第7話 ワンコ後輩に懐かれて
(最近、妙に庭野とよく会うな)
そんなことを丹原は首を傾げる。
まさにその瞬間、隣には書類を覗きこむ庭野の姿がある。
「でね、先輩。マルバツ商事さんの、ココが気になってるんだけど」
「ああ。それなら前に聞いたことがあるな……」
「ふむふむ。ほー、なるほど!」
一通り教えてやったところでふと気づく。
なんで俺、他のグループの後輩に、他のグループの案件のことを教えてやっているんだ。
感心したように頷く庭野に、丹原は眉根を寄せた。
「お前さ。マルバツ商事は第2グループの案件だろ。普通に同じグループの先輩に聞けよ。その方が話も早いだろ」
けれども庭野は、にこにこと首を振った。
「マルバツさんは去年まで第一の管轄だったでしょ。だから何か知ってるかなあなんて思ったんだけど……。さっすが丹原先輩! 記憶力抜群ですね!」
「ま、まあ。役に立ったならいいけど」
きらきら輝く王子フェイスに、それ以上文句を言うつもりにもなれず、丹原は言葉を呑みこんだ。
そもそも丹原は、後輩に頼られるの嫌じゃない。人見知りな性格や、冷たく見られがちな外見が相まってあまり向こうから相談してはもらえないけれども、困っている後輩がいれば力に乗ってやりたいと思う。
とはいえ、丹原が庭野と話すようになったのはここ最近のことだ。グループが違うからというのももちろんあるが、単純に接点がなかったのだ。
それがこのところ、とりわけここ2週間はどうしたことだろう。
行き帰りのエレベーターで。休憩室で。ちょっとした業務の隙間で。外回りの出先、偶然一緒になった電車の中で。
〝せんぱーい!〟
〝丹原せんぱーい!〟
〝わー、先輩! こんなところで奇遇ですね!〟
(いや! エンカウント率高すぎるだろう!?)
果ては取引先の接待に庭野が飄々と現れたときはビールを噴きそうになった。取引先の担当に庭野の大学時代の先輩がいるからという理由だったが、それにしてもあまりに唐突な登場だった。
(……まあ。ポニーさんに喜んでもらえたなら、よかったのか?)
今日も今日とて、ちょくちょく庭野に声をかけられながら午前の仕事を終えた丹原は、いつものように一人で社内のカフェに姿を現す。
コーヒーを傾け一息つきながら、そんな風に丹原は考えた。
庭野に構われるようになったのは、丹原が徹夜でしたためた『感想』を渡した後だ。あの『感想』をきっかけに、庭野に懐かれてしまったとしか考えられない。
深夜テンションも相まって、ちょっと思いの丈をぶつけすぎた気もしたが、思い切って渡してよかった。それぐらい真正面からぶつかってこそ、ポニーさんの渾身の作品に応えるというものだ。
感慨に浸りながら、丹原はサンドイッチの包みを開ける。それから毎日の習慣の通り、スマートフォン片手にポニーさん含めたお気に入りの作家さんの更新巡りを始めようとした。
「せーんぱい。何見てるの?」
「わっ!?」
真後ろから声を掛けられ、丹原は椅子の上でがたりとずり落ちそうになった。慌てて振り向けば、やはりというか庭野が興味津々に丹原のスマートフォンを覗き込もうとしている。
反射的に液晶面を下にしてテーブルに伏せつつ、丹原はぎょっとして庭野に叫んだ。
「庭野、おま、何してんだ!?」
「何って、たまには先輩とお昼ご飯一緒に食べよっかなーって思って」
「昼!? いつもの喫茶店はどうした?」
「なんかあの店、今日と明日は臨時休業らしくって……あれ??」
へらりと笑ったところで、ふと気づいたように庭野はぱちくりと瞬きをした。
「先輩、何で知っているんですか? 俺が、昼に裏の喫茶店に行ってるの」
(しまった!)
己の失敗に気付き、唇を噛む。もちろん喫茶店のことを知っているのは、こっそり庭野の後をついていったからだ。だが、そのことを庭野に知られるわけにはいかない。
(こっそり後輩を尾行する先輩って、もうそれストーカーだろ!?)
