交じり合う

梨子ぴん

第1話

 空は真っ黒な雲に覆われて、激しく雨が降っていた日のことだった。青色の髪をびしょびしょに濡らした幼子が、鳥居の前でぽつんと一人で立っていた。俺は、急いでその子に駆け寄り、傘の中に入れた。

「坊主、母ちゃんや父ちゃんはどうした? 迷子か?」

 その子どもはふるふると首を横に振った。

「父ちゃんは戦に出たっきり帰ってこねえ。母ちゃんは、おれを庇って死んじまった。」

「っ……!」

「おれ、行くとこねえんだ。」

 子どもは力なく笑った。俺は、腹から怒りが込み上げてきた。無論、この目の前にいる子どもにではない。そういう戦をしかけた者どもに、だ。

 近年、この国では戦が多く起きている。それは飢饉のためであったり、革命を起こそうとするためのものであったり様々ではあったが、やはり一番多かったのは、国を統率する者を決めるための戦だった。力で物事を決めることの愚かさを、俺はよく知っていた。

「おい、俺が嫌じゃあねえなら、うちに来い。多くはないが飯を食わせてやる。」

「? 兄ちゃんとおれには何の関係もなかろ?」

「いや、ある。ここでくたばられたら、寝覚めが悪い。」

「ふうん。」

 投げやりな態度の子どもに心が痛んだ。もしかしたら、この子はもう生きていたくないのかもしれない。それでも。

「お前、名前は何て言うんだ。」

「……あめ。」

「あめ?」

 先ほどから降り続ける雨を見つめる。

「雨か、そうか。」

 俺は雨と目線を合わせるために、しゃがみこんだ。瞬間、雨が引き攣った顔になった。しまった、こいつのせいか。俺は慌てて頭を隠した。

「……見たか?」

「見た。兄ちゃん、鬼なの? 角が生えてる。」

「ああ。」

「じゃあ、おれ食べられちゃうんだ。」

「ちげえよ。食べねえ。」

「別にいいよ。」

「俺が嫌だ。」

 雨の手を掴む。抵抗する様子はなかった。俺は溜息を吐いた。少しは嫌がれよ、この阿呆が。

 右手で傘を持ち、左手で雨の手をしっかり握りしめた。雨の手は冷たかったが、徐々に温かくなっていった。雨は何か言いたげだったが、口を噤んだままだった。

「ほら、行くぞ。」

「わかった。」

 俺たちは降りしきる雨の中、家へと帰った。



***



 雨を拾ったのは、何年前のことだったか。とにかく人の子の成長は早い。

「ヤシオー。今日の飯はなめこ汁でいい?」

「おう、よろしく頼む。」

 間延びした声でかけてくる青年――、雨が俺に緩く笑いかけた。なんだ、その顔。何か楽しいことでもあったのか。

「あはは、ヤシオは綺麗だなあ。炎のように真っ赤な髪も、紅色の目が好き。たくましい体も、全部大好き。あ、あとちょっと流されやすくて、世話焼きでお人好しなところも!」

 雨はそう言いながら、俺の髪をうっとりと見つめて、優しく撫でる。

「目腐ってんのか? それとも頭がおかしいのか。」

「どっちも違うよ。本当のことだし。」

 家に連れてきた当初は仏頂面がほとんどだったが、大きくなるにつれて雨はよく笑うようになった。というか、今ではへにゃへにゃ笑ってばかりいる。あと、鬼である俺に対してもよく分からないことを言う。

 雨を睨み付けていると、俺を呼ぶ声がした。草鞋を作っている手をとめ、声のする方へと顔を向けた。

「ヤシオや、仲が良いのは結構だが、ちょっと頼まれ事をしてくれんかの。」

 俺は声の主である猫爺の傍へ寄る。猫が好きな爺さんだから、猫爺。実に単純だ。

「何かあったのか。」

「うむ、水車の様子がちとおかしくての。何か挟まっとるようじゃから、取ってほしいんじゃ。」

「わかった、今行く。」



 猫爺のいう水車にはすぐ着いた。確かに水の勢いが弱い。歯車をよく見ると、何か赤黒いものが挟まっているようだった。

「これか。ちょっと待っててくれ。」

 手を伸ばし、歯車の間に手を伸ばす。ん、結構でかいな。感触も硬いような、柔らかいような変な感じがする。ぐっと手に力を入れてこちら側に引っ張った。詰まっていたものはとれたが、これは。

