第7話 騎士クルト
俺がハルトマンというすけべなジジイの騎士と知り合ったのは、姫と出会ったあの、トーナメント会場だった。
その日、俺は最高の気分だった。
だって考えてもみろ、どいつもこいつも、騎士なんだぜ!粋がったり、偉ぶったりする奴もいるが、殆どは気のいい連中だ。戦に死ぬことを願い、正義に生きる事を誓った、気持ちのいい馬鹿ばっかり!
西方世界の中でも北よりに位置するシュターゼンという林の中に、ぽっかりと空いた広い牧草地。遠路遥々、津々浦々から百名を超える騎士たちがそこに集結していた。種族は人口比率からしても、人間が主体なのは当然なのだが、獣や竜族との混血種といった膂力に優れた猛々しい奴らも見受けられた。技のほどは分からんが、力だけなら飛び抜けている連中だ。槍試合では、是非ともお相手したい。にしても、周囲を見渡せば、天幕と馬と予備のランスが所狭しと立ち並び、そこかしこで従者たちが食事の準備をしたり、馬の世話をしたり、馬具や甲冑の手入れに勤しんでいる。薪の煙と馬のいななき、槍の激突音と観客たちの歓声。それが、今の俺の周りにある全て。何て素晴らしく愉快な事か!
この狂ったトーナメントの主催者は、公爵位を持ちながら純真な騎士のメンタリティを持つと、“こっち“では有名なジャンアンドレア公・グリッティ・デッラ・カスール。身の丈二メートルに達する豪傑だ。トーナメントは隔年で主催者と開催場所を変えて行われているが、地元領主から一週間前に騎士宣誓を受けたばかりの俺は、初めての参戦だった。従者を勤めてくれる幼馴染のル=シエルと一緒に、共に馬を飛ばして何とかエントリー枠に滑り込んだ。
領主からは、羽目を外せるようにと軍資金も頂戴している。話の解る主人ほど有難いものはない。
「なぁ、俺の試合はいつからだ?」
「えっと、新参者のクルトは前座だから、午後一番だよ」
俺の問いかけに、ルが女のような細い声で答えた。こいつはエルフとの混血で力は弱いがその反面、頭と口が回るタイプだ。人ってやつは、何かが劣っていても、何かが優れている。そこを伸ばしたやつが勝ちだ。俺の頭が弱いって訳じゃないが、コイツとの相性は昔から最高だった。余談だが、うちの領地には混血がやたら多い。そこいらじゅうから集まってくるせいだ。うちの領主は、出世の機会を実力主義とする事と、身分制度を布いて従事できる仕事内容を決めている事に起因する。身分制度といえば、元からあるじゃないかって思うかも知れないが、うちのは簡潔明瞭、きっちり決められている。一定の資産を持たない他所からの移住者は、まずは奴隷よりも一つ高い、二等市民から始めてもらい、働きぶりで一等市民にも上級市民にもなれるわけだ。先住民たちが移民を嫌う理由の一つが、自分の立場を奪われることだ。だから、どんな人物でも下働きから始めてもらい、実力によって上がってもらう。実力でのし上がって来る分には、先住民も異論を挟めない。安い賃金の働き手は常に必要だから、身分制度のお蔭で他所者はスムーズに社会に受け入れられるという寸法だ。一定の資産がある者は例外だが、金持ちが国内に増えるのは、そう悪いことじゃない。領主は、一定の資産所有者には、公共事業への寄付を義務付けている。金はぶりの良い客が増えれば、市場も活性化するというものだ。だから、不公平と言い出す者は、そうそういない。
何を隠そう、俺は奴隷だった。住んでいた村を蛮族たちに蹂躙され、ひとり逃げ隠れしていたところを早々に討伐隊に助け出され、それで売られた。後で知ったが、討伐隊は傭兵だったそうな。だが、領主に売ってくれたおかけで、今がある。もし蛮族に掴まっていようものなら、働き手にならない人族の子どもの末路なんて、想像だに恐ろしい。もっとも、働き手にされたところで、地獄しか待ってはいないが。
