聖女様は息苦しい

二葉ベス

聖女様は息苦しい

「聖女の仕事って、めっちゃめんどくさい」


 村娘だった私、シャクナはなんの啓示なのか、どんな嫌がらせなのか。15歳の誕生日に聖女として覚醒した。

 チカラに目覚めた私を両親はとても褒め称えたものの、事態は簡単に進むわけもなかった。

 すぐに王国に私の存在がバレると、両親に「立派になってくるのよー」と送り出されて王都へレッツゴー。

 着いたと思えばここに住めと言われ、されるがままなすがまま。稽古に作法に祈りに。あれよあれよといつの間にか2年が経っていた。


「そう思うでしょ、メアリーも」

「メイドの私はそのようなことは思いません」

「はぁ、あなたも大概堅物よねー」


 付き人のメアリーが手足を投げ出しボケーっとしている私を尻目に、継承式への書類作業を続けている。彼女は私が聖女としてではなく、一介の村娘として接することができる唯一の話し相手であった。

 だから信頼も厚いし、安心できる相手ではある。のだけど、いかんせん堅物過ぎて返事は基本ガッチガチ。だから返答も岩塩みたいにしょっぱい。


「私、海に行ってみたいのよねー。ほら、山育ちだし」

「なら依頼しましょうか? 漁師村への来訪という御勤めで」

「ムーリー! 私は旅行がしたいのー!」

「ワガママですね。今のあなたの御身分ではそれが叶わないことぐらいお分かりですよね?」


 それはそうなんだけども……。

 私の立場はいわゆる国宝級と同等レベル。万が一逃げ出そうとすれば全兵力で探しにくるだろう。そしてあっさり見つかってやんわり注意されて、そのまま何事もなかったかのように次の仕事が舞い込んでくる。

 聖女様は息苦しい。立場は違えど、まるで罪人が牢屋に閉じ込められているような感覚。

 自由になりたい。例えばあの太陽のように空を自由に飛べたら、ここから地平線の彼方まで逃げられるのではないだろうか。


「明日は継承式です。そうなれば今以上に御勤めが多くなることでしょう」

「うへー」

「こうして私がそばにお付きできる日も、もう長くないかもしれません」

「それは、困るわね」

「ですが、それは国が決めたこと。私たちのようなただのメイドは従うしかありませんから」


 その声色は、少し。ほんの少しばかりトーンが低く、木枯らしのように乾いたもの感じさせた。

 気のせいではないかもしれないけれど、掘り返すほどできた聖女ではない。


「さて、明日は継承式です。今日はおやすみになってはいかがでしょう?」

「うん、まぁ。仕方ないわよね」


 継承式。それは聖女の世代交代を意味する。

 今まで私は聖女見習い、という形を取っていたがそれも今日まで。

 明日の継承式が終われば、晴れて正式な聖女として、より不自由な箱入り娘に変わる。文字通り、檻の中に入った聖女に。

 自由なんてものはなくなる。土の匂いも、両親の顔も、そして故郷も全部忘れて。


 今夜は眠れそうにない。

 緊張もある。それ以上に不安。これから道具のように扱われる一寸先は真っ暗な未来に。

 最後だ。ひっそり抜け出して、城内を散歩しよう。

 突き動かす感情で寝間着から、軽装備に着替えて部屋を飛び出す。こんな時に村娘時代の服があればよかったんだけど、そんな薄汚いものは聖女にふさわしくないだとかで燃やされてしまった。両親がくれた一張羅なのに。


