小さな孤で応戦する。初動は必殺の膂力を込めた相手の大袈裟だが、鼻から下を裂かれた刹那に命の危険を察知した身体が、腕を防御のために引き戻そうと反射する。しかし慣性に抗えずに降ろされた剣先は、打撃の瞬間に込める筈の力が伝えられる事も無く、破壊力を大幅に失う。顔に降りかかったそれを左の籠手で払い、次に備えた。今の相手には軽傷しか与えていないが、歯と顎を砕かれて戦意を失っていた。

「久々に拝みましたぞ!本領発揮ですな!」

「父君の太刀筋、そのままじゃ」

「マジか、姫。やるもんだ。さっきは心配して損した。俺も見直したぜ」

 昔から、騎士たちは私が戦う姿を見るのが好きだった。そんな声に励まされ、剣技に明け暮れていた頃の気持ちが蘇る思いだ。

「世辞はいいわ。クルト、剣は?」

「もう貰ったさ!」

「ミュラー!一人の敵に拘らない!」

 騎士たちは、意気揚々だった。死と隣合わせの戦場こそが、彼らが自ら選んだ生きる世界。街で農・工・商に励む人々を“働く人“と称すならば、騎士の性分は今がまさにその時、彼らは“戦う人“なのだから。

 それにしても、と私は内心歓喜していた。実戦で初めて振るう魔剣の切れ味は、通常の鋼と比べるべくも無い。見た目よりも二割ほど軽く、しかし慣性による打撃力は損なわれていない。奇妙でいて愉快な感覚。これほどの優位。これほどの快感。

 本来ならば、戦を生業としてる者なら須らく、大金を叩いてでも手に入れたい代物。グリッティ卿の振る舞いの方が、特殊すぎた。あの時、ロロ=ノアが言った様に、領土と魔剣を持つ私を婚姻によって丸ごと手に入れたい、と願う者がいてもおかしい話では無いのだ。ただ、あの時の視野が狭くなっていた私には、考えが及ばなかった。金銭的価値と、信仰の対象としての利用価値しか考えが及んでいなかった。

 もし、あの時に魔剣の魅力をすでに体感していたならば、手放そうなどと考えるものか。いくら金を積まれても、二度と手放すものか!

 ロロも魔剣を所持している。彼女も同じ感覚だろうか。隙を見て振り向くと、相手の膝を蹴り、体勢を崩したところで喉にレイピアを突き立てていた。気勢を制し、意識を上下に翻弄する戦法だ。足運びと上体の捻りが連動し、瞬時に複数の打撃を加えている。並大抵では無かった。左手に構えた短刀の使い方が興味深い。三本の刃と、まるで籠手の様に大きなバスケットヒルト。防御用に設られた短刀で、相手の剣を絡めるように防ぎ、次の瞬間には、レイピアで反撃を与える。フェイントを加えながらの組みし難い剣技は、代闘士戦で見せたものよりも、さらに数段勝る凄みを感じた。

しかしながら、相手の数が多過ぎる。あの手数の多さと素早い動きで、どこまで続くものかが、心配だ。

 一方、騎士たちの戦いぶりは、気迫と冷静が相まり、規則的なリズムに乗った動きだった。盾と甲冑で受けながら、相手の首、脇、腿を刺し、時に手首を強かに打ちつける。興奮した相手に軽度の手傷を負わせても効果薄だが、目を覚ますほどの激しい痛みと、死を恐怖させる急所への深傷は、冷や水のような刺激となって身体を駆け抜け、一瞬にして戦意を挫かせる。戦いは勢いでは、無い。相対して数合打ち合えば、心が勝敗を悟る。それを悟った相手が気後れしてくれれば、結果は確定する。だから勢いでは無いが、気勢は必要だ。ただ、乱戦となると腕の良し悪しだけでは、生き残れない。最も注意しなければいけない瞬間は、最初の一撃と、周囲からのどさくさ紛れの不意打ちだ。

 男どもの怒声と唸り声、高く響く金属音と鈍い低音の打撃音が何重にも重なり合い、美しいステンド模様のガラス戸を震わせた。まるで即興でバラバラのまま、いつまでも揃わない合奏のようだ。

 返り血が垂れて目に入らないように、隙をみて袖口のレースで額を拭う。

 一向に好転しない戦況を危惧したのか、マンフリードが号令を発し、前列の様相が一変した。鎖帷子を着込んだ、戦い慣れした風格の戦士たちに入れ替わる。恐らく、古参の傭兵たち。手にしているのは、片手剣の中でも小さめのショートソードと、牛革を何重にも張り合わせたラウンドシールド。使い勝手のいい乱戦向きの武装だ。彼らは、焦る様子もなく、慎重に間合いを測ってくる。