ルも同じく、領主に買われた奴隷だった。体格と格闘センスを見込んで、俺には剣技を施し、優れた頭脳と穏やかな性格のルには、教育を施した。俺が思うところ、領主はルに領地管理を手伝ってもらいたかったようだが、コイツは素直すぎる性格で、人見知りもあった。いつも俺にべったりだった事もあって、騎士と従者という役割に落ち着いたのだ。
おっと、およそ場違いな人物がいるぞ。
俺は新たな興味を見つけ、足を向けようとするが、まずは、コイツが邪魔な事に気づく。
「よう、ルー。財布は落としてないだろうな?」
「!?、5年も前の話を今、ここで突然、蒸し返すなんてどういう・・・」
相変わらず、いい反応だ。俺は思わずルの頭をポンと叩いて、昼までに何か食べて来いと告げた。トーナメントは騎士たちの祭りだ。当然、参加者たちは相応の金を持っている。となれば、それを目当ての者が大勢やってくるわけで、美味そうな匂いをさせて客を得ようとする商売人たちが、そこかしこに鬩ぎを削る様にして屋台を構えていた。
「うん、そうするよ。クルトも何か食べるだろ?何がいい?買ってくるよ」
「大丈夫だ、食べたばかりで槍を喰らったら、全部出ちまう。天幕で待っていてくれ」
ル=シエルは無邪気に笑うと、ウキウキとした足取りで店を物色し始めた。分かり易い奴だ。
さて、と・・・。俺は待ち切れずにデモンストレーションを始めている騎士たちのチャージを、木陰から見つめている白いドレスの女性に近寄った。
馬上槍試合はスポーツなだけに、ルールがある。馬が激突しないように五十メートルもの柵を設け、その両側を騎士たちが向かい合って進む。疾走する馬の速力をランスという専用の長槍に乗せて、相手の盾にぶち当てる事をチャージという。これが人族最大の打撃技ってやつだ。柵に沿って進むので、軌道が決まっている。それだけに互いに槍を避ける事は難しい。打撃を受ける前には、腰を浮かしてダメージの拡散を心掛けるものの、まともに喰らうと人も、馬も、ひとたまりもない。騎士の鞍は、チャージの際に衝撃で落馬しないよう、通常の鞍の背よりも、高くて広い背当てがある。そこに衝撃を受けた力と騎士の体重と装備の重さが加わると最悪の場合、馬の背骨が折れてしまう。甲冑を着ているからと言って、人も無事じゃ済まない。遊戯でバタバタ死なれては、主人である王侯たちや、騎士の領民たちも呆れてしまうだろう。 それを防止するために、試合用のランスは縦に砕けやすいように目を揃えた木材を使うのだ。相手の身体の中心を貫くと、この槍が大きな破裂音を立てて砕け散る。この音が、堪らなく爽快なのだが、およそ無骨な甲冑の群れには似つかわしくない白銀色の髪の女性は、この音を聞くたびにビクッと肩を震わせていた。
あと一歩のところで一瞬、立ち止まり、どう話しを切り出そうかと考えたが、似合わない真似は辞めにした。特別な言葉や振る舞いを選んで、その場だけ取り繕うのは、自分に自信のある男のやる事ではない。
「あー。大丈夫だ、滅多に死なない」
白いドレスの少女が振り向いた。若草色の瞳。美しいのは、衣装やホワイトブロンドの髪だけではなかった。陽を避けているのか、白く、柔らかそうな肌。芯のしっかりとした、凛としたたたずまい。この女性の周囲の空気が、清らかで涼しく感じられた。
いかん。やや間が空いた。怪訝そうな表情で小首を傾げているではないか。そうだ、まずは自己紹介をと思った時、両手に剣を抱えていることに気づいた。
「おぉ、それは、美しい剣だ。君のか?」
「父から・・・引き継ぎました」
もしかすると、騎士なのかも知れない。女性の騎士もいないわけではない。間近で見れば、彼女は第一印象ほど線の細いタイプでは無いようだ。その伸びやかでいて不動の姿勢からだけでも、体幹が鍛えられているのが伝わってくる。
「剣術を?」
「はい」
「そうか、それはいい」
俺は、次の言葉を探した。流派でも聞こうか?それとも、剣の話ばかりじゃ無粋な男と思われようか。出身を聞いてみようか?