 夜の城内は驚くほど冷え切っていた。

 まるで死者の墓地のようにしーんと静まり返っていて、暗さも相まって少し肌寒い気がする。

 この程度では風邪は引かないけれど、朝が明けるまでここにいたら、きっと凍えてしまうだろう。身も、心も。


「意外と、誰もいないのね」


 ひたひたと歩いて、誰もいないことを確認。よし、1階に下りてきた。

 依然として暗いけれど、目が慣れてきたから階段を下りるぐらいどうということはないわね。

 外を見れば、城下町が人の活気で暖かく光っている。

 きっと彼ら彼女らはまだ仕事なのだろう。魔法の灯りで輝く町並みを見て、感じるのは命の鼓動。ちゃんとそこにいるんだと、自由なのだと嬉しくなった。

 私が守っているものは間違いではなかった。これからも守ることだろう。


 同時に悲しくなった。見ず知らずの人のために、自分の自由を捨てなければいけないのだと。

 私は、本当にここにいなきゃいけないのだろうか。


 そんな考えを切り裂くように、遠くからカンッカンッ! と木のようなものが何かを叩いているような音が聞こえた。

 騎士様の稽古だろうか。こんな時間にご苦労なことだ。

 労うべきか、それかスルーするべきか。覗きに行っても、聖女扱いされたら嫌だな。でもどんなことをしているかは気になる。嫌悪感と好奇心が交じり合う。

 でも私は元は村娘だ。騎士様の稽古なんて珍しいもの、気にならないわけもなく。


(来てしまった、稽古場に)


 つい剣を振るう騎士様を見たくて、ここまで来てしまった。

 まぁいいか、バレないように見ていれば。


 マネキンに向かって、ひたすら木剣を振るう騎士様がいた。

 背中まで伸びた赤いの髪を頭の上で結んだ少女。剣を振るう度に馬のしっぽのように左右に揺れ動く姿が少しだけ可愛らしく、月明かりに反射する汗が光り輝く姿を雄々しく映し出す。

 私と同じぐらいか、少し高いぐらいの身長なのに、あんなにも騎士様らしく見えるのはきっと日々の鍛錬の成果だろう。


(真面目だなぁ)


