第28話 謎の逃亡の理由(前半)
三が日を過ぎたと言っても、今日はお正月休み最後の日曜日。まだ初詣を済ませていない人たちの駆け込みなのだろう。参道には多くの人が並んでいる。
その列に並びながら、丹原たち三人――と言っても、メインは庭野と夏美だが――は適当に話しながら順番を待っていた。
「へえ! 先輩たちのご両親、海外旅行中なんですか」
「そ。夫婦水入らずでハワイなの。子供が二人とも家を出たから、すっかり余生を満喫しているのよー。だからせめて、弟とは新年の挨拶しておこうかと思って」
「暇だから遊びに来ただけだろ。後からそれっぽい理由つけるなよ……」
溜息を吐いて姉に苦情を入れつつ、丹原はちらりと後方を見やった。
(庭野の奴、やっぱり、俺には直接話しかけてこないか)
楽しそうに夏美と会話に花を咲かせる姿に、もやりとしたものが胸に広がる。
最初こそ「絶対に逃がさない」という強い圧を感じたものの、参道に並んでからは、庭野は夏美とばかり話して丹原とは一定の距離を保っている。
やはり、怒っているのだろうか。
ここひと月の間、丹原の庭野に対する態度は、不自然かつ失礼極まりないものだった。近づいてくる気配があれば逃げ。話しかけられそうになったら、忙しいフリをし。二人きりで顔を合わせないよう、休憩室の利用も避け。
面と向かってぶつけてくるかは別にして、すっかり嫌われていてもおかしくない。いや。十中八九、嫌われてる。丹原が逆の立場なら、絶対にそうだ。
(……それは、なんか、嫌だな)
楽しそうな笑い声が耳をつき、丹原の胸がずきりと痛んだ。
庭野にとっては丹原はきっと、大勢いる仲のいい人間のひとりに過ぎない。
だけど、丹原にとっての庭野は違う。どういう意味かは別にしても、間違いなく庭野は特別だった。それこそ、運命なんて言葉をあてがいたくなるくらいには。
謝りたい。謝りたいが、何をどう切り出せばいいのやら。
(直球で、避けてごめんっていうのもな……。なんで避けたんだって話になるし……)
寒空を見上げて悩んだそのとき、隣の夏美に突かれた。
「お参り、もう次だよ! お賽銭用意したの?」
「ん、ああ、ごめん」
急かされて、慌てて財布を出そうとする。そんな丹原の前に5円玉が差し出された。
顔をあげれば、庭野が手を差し出していた。
(庭野……)
さんざん気まずさを覚えていたせいで、丹原は怯んで目を逸らしかけてしまう。けれども庭野は、ぐいと一歩詰め寄ってきた。
「はい。5円玉たくさんあったから、先輩にあげる」
「……っ、だ、大丈夫だ。たぶん探せばあるから」
「なんで? 今更こんなことで、遠慮とかしないよね?」
言葉に詰まっていると、背中をばしばしと夏実に叩かれた。
「ああ、順番が来ちゃう! 千秋前に出て!」
姉が言う通り、ちょうど前の人たちがお参りを終えて横にはけたところだった。
「ほら、早く!」
(ひっ)
焦る丹原に、庭野が無理矢理5円玉を握らせる。
手袋越しに庭野の指が触れ、丹原は変な悲鳴をあげそうになったが、衆人環視の中どうにかこらえた。
そして3人は、賽銭箱の前に並んだ。
「4月のライブ、いい席でありますように。推しが今年も元気で健やかでありますように」
隣で夏美がぶつぶつと熱心に呟いている。その向こうにいる庭野は意外にも無言だ。目を閉じて、真剣に何かをお願いしている。
丹原は少し迷ってから、手を合わせた。
(……庭野に謝れますように。また前みたいに話せますように。それから、ポニーさんが、これからも新作を書き続けてくれますように)
煩悩たっぷりのお参りが終了した後、夏美は意気揚々と授与所を指差した。
「ねえ、ねえ。おみくじ引きたい。引こうよ!」
「えぇ……。いいよ、俺は。凶とか引いたら、年明けからテンション下がるし」
「そんな引く前から大凶みたいなこと言わないでさぁ。庭野くんは? 庭野くんは、おみくじ引くよね?」
期待に満ちた顔で、夏美が庭野を見上げる。丹原も、庭野は当然うなずくと思っていた。庭野の性格からして、おみくじなどの運試しは好きそうだから。
けれども庭野は、笑って首の後ろに手をやった。
「んー。どうしよっかな。俺、おみくじって大吉しか引いたことないんですよね」
「は?」
「なにそれ。もはや特殊能力じゃん!」
思わず反応してしまった庭野の横で、夏美も目を丸くしている。すると庭野は、やおら財布から100円玉を取り出した。
「ので、夏美さんに俺の100円玉を預けるので、それでおみくじを引いてもらってもいいですか? その方が、運試しになりそうだし。あえて俺は、ここで先輩と待ってます」
「えっ」
「いいね、楽しそうー! 任せて。庭野くんの100円で、きっといい運を引き寄せてくるから!」
(ま、待って!)