「用があるので、失礼しても?」
あ・・・くぅ。
だが、全然、平気だ。
「そうか、残念。あぁ、楽しんで」
彼女はありがとう、と答えると天蓋が並ぶ方へと立ち去って行った。
んー。
まぁ、あれだ。独り身の女性が、共も連れずにこんな場所にはきっと居まい。誰か騎士の妻なのだろう。妻も剣術を嗜むとは、羨ましい夫婦関係だ。
デモンストレーションを少しだけ見て、俺はどうにも落ちつかない気持ちのまま、天蓋に戻る事にした。ややあって腹ごしらえを終えたルが戻って来たので、甲冑を着込む事にした。天日干しにしていた綿入れという胴着を着込む。俺は、コイツが好きになれない。 汗を吸うと、すぐに臭くなるからだ。だが今は、天日干ししたばかりの乾いた土のような匂い、悪くない。綿入は紐を絞って、体にぴったり合わせる。もこもこするが、コイツが甲冑との隙間を埋めてくれるおかげで、体全体で甲冑の重さを支える事が出来、返って動き易くなるのだ。打撃を受けた時のダメージも和らげてくれる、大事な防具だ。次に鎖帷子のスカートが付いた革の胴着に頭を通す。首と脇、そして股間に鎖帷子があり、露出部分をカバーするのもので、俺の特注で部分的に革を用いて軽量化を図っている。その上から、騎士たる者の証とでも言うべき、板金から成る全身甲冑を付けていく。厚手のキャンバス地に金属板がリベット打ちされて、パーツ毎にセットになっている。厚いベルトで留めるのだが、ここが甲冑の弱点ともなるので、俺は金属のカバーを付ける事にした。
金属、最高。
装着には、ル=シエルに手伝ってもらう。まずフエルトのブーツを履き、サバトンを装着。グリーヴで脛を覆ったら、膝と腿を守る複雑な作りのもも当てを嵌める。肩当てと両腕がセットになった腕の防具を固定すると、胴当てと腰当てをつけ、籠手を嵌めれば、ほぼ完成だ。ここまで、およそ五分。これにアーメットを被れば、天高く打ち上げられ、頭上から降り頻る矢の雨の中でも、平然と突進する事ができる。
しかし、大きな戦がそうそうある訳ではない。俺が全身甲冑を好む理由の一つは、このオーダーメイド感だ!ぶかぶかの甲冑と、ズレた兜の騎士を誰が恐れよう。経験に裏付けされた徹底したこだわりと、完璧な仕上がりを実現する技術、そしてそれを可能にする財力!それが今の俺には備わっている証拠でもある。騎士の力量を誇示し、相手の気概を損なう威力が、甲冑にはあるのだ。
「いつも、ヨロイを着る時、嬉しそうですよね」
全身甲冑を手に入れたのは、極最近の事だが、ルは手慣れた手付きで手伝ってくれる。コイツは、甲冑着付師としての天賦の才を持っているに違い無い。
「ふん。強くなった気がするよな!元から強いけど」
「全く持って、想像の範囲内の返答だね。品位の無い物言いは、自分の価値を下げるよって、いつも言ってるよね?」
何か、コイツの言葉は時折、脳裏に残る母の面影を蘇らせる。
「取り敢えず、ひと段落。後は直前でいいんじゃない?」
と言いながら、胸当てをコンと叩いた。
「水は控えてね」
「いや、このままでも用は足せるだろ」
お漏らし、では無い。必要な部分は甲冑を着たままでも開放できるのだ。自分一人で行うのは大変だが、手助けがあれば容易だ。