 ふぅー。

 先程までの動きの代償として、全身から汗が吹き出して来ている。相手は手練れ。しかし、まだ広間の外からの増援も予想されるため、体力は温存しつつ、マンフリードとの直接対決まで漕ぎ付けたい。これまでの戦況を見るに、重装備と剣技においては優位だが、何しろこの人数差だ。長引くほどに不利であることは自明であったが、休む間もなく来られては、体力が続かない。この機会を適度に利用させてもらおう。

横並びの騎士たちに合わせ、傭兵たちも展開する。なんと行儀の良い!一人ずつ相手にすれば良いのだ。これは、何よりも有り難かった。

 ここはひとつ、剣のリーチで勝る事をアピールするため、突きを放って見せる。傭兵はそれを見越していたかの様に流れるような所作で、小剣の刃に手を当てながら受け流し、私の長剣の軌道を逸らした。臆する事なく素早い突きを受け流す技量には正直、感服した。そして、防御しながらも重心は前のめりで次の一手の準備が出来ていた。

 しかし、その程度の練度なら、何度も相手をしてきた。

 突きは見せかけだ。すぐに間を詰め、ハーフソードの体勢で相手の剣に圧をかける。私の動きに確かな意図を感じたのだろう。傭兵の抗する力は弱かった。私は、逆に力を強める。重心を下げて身体を寄せ、足をかけた。傭兵はそれを躱すと、逆にこちらの足をかけてくる。上体の動きだけが、剣技ではない。むしろ、足捌きが戦機を左右するものだ。瞬時の反応の良さに、傭兵の経験値が知れる。今度は私がそれを躱して、傭兵の踵の裏に自分の踵を合わせると、膝を折って相手の内膝を外へ押し広げた。言うまでも無いが、重心が崩されると、力比べでは圧倒的に不利になる。傭兵は、きっと盾で殴り付けたいところだろうが、重心はもはや限界点だ。殴った反動で、自分が倒れてしまう。もう片方の足を滑らせ、相手の足を蹴り、さらに外側に開かせてやった。これで、私の方が背が高くなる。そして、相手の剣先を封じながらこねるようにして、相手の首元に刃の付け根を押し当てた。手品の様だが、ここまでが一連の型だ。いくつかの分岐はあったが、できるだけ密着した状態を保ったまま、相手を倒さずに決着まで持っていける段取りを選んだ。周囲からの不意打ちを避けるためだ。この傭兵は強い。だが、対応を頭で考えている。繰り返し身体に覚え込ませ習得した剣技と対峙するには、考える時間の差だけ、後手に回ざるを得ない。

「ひぃッ」

 死の到来を悟った傭兵が、悲鳴を漏らした。根本から切先までの刃を全て使って、首を削ぐように薙ぐり切る。防ごうと押し当てる小剣から、火花が悲鳴のように散り、ついで明るい色の血飛沫がそれに代わった。

 小剣で必死に防がれた為、首を落とすまでは至らず、傭兵は地面でのたうつ。すると、

 後ろの傭兵が、盾で防御しながら同僚の襟首を掴み、引き摺って下がらせた。

 流石に、その隙を付く私ではない。仲間思いの傭兵が、仇を打ちに来るのを呼吸を整えながら待った。

 すると、味方を助けた男を傍に押し寄せ、別の戦士が前に出た。見上げてしまうほどの巨体。両手に持つのは、柄の長い棍棒に棘を付けたモール。とてつも無い重さであることは容易く想像できる凶悪な武器に、防具は牛のなめし革の胴着という偏り様。その出立ちは、猛る雄牛の如く、まるで生き様を語っているかの様だった。

 大男は鼻を広げて、にぃと笑う。

 紅潮していた。

 もぅ・・・げんなりだ。

 こういう場で、女剣士を相手に興奮する様な輩は、ロクな生き方をして来なかった類だ。何も、待ってやる必要は無い。モールを振り下ろすまでの間に、三歩詰めた。腰だめの一撃が、下腹に突き刺さる。同時に、モールの柄が、強かに私の肩を叩く。魔剣の切先は、しかし、強靭な腹筋に阻まれて、内臓までは達してはいなかった。

 私の身体が、宙に持ち上げられた。

 密着したことで一撃で死を招く残忍な武器は使えなくなったが、大男は躊躇なくそれを手放すと、私の両肩を掴んで身体を持ち上げたのだ。呆れる腕力だ。私の体重は、勿論、軽いが、装備だけでも三十キログラムある。まるで万力の様な握力で、私の両腕を絞り上げ、自由を奪った。獲物の身体を地面に叩きつけようと、まるで幼児をあやすが如く、私の身体を天高く持ち上げた。戦闘の高揚からか、この男は満面の 笑みを浮かべていた。