 不真面目な聖女は何となく思った。

 同時に美しいとも思った。

 こんなにも雄々しく、こんなにも鋭くで、こんなにも輝かしい少女が。

 本気になれるものがある彼女に胸を打たれたのだ。

 生を感じた。私の中に熱が伝わってきて、一切目を離そうとしない。雄々しくも美しいたくましさに、同じ女ながら憧れを抱いたのだ。


「……誰だ?」

「ひゃうっ!」


 お腹の底に響き渡る重低音に思わずびっくりして尻餅をつく。

 やば、このまま部屋まで連行されてしまうかもしれない。もうちょっと訓練を見ていたかったのだけど。

 ゆっくりとこちらに近づいてくる彼女の凛々しい瞳と目が合う。髪の色と同じ紅蓮に燃えるルビー色はそれまでの人生にはなかった宝石のような輝きがあった。


「……聖女様、何故こちらに」


 それでこの『聖女様』だ。ガッカリとした気持ちが、私の何かを根元から崩していった。


「え、えーっと。眠れなくて」

「明日は継承式です。身体を休めるのは大切かと思われます」

「まぁ、ちょっとありまして。あはは」


 あーあ。この騎士様が私のことを連れ出してくれればいいのに。きっとそんな気持ちが崩れたのだろう。この人もきっと、ただの真面目ちゃんだ。


 ――それでも。


「お稽古、見ていてもいいかしら?」

「それよりも御身に何かあっては――」

「いいかしら?」

「……分かりました。つまらないものでしょうが」


 せめてそこで座っていてください、とベンチに誘導される。まぁ立っているよりはマシか。

 おとなしくベンチに座った私は、真面目ちゃんの騎士様を見る。

 剣をかじったことのない私にとって、その1つ1つが芸術的に見える。剣を振るう速度も姿勢も、意志も。その一挙手一投足が額縁の中の絵画のようだと思えた。

 だがそれは、真面目であることとも取れる気がして。

 もっと遊べばいいのに。素人ながら、そんなことを考えていた。


 彼女は一通りの訓練を終えたのか、マネキンに頭を下げてこちらへと歩いてきた。

 人形にお礼なんてしなくてもいいだろうに。


「お疲れさま、綺麗だったわよ」

「有難きお言葉」


 彼女はバッグからタオルを持ち出すと、顔の汗を拭きとる。

 そういえば、昔は私もあんな感じで土いじりした後は汗を拭いてたっけ。夜風からわずかに香る汗の臭いで少し懐かしい気持ちになった。


「あ。失礼いたしました、風下に聖女様がいらっしゃるのに」

「気にしないで。むしろちょっと懐かしく思ってたから」

「……懐かしい?」

「褒美ってことで、少しお話に付き合ってもらってもいいかしら」


 ベンチの隣とてしてしと叩く。座れという意味だ。彼女には拒否された。

 まぁ真面目ちゃんの騎士様だ。聖女の隣だということで拒否するだろうなとは思っていたけど、そんなことは関係あるまい。

 今度は少しだけ強くベンチを叩くと、彼女は仕方なく座ってくれた。ふふ、流されがちめ。


「実は私、山奥の村出身なのよ」

「山奥? 聖女様が?」

「そーそー。2年前にチカラが発現して、そのままなし崩し的にここに来ちゃったのよ」


 初対面なのに、なんでこんなこと話しているんだろう。

 でもその汗の匂いの懐かしさと、彼女のひた向きさに私の中の何かが、この人になら話してもいいかもしれないと思ったのかしら。

 気づけばぺらぺらと村娘時代から聖女時代までの出来事をつまびらかに話していた。足を延ばして、聖女にあるまじき姿勢を取りながら。


「とまぁそんな感じで、私はここから出たいのよ」

「求められたものをあるがまま受け入れる。真面目ですね」

「真面目ー? 騎士様に言われたくはないわね」

「いえ、真面目ですよ。私も人のことは言えませんが」


 それはそうなんだけど、私も真面目ってちょっとおかしくないかな。

 私ほど仕事サボりたくて仕方がない聖女はいないと思うのだけど。


「私たち騎士の間では、何も見返りは求めないですし、清らかな心の持ち主で清廉潔白。誰に対しても平等な態度を示す。それのどこが真面目ではないと?」

「……真面目ね」


 客観的に自分を見たことがなかったけれど、外面として向けている態度が予想以上に"いい人"すぎてドン引きしてしまった。そんな態度だったかしら、私。


「でもそれは偏見であると今思い改めました」

「偏見って……。そう見せるように振舞っていたのよ?」

「それでもです。一介の騎士に本当のあなたを見せていただきありがとうございます」


 隣を向いてわざわざ頭を下げる少女。そんなことしなくてもいいのに。というかそこまで畏まらないでも。


「それならあなたの話を聞きたいわ。どんなことを思って女騎士となったのかを聞かせてちょうだい」

「いえ、私の話こそあなたに聞いてもらうようなものでは――」

「聖女命令」

「……やはり偏見でした」


 私がワガママな人間であると言いたいのかね、あなたは。まぁそうなのだけど。

 これでも子供の頃は両親や親戚にじゃじゃ馬のように扱われたものだ。


「……私は代々騎士の家系に生まれた子供の一人娘でした」


 曰く、彼女の両親は子宝に恵まれず、一人っ子として生を受けた。

 もちろん両親はこれをよしとはしなかった。血を絶やすわけにはいかない。そのため彼女を立派な騎士にするべく幼い時から様々な素養や教育を施されたらしい。それも男のように。