「ん?何か外が騒がしくない?」
少しだけ先が尖った耳は、俺の耳よりも少しだけ性能が良い。様子を見に行ったルは、興奮した様子で舞い戻って来た。
「なんかね、女の子がグリッティ卿に嘆願しているみたい!人が集まってるよ」
女の子が二メートルの無骨な卿に嘆願?状況が見えないので、確かめに行く事にした。人が集まっているならば、尚の事知らねばならない。ここは祭りの会場だ。俺だけ知らない話があるなんて、御免被りたい。
このトーナメントの主催者たるグリッティの天蓋には、ルが言った通り、続々と人が集まって来ていた。まぁ、お祭り好きの集まりなのだから、仕方がない。それはそうと、人よりも少し背の高い事を自負している俺だったが、開け放たれた天蓋の中は、人だかりで先が見えない。こういう時に、遠慮する奴は出世できないという持論を持つ俺は、ガチャガチャと音を鳴らしながら、甲冑の海を泳ぐように掻き分けて進んだ。ルがぴったり後ろに付いて来ている。要領のいい奴だ。もう少しで前に出られる。ここまで来ると少女のような声が聞こえてきた。ルの奴は、どんな聴力してやがるんだ。
そこには、先ほど声をかけた女性がいた。
声はやや震え、後がない、といった悲痛さを感じた。おいおい、俺を差し置いて、そんな声を四十半ばのオヤジに向けるのか?
すると、グリッティは少女からあの剣を受け取り、騎士宣誓を行い始めた。
「お、おい。騎士になるってか?」
彼女の顔は見えなかったが、跪いた姿勢のまま、まるで硬直しているかのように見受けられた。
そして、それが終わるとグリッティは剣を掲げ、群衆に向けて告げた。
「見よ!皆の衆。騎士たちよ、しかと聞け!我は再三の辞退にも関わらず、この御令 嬢からの申し出に遂に屈し、ここにアインスクリンゲを譲り受けるに至った。その代価として、彼女の望む通りに、クラーレンシュロス伯の身の安全と領地の庇護を引き受けたものなり。各方、しかと聞かれよ!彼女を我が騎士に列し、その庇護下に置いたことを宣言するものなり!」
あたりは騒然となった。
「なぁ、ル。クラーレンシュロスといえば・・・」
「パヴァーヌ王ら列強に屈しない武門の雄として名を馳せる一族だね。そのパヴァーヌ王の傘下の一人であるグリッティ卿の庇護に入る、という事は、噂は本当だったのかな」
俺はルの肩口を摘み上げて、雑音に消されぬように顔を近づけた。
「どんな噂だ?」
「ちょっと、近っ・・・当主がここに向かう途中で、暗殺されたらしいって噂だよ。知らないの?」
ルを離すと、今度は隣の奴を引っ掴んで問いただした。
「何があった?どういう経緯だ?」
「なんだよ、今、聞いてなかったのか?一週間ほど前に、ここに向かう旅の途中に、家長が亡くなり、あの娘だけが生き残ったらしい。家宝の剣をかたとして預けるから、家徳を守って欲しいとグリッティ卿に庇護を求めたんだ」
「それで、剣を受け取って娘を騎士にしたのか?家徳はひとまず預かろうってわけか?」
「そんな虫のいい話を独り占めとは、許せねぇだろ?だから皆んな抗議してるんだ」
いや、そんなか?そんな流れになるのか?それはまぁ、俺がどうこう言っても仕方がねぇが、他に身の振りようが無かったのか?
