第10話 エピローグ

 いつからあったか知る人のいない砦は、忽然と消え失せていた。だが、草木の伸びることの無かった空白地が、それが確かに存在していたことを如実に証明していた。

 不思議なもので、無くなればそれがどのような造りの砦であったか、記憶が曖昧になる。やがて草木が生い茂り、その痕跡は消されてゆくだろう。ただ、人々が語り継ぐ歌にのみ、その爪痕を残して。

 俺たちもそうなのかも知れない。この制覇行も、姫の覇業も騎士たちの献身も、この俺の気まぐれも、やがて誰かが歌に残すのかも知れない。そして、記憶や痕跡は風化し、綺麗さっぱり消え失せて、後世の人々の生活に上書きされ、歌だけが最後に残されるのだろう。

 ぽっかりと空いた白い砂じゃりの土地に、白い兎が一羽迷い込んでいた。小さな赤い目で周囲をしきりに見渡している。

「狩らないのですか?」

 年季が入った甲冑に黒い外套を纏った初老の男が、よいしょと俺の隣に腰掛けた。戦神を崇める神官騎士のボードワンだ。皺が深く刻まれ、引き締まった頬に、日に焼けた顔。鍛え抜かれた身体は、若い俺と比べても引けを取る事はない。その外見だけで、彼の性格が知れた。

 司祭位を有しており、騎士たちの中でも古参中の古参。出しゃばる事はないが、騎士たちの取りまとめ役と言っていい立場だ。

「ちょっと前なら、血眼で追い回していたろうな。今日ばかりは、見逃してやるさ」

 領地を追われ、辺境に入ったばかりの頃は、兵站も乏しく、集落も見付けられなかった。新参者の俺は、率先して狩の役を買って出たものだ。子どもの頃から、おなさ馴染みのル=シエルと、領主の山で狩をした経験がある俺でも、木々がまばらで水の少ないこの辺境での狩には苦労させられた。今は、友好的な都市が歩いて四分の一刻の距離にあるのだ。軍資金が続く限り、その苦労ともしばらくの間はおさらばだ。

「この都市で期待できる兵力はどれくらいだ?」

 俺の問に、ボードワンは低く掠れた声で答えた。

「紋章官殿が詳しく調べているが、頭数だけならば、きっと二千人といったところだろう」

「・・・そうか。まだまだだな」

 数だけで言えば、まだ三倍は欲しい。だが問題はむしろそれから先にある。戦う意思を育て、目的を与え、訓練し、武装させ、兵站を蓄えなければ、軍勢としては何の役にも立たない。思えば、実務こそ騎士たちや従者たち、市民の協力者たちが人工となるが、それらの手配を一手に引き受けている紋章官の責務は果てしない。そのせいか、馬上槍試合の会場で出会った頃よりも、ここ最近の彼女は覇気が失せているようにも見受けられた。

「明日から、街の外壁工事を始めると紋章官殿は仰っていました。傷を負った者以外は、全員参加だそうですよ?」

「人使いが荒いな。どうせ、俺らも頭数何だろ?」

 身体中の傷は、心臓の鼓動に合わせて痛みを刻む。神官騎士の癒しの奇跡は万能ではなく、完全には癒えない。ましては、重傷者となれば尚の事。先日の戦いで、二人の騎士がこの地に埋葬されたばかりだ。治療を担当する立場としてのボードワンの心境も幾ばくか、というものだった。

「そう言えば、きちんとお話を伺う機会はありませんでしたね。クルト卿は何故、領地に帰らず、姫にお力添えを頂いたのですか」

「何故、だろうな。俺は昔から、こんな感じだよ。彼女には、誰かの助けが必要だったように見えた。それだけだ」

「なるほど、侠気ですな。トーナメント会場では、お一人でしたから、尚更でしょう」

 俺は、不思議な違和感を覚えた。彼が『なら、もう今は心残りなく領地へ帰還できるでしょう』と言い出すのではないか、そんな気がした。

「だが、俺も案外見る目がない。昨日の彼女の剣技は鬼神の如く、だったな。剣技もそうだが、意外だったのは、恐れもなく、躊躇も無かった事だ。実際の戦を前にすれば、大抵の女は逃げ出してしまうものだが・・・正直、驚いたぜ」