 女騎士と、聞こえはいいが実際はそのようになるために、一本道を舗装されて育ってきたのが彼女だった。


「私も存外真面目な人間です。もっと反抗心があればこのようなところにはいなかったかもしれませんね」

「……騎士様。いいえ、あなたも別のことがしたかったのかしら?」

「私の願望なんて些細なものです。ですからあなたに言えるようなことでは」

「聖女命令」

「はい……」


 少し半笑いでため息をつきながら、彼女は本来の夢について語ってくれた。


「私はただ町角でパンを売りたかったのです。これでも料理には興味があって、隠れていろいろと作ったものです」

「へー、私はキッチンに入るなーって言われたから素敵ね」

「どんな腕前なんですか、あなたは」

「大抵の料理は何故だか真っ黒になるの。不思議よね」


 村娘なのに、婚姻したらまず夫にご飯を作ってもらえと口酸っぱく言われたものだ。もっとも、そう言われるような機会もなくなってしまうのだが。

 騎士の彼女は笑いながら、聖女の前にいることを思い出したのか、ハッとして申し訳なさそうに私の方を向く。


「いいのよ。それよりあなたの名前を聞かせてもらえるかしら」

「ですが、一介の騎士の名前。覚えてもらえなくても」

「一介ではありません。あなたはもう友達です。そう思っているのは私だけですか?」


 その宝石のように赤い瞳をまん丸と形作って、彼女は驚く。

 そんな反応することかしら。私としてはこんな話をしたのだったらもう友達だと考えるのだけど。

 しばらく口を開いたり閉じたり。そうして考えがまとまったのか、結んだ口を遠慮がちに開き、言葉を紡いだ。


「ウィーリン。私の名前は、ウィーリンです」

「ウィーリン、素敵な名前ね。私の名前は――」

「シャクナ、ですよね」

「流石に知ってたわね」


 微笑みかければ、彼女も笑みをこぼす。

 おそらく、これからこんな優しい時間を過ごすことはない。継承式が終われば、御勤め一辺倒な生活を強いられることだろう。

 できることなら、今の時間が永遠に続けばいい。そうとさえ思ってしまう。現実はいつだって非情だ。


「シャクナ、もうそろそろ……」

「そう、ね。できることならもっと話していたかったのだけど」

「僭越ながら、私も。真面目な聖女様が俗物なのを知るのは私だけなのですか?」

「俗物って……。一応付き人のメイドも知ってるわ。もっとも彼女は私を相手にはしてくれないのだけど」

「いいですね、付き人。叶うなら私があなたのおそばにいたかった」

「え?」


 言葉の裏には、いったい何があったのだろうか。

 目を閉じ、おだやかに落ち着いていて。でもその中には諦めのような何か別の感情が入り混じっている気がして。

 後悔。達観。失意。放棄。その顔の裏側にはどれだけの負の感情が眠っているのだろうか。

 でも彼女は決して答えない。真面目だから。状況を打破できるチカラがないから。

 私も同じ。いや、それ以上に愚かだ。チカラはちゃんとある。言えばきっと上は叶えてくれるだろう。

 けれど私もウィーリンと同じだから。何かできるチカラがあるのに、未来を怖がっている。願うばかりで、叶えられる力があるはずなのに。

 願えば叶う。祈れば通じる。そんなチカラがあるのに。

 チカラがあっても、それを利用できなければ……。


「嫌ね」

「やはり、私なんかでは力不足ですよね……」


 きっと「おそばにいたかった」という願いを否定されたと思ったのだろう。ふるふると目にいっぱいの雫を束ねて。意外とかわいいところがあるのね。


「いいえ、むしろあなたがいいとすら思うわ」

「いえいえ、騎士団長の方が心強いと思うのですが……」

「ウィーリンだからいいの。王都にやってきて、1番心を通わせていると思うわ」


 実際、この十数分で心はもうウィーリンに寄りかかり始めている。

 不思議なもの。メアリーですら許さなかった心なのに。こんなにも暖かい。


「……では」


 ウィーリンは神妙な面持ちで、先ほどまでとは打って変わった決意を胸に抱く。

 希望。執着。夢。実行。胸に抱いた感情がこちらまで伝わってくる。本気にさせたのは私。投げ出すなんてことを真面目な私が考えるわけもない。

 私は彼女のその後の話を一文一句すべて記憶した。2人で、生きるために。


 ◇


「一生のお願い! メアリー、今日だけは何をするにも目を瞑って!」

「は?」


 翌朝。継承式の前に、最初にして最難関である付き人メイドのメアリーの説得に勤しんでいた。

 ウィーリンと私、聖女シャクナがやろうとしていることはたった1つ。

 隣国まで逃げ延びて、自由を謳歌することだった。要するに脱獄というべきだろうか。

 村娘シャクナに戻る。いわゆる堕天なのかもしれない。それでもウィーリンと一緒ならそれも悪くないと、思ってしまったのだ。

 急ごしらえの準備をするも、聖女見習いになってから村娘時代のものはほとんど捨てられた。だから持つのは必要最低限のものだけ。聖女としての自分を捨てるつもりなのだから当たり前だ。