騒然とする中、徐々に詰め寄ろうとする人だかりに、流石の豪傑もたじろいだのか。みるみうちに、顔色が青ざめてきた。
「わ、私はこのトーナメントの主催者だ。落ち着け、皆を満足させる良いアイデアがあるのだ!最後まで話を聞いてもらいたい。声を沈めて聴くのだ。良いか?言うぞ?」
グリッティの顔は、最早、蒼白だった。いくら騎士諸兄らの反発を買おうが、そんな事でたじろぐほど柔な器ではないと思っていた。アインス〜という剣は、父から引き継いだと言っていた。きっと年期の入った名刀なのだろう。しかし、白銀の女性と話した際、その記憶ははっきりと覚えているが、まるで工房から世に出たばかりかのような、美しい剣だった。あれは、魔剣かも知れない。だとすれば、相当な価値のある代物であるはずが、それを幸運にも手にした卿は、奇天烈な宣言をした。景品にすると言い出したのだ。それも、代闘士トーナメントの優勝者に与えると言う。
群衆は拍手喝采で沸き立った。その中で、少女はただひとり、静かに跪いたまま、微動だにしなかった。
俺は声をかけようか迷ったが、どうせこの騒がしい中では届くまい。それに、どちらかと言えば、憤りの方が強かった。女性と言えども、立派に領地を管理している諸侯の例は枚挙にいとまがない。それは苦労も多いだろうが、領地には領民がいて、彼らの暮らしを守る責務が領主にはある。その為には、何より強く有らねば成らない。隣人同士、常にメンチを切っているようなものが、領地争いというものなのだ。舐められたら最後、力で打ち負かさない限り、全て無くなるまで毟り取られてしまう。戦利品は勝者の当然の権利だが、当然の事、無から生み出される訳ではない。自領の領民たちの財産が、他者に奪われるだけの話だ。繰り返すが、それを守ってやるが領主の勤めであり、そのために必要だから税を集めるのだ。
「公爵も案外、器が小さいね。騎士なら対価を求めずに不遇の令嬢の願いを聞き入れてみるのが粋ってもんなのに」
天蓋に戻ろうとする俺に、ルが傍に着いてそう毒づいた。あぁ、そうとも思う。それにしても、先ほどのグリッティは肝も小さく見えた。あいつは案外、小物なのか。
「決めたぞ。代闘士のトーナメントに出る」
「・・・はぁ?」
流石のルも返す言葉を失ったかのように、その場で足を止めた。
「何を言おうが、俺は決めたぞ」
と、背中の幼馴染に向けて宣言した瞬間、突然、何者かに道を塞がれて俺も立ち止まった。
「それは、良いアイデアです。僭越ながら、不詳この紋章官ロロ=ノアが騎士殿にお力添えをいたしましょう」
それは、今まで目にした事がないほどの均整のとれた美しい女性だった。この顔をして、“美しい“以外に感想を覚える男が果たしていようか。だが、どうも俺は他の男とは違うようだ。
「後ほど、天蓋に伺いますので、お待ちいただけるよう、お願い申し上げます」
そう言い残すと、群衆沸き立つ喧騒の中へと消えていった。
「今の、エルフだよ。しかも、すごく血が濃い。知り合いじゃないよね?」
「なんだか知らねぇが、胡散臭い女だ」
「そんな事言って、クルトは判らないんだよ。あの人、きっとすごい人だって!」
どうしたものか、幼馴染はすっかり彼女に一目惚れしてしまった様だ。まぁ、何か聞くだけの価値ある話が、きっとあるのだろうとは、俺にも予想できた。天蓋に戻って、彼女の来訪を待つ事にした。ルは天蓋の外で茶を沸かしつつ、天蓋の場所が判るように彼女を出迎えるつもりのようだ。俺は天蓋の中で椅子に座って、ゆっくり待つ事にした。
しばらくして、派手な軍装を着た先程の女エルフが現れた。
改めてロロ=ノアと名乗った彼女は、白銀の髪の女性の窮地を救うべく、代闘士試合で優勝し、魔剣を取り戻すつもりだと告げて来た。その為に、俺にも協力して欲しい事も。
「出る事自体は、もう決めた事だ。だが、お前一人で成し得るのならば、俺はお前に負けてやってもいい。騎士の名誉なんぞ、代闘士の試合には無いからな。俺に遠慮する事なんて無いんだ」
彼女は微笑んだ。
「それは下策です」
む。ちょっとイラついた。
「じゃぁ、上策ってなんだ?」
「上策は、彼女自身で優勝する事ですが、現状、それは望めません」
優勝?彼女が?