「人間の頭?!」

「なんじゃと?」

「おい、猫爺……」

「いや、儂は人なんぞ殺さんよ。恐らくどこからか流れ着いてきたのだろう。」

 俺は手に持った人間の顔を見る。頬はこけ、目は窪んですでになく、髪もざんばらで乱れている。表情は苦しみに満ちたものだった。どうして、こんな死に方をしなくちゃいけないんだ。

「後のことは俺がやっとくよ。村の皆には……。」

「ああ、黙っておこう。」

 俺と猫爺で簡単に弔いをしたあと、手を合わせた。どうか、この人が次は最後まで幸せであれるようにと祈った。



 猫爺と一緒に水車から家へと帰る間、黒髪を後ろでお団子に一つにまとめた、愛らしい少女から声をかけられた。

「あら、猫爺にヤシオじゃない。調子はどう? 今年は豊作?」

「ああ、梅ちゃん。調子はまあまあかな。またたくさん米ができたらおすそ分けするよ。楽しみにしててほしい。」

「ふふ、嬉しいです! ところで、雨くんはどこでしょうか?」

 梅ちゃんは辺りをきょろきょろと見渡した。

「雨なら今は家にいるよ、寄ってくかい。」

「えっ、あ、いいです。有難うございます。」

 梅ちゃんは頬を染めて断ったが、間違いなく雨のことを好いている。あんなへらへらした男だが、容姿は整っており、口元にある黒子でさえ色っぽいと言われている。人当たりもよいので人から好意を得やすい。村の衆からの評判も良かった。不思議なものだ。もう、あいつもそんな年頃か……。感慨深いな。

