第2話

 俺は鬼でありながら、この村で暮らしてきた日々に思いを馳せていた。一種の現実逃避かもしれない。

 元々、鬼の一族は角が不吉だとかいう理由で、追い掛け回されて暮らしていた。だからずっと、固定の住居を持つことはなかったし、強い躰のため、特に困らなかった。しかし、ある時問題が起きた。食糧問題である。鬼は人間には出せないほどの力を有するが、その分鬼の食べる量は大変多いのだ。今までは、我慢に我慢を重ねていたが、赤ん坊や老人といった弱い者がどんどん飢えで死んでいくのを見て、解決に乗り出そうとしたわけである。

 ここで、鬼の一族は二つの思想に別れた。一つは、人間たちとの共存を望む穏健派。人間に農作物の育て方や、動物の飼育方法を教えてもらうことを対価に、鬼は人間に力を貸すことで生きていくというもの。もう一つの思想は、人間の支配を考える強硬派。人間を支配することで、食糧を搾取し、豊かな生活を得ようとするものだった。鬼たちは言い争った。

「何故、人間のような脆弱な生き物に媚び諂わねばならぬか」

「人間にも農作物の栽培方法など見習うべき点はある」

「人間を支配してしまった方が手っ取り早い」

「人間を支配してばかりでは、いずれ仕返しがくる。お互いに手を取り合うことが重要だ。」

 議論は平行線で交わることがなかった。すると、鬼の一人が言った。力で決めよう、と。

 穏健派はそれに怯えた。なぜなら、穏健派の大多数は鬼の中でも力の弱いものが集まっているのに対し、強硬派は鬼の中でも力自慢が多かったからである。これでは、穏健派に勝ち目はない。そこで、穏健派は強硬派と歩みを共にすることはやめた。強硬派は、それを「軟弱だ!」と罵ったが、穏健派の頭はただ静かに、「争いは良くないものを招く。」と言っただけだった。

 それからほどなくして、都で鬼が出たが、無事に退治されたという話を噂で知ることとなった。

 穏健派は、ただひたすらに自分たちを受け入れてくれる人間たちを探し続けた。だが、誰もがその角と力を忌み、受け入れてくれる者はいなかった。飢える者は日々増えていく一方だ。穏健派の頭は罪悪感で狂いそうだった。自分が取った行動は、皆を苦しませるものだけだったのではないか、と。ならばいっそ、人間を支配した方が良かったのではないか。狂った頭は、こう告げた。

「村を襲え。」

 他の鬼たちは渋ったが、頭の言うことに逆らうことはできず、次々と村を襲い始めた。人間たちの泣き叫ぶ声が村中に響き渡る。二、三日経った頃だったろうか。本国の中でも鬼退治の精鋭たちが噂を聞きつけ、村へと参入してきた。鬼の圧倒的優勢がひっくり返された。同胞のつんざく悲鳴がそこら中で聞こえるのだ。助けて、と。俺は怖くなって逃げ出した。悲鳴が聞こえないくらい、ずっと遠くまで。幸い、人間の足では俺の足についてこられないから、大丈夫だ。俺は蹲って泣いた。

「頭…………、父さん。」

 優しい、他の者にも誇れる素晴らしい父だった。なのに、変わってしまった。狂ってしまった。俺は息子なのに止められなかった。弟妹たちも死んでしまった。俺が見殺しにした。

「逃げちまったけど……、駄目だな。俺は死んでおくべきだ。」

 俺は持っていた斧を首にかけ、刎ねようとした時だった。

「誰か助けて!!!」

 女の声がする。急いで声の方へ向かうと、家の下敷きになっている男がいた。

「あ、ぐ、っ……。」

「待ってろ! 今助ける!」

 俺はすぐさま男の上に乗っている支柱をどけていく。女はその俺の姿に呆然としていたが、なりふりかまっている場合ではなかった。急げ、急げ!

 男の全身が見えた。男に声をかける。

「おい、意識はあるか。水飲むか。いや、医者が先か?」

「うっ……。」

「あ、あの。」

 女がおずおずと話し出した。

「すいません、助けていただいて。この人が死んでいたら、どうなっていたか! あなたは命の恩人です。」

女は涙を流していた。女の背中には赤ん坊がいた。男は一児の父だったのか。

「まだだ、医者に連れて行かないと。」

「でも、」

「大丈夫だ。俺は力だけは強いから。医者はどこだ?」

「この道をずっと先にいったところにあります。」

 女が示した指先を見た。確かに、ぽつんと建っている家が見えた。俺はすぐに男を抱きかかえ、走り出した。



「ええ? 君、誰?」

 医者と思しき人間は困惑していた。

「そんなことはどうでもいいだろう、こいつを見てやってくれ。ひどい怪我なんだ。」

「ほいほい、わかったよ。ちょっと待ってなさい。」

 そう言うやいなや、医者はてきぱきと動き、男の治療を進めていった。俺はそれをじっと見つめているだけだった。

 医者は一通りの治療を終えたのか、俺に声をかけてきた。

「そういえば君、誰? 君が運んできてくれた人は、確かにこの村の人間なんだけど。」

「俺はたまたま通りすがっただけだ。あとでそいつの妻も来るだろう。じゃあな。」

「待ってよ。君の額にある角についても聞きたいんだけど。」

「!」

 しまった、見られていた。俺は医者から目をそらす。

「角がどうかしたのか。」

「うん。最近噂になっている鬼なのかなって。人のこと食べたりするの?」

「はあ? 人間なんて食べるわけないだろう!」

 あ。……これで言い訳のしようがなくなってしまった。また、迫害されるのか。そして俺はこの人間たちを襲ってしまうのか。

「あは、良かった~。君って、わりと良い奴だよな。わざわざ怪我人運んでしたりさ。遠かったでしょ。」

「……別に、普通だ。」

「照れ隠しだね!」

 医者は何が面白いのかケラケラと笑っている。久しぶりに他者と話すのはむず痒い。

「君はこれからここに住むと良いよ。村の人たちは皆穏やかで優しいし、鬼が一人増えたくらい気にしないからさあ。」

 それは色々と問題があるんじゃないのか。俺は溜息を吐く。

「お前が勝手に決めることじゃないだろう。」

「決めていいのさ。だって僕、この村の長だから。」

 なるほど。この長あって、この村ありということか。なんだか心配になってきた。そういえば、あの女も俺の姿を見て何も言わなかった。緊急事態だから目に付かなかっただけもあるが。

「どうする?」

「しばらくこの村に寄せてもらってもいいか。」

「いいよ! これからよろしくね。あ、名前ある? 鬼って呼ぶのはちょっとな……。」

「紅の八塩だ。ヤシオでいい。お前は?」

「僕は山葵(わさび)。ヤシオ、村へようこそ~。」



 それからは穏やかな日々が続いた。俺が瓦礫から引っ張り出した男の妻がお礼を言いにきてくれたり、村人の手伝いをした。俺は角が生えてる鬼だから、もっと嫌がられるのではないかと思ったが、村人はあっさりと承諾した。むしろその力を貸して欲しいと言われた。人間にこんな優しくされるのは初めてだった。なので、俺はうっかり泣いてしまい、村人たちを大層困らせた。

 俺は、この村の人たちに恩返しをしたい。長い生を使って、この村の人たちの、慎ましやかで穏やかな幸せを守っていきたい。それが、今の俺の生きる意味だ。

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