「だろうよ。じゃぁ、中策って訳かよ」
「その通り、上策が望めない今は、貴方のご参加が今後の展望を見るに最適解かと」
美しすぎる女性を前にすると、男は自らの価値を自問自答せずにはいられない。自分はこの女性から、どう見られているのだろう、見下されてはいまいか。自負と劣等感の狭間で、相応しいさを計らずにはいられない。しかし、俺の感じたものは、その類ではなかった。男装を纏ったこの女性の笑みに、そこはかとない不吉さを感じずにはいられなかったのだ。この女は、どんな男の前でも心から膝を折らない。折ったとしても、それは芝居だ。だが、こと企てとなると、こういう人物だから信用おける部分もあるのではないか。
俺が承諾すると、彼女は二人の参加をねじ込む交渉をしに行くと言い残し、すぐに姿を消した。
「ル。お前、惚けてるだろ?」
言われて、首を振る。どうやら、精神を現実に引き戻す儀式か何かの様だ。
「さっき言っていた血の濃いエルフってなんだ?お前とは、違うのか?」
「なんとなくだよ。僕だって、自分のことはよく分からない。ただ、僕みたいな半端者とは全然、違うだろうって事は全身の空気から解っちゃうんだ。生粋のエルフは、半身を精霊界に置いたまま、この物質界にも干渉できると聞いたことがある。だから、不死なんだって」
ルの話ぶりから、畏怖の念を感じている事が知れた。
「殺しても蘇るってことか?」
揃えた両手を左右に振って否定する。ようやくいつもの感じが戻ってきた。
「いやいや、そうじゃない。死んじゃうけど、寿命がないんだ。病気もしないらしい・・・噂だけど。本当に、珍しいんだよ?」
寿命がないなら、世の中にうじゃうじゃ増えそうなものなんだがな。まぁ、ルが言うならば本当なのだろう。そこは今、時間を使って考える事ではない。
「彼女の計画に乗るの?彼女が話すように、本当に出場をねじ込めたとしても、代闘士なんて、皆、荒くれだよ?いや、負けるとは思わないけども、そんな事に首を突っ込むの?馬上槍試合の時間とも被るし、領主様に何とお伝えすれば・・・」
「いいか、ル=シエル。俺の身体は、今ここにある。俺の心もここにある。俺の戦場も今、ここあるんだ。戦場にあっては自らの判断で戦局を好転させるのが騎士の務めだ。要は、最終目標さえ、合っていればいいんだ!」
「え、何、最終目標って、領主様からは初お披露目として、やり過ぎない程度に顔を売ればいい、って聞いてるだけだよね?違うの?何か言われてるの?」
「まぁ、お前は従者で、俺は騎士って事だ」
何やらショックを受けたように、ルは考え込み始める。お前はそういう奴だ。決めかねている間は、流される。些か心は傷んだが、世間勉強と思ってここは俺に翻弄されるが良いさ。
新参者の馬上槍試合と同時に行われる代闘士トーナメントもまた、このトーナメント全体からすれば、前座の位置付けだった。
引退した騎士や、自身は向いていないが、こういった試合が好きな貴族や大商人が、自分の代わりとして金で雇った闘士を戦わせるのが、書いてそのまま代闘士の戦いだ。人によっては、手塩に育てた奴隷を連れて来たりもする。趣味というだけでは済まない。優れた手駒を持つことを世の諸侯らに広く知らしめる事は、個人的な武勇を持たない者たちには抑止力としての自衛手段にも成り得る。逆言えば、代闘士が負ける事は、単にお遊びや賭け事として負けるだけではなく、武力の衰えや名声の翳りを周知させてしまう事にも繋がる危険がある。よって、優れた代闘士は高値で雇われ、負けた代闘士の相場は、一気に暴落するのだ。代闘士にとっては、自らの価値を知らしめる場だ。彼らの真の稼ぎどころは、裁判の手段の一つである“決闘“にある。 時には、雇い主の生死を自らの命で決めることになる大勝負だ。そこで雇われる代闘士には、一流の信頼が求められる。だから今回は彼らにとって、コンテストのようなものなのだ。だが、その勝敗は負けを認めればその場で戦いは止められるのが“基本ルール“だが、死を伴うことも少なくない。熱狂を求める観客たちのために、彼らは真剣で勝負をするからだ。