「深くは言えないけど。その……」

「……はぁ」


 目の前でお腹の奥底からすべてを吐き出すようなほど、大げさなため息を吐かれた。心が痛む。


「何をしようとしているかはだいたい察しました」

「なら!」

「継承式の多忙さに乗じれば、逃げることは出来ましょう。ですが同時に警備も厳重です。容易にネズミが入ってこれるような状態ではありません」

「それは、諦めろってこと?」


 理論詰めをさせられて私の中に不安という種が芽生える。

 どうしたらいい。メアリーは遠回しに諦めろと言っている。けれどウィーリンとの約束は必ず果たさなきゃいけない。でないと、彼女が……。


「私は自分に都合のいいメイドです。聖女様から何か褒美をいただければ、それですべてをうまく行くように協力いたします」

「……その、褒美は?」

「目を閉じてください」


 されるがままなすがまま。それだけで褒美を与えられるのならばそれでいいかもしれない。

 あれ、でも褒美って"こちらから"与えるもので、"向こうから"もらうものではないのでは?


 そう気づいたときにはもう遅かった。

 唇に同じく柔らかい何かが私を傷つけないように優しく触れる。

 何を意味するのか。そこまで鈍感な私ではない。衝撃で即座に目を開く。それがいけなかった。

 メアリーと文字通り繋がっていた。私の唇と、彼女の唇を介して。


 ゆっくりと離れる。名残惜しそうに、今生の別れのように。


「これが私への褒美です。片思いの私への、大切な」

「……メアリー」

「行ってください。これ以上、私が愛するシャクナ様が傷つかないように」


 強引に180度回転させられ、背中を押される。

 今にも崩れそうな心を両手に抱いた笑みが振り返れば目に入る。

 ここに残れば、メアリーは泣かない。泣かないけれど一生後悔する。私がここに残ったという刃として。

 その刃が私を傷つけないようにと、愛する私を気遣って。


「……行ってくるわね」

「はい。二度とここへは訪れないよう、切に祈っております」


 彼女は聖女に祈ったのだ。2人が二度と会わないよう。

 それが例え愛した人との今生の別れだとしても。

 メアリーは天秤にかけた。自分の幸せと私の幸せを。真面目だから、彼女は自分を選ばない。ただただ私の幸せを願って、自分を切り捨てる。


 でも彼女は祈った。人の幸せを。たった1人の平和を。

 彼女こそが、まさしく聖女なのかもしれない。たった1人のためにすべてを投げ出す私とちがって。


 ◇


「お待たせしました」

「浮かない顔ですね、シャクナ」


 本当にこの後何もなかった。罠にハメられたのかってぐらい何事もなく、すんなりと。

 きっとメアリーとウィーリンが手を回してくれたのだろう。あとは馬に乗って、国外までの最短距離を突っ走るだけ。ただそれだけなのに。


「私は、ここから出てもいいのかしら」

「シャクナ、何かあったんですか?」


 私はメアリーとの出来事を口にした。まだ唇に残る愛と感覚に触れながら。

 ウィーリンは驚く態度であったが、次第に納得の表情へと移り変わる。


「私は付き人のメイドが羨ましいです。それほどあなたのためを想うことができたのですから」

「でも引き止めれば、彼女は私ともう少し一緒にいられたかもしれないのよ」

「言われましたよね、あなたが傷つかないように、って」

「……っ! それでも」


 メアリーを愛していたかと言われれば、否定できてしまう。

 けれど、別れたいかと言われたら絶対に違うと言える。一緒にいたい。できることなら3人で自由を手にしたい。

 彼女は、有無も言わせなかった。その選択肢があったはずなのに、なかったかのように扱って。


「やはりあなたと私は似ています。同じようなことを私が言われても、きっと今のあなたのようになるでしょう」

「だったら!」

「それでもシャクナは私を選んでくれた。あなたに必要とされたことを誇りに思います」

「ウィーリン……」


 それは勇気づけるための言葉だ。

 お勉強の際に聞いたことがあった。言葉は魔法だと。

 想いを束ねて、束ねて、束ねて。幾重にも結った想いを口にすれば絶大な力が得られると。