 私は大きく脚を後ろに振りかぶった。サバトンで覆われた靴の先端を喉に見舞ってやると、流石に息を詰まらせたようで、手を放してくれた。

「あぐぅ!」

 図らずや、不甲斐ない声をあげたのは、私だった。

 甲冑を着たまま、まるで馬から飛び降りたかのような衝撃が両脚を襲う。大理石の床が滑り、着地できずに転倒し腕を打ち付けた。

 身体が大きいと痛みの伝わる速度も遅いのか、喉から血を出しながらも、大男の対応は早かった。倒れた私に向かって全体重をかけて押し潰そうと、両手を広げてのしかかって来る。流石に、これを受けたら最後か・・・。

 剣を逆手に持ち換え、斬りつけながらそのまま身体を回転させて、傍に避ける。片手の指を四本失った大男だが、しかし痛みにもがく事もなく、むしろ歓喜したかのような恍惚とした顔を向けてきた。

 回転した勢いを利用して、なんとか膝立ちまで体勢を整えた私は、相手を睨みながらゆっくりと立ち上がる。そして、正面切って告白してやった。

「心底、気持ち悪い!」

 指の有る無しも忘れた大男は、猪突猛進し、両手で掴みかかって来た。振り下ろすには間合いが足りなかった。ハーフソードで突いたり、膝を刺したりはできた。だが、こいつには、生半可な攻撃をすべきでは無い!

 咄嗟に逃げた。敵の一人が、急に向かって来た私にたじろぐ。その身体に抱きついて、方向転換をした。私が手を離しても、転倒しなかった相手は、次の瞬間に巨大な 肉戦車に激突される。

 剣を振りかぶる間ができた。

 一撃を脳天に食らった大男の身体は、切り倒された大木のように前のめりで床に倒れ、私の股の間に、脳漿を蒔いて絶命した。

「大きいだけの役立たずめ」

 戦の高揚感が、妙な台詞を吐かせた。誰にも聞かれていない事を願うばかりだ。稽古では相手をした事もない大男で、戦慄を禁じ得なかった。この男に先程の傭兵の技量があれば、まさに鬼に金棒といったところだ。痙攣する大男の頭から、剣を抜き取り、周囲を見渡す。マンフリード側の完全武装の傭兵たちが十人ばかり、深傷を負ってうずくまっている。だが、騎士の姿も数が合わなくなっていた。

 誰が倒れている!?

 ターラントとウルバンの二人の騎士だった。ボードワンと目が合う。彼は額から血を流しながらも健在、二人の騎士に治癒の奇跡を施している最中だった。しかし、私の視線に気付くと、首を振って返した。

 嗚呼。

 ロロ=ノアは、両手の剣を駆使してまだ戦っていた。俊敏さは失っていなかったが、疲労が見て取れる。クルトの甲冑はそこらかしこが凹んでいた。私が眼前の相手に集中できるように、今まで多くの相手を引き受けてくれていたのかも知れない。

「どうだ?そいつと遊んだ後なら、俺もさぞかし美男子に見えるだろ?」

 傭兵を胴薙ぎに叩き伏せたついでに、減らず口も叩く。まさに、類稀の精魂。彼のような騎士の助力を得られた事は神々にも感謝だ。 

 同郷、同年配、同門でもあるミュラーも健在であり、奮闘中だった。全身甲冑に身を飾った騎士たちは、戦場においてこそ華々しく輝く。戦場にて死ぬ定めを自らに課した彼らの、それが生き様だった。やっとのことで、敵の数は半数まで減った。

「剣の下にこそ、我らが覇道あり!」

 私が雄叫びを挙げると、騎士たちがおぅ!と返した。

 広間の扉が開き、雪崩れ込む足音が大理石を叩く。三十人からの敵の増援だった。外にいた手下が駆けつけて来たのだ。生き残りの傭兵たちが、選手交代とばかりに新参者たちに場を譲る。

「誰が下がれと命じた!?」

 マンフリードが諌めるが、古参の傭兵たちは勝手に下がってしまった。代わりに、武装が乏しい一団が突進して来る。マンフリードに心酔でもしているのか、果敢に飛びかかってくるが、騎士と私たちに次々と薙ぎ倒された。街の住民ならば、その勢いだけで逃げ出すだろうが、ごろつきの蛮勇が騎士に通じる術はない。援軍が半数になった頃、場の空気が一変していた。壁沿いに遠巻きに囲むばかりで誰も、向かって来なくなったのだ。