「私の知る限り、あそこまでの戦いは初めてのはずです。あれが、正真正銘の“初陣“ですよ。ですが、我々古参からすれば、意外とは思いません。むしろ、期待していた通りのご立派な姿でした」

 期待、ね。彼らは皆、アマーリエよりも歳が上だ。大抵の騎士たちは、姫の成長を見守っていた事になる。その成長に期待を込めて、見守ってきたのか。そして、その期待とは・・・。

「あそこまで、という事は以前にも実戦を経験した事が?」

 ボードワンは目線を遠くして、言葉を選ぶように答えた。

「決闘をご経験しております。だが、それ以上に過酷なご経験も。我ら騎士たちは、覇道と剣術を先代領主殿から従順に学び育つ、幼な子の姿をずっと見守ってきたのです」

 歯切れの悪さが、言葉の裏にあるものを感じさせた。

「それにしては、普段は穏やで呑気そうだがな・・・」

 思慮深いご年配騎士から、更に話を引き出すべく、俺はあえて事なげに返した。

「しかし、無口です。我らの前で褒められる事は、ほとんどありませんでしたからな。きっと、ご自身に自信が無いのです。貴卿とハルトマン卿、それにノア殿には、心底感謝しております。自領までいち早くご帰還いただき、宣誓の儀を無事に行う事ができました。それが成し得ねば、今日の結束は有り得なかったでしょう」

 そいう言って、彼は律儀に頭を下げた。

 俺は、ここでずっと気になっていた疑問を晒すべきか、あぐねていた。

「先代のご逝去と隣国の侵攻と、散々だったからな。ところで、先代がお亡くなりになった時は、どんなご様子だったか聞いているか」

「我々が知ったのは、侵攻の後ですからな。ほとんど何も分からず仕舞いです。むしろ、トーナメントに参加していたという貴卿の方が何か伝え聞いているのでは?」

「そうか・・・。事故としか聞いていないよ。その時には、興味も抱かなかったしな。本人に直接聞くほど、野暮でも無いし。いずれ聞くにしても、もうしばらく時間は置くさ。さっき聞いた決闘の事も知りたいが・・・それは、貴卿の機嫌の良い時を狙って、また続きを聞き出すとするかな」

「それはご懸命ですな。姫の昔話を勝手に教えたとお知りになれば、流石に心証に傷が付きます故」

「ははッ、それはいい案だ。先輩を出し抜く奇策だな」

 ご冗談を、とボードワンは笑うと、街で行われる戦勝会に遅れぬようにと釘を刺してから立ち去った。律儀なものだ。それを言うために、俺を探しに来たのだろうか。

 アマーリエによる制覇行は、まだ始まったばかりだが、ここに至るまで、犠牲も大きいが確かな成果もあった。魔剣を携える美しい少女の姿は、何よりも先住民たちの受けがいい。ロロ=ノアと騎士たちの協力があれば、そんな剣術一辺倒の彼女であっても、辺境の完全制覇を成し遂げられるかも知れない。そして、その先の目標である、自領の奪還までもを。

 さて、ハルトマン亡き今、俺はどこまでこれに付き合うものか。同郷の従者であるル=シエルは、当初から帰還を願っていた。あまり連れ回すものでは無いが、許しを出しても一人で帰る玉ではない。義理深いやつだ。だからこそ、アマーリエを助けたいという俺の想いも汲んでくれているのだろう。

 アマーリエを助ける・・・か。

 正直なところ、彼女の戦闘での強さは、助け甲斐が無いと言える。だが、君主の役目は戦闘だけでは無い。むしろ先頭に立って戦闘ばかりする君主は、求心力は上がるが、大きな怪我をするリスクは、数万、数十万の領民にとっては計り知れない。ほどほどにしてもらいたい、というのが臣下の思いだろう。だが、今は駆け出したばかりだ。常に先頭に立ってもらわなければならない。次に矢が飛んで来た際に、また魔法で迎撃できるとは限らないのだ。その時には、俺の盾が必要になる。

 腰を上げて、街に戻る事にした。

 そういえば、今は魔法の甲冑まで手に入れていたのだった。盾はまだ、いるのだろうか・・・?

 まぁ、どうだっていい。

 でき得る限り、付き合おう。

 こんな破天荒な旅は、世の中には、そうそう無いのだから。

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