第8話 他人の金で食う肉はうまい!


 それは、突然やってきた。


「でね、先輩! その時、空からグワーッて新しい機体が降りてきて、超絶美形の男の子が乗っていたんですけどね!」


「ああ、うん、そうそう。そんな展開だったっけな」


 とある仕事終わりの夜。いつものように――というほどには習慣になっているのもあれだが、エレベーターホールで一緒になった庭野をあしらいながら、丹原は会社を出た。


 よく磨かれたガラスの自動ドアを出た瞬間、丹原は何者かの視線を感じた。


「やっと出てきたわね、我が愚弟!」


 カツン!と、尖ったヒールの先がコンクリートの地面を叩く音が響く。


 つられてそちらを見た丹原は、素で「げ」と呻いた。


「おま、なんで会社の前にいるんだよ!」


「いちゃ悪い? 外回りで近くに来たから会いに来てあげたんじゃない。もっと喜びなさいよ!」


「来てくれなんて頼んでないだろ!」


 ――庭野は目を丸くして、現れた第三者を見つめた。


 綺麗な女性だ。艶やかなストレートの黒髪にグレーのスーツをすらりと着こなした、いかにも仕事が出来そうな美人。切れ長の涼やかな目元が、どことなく丹原に似ている。


 いや。そもそも彼女は、先ほど丹原のことを……。


「愚弟って?」


 女性が言い放った言葉を、思わず庭野は繰り返す。


 すると女性は、とっさに丹原が止めようとする腕をするりと抜け、庭野の前に立った。


 驚く庭野に、女性はにっこりと極上の笑みを浮かべる。


「はじめまして。私、千秋の姉の夏美と言います。あなたが庭野くん?」


「え、あ、はじめまして! 庭野拓馬です!」


 うわ、いい匂いがする。


 丹原似の美人に詰め寄られ、庭野は目を白黒させた。


 けれども、ふと思い出す。丹原の姉と言えば、確か本屋で会った日に話題に出たような。


 そこはかとなく記憶の扉が開きそうになったその時、夏美はぱしりと庭野の手を取った。


「おい!」


 慌てる丹原をよそに、夏美は目をキラキラさせてこう言った。


「会えて光栄です、ポニーさん! 私、あなたのファンです!!」






 それからほどなく経った頃。


 丹原、丹原姉、庭野の一向は、駅の反対側の焼肉屋にいた。


 主導権を握っているのは、やはりというか丹原姉だった。


「ご出版、おめでとうございまーす!!」


 軽快なノリで、夏美と庭野のジョッキがぶつかる。ごくごくと、繊細な美貌と似合わず豪快にビールを半分ほど空けた夏美は、「ぷはー!」と息を吐きながらへらりと笑った。


「庭野くん! いえ、ポニーさん! たーんと飲んで、たーんと食べてね! お姉さん、ばんっばん奢っちゃうから!」


「やー、すみません、お姉さん。お言葉に甘えちゃって」


 ぴくぴくと丹原のこめかみが動く。そんな丹原をよそに、夏美と庭野は勝手に盛り上がる。


「いいのいいの! せっかくお祝いなんだし、それに昔から言うじゃない?」


「言いますよね! 古来より、口を揃えて言うあの真理!」


 そうして二人は、丹原そっちのけで楽しげに声をそろえてこう言った。


「「他人の金で、食う肉は旨い!!」」


「お・ま・え・ら!!」


 ついに我慢が効かなくなった丹原は、ガン!とジョッキをテーブルに置く。


 首を傾げる二人のうち、まずは姉をじろりと見た。


「姉貴! 何だこの状況! なんで俺と庭野と姉貴の三人で焼肉屋なんか来てるんだ!」


「庭野くん、本出したんでしょ? アフターと言えば焼肉でしょ? じゃあもう、三人で焼肉行くしかないじゃない~!」


「知るか!」


 姉からまともな回答を得ることを早々に諦めて、今度は庭野を睨む。もぐもぐとチョレギサラダを頬張る後輩に、びしりと指を突き付けた。


「お前もお前だ、庭野! こんな、見るからに怪しい女についてきちゃダメだろう! 知らない人に声を掛けられても無視をするんですよって、お母さんに習わなかったのか!?」


「いや。怪しいも何も、先輩のお姉さんでしょ?」


 呆れた顔で正論を吐く庭野。けれども次の瞬間、後輩はへらりと笑った。


「それに、俺の小説を読んでくれる人に、悪い人はいないです!」


「ダメだこりゃ」


 どっと疲れを感じて、丹原は背もたれに背を預ける。ちょうどその時、大きなトレーを手に店員さんがやってきた。


「はーい、お待たせしましたー。欲張りセット三人前ですー」


「「待ってましたー!!」


 庭野と夏美がぱっと目を煌めかせる。そして、げんなりする丹原をよそに、あーだこーだ議論を始めた。


「お姉さん! やっぱりココは、カルビからですかね?」


「いやいや。タン塩も捨てがたいわ!」


「あれ? 店員さん、これ何て言ってましたっけ? ロース??」


「豚じゃなかった? ねえ、待って! ハラミどれ??」


 ぷちんと丹原の中で何かが切れる。


 丹原は二人の前から肉が乗った大きなトレーを奪うと、トングを手に宣言した。


「俺が焼く。お前ら、二人して座ってろ」


「千秋……」


「先輩……」


 夏美と庭野が、目を丸くしてこちらを見上げている。


 けれども次の瞬間、二人は同時に笑み崩れた。


「ありがと、よろしくね~」


「先輩、おねがいしま~す」


(こいつら、息合いすぎだろ!)


 再びイラっとしつつ、それから丹原はもくもくと焼き奉行に努めたのであった。



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