「テメェら、後でしばくぞ!」

 いよいよ自ら手本を示さなくては、部下たちが動かない。それを悟ったマンフリードがバスタードソードを担いで進み出てきた。主人が率先して見せねば、もう誰も従わない。

 私の立場からは逆に恐ろしくもあるが、すでにそういう“空気“がこの場を支配していた。

 もとより、手下たちにとって、命をかける程の覚悟があったのか。面白可笑しく、好き勝手過ごしていた毎日を、少数のそよ者が来てぶち壊した。だが、数は圧倒的に自分たちに有利で、しかもリーダーは少女。危機感など、相当な割合で欠如していたに違い無い。余裕と思っていたら、多くの仲間が倒された。マンフリードの今の気持ちは、こうだろう。

『どうして、こうなった?』

 そして、同時にこうも思っているだろう。

『八つ裂きにしてやらないと、気が済まない』とも。

 対する私の意思は、簡潔だった。

 倒さねば、私たちの未来は拓けない。つまり、この対決はどちらかが敗退まで、帰結をみる事が無いのだ。

 正眼に構える。

 両手からアインスクリンゲの振動のような“うずき“が伝わってくる。なんだろう、これは?疲労で失いかけた握力が戻ってくる。握力だけではない、両肩、腿、ふらはぎと、重くのしかかっていた疲労感が柔らいでくる様な感覚。

 何か、私の身体に変化が起こっている事は確かだった。頭もすっきりしている。

 魔剣が私に“何か“を働きかけている。

 怒れる僭主マンフリードは手下どもと傭兵たちの視線を意識してか、盾を持たず、肩に長剣を構えての余裕綽々といった構えでゆっくりと距離を詰めてくる。芝居であることは、誰の目にも明らかだったが・・・。

 何も、彼に格好の良いところを披露させてやる恩義は当方に在らず。視界の隅で、大男の未だ痙攣を続けて横たわる姿を確認する。私の鉄履は長距離の踏破を目して、革靴に鉄の覆いをしたもので、底面は厚いフエルト地だ。それでも血と脂が撒き散らされた、大理石の床では滑りやすい。大男の身体の上を台座として、一気に距離を詰める突きを放つ算段だった。この巨体ならば、私と装備の重さをしっかりと支える役目を果たしてくれるはず。

 いま、と呼吸を整えた刹那に、ロロ=ノアが横槍を入れた。

「気をつけて」

 小声であったが故に、私の耳はしっかりと聞き取ろうと意識を持っていかれた。

 えっ?どういう意味?

 マンフリードが奇声を上げながら、長剣を横薙ぎに放つ。雑な一撃だったが、満身の力を込めたその剣圧は、咄嗟に防御に徹した私の剣を手からもぎ取り、弾きあげた。

 空中で2回転した魔剣をキャッチする。弾かれた、ように見えたかも知れないが、相手の剣の慣性を完全に殺さぬよう、加減して受け流す防御法だ。強烈な慣性をすべて受け止めていては、こちらの身体が持たない。それ故の離れ業だが、これは私が子どもの頃、父が見せてくれたいわば曲芸だ。私の興味を剣技に向けるための工夫だったのだろう。

 だが、マンフリードは、チッと舌打った。

「運のいいやつだ」

 私は思わず小首をかしげた。反撃の機会を逃された、という実感は無く、飛ばしてやったと思った剣が、ちょうどいい位置に飛んだものだ、運のいい奴、という意味だろう。そんな感想を吐く前に、追撃すれば良いものを。

でも、そんな事はどうでも良い。私は気をつけろ、の意味を図りかねていた。何か、懐刀やトリックといった、一発逆転の秘技を用意している、という事だろうか?

派手な服の下に、毒の短剣?

 ロロの様な、魔法?

 そうか、魔法はあり得る。敵はマンフリードだけではない。今や半円で一騎討ちの行方を見守る手下の誰かが、魔法を放ってくるつもりかも知れない。私は周囲を改めて観察するために、時間を稼ぎたくなった。

「随分とご挨拶な一撃ね。貴族ならば、まずは名乗りを挙げてご覧なさい」

先制の突きで勝負を決するつもりだった事を、綺麗さっぱり棚に上げている事は自分しか知り得まい。

「ふん。生意気な小娘め。貴族振りやがって。まぁ、いいさ、冥土の土産と知るがいい。シュナイダー候マンフリード・フォン・シュタインフォルトが、今から貴様を切り刻み、騎士どもを半殺しにしてから、肉塊になるまで市中を馬で引きずり廻し、その後でエルフの美人を辱めてやる」

 自ら名を汚すとは、度し難い。

 私の目には、どの男も武器を振り回すしか能のない輩にしか見えなかった。若輩の故だろうか、私には魔法使いの区別など付けられない。せめて、杖を持っていたり、フードを被っていたり、聖印の首飾りをつけていたりと、分かり易くして貰いたいものです!

