第3話
山葵が死んで何十、何百年経っただろうか。季節は廻り巡って何度この村で春を迎えたかわからない。何人も見送って、何人も生まれてくるのを見た。
俺は村で暮らし始めるようになってから、なるべく子どもは大事にするようにした。子どもは今後、村を担っていく村の財産だからだ。元々、子供好きだったから特に劇的に変わるというほどのことはなかったけれど。
ところが、今はどうだ。大事に手塩をかけて育てた子どもが、俺を性的な意味で好きだと抜かしやがる。どうなってんだ。何百年生きていても、理解できないことはあるが、何年かすれば理解できたり、忘れることもできた。ただ、今回は勝手が違った。
「ヤシオー。昼餉ができたよ。」
「あ、ああ。」
雨が俺を呼んでる。あと、甘い卵の匂いがする。おかずは卵焼きだろうか。
「ヤシオ、何か朝から変だよね。大丈夫?」
「おう……。」
「もしかして、おれの事意識してくれてる? だったらうれしい。」
俺は味噌汁を吹き零した。急にそんなことを言うのはやめろ。雨は、珍しく真剣な目つきで、俺のことを見てくる。その目は、だめだ。掬い取られてしまう。
「あのな、雨、」
俺が何か話さねばならないと口を開いた瞬間、誰かが戸を開いて飛び込んできた。梅ちゃんである。息を切らしており、明らかに何かがあったことを予見させた。
「どうした、梅ちゃん?!」
「ヤシオ、来て! 村で人が倒れてる! 重くて運べないから手伝って!」
「わかった!」
梅ちゃんと俺は走って、その場所に辿り着いた。見ると、確かに草むらの中に甲冑を着込んだ人間が倒れていた。血の匂いがする。男はヒューヒューと息を吐き、今にも死に絶えそうだった。医者に見せてやらないと。
「梅ちゃん、俺は医者のところまで運ぶから、梅ちゃんは村の皆にこのこと言っておいて。」
梅ちゃんは頷いて走り去っていった。俺は甲冑の男を担ぐと、医者の所へ向かった。少し重いが、抱えて走れないほどのものではない。
ドンドンと医者の住む家の扉を叩いた。
「おい、若葉(わかば)! 急患だ!」
「はいはい、わかった。診るからその布団の上に置いてくれ。」
「頼むぞ。」
「うん。」
俺は甲冑を脱がすのを手伝う。脱がしていくと、体には夥しい血が付いていた。これは、自分のものだけじゃない。他の人間の血も混じっている。
「ヤシオ、しばらく席外してね。」
若葉は手をしっしっと払い、俺の離席を促した。俺は黙って、診察室から出た。
甲冑の男の治療を待っている間、嫌な胸騒ぎがした。先日の水車に挟まっていた生首のことを思い出す。もしかして、村の外では大きなことが起こっているんじゃないか。胸に手をやり、深呼吸をする。大丈夫だ、村に何かあれば俺が守ればいい。何のために俺がいると思っているんだ。ふいに、若葉と見知らぬ男の声がした。
「この度はすまない。世話をかけたな。」
「いいや、別に構わないよ。というか君体力すごいね。どうなってんの?」
「私は鍛えているからな。回復力も早い。」
「へー。」
俺は二、三度戸を叩き、診察室へと入った。
「入るぞ。」
「あいよ。」
「?」
「体調は大丈夫なのか。」
「っ……!?」
甲冑の男、いやもちろん今は甲冑を外しているが、俺の姿を見て怯えた様子を見せた。
「その角は?!」
「あ、すまない。これは……。」
「鬼なのか?! この村の人間は脅されているのか!」
甲冑の男は、手元にあった刀で俺に斬りかかろうとした。若葉がそれを手で制止した。
「違うよ。ヤシオは鬼だけど良い奴だ。村の皆から信頼されてるし、何より君をここに連れて来てくれたのはヤシオだよ。」
「騙されてるんだ!」
「へえ。僕たちの村と、ヤシオの付き合いは何百年にも及ぶものなのに、それを君が口出すんだ。いい度胸だね。」
若葉もこんな冷え切った声色を出すのか。そのことに俺は驚いた。
甲冑の男は黙り込んだ。すると、厳かに頭を下げた。
「すまない。非礼を詫びる。助けてもらったというのに酷いことを言った。許してくれ。」
「うん。素直で大変よろしい。」
「私の名は鷲尾元治。申し訳ないが、もう少しだけこの村にいさせてもらえないだろうか。」
「いいよ。」
若葉はあっさりと承諾し、数週間だけ元治は村に滞在することとなった。
今日も元治の周りには人が沢山集まっていた。普段涼やかな顔をしている元治が、矢継ぎ早に質問を投げかけられて、焦っている様子はとても面白い。
「武士なんでしょ? どんな生活してるの?」
「あ、普通に乗馬の稽古をだな……。」
「乗馬? 馬乗れるんだ! 矢とか射ったりする?」
「馬に乗りながら矢を射るのは大変難しい。」
「え~。」
ふふ、俺も村に来たばかりのときはああいう風に質問をされたものだ。角はどうなってるの、とかどれくらいの力出せるの、とか。微笑ましいな。
「何笑ってるの。」
やや不機嫌な声が隣からする。雨だ。