 ならばメアリーの言葉も、ウィーリンの言葉もすべて魔法だ。

 人の心を壊しも、支えもする。不敵で素敵な魔法。


「改めて口にします。聖女シャクナ様、私と一緒に来てくださいますか?」


 ウィーリンは片膝をつき、私の前で忠誠心を見せる。

 こんなにも私の胸をざわつかせる忠義は、初めてだった。

 手を差し伸べれば、必ず騎士ウィーリンは答えてくれる。

 ちらつくのはメアリーの寂しそうな顔。でもその表情は決して悪い意味だけではない。内側に秘めた感情が私を後押しする。幸せになってほしいという、呪いにも似た祝福。


 胸に手を置き、1つ呼吸。そして手を差し伸べる。


「えぇ、喜んで」


 後悔がないとは言わない。けれど、背中を押されたのだ。

 なら、私の中に確かに芽生えたこの愛にも満たない感情を育てていきたい。

 騎士であり、同じ共犯者である情を抱いたウィーリンと共に。


 ◇


 それからは驚くほどあっさりと国外に逃げ延びることができた。

 メアリーはどれだけ私のために忠義を尽くしてくれたのだろう。『隣国の聖女が逃げた』と噂程度で済んでいるのだから、彼女の行動は敬意に値する。


「綺麗ね」

「まるでここが世界の果てのようにも見えます」


 私たちはと言えば、漁師村へとやってきていた。

 私たっての希望から、海にやってきたのだ。逃避行の果てが海だなんて、まぁ洒落ているじゃないの。


「ここから海を渡るの?」

「えぇ。とある船乗りにお願いして。こういう電撃作戦は速度が重要ですから」

「騎士らしいことを言うわね」

「元騎士ですから」


 顔を見合わせて笑う。メアリーは今どうしているだろう。

 王都から逃げてきてだいたい2か月。随分と遠いところまで来たものだ。


「ウィーリン」

「はい、なんでしょう?」

「私は今17歳なの」

「みたいですね」

「あなたは?」

「私も一応17だったはずです」


 まぁ偶然。すこしわざとらしく反応すれば、それが癪に障ったのかウィーリンは結論をせかすような口調で「何が言いたのですか」と聞いてくる。当然の反応だ。

 これで察してくれないのだから、やはり騎士様というのは堅物で真面目ちゃんなのだろう。


「……やっぱ、なんでもないわ」

「なんなんですか、本当に」

「なんでもないったらなんでもないのよ」


 そういう私も真面目ちゃんなわけで。

 本当は結婚してほしいと婚約したいところなのだが、個人的に引っかかることがあった。

 それはメアリーとの件。正式に私はイエスともノーとも言えていない。

 そんな曖昧な状態で、ウィーリンと婚約を結ぼうだなんてメアリーにもウィーリンにも失礼なことだ。


 もっともそれだけではなく、同性間での結婚を世間は許しはしないだろう。

 だから形だけ同居となるのだが、私には困ったことにその勇気もない。


「まぁいいですが。海を渡れば本格的にパン屋を営みましょう」

「そうね。私は看板娘かしら?」

「あなたに料理をさせるわけには行きませんからね」


 騎士として忠誠を誓った彼女もそう言ってのけるのだから、私の料理スキルも伊達ではないということだろう。


「あなたと夢であるパン屋を始められそうで私も嬉しいです」

「照れるじゃない。そういう決め台詞は好きな人に取っておくものよ」

「はぁ……」

「え、なに」


 露骨にガッカリしたため息をつかれたけど、何故だろう。私はなにか選択をミスしたのかしら。


「今ほどあなたを憎らしいと思ったことはないですよ」

「突然酷い! その言葉、そっくりそのまま返させてもらうわ!」


 じーっとあいも変わらないルビー色の瞳を見つめる。

 思えば最初から恋に落ちていたのかもしれない。あの時、あの輝く少女に。

 今も目の前にいて、微妙に関係が変わってしまった気がするものの、それは悪いものではない。


 もどかしいけれど、今は心地いい息苦しさだ。

 愛に溺れて彼女の沼に沈むような感情。

 人はこれを何と呼ぶだろうか。少なくとも私はこう捉える。


 ――片思い、なのだと。

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