 その時、ふと目に留まる行動をした者がいた。

 広間に開けられた縦長の明かり取り用の空いた窓から、外へ逃れた者が一人いたのだ。兜を被ったその男は、長身でいて、しかし、逞しい体躯はしなやかで胸の高さにある窓に、軽々と飛び移ると、ほんの一瞬、目線を私に向けた。その左の瞳の色は、燃えるような紅玉。その男のシルエットは、どこかで見た気がする。

 しかし、それはほんの一瞬の出来事だった。

 まるで白昼夢であったかのように、男の姿は窓の外に消えていた。

「臆したか!?俺を見ろ!」

 敵の総大将が力んだ大袈裟を放つ。それを数歩斜めに歩いて躱す。甲冑を着ている私には、華麗に蝶が舞うかの如くに飛んで躱すロロ=ノアの様な真似はできないが、軌道が読み易いマンフリードの剣戟ならば、体勢を入れ替えるだけで、その殺意の軌道からは逃れられる。いや、待って。ややもすると、この気持ちを“油断“と呼ぶのだろうか。気をつけるのは、まさにこの瞬間ではあるまいや?安易な攻撃で、対応すべきではないのかしら。

 慎重に、貴族を僭称する狂戦士の出方を伺いながら、二撃目、三撃目、さらに四、五と至近距離を保ちながら身を入れ替えて躱し続ける。彼が何か、機転の効いた追撃で不意打ちしてくるか、周囲からの不意打ちがあるやもと用心しつつ。

 突然、剣戟が止まった。

 なぜ、今、剣戟を止めたのか。またも腑に落ちずに、私は首を傾げた。

 この砦の城代を名乗ったマンフリードは、まさに怒り心頭の形相。

 否、待て。これは・・・ひょっとして。

 マンフリードは渾身の力を込め、必殺の一撃を大上段よりも更に上段、とんぼの構えから甲冑さえも二つに切り分けんとする勢いで、バスタードソードを振り下ろした。

 だがしかし、それが振り下ろされる瞬間は、今後永久に訪れる事は無い。

 王道をいくシンプルさだが、必中の速度と必殺の膂力を込めた突きが、辺境の街を暴力で支配した僭主の喉を貫通していた。

「ぐぽッ」

 マンフリードを目が合った。自身の死を未だ、受け入れてない目だ。

「そう言えば、砂堀りたちが貴方に恨みを持って先に逝ったわ。丁度良いから、あの 世で謝って来なさい。それと、私は別段、貴方に恨みは無いはないわ」

 新しく空いた穴から、声にならない空気を鮮血と共に噴き出すと、両手が力なく垂れ下がった。

 さらけ出された首元を一閃。

 私はロロ=ノアに向かって、両手を開いて“さっきの言葉は何?“と声には出さない代わりに全身で抗議してやった。クラーレンシュロス家で父から教わった稽古において、防御や、いなし技をして褒められた事は無かった。今の戦いを父が見ていたら、さぞ嘆くに違いない!

 しかし、美しきエルフの紋章官ロロ=ノアは、困った顔をつくりつつも、私の気持ちも察せず、拍手で応えた。

「上出来ですよ」

 何が!?

 言いかけて、ならず者どもが逃げ出し、傭兵どもが降参の意志を告げている事に気づいた。

 何はともあれ、勝敗は決していた。

 たった六人の騎士たちと、女領主と女紋章官の合計八人で、五倍は数える敵の半ばを戦闘不能とし、残り半ばの戦意を挫く事に成功したのだ。砦の中には更に、十倍近い敵が残っているはずだったが、反抗を続ける者はおらず、街の住民からの報復を恐れて、門を開けて外へ逃げ出した。

 私は、階段に腰を下ろした。

 刀身に写った女騎士の顔は、返り血に染まり、目が異様に険しく、そして、やつれ果てていた。

「終わったわ、ハルトマン。まずは、一つの成功よね」

 ふと、途中で逃げた男を思い出した。その立ち姿が、ハルトマンに似ていたように思えたのだ。それよりも心に引っかかった事は、束の間垣間見た、その左眼の燃えるような赤。あの男は雇い主を見限った傭兵なのだろうか。

 急激な疲労感と身体中の痛みが、一気に押し寄せて来た。考えるのは、後回しにしよう。今は、ひどく疲れたよ。

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