「なに、懐かしいなと思ってな。」
「村の皆は変わったものが大好きだからね。やっぱりこの村変わってるよ、好きだけど。」
足をぶらぶらさせていた雨の顔が、俺に近付いてくる。近くないか、と言おうとした口を塞がれる。
「んっ?!」
雨の舌が滑りこんで、口腔を暴いていく。上顎の弱い部分を舐められるとぞくぞくとした。
「はっ……ふっ……。」
雨は好き勝手に俺の舌を絡め取り、ちゅっと唾液を吸った。俺の頭はぼんやりと靄がかかったみたいだった。気持ちいい……。っは、いけない! 俺は雨を突き放した。
「って……。」
雨は苦しそうに胸を抑えた。どうやら力が強かったらしい。
「急に何するんだ!」
俺は乱れた息を整えながら叫んだ。
「口吸いだけど。気持ちよくなかった?」
雨がへらりと笑う。
「気持ち良いとか悪いが問題じゃない……。」
「じゃあ、何が問題なの。」
雨が拗ねたように言う。こういうところはまだ子どもっぽい。可愛いままだ。
「俺とお前は親子だし、何より俺は前の告白を了承していない。そんな奴に、仕掛ける奴がいるか。」
「おれとヤシオは親子じゃないよね。あと、あんなに気持ちよさそうにしてるから説得力ねーし。おれのこと好きって言ってるようなもんだから。それに、誰かに奪われるくらいなら、先に奪った方が良い。」
「雨はどこでそういうのを覚えてくるかな。」
「知りたい?」
「遠慮する。」
ここで素直にうんと頷けば、碌なことにならないと勘が告げていた。こいつも、まだ若いんだから、もっと色んなことを知れば、諦めるだろう。俺はよいしょと腰を上げ、困っている元治に呼びかけた。
「元治! 飯にするぞ!」
「そうか、わかった。」
目を輝かせて、元治が我が家へと走ってくる。そんなに腹が減っていたのか。横の雨をみると、実につまらなさそうな顔をしていた。雨は最近笑うことよりも、難しい顔をするようになったな。
元治はせっせとご飯を口に運ぶ。うまい、うまいと言いながら食べる姿は気分が良かった。空になった茶碗に米をよそってやる。
「あんた、いつまでここにいんの。」
雨がぶっきらぼうに尋ねた。その様子を気にすることなく、元治は答えた。
「まあ、あと二週間程度だな。どうやら迎えがくるようだ。俺の鷹を通じて文が届けられた。」
「最悪だ。」
「私はうれしいが。」
「早く帰ってくれ。」
雨と元治のやり取りを見ていると、まるで父と素直になれない息子のようだと感じる。愛らしいものだなあ。
「さ、どんどん食べてくれ。」
「よしきた。」
こんな和やかな時間が続けばいいと俺は思っていた。だが、幸せは突然の終わりを告げる。
あくる朝、小奇麗な服に身を包んだ美しい若者が、村を訪れた。名を鷲尾信介と言った。どうやら、元治の弟らしい。
「信介! すまない、私一人でもクニへ帰れたというのに。手間をかけさせたな。」
「いいえ、兄上。兄上がご無事で何よりです。」
信介の声は弾んでいた。仲の良い兄弟のようだ。
「ところで、こちらの御は?」
信介はちらりとこちらに目をやった。元治はよくぞ聞いてくれた、という面持ちで話し始める。
「この者たちは、私がこの村に滞在している間、特に世話になったものたちだ。上手い飯を何度も作ってくれた。」
「お前のために作ったわけじゃないからな。」
「雨はいつも私に当たりが強いんだ、ははは。」
「心当たりはあるだろう。」
「さて? ははは。」
二人がいつものやり取りを交わしていると、信介は俺の方を見た。
「では、この角の生えている方は。」
「そやつは、ヤシオ。鬼だそうだ。」
信介の顔が険しくなった。刀に手を置いている。
「安心しろ、信介。我らの知る鬼ではないよ。心優しい鬼だ。」
「ですが、兄上。」
「よい。」
元治は首を緩く横に振った。信介は、はあと溜息を吐いて刀から手を離した。聞き分けは良い方らしい。
「そうですか。」
「うむ。」
ご機嫌な様子の元治とは対照的に、信介は暗い顔をしたままだった。
「では、我らはこれで失礼する。また後日、礼を持って参ろう。」
「二度と来なくていい。」
別れる最後の最後まで、二人はずっと話していた。本当に仲が良いんだな。俺がふっと笑うと、二人はぴたりと会話をやめた。
甲冑を着込んだ元治は俺に優しく微笑んだ。
「ありがとう、ヤシオ。飯も美味かったし、お前と過ごすときは心が穏やかだった。また逢いたい。」
「あ、うん。」
「ではな。」
そして元治は信介と共に馬に乗り、村を去っていった。信介は憎悪に満ちた目で俺を見ていた。やはり、鬼は嫌いなのだろうか。というかこれが普通の反応だな。俺は少し悲しくなった。信介の口元が少し動いていたが、聞き取ることはできなかった。
「鬼は地獄の方がよく似合う。」
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