丹原は引き止めかけるが、すでに夏美は笑顔で授与所に走っていってしまった。後に残されたのは、途方にくれた丹原と、背後に立つ庭野。ドキドキと、丹原の心臓は再び嫌な音色を立て始めた。
(どうするんだよ……。庭野になんて謝るか、まだちゃんと作戦練れてないぞ……?)
――いいや。考えようによっては、これはチャンスかも知れない。
どんな意図であれ、庭野は丹原と二人きりでここに残る道を選んだ。それはつまり、二人で話す意思があるということだ。
落ち着け。さっき、お参りでも神様に頼んだじゃないか。庭野にきちんと謝罪し、昨年末から続く自分の中の不可解な感情に蹴りをつける。そして、何もかも元通りに戻るのだ。
何度か深呼吸をしてから、丹原は思い切って振り返った。
のだが。
「先輩、お願い事って何をしたの?」
「へ?」
「お願い事。俺のあげた5円でお参りしたでしょ?」
境内の木にもたれてリラックスする庭野に、丹原は拍子抜けしてぱちくりと瞬きした。
(庭野、いつも通りだな……?)
小首を傾げ、人懐っこい瞳で答えを待つ庭野は、まるでこの数週間のしこりなど何もなかったようだ。
もしや気に病んでいたのは自分だけで、庭野は丹原の不自然な態度に気づいていなかったのだろうか。
そう疑問に思いつつ、まさか「お前と仲直りできますようにと念じたぞ」と答えるわけにもいかず、庭野はとっさに誤魔化した。
「えっと、無病息災とか、健康祈願とか、そんなところだぞ」
「それ両方同じやつじゃん。ていうか、ふっつー。そんなんじゃ、神様に覚えてもらえないよ?」
「ふ、普通で何が悪い! 健康はなによりも大事だろ?」
「そうだけど、インパクトに欠けるよね。お参りするからには、神様の印象に残って願いを叶えてもらわないと!」
「ほー? そこまで言うなら、答えてもらおうか。お前は、神様に何をお願いしたんだ?」
だんだんと昔の調子を取り戻し、丹原はくいと眉をあげて庭野を促した。すると庭野も、おどけてきらんと目を光らせる。
「よくぞ聞いてくれました! 俺のお願いごとは――」
すぅと大きく息を吸って、吐いて。
それから庭野は、一気にまくしたてた。
「『転こい』、めちゃくちゃ売れますように! 重版しますように! はちゃめちゃ人気出ますように! コミカライズしますように! ドラマCD出ますように! アニメ化しますように! 超売れっ子作家になって、バンバン本出せますように!!」
「煩悩だらけだな!」
「もちろん、これだけお願いをするんだから、5円じゃなくて500円お賽銭入れたよ!」
「願いが重い!」
願いの圧がもはやお参りレベルじゃなく、御祈祷レベルだ。いや、もちろん、御祈祷を受けたいなら500円などではてんで足りないだろうが。
「それから……」
「まだあるのか?」
再び口を開いた庭野に、丹原は恐れ入る。各種メディアミックスを網羅するだけでは飽き足らず、さらにお願い事をするとは。神をも恐れぬ所業とはこのことだ。
すると庭野は、いたずらっぽく笑みを漏らしてこう続けた。
「転こい2巻、いいものに仕上がりますように!」
転こい2巻。その響きに、丹原は何もかも忘れて思わず身を乗り出してしまった。
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