間違いなくアウトなことをやった自覚があるだけに、隠すのも必死である。純粋に不思議そうな瞳にしくしくと胸を痛めつつ、丹原はそっと視線を逸らした。
「あ、いや……。前に外回りの帰りに、お前が喫茶店から出てくるのを見たんだ」
「ふーん?」
なんだか釈然としない顔をしつつ、庭野は首を傾げる。けれどもすぐに思い直したのか、丹原の隣にカフェのトレーを置いた。
「まあ、いいや。お隣失礼しまーす」
「あ、おい!」
しれっと座り込む後輩に慌てるが、庭野は平気な顔をしてこうのたまった。
「誰か先約がいました? 丹原先輩は、いつも一人でカフェにいるって聞きましたけど。……それとも俺、お邪魔でした?」
ちょっぴり上目遣いにこちらを見つめる庭野に、丹原は「うっ」と言葉に詰まった。眉を八の字にしたその姿は、なぜか実家の柴犬を思い出させる。こんなふうに健気に見つめられて、どうして邪魔だなどと追い出すことが出来るだろう。
(そもそも、じゃまもへったくれもないしな)
気になる小説の更新を確認できないのは残念だが、まさにその作者に声を掛けられたのだから仕方がない。今日くらい、作者様の昼にお付き合いしよう。
そんなことを丹原が思っているとは露知らず、庭野は「いただきます!」と手を合わせると、嬉しそうに大盛カレーを頬張り始める。
そういえば喫茶店でもカレーを食べていたなと、どうでもいいことを思い出しながら、丹原もサンドイッチに手を付けた。
「……ていうか、いいのか? 前に言っていただろ。昼休みは貴重な執筆時間だって。俺と食べるより、一人で過ごした方がいいんじゃないか?」
「むしろ、だからですよ」
パクリとカレーを頬張りながら、庭野は肩を竦めた。
「自分で言うのもなんですけど、俺、この会社で結構顔広いんです。ここで一人で食べてたら、誰かに声掛けられそうで。だったら先輩と一緒にいた方がいいかなって。先輩なら、俺がスマホいじっててもほっといてくれるでしょ?」
「なるほどな……」
ようは体のいいボディガードに選ばれたらしい。
ちゃっかりとした庭野に呆れつつ、丹原は諦めた。後輩にいいように使われるのは癪だが、ポニーさんの創作の一助になるならそれも一興だろう。
(話さなくていいなら、俺も更新巡り出来そうだし)
カプリとサンドイッチに食らいついたところで、ふと気づいた。
とはいえ、声を掛けるのは俺なんだなと。
「お前、小説のこと会社で俺以外に知っている人いないの?」
「え?」
ちょうど口に運ぼうとしたスプーンとを止めて、庭野がぱちくりと瞬きする。
だってそうだろう。本人も言っていたように、庭野は会社でも付き合いがいい。加えて、本人の根っから明るい性格だ。小説を書いていることや本を出していることについて、ほかにも知っている人間がいてもいいものなのに。
すると庭野は、スプーンを加えてややズレた答えをした。
「公には言ってませんけど、当然報告はしてますよ。印税も入ってきちゃいますし、副業扱いになりますからね。人事には事前に申請出したのと、身近なところですと部長とグループ長には言ってますね」
「いや、そういう話じゃなくて」
のんびり指を折る庭野に、丹原はちらりと背後を見た。たったそれだけで、庭野と親しくしている二、三人が目にはいる。
「例えば前野とか、宮原とか。確か、フットサルによく行くメンバーにお前も入っていただろ。あの辺には話してないのか?」
「ああ……そっちの意味か。いや、言ってませんよ。ていうか、報告義務云々を別にしたら、先輩以外に知っているひとはいないです」
なぜだか庭野は、困ったような顔でそう説明した。
今日日、副業も珍しい話ではない。実際に話を聞くのは初めてだが、うちの会社にも副業申請を出している社員が何人かいると聞く。だというのに、敢えて隠しているというのは。
(もしかして、あまり知られたくないことだったのか?)
ちらりと、頭の中を疑問が掠める。けれどもそれもつかの間のこと。すぐに、庭野が話題を変えてきたからだ。
「んで? 先輩は携帯で何見てたんですか? 妙に慌てて隠していたけど……もしかして、エロいサイトだったり?」
「ばっ!? んなわけあるか!」
「えー? じゃあ、教えてくださいよー、ねえねえ」
「ばっか、くっつくな! あっちいけ!」
「ちぇー」
面白がってスマートフォンを取り上げようとする庭野と、意地でも隠そうとする丹原。
――そんな二人の後ろ姿を、いつぞやの女子社員ふたりが目を輝かせて見つめている。
「ねえねえ、あれ……!」
「白王子と黒王子……!」
「「ますます仲良くなってない??」」
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