「梅ちゃんが良いなら、俺はいつでも……」

「ヤシロ。」

 耳元で地を這うような低い声がした。振り返ると、雨がすぐ後ろに立っていた。気配を消すな、驚くだろ。

「ヤシロ、仕事はもう終わった? ご飯できてるし、冷めちゃうよ。家に帰ろう。」

「今、家に帰るとこだったんだよ。」

「どうだか。」

 梅ちゃんの方を見ると、紅を塗ったかのように顔が真っ赤に染め髪がっていた。桜色の唇が小さく動いた。

「あの、やっぱりご相伴にあずかってもいいですか? 家から何品か持ってくるので……。」

「だめだよ。」

 雨が梅ちゃんの提案をばっさり切り捨てたが、俺は無視する。

「別に構わないだろ。梅ちゃん、一緒にご飯食べようか。人数多い方が良い。なんなら、猫爺もどうだ?」

「ははは、若いのはええのう。儂はやめておこう。お前さんも刺されんようにだけはするように。」

 猫爺はふさふさ顎髭を手で弄びながら、楽し気に去っていった。さて、家へと帰って飯を食うか。



 家に近付くと、なめこ汁のいい匂いがふわりと鼻孔をくすぐった。ああ、今日もきっと美味しいんだろうな。横を見ると、雨がにこにこと笑っていた。

「ヤシロはおれの作るご飯好きだねえ。」

「美味いからな!」

「うれしいな。」

 じっとこちらを見つめる雨と目が合った。深い青の瞳はどこか熱を持っていて、俺を捉えて離さなかった。なにしてんだ、こいつ。

 戸の方からガタガタ音がしたと思ったら、五、六品ほどのおかずを抱えて梅ちゃんが入ってきた。

「すみません、遅くなりました。」

「いや、そんな沢山持って来て大丈夫か?」

「はい、大丈夫です! 腕によりをかけて作った品なので!」

 なんだかちぐはくな回答のような気がしたが、ひとまず抱えていた品々を受け取る。雨を見ると、珍しく仏頂面をしていた。



「はー、美味かった。」

 俺は中身の入った腹を撫でた。雨も料理上手だが、梅ちゃんもなかなかの腕前である。特に、大根と鰤の煮物がとろとろで最高だった。また食べたい。

「雨もどうだ? 美味かったろ?」

「まあ、美味しかったね。」

 雨のその一言に、梅ちゃんが花の綻ぶような笑顔を見せた。嬉しくて堪らないといった様子だ。

「うん、料理は得意だから。」

 細くて綺麗な指をもじもじと絡める。可愛いらしい子だ。

「今日はどうするんだ? 何なら泊まっていってもいいぞ!」

「は?」

「えっ!」

 雨からはものすごく険しい顔が、梅ちゃんからは茹で蛸のように赤い顔が向けられた。やめた方がよさげだな、うん。



 梅ちゃんを雨と二人で見送ったあと、ぽつぽつと話す。

「雨は梅ちゃんのことどう思う?」

「別にいいんじゃない。」

「梅ちゃん可愛いし良い子だろ~。嫁に来てもらったらどうだ? お前もそろそろ身を固めてもいいだろ。」

「はあ?」

「雨はいくつだっけ?」

「十六だけど。」

「うんうん、頑張れよ~。」

 少し酒の入っていた俺は、饒舌になる。鬼は酒に強い者が多いが、俺は酒に強くない。ふわふわとした気分で布団を敷いていく。布団の上に、ごろんと寝ころんだ。布団、いい匂いする。今日はよく晴れたからなあ。

「そしたら子どもできて……俺はお祖父ちゃんになるのか!」

「おい、いい加減にしろよ。」

 上から怒気の籠った声が降ってくる。いつもだらしのない顔で笑っている雨の顔は、眉間に皺が寄り、鋭い目つきになっていた。

「だってさ、雨が死んじゃったら、俺一人になるだろ。その時、雨の子ども達がいれば面倒みてやれるし、俺も寂しくない。」

 そうだ、俺はいつ来るかわからない寂しさに怯えているんだ。今は、雨も、梅ちゃんも、猫爺やたくさんの村の人たちがいる。でも、命とは有限だ。特に、人間の命は俺たち鬼にくらべればずっと短くて儚い。皆、俺をおいて先に逝ってしまう。俺はそれがひどく嫌だった。

「ヤシオは馬鹿だなあ。」

 雨は呆れたように笑った。先ほどまでの剣呑な様子はどこにもなかった。

「おれはずっとヤシオの傍にいるよ。」

「いや、無理だろ。」

「頑張る。」

 ぐっと握りこぶしを掲げて雨は宣言した。

「ヤシオを一人になんてしないよ。」

 雨。お前、本当に大きくなったな。昔はあんな小さくて、何でもかんでも俺に反抗して叱られてばっかりだったのに。もうこんな大人だ。俺は涙腺が緩むのを感じた。涙が頬を伝って、布団の上へと落ち、小さな染みを作った。

「ヤシオ嬉しい?」

 こてんと首を傾げ、雨は問いかける。

「うん……。」

「じゃあさ、ヤシオ。鬼と人の子どもの作り方教えてよ。」

「は?」

「鬼って雄雌があるけど、一応雄同士でも作れるって言ってなかったっけ?」

「え、ああ、うん、まあ。」

「だから、頑張って作りたいな! おれとヤシオとの子ども!」

 雨は目を爛々とさせながら言い放った。俺はできるだけ優しく、そして可能な限り強く、雨の頬を引っ叩いた。



 朝からいやに視線を感じる。間違いない、雨だ。

「何で昨日は引っ叩いたの? 痛かったんだけど。」

 右頬を抑えながら不満げに口を尖らせた。

「そりゃ、急に子ども欲しいとか言われたら驚くだろ。というか仮にも親代わりに対して何考えてんだよ。」

「何って……体繋げたいし、やらしいこといっぱいしたいよ。」

「冗談だよな。」

「本当だよ。昔からずっと、ヤシオに対してそういう気持ち持ってたし、そういう目で見てたよ。というか、おれ今までも言ってたよね。ヤシオのこと、親としては見てないって。」

 そういえば、一時期雨は荒れていた時があった。二言目には、「ヤシオを親として見たことなんてない」だったから、なるほど反抗期だなと思っていた。……普通そこで自分を恋愛対象として見てるんだなって考えられるか? 無理だろう。

「何が何でも、俺との子ども作ろうね、ヤシオー。」

 へらり、と笑った顔は目が全然笑っていなかった。獣が獲物を狙い定めて狩るときの目だった。俺は頭を抱えた。


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