結局、ルは最後まで反対したが、俺は代闘士トーナメントに出場することに決めた。観客席ではなく、一段掘り下げられた広場に立ってみれば、どうして、これはこれで、血が騒ぐじゃないか。開始直前の今にして思えば、馬上槍試合はお遊びであり、それに対し代闘士試合は決闘の再現、そのものなのだから。
かくして、一試合目の相手は、トゲのついた鉄球を鎖の先に付けた武器、モーニングスターを使う戦士だった。鉄球を鎖で伸ばす事で遠心力を活かし、威力と速度を増幅させる。神官騎士が好んで使うと聞くが、どうして、ずんぐりとして体臭のキツいまるで蛮族のような目の前の男にも、ベストマッチと言える代物だった。この武器の厄介なところは、甲冑の上からでも大層堪える事だ。剣で合わせて受け流す事も出来ず、甲冑は簡単にひしゃげてしまう。だが、同時に弱点も知っていた。
俺は開始の合図後、間髪を置かずにフェイントを入れ、慌てて空振りさせたところを速度の速い突きで追いすがり、革鎧で守られた胸の中心部を突いてやる。その一瞬で、勝負は付いた。汚らしい小男は、息を詰まらせてその場に屈み込んでしまった。気管までは達していないが、胸の骨を砕いた手応えはあった。相手は手のひらをこちらに向け、降伏を宣言した。
俺は観客席を見るが、そこにいる白銀の髪の女性は紋章官と何やら話し込んでいた。まるで、無垢な姫を巧みな話術で垂らし込もうとする魔女のようだ。俺は、どうもあのエルフの女が好きになれそうもない気がする。
ご婦人方の歓声を受けながら、俺は次の試合に場を譲るために退場させられる。命を張っているというのに、なんとも、扱いが粗雑なものだ。
代闘士のトーナメントは、地方都市での開催ならば、大盛況の催しだが、ここは騎士たちが主役の集まりだ。所詮、前座に過ぎない。毎度、開催している様だが、今回の参加者も飛び入りが二名増えて、ようやく八名。恐らく普段は閑古鳥だろう。だが、今回は違うはずだ。なにせ主催者のパフォーマンスで、優勝者には魔剣が与えられる事になったからだ。木材を八角形の階段状に組み上げた観客席からは、戦士の雇い主をはじめ、馬上槍試合の前座よりもこちらに興味を持った騎士たちや、血生臭い闘争をお好みのご婦人方に至るまで、多くの観客たちに埋められていた。馬上槍試合の前座の方は、さぞや寂しい有様だろう。
飛び入り参加により仕切り直された、賭けのオッズも気になるところだが、俺の事を観客たちがどう思っているのだろうと考える。どこぞの若い騎士が、前座の役割を土壇場で断ってまで、代闘士の真似事をしているのだ。きっと褒賞に目が眩んだ小さい男だと、そんな陰口でも叩いているに違いない。騎士としての慎みや気高さを忘れた、欲深い奴だ、とでも言われていても不思議ではない。だが、そんな言葉で喧嘩を売ってくるような自制心の無い騎士と見られるのも御免なのだろう。観客席の最前列という近い場所にいるも関わらず、次の試合に控える俺に対しては、誰も野次を飛ばす事なく、お陰で悠々と他の参加者の試合を観戦する事ができた。ル=シエルだけは、いつまでもモジモジと居心地が悪そうだったが。
次の試合の勝者は、俺の次の対戦相手となる。飛び入り参加のもう一人の試合は、二試合後だ。俺は対戦相手の試合をじっくりと見て、対策を練らせてもらう事にした。
「ル。水をくれ」
半妖精の少年は慌てて、荷物から水袋を探し始める。らしくない。水を用意するのも忘れるほど、今の展開について来れていないのだ。
きっと、こいつの頭の中はこうだ。
どうして、こうなった?
なんで、こんな事になってるの?
領主様に何とお伝えすればいいのだろう?
そんな事ばかり考えているのだろう。そこへ、背後から革の水筒が差し出された。振り返ると、初老、と言っても良いくらいの壮年の騎士が愛嬌のある笑みを浮かべていた。確か、後ろの観客席にいた背の高い奴だ。
「どうした?喉が渇いているのだろう?まさか、暗殺されるとでも思っているのか?」
賭けに参加している貴族たちからは、俺の存在はイレギュラーで邪魔なだけだ。確かに、あり得る話ではあった。
俺は革袋を引ったくると、口紐を解いてがぶ飲みし、瞬間、盛大に吐き出した。
「葡萄酒じゃないか!?」
男はびっくりした様子で「水のようなものだろう?」と返してきた。
味や、濃い、薄いの話なのかも知れないが、それらの差は、俺には全く関係の無い分野の話だ。俺は、酒が飲めなかった。
ルから水をもらい、口直しに煽る。
「全く、もったいない。戦の時には酒をやらん、というタイプか?酔って戦えば、痛みも和らぐというのに」
「そんな話は、聞いた事はない。酒を飲むと血が止まり難いと聞くぞ。俺の試合の前口上は見たか?なら、自己紹介は要らないな。だから、あんたの番だ」
白いものが混じった長髪を、ざっくりと後ろに束ねた騎士は、戯けたようにお辞儀をして見せた。良く見れば、顔もまぁまぁ、仕草も歳のせいか堂に入っている。それが逆に若干イラつく。
「ハルトマンと申す。平原を制す狩猟の民の王族にして、世におわす全てのご婦人方の守護者だ」
ルが驚きを隠せいない様子で、口を手で塞いで目をまん丸くしていた。いつもこうして、人の言葉を丸呑みにして騙されるのだ。財布を預ける身としては、先が不安になる。
「大層なお役目のあんたが、不評を買っている最中の新参者なんかに、何の用だ?物見遊山なら、お断りだ」
大柄な騎士は、興味を失った素振りの俺を全く意に解す事なく、ルを押しのけて隣に座り込んだ。
「貴卿は、魔剣が欲しいのか?」
喉の奥から発せられる低い声は、まるで狼の唸り声を連想させた。
「当たり前だろう。お前は要らんのか?」
闘技場の真ん中で、進行役の背の低い男が歌うような、独特の話し方でもって次の出場者たちの紹介をしている。俺はその姿に見入っている振りを続けた。横顔に、ハルトマンの視線を感じながら。
「なぁ、貴卿よ。これは、予言だ。俺とお前はきっと、友となるであろうよ」
「く、クルトは、騎士クルトは男色の気はありませんよ!?」
ルの頭がついに壊れた。
狩猟の民の王族にしてご婦人方の守護者は、司会の機嫌を損ねるほどに屈託のない大きな声を上げて、ばんと膝を叩いた。
馴れ馴れしいのは減点だったが、その笑い方ひとつで、俺はこいつを気に入った。相性というものだろうか。いくら減点があっても、それを無視できる、ツボの様なものだ。不思議な器を持つ奴だと、俺は騎士ハルトマンの顔を繁々と眺めた。
まぁ、俺がこれからする事を見て、こいつかどう反応するのか